• 横浜vs明徳義塾 2004年夏

    2022年01月16日

    強豪同士、雌雄を決する3度目の激突!

    2004年夏は大会前、東北、横浜、PL学園、明徳義塾の4強と目されていた。PL学園は初戦で日大三の強打の前に散ったが、その他の3チームは順調に勝ち上がる。横浜と明徳義塾は同じブロックに入り、ともに2回戦はサヨナラ勝ちで難敵を突破。優勝争いを占う大一番が3回戦で実現した。1998年夏、2003年選抜に次ぐ3度目の対戦であった。

    激戦ブロック 2004年夏 – 世界一の甲子園ブログ

    横浜は前年の選抜で準優勝を果たした時の右腕・涌井(楽天)が最上級生に成長。石川(DeNA)、玉城、赤堀ら野手陣も複数人残り、新チームにも期待が寄せられていた。しかし、秋季県大会で当時新鋭校だった横浜隼人に7-8とまさかの敗戦。3番小林を中心とした強力打線に涌井が5本の長打を含む14安打を浴び、打線は終盤に5点差を追いつくも、最後はサヨナラ負けを喫した。

    精神面の弱さを指摘されていた涌井は、横浜高校首脳陣の課した猛練習に耐えて、春季関東大会では横浜隼人に10-0とリベンジに成功。井上をインローの速球で見逃し三振に切って取るなど、一冬超えての成長を見せつけた。

    勢いに乗って関東大会を制覇すると、夏の神奈川大会では4回戦の日大藤沢戦から5試合連続の完投勝利を飾り、チーム打率4割台の強力打線の援護も受けて、3年ぶりの夏の代表切符をつかみ取った。ただ、神奈川大会で強豪との対戦が続いたため、すべての試合を一人で投げ抜くこととなった涌井の疲労は懸念された。

    甲子園ではそれまで3度対戦して1勝2敗と負け越している報徳学園と対戦。涌井自ら2ランを放って先制すると、中盤以降打線が相手エース片山(楽天)を攻略。主砲・石川に加えて橋本、黒葛原、福田(中日)ら下級生も躍動し、まずは8-2と快勝で初戦をものにした。

    しかし、続く2回戦は京都外大西のアンダーハンド右腕・大谷に打線が大苦戦。もともと下手投げ投手を苦手としている横浜打線だったが、ゆったりしたフォームから繰り出す伸びのある速球とスライダーに全くタイミングが合わなかった。それでもエース涌井が9回の満塁のピンチを踏ん張って0-0のまま延長戦に持ち込むと、最後は2年生4番橋本がセンターオーバーのサヨナラ打を放って辛勝。苦しい試合をものにして3回戦進出を果たした。

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    対する明徳義塾は2年前に悲願の全国制覇を達成。1年生として活躍した主砲・梅田、エース鶴川が最上級生になったこの代は全国制覇を狙える陣容を整えていた。PL学園の不祥事によって有力選手が流れてきたこともあり、過去最高クラスのタレントが揃った大型チームであった。

    しかし、選抜をかけた秋季四国大会では上甲監督が率いる新鋭・済美に0-7からまさかの逆転負けを喫する。選抜切符はつかんだものの、守勢に回った時のもろさがやや気になった。

    冬場の練習で立て直しを図り、迎えた選抜ではエース鶴川が躍動。初戦は桐生第一打線をわずか3安打に抑えて完封すると、2回戦では八幡商打線に10安打を浴びながらも2失点完投で踏ん張った。打線も新4番久保田が3ランを放つなど、強力に援護。準々決勝では東海大山形に11-6と豪快に打ち勝ち、準決勝で済美とのリベンジマッチに臨んだ。

    ところが、その済美との試合ではまたまた序盤からランダウンプレーなど守備のミスが多発。先発した2年生右腕・松下(西武)の足を引っ張る形となってしまい、3回で6点のビハインドを背負うこととなる。6回裏に済美のエース福井(楽天)をとらえて集中打で一挙6点を挙げるが、8回の決勝点も捕手の悪送球で許してしまい、6-7で惜敗。前年秋からの守備の課題を解消しきれずに、4強で姿を消した。

    この敗戦が身に染みたか、明徳義塾は春以降思い切ったポジション変更を行う。捕手の田辺をレフトに、レフトの久保田をサードに、サードの梅田を捕手にトリプルコンバートし、守備力を強化。梅田は捕手を始めてから膝をうまく使った打撃を身に着け、田辺は捕手から解放されたことで、4番として伸び伸び打ち始めた。

    ディフェンス面の安定した明徳は、松下・鶴川の2枚看板を中心に夏の高知大会を初めて勝ち抜くと、甲子園では初戦で盛岡大付を15-2と圧倒。新布陣への変更がチームに好循環をもたらしていた。2回戦では熊本工の好左腕・岩見(広島)に苦しめられるも、終盤に2点差を追いつくと、最後は2番松原がライト前へタイムリーを放ってサヨナラ勝ち。最高の状態で横浜とのリベンジマッチへと向かっていった。

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    中盤の連続三振で立ち直ったエース、底力で逆転した横浜が三度対決を制す

    2004年夏3回戦

    横浜

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    2 0 0 0 0 1 1 2 1 7
    3 0 0 1 0 0 0 0 1 5

    明徳義塾

     

    横浜    涌井

    明徳義塾  松下→鶴川

    明徳義塾にとっては1998年、2003年に続く3度目の横浜への挑戦。特に2003年春の延長12回での敗戦を経験した選手は多く残っており、2年前に全国制覇も達成して実績も経験も十分であった。2番松原、3番梅田、4番田辺、5番久保田、そしてラストバッターの野村までスタメンに甲子園でホームランを放った経験のある打者が6人並ぶラインナップは壮観の一言。互角以上のメンタルで横浜と向き合うことができていただろう。

    しかし、試合の先手を取ったのは横浜であった。2試合連続で先発のマウンドに立った右サイドの松下を攻め、2アウト2塁のチャンスを作ると、前の試合でサヨナラ打を放った4番橋本がスライダーを狙い打ち。打球はバックスクリーンへ飛び込む先制2ランとなって横浜が2点を先制する。

    これに対して、立ち上がりに不安を抱える涌井も初回簡単に2アウトを取ってからつかまってしまう。最も警戒していた3番梅田に死球を与えると、続く4番田辺にはセンター前にはじき返されて2人のランナーを背負う。ここで5番久保田は高めに浮いたスライダーを逃さずとらえると、打球は右中間フェンス直撃の2点タイムリー3塁打となって一挙同点。コンバートを受けた3人による攻撃で一気に試合を振り出しに戻した。

    さらに続く6番中田(中日)は巨漢ながらバットコントールに長け、春先以降メンバー入りをつかんだ巧打者。インサイド高めのストレートに対してどん詰まりの当たりになりながらも、レフトへのテキサスヒットとして勝ち越しに成功する。2003年の選抜時も初回にお互いに得点を取り合っており、その時の全く同じような試合展開となる。

    雨が降りしきる中で、涌井はその後立ち直りを見せるが、4回に手痛い一発を食らう。初回にタイムリーを浴びた6番中田を迎えると、再び高めのストレートをはじき返される。打球は3塁側のファウルゾーンに切れそうな当たりで、一瞬涌井も目を切っていたが、そのままグングン伸びてレフトポール際に飛び込むホームランとなる。中田の持ち味の柔らかい打撃から飛び出した一発だったが、「あれが入るのか」という表情の涌井はショックを隠し切れない。

    この一発が尾を引いたか、続く5回裏にも明徳は9番野村の右中間への2塁打と犠打、四球で1宇あと1,3塁の絶好機を迎える。しかし、絶体絶命のこの場面で涌井は本領を発揮。3番梅田を唯一のウィークポイントだったアウトコース高めの速球で2打席連続の空振り三振に切って取ると、続く4番田辺もアウトコースへのスライダーで空振り三振に。明徳の誇る主軸2人を連続三振に取ったことで、試合の流れは横浜に傾き始める。

    2回以降、松下のキレのあるボールに苦戦していた横浜打線だったが、6回表に5番赤堀のレフト前タイムリーで1点を返し、明徳に食い下がる。勢いを得た涌井は続く6回裏の明徳の攻撃を3者連続三振で退け、前の回から5者連続の三振奪取を記録する。中盤以降、完全に調子を取り戻した涌井の前に、経験豊富な明徳打線のバットから完全に快音が途絶える。

    こうなると、押せ押せの横浜は7回表にも松下を攻め立てて満塁のチャンスを築く、4番橋本への初球がすっぽ抜けて死球になり同点。続く5番赤堀のショートへの痛烈な当たりがライナーとなってまだ明徳にツキがあるかと思わせたが、涌井の投球が流れを変えることを許さない。得点はおろかランナーすら出ない状況に、明徳ベンチも徐々に勢いがなくなっていった。

    鶴川への継投も視野に入れた明徳だったが、8回も松下が続投。しかし、勢いづいた横浜打線はとどまるところを知らず、8回表に1番佐藤のタイムリーで勝ち越すと、9回表にも代わった鶴川から3番石川(DENA)、4番橋本、7番涌井が短長打を連ねて2得点。最終回で決定的な3点差をつけた。

    9回裏、ここまで5回以降12人連続でアウトを重ねていた明徳打線は、6番中田が右中間への3塁打を放ってようやく長いトンネルを抜け出す。続く7番鶴川が意地の犠飛を放って2点差にまで食い下がるも、最後は代打・伊賀が空振り三振に切って取られてゲームセット。強豪対決を3たび制した横浜がこれで2000年夏以降、出場4大会連続でベスト8以上となる準々決勝進出を決めた。

    まとめ

    横浜は中盤までは実に苦しい展開となったが、5回裏の連続三振以降の涌井の立ち直りは圧巻であった。あの年の明徳打線の実力はトップクラスであり、それを中盤以降ここまで沈黙させたのはさすがというほかない。打線も中盤以降、着実に得点を挙げて追い詰める様は、6点差をひっくり返した1998年夏を彷彿とさせるものがあった。

    しかし、準々決勝では涌井が駒大苫小牧の7番林にサイクルヒットを許すなど、7回までで14安打6失点を喫して完敗に終わる。この日は中盤以降の立ち直りも見られず、いつもの涌井ではなかった。神奈川大会から強豪ぞろいのブロックに入ったこともあり、8戦完投せざるを得ない状況に追い込まれたことは、涌井とその他の投手で力の差があったこの年の横浜にとっては痛かっただろう。組み合わせの妙によっては、優勝していても何ら不思議ではないチームであった。

     

    一方、明徳義塾にとっては中盤以降、横浜の底力に屈してしまった印象の試合であった。馬淵監督は試合後に、「投手のガス欠です」と語ったが、やはり5回裏のチャンスを迎えての中軸の連続三振は痛かっただろう。あの追い込まれた状況での涌井の覚醒が完全に試合の流れを変えてしまった。1998年夏にも松坂大輔(西武)の登板で流れを変えられた明徳が、またしても横浜の大エースの前にひれ伏す一戦となった。

    また、この翌年に明徳義塾は松下を中心に高知大会で優勝を果たすも、甲子園直前に不祥事が発覚して出場辞退の憂き目にあう。その後、2010年代に入って再び復活を果たし、今も甲子園常連校として躍動。2000年のチームと比較して小柄な選手が増えながらも細やかな野球を展開している印象があり、今の時代のチームの方が明徳らしいなと感じるのは私だけだろうか。

    横浜vs明徳義塾 1998年夏 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

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    第86回夏甲子園3回戦【横浜vs明徳義塾】2004年8月17日 – YouTube