• 愛媛vs北海道

    2020年04月12日

    優勝候補筆頭が大会初日で姿消す!

     

    これまで松山商業・宇和島東・西条・今治西・済美など幾多の強豪校を輩出してきた愛媛県。この県の野球に対する熱はすさまじく、野球どころ関西をしのぐほどだ。なにせ宇和島東・済美を初出場初優勝に導いた上甲監督が町中を娘さんと歩いていると「上甲が若い女と歩いとったぞ!」と噂になるほどである。みな地元の高校野球チームに注目している。

     

    一方北海道は駒大苫小牧の夏の甲子園連覇・三年連続決勝進出が光るが、高校野球全体の歴史を紐解くと野球後進県であったことは否定できない。

     

    しかし、両者の対戦成績は北海道の10勝6敗である。実際振り返ってみると愛媛代表が優勝候補で出場してきて北海道勢に敗れるという試合がいくつか存在している。その中でも特に印象深い試合を振り返りたい。

     

     

    1994年夏の甲子園1回戦  北海vs宇和島東

     

    両チーム紹介

    宇和島東は昭和63年選抜大会にて初出場初優勝を果たし、甲子園の常連校へと成長。前年は剛腕平井正史(オリックス)を擁して春夏連続出場。この年の選抜にも出場してベスト8入りし、4季連続の甲子園出場であった。この年のチームは優勝を狙う戦力が整っており、3番宮出(ヤクルト)、4番橋本(ロッテ)を中心とした強力打線に投手陣は岩井松瀬鎌田など4人の投手をそろえ、みな140キロ近い速球を投げる本格派であった。しかも上記の三人はスターティングラインナップに名を揃え、試合の中で入れ替えが可能という他校がうらやむような投手陣であった。

     

    選抜1回戦では明治神宮大会優勝投手の嶋重宣(広島)を11安打11得点と粉砕。2回戦は広島商業との延長戦を制しベスト8に進出した。準々決勝で優勝校の智弁和歌山にまさかの逆転負けを喫したが、初出場で優勝した時以来着々と地力をつけ新たな黄金期の予感を漂わせていた。横浜、浦和学院、樟南などとならんで優勝候補の一角である。

    一方北海は2年前の夏以来の出場。北海道最多出場を誇る名門校で、選抜大会準優勝の経験も持っているが、夏の甲子園の勝利からは30年遠ざかっていた。2年生エース岡崎は球速こそ早くないが、カーブの切れが鋭く緩急を使える好投手。この岡崎を3年生野手が盛り立てて南北海道大会を勝ち抜いてきた。

    1994年夏の甲子園1回戦

    北海

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    0 0 0 0 0 0 0 2 4 6
    0 0 1 0 0 0 1 0 0 2

    宇和島東

     

     

    終盤にまさかの逆転劇

    下馬評では宇和島東が圧倒的に有利。北海が守りでどこまで食い下がれるかというところだった。しかし、試合が始まると宇和島東が攻守でミスを連発。けん制タッチアウトに満塁からのサードライナーゲッツーなどことごとくチャンスをつぶし、バッテリーエラーも見られた。三回に宮出がカーブをためてひっぱたいて、レフト前タイムリーを放つも7回まで散々塁上をにぎわせながら2点しか取れなかった。試合中笑顔がトレードマークだった上甲監督が思わず苦虫をかみつぶした表情を出すなどかなりフラストレーションのたまる展開であった。

     

    ここで試合展開について少し言及すると1点しか取れていない状況で7回に追加点が入っているが、意外とこういう膠着状態から追加点が入ると試合展開が動き出し、相手側にも点が入ることはままある。よく点を取った後にしっかり守ろうという声が出るが、やはり野球は流れのスポーツであり、一度動き出すと展開が止まらなくなるのであろう。

     

    話は戻るが、八回に入り、先発岩井の球数も多くなり、球威がなくなってきたところを北海のクリーンナップ斉藤佐藤に連打され、ピンチを迎える。ここでこの日ノーヒットの5番三橋にサード強襲のタイムリーヒットを浴びついに同点に追いつかれる。

     

    9回に入り疲れの見える岩井はツーアウト満塁のピンチを招く。ここでピッチャー交代の選択肢もあったが、上甲監督はエースと心中を決意。上甲さんのエースでぎりぎりまで押し通すスタイルは小川(昭和63年優勝時エース)、福井(2004年済美で春優勝、夏準優勝)、安楽(2,013年春準優勝)と時代を超えても変わらないものがあった。しかし、結果押し出しフォアボールとなり、その後さらに満塁からの初球を走者一掃のタイムリーを打たれて決定的な4点を失う。9回裏の攻撃も無得点に終わりゲームセット。

     

    大会2日目にして優勝候補最右翼のチームが甲子園を去るというかなり衝撃的な展開となった。

     

    この年の甲子園は上甲監督としてはかなりトラウマになっており、選抜で優勝した智弁和歌山がこの年を契機に強豪に上り詰めたのと対照的に、「宇和島東はあの年の選抜の逆転負けから一気に落ちていったわ、それどころかわしはもう宇和島東におらんしな(笑)」と言われ、「それにしてもうちは八回が鬼門だ、八回を契機にひっくり返される試合が多い」とぼやかれていた。特にこの夏はおそらく宇和島東の野球部史上最も戦力の整ったチームであったため、ショックも大きかっただろう。その後も何度か出場するものの、ベスト8進出は一度もなく、上甲監督は宇和島東を去った。

     

    これ以外にも翌年松山商業が初出場の旭川実業に5-4と逆転負け、3年後に同じく上甲監督率いる宇和島東が函館大有斗に4-1と完敗。2004年には済美が決勝で駒大苫小牧に13-10と打ち負けるなどどうも愛媛は北海道のチームと相性が良くない。愛媛勢にとって北海道勢は鬼門になっている様である。