【好投手列伝】愛知県篇記憶に残る平成の名投手 1/3

平成の名投手

【好投手列伝】愛知県篇記憶に残る平成の名投手 2/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

【好投手列伝】愛知県篇記憶に残る平成の名投手 3/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

山田喜久夫(東邦→中日)

春3度の優勝を誇っていた東邦を平成初の選抜制覇に導いた立役者。小柄な体ながら、抜群のコントロールとキレを武器に相手校の打者を封じ込んだ。2年の選抜でもチームを決勝まで導いたが、宇和島東の牛鬼打線につかまり、目前で優勝を逃していた。1989年の選抜では2年連続の出場で、前年からバッテリーを組む原とともに優勝を狙って乗り込んだ。

迎えた本戦では別府羽室台、報徳学園を連続完封。初戦で優勝候補の帝京を下した報徳学園の監督に、「この時期に山田君のボールを見られただけで収穫」と言わしめた。準々決勝では近大付とのV候補対決を延長10回にサヨナラ勝ちで制すると、準決勝は勢いに乗る京都西を逆転で下し、2年連続でファイナルの舞台に勝ち上がった。

決勝はスラッガー元木(巨人)を擁する上宮が相手。同点で迎えた延長10回に5番岡田に勝ち越し打を許すも、その裏に上宮の守備陣の乱れにも乗じて逆転サヨナラ勝利。2回戦から4戦連続で関西勢を下す「近畿キラー」ぶりを発揮し、見事平成最初の優勝投手に輝いた。

東邦vs上宮 1989年選抜 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

1989年選抜高校野球・決勝戦 東邦、逆転サヨナラ優勝 – YouTube

山田貴志(東邦→中日)

1989年の東邦の選抜優勝以来、6季連続で勝利のなかった愛知県勢。その連敗を止めた1992年のエースが山田貴志であった。奇しくも初戦の相手は1989年夏に春夏連覇を止められた倉敷商。中盤に集中打を浴びるも、打線の援護で7-4と振り切り、リベンジを果たす。140キロを超す伸びのある速球を武器に、その後も県立岐阜商・天理と強敵を1点差で撃破。特に9回に同点に追いついて延長で勝利を収めた天理との試合はこの大会No.1と言ってもいい白熱した好勝負であった。

’92夏甲子園 東邦vs天理 – YouTube

大杉樹一郎(中京大中京)

1988年の選抜を最後に甲子園から遠ざかっていた愛知の名門・中京大中京。県内のライバルである東邦や享栄、愛工大名電に押され、平成に入ってから実に8年間出場することができなかった。そんな伝統校復活の足掛かりを作ったのがエース大杉。2年秋の東海大会を勝ち抜いて選抜出場を勝ち取ると、初戦は日高中津分校にリードを奪われながらも、逆転勝利を収めて勢いに乗った。

スライダーを丁寧にアウトコース低めに配する投球で安定感があり、その後も関東王者の春日部共栄や同じく伝統校の報徳学園を下し、久々に決勝の舞台まで勝ち上がった。決勝は天理に敗れたものの、当時青年監督だった大藤監督にとっては大きな手ごたえをつかんだ大会になったのは間違いない。

⚾【平成9年】天理 対 中京大中京【高校野球・決勝】 – YouTube

松下克也(豊田西)

東海エクスプレスの異名を取った速球派右腕。前年秋の東海大会を制覇して、豊田西を春夏通じて初の甲子園に導くと、甲子園でも140キロに迫る速球を武器に新発田農、光星学院を下して2勝をマークした。3回戦で館山(ヤクルト)がエースの日大藤沢に2-4と惜敗したが、この試合はほかの投手が先発し、松下はリリーフ登板に。常に先行される展開となってしまい、先発していればあるいは展開も変わったのではないかと悔やまれた。

[プロ 野球 ハイライト] 【球春選抜甲子園】1998豊田西VS新発田農 – YouTube

上田晃広(豊田大谷)

1998年夏の甲子園は劇的な試合が続いたが、中でも劇的な勝ち上がりを見せたのが豊田大谷だった。初戦から村田(巨人)-大野(ソフトバンク)のバッテリーを擁する東福岡と当たって勝利すると、宇部商との延長15回サヨナラ勝ちの激闘、前年王者・智辯和歌山相手の逆転勝利、好左腕・和田(ソフトバンク)を攻略した浜田戦とここまでドラマチックな試合が続いたチームもなかなかないだろう。

その試合をことごとく完投したエース上田の好投も見逃せず、強打が注目されたチームにあって、「投」の柱としてマウンドに立ち続けた。長身から繰り出す角度のあるボールを丁寧にコーナーに投げ分け、試合を作り続けた功績は讃えられるべきものであった。

⚾【平成10年】1998.豊田大谷 vs 宇部商業【高校野球】生中継映像 – YouTube

朝倉健太(東邦→中日)

1999年に春夏連続出場を果たした東邦。選抜は平安、夏は滝川第二とともに関西の強豪に初戦で敗れてしまったが、朝倉ともう一人の速球派右腕・岡本(阪神)の2人で形成した投手陣は全国でも屈指の陣容であった。プロではすり足気味のフォームであったが、高校時代は足をしっかり挙げるダイナミックなフォームから快速球を投じていた。

夏は予選では本調子でなかったが、甲子園では5失点した岡本の後を受けて好投。最終回にのちにチームメートとなる中村公(中日)にサヨナラ打を浴びたが、県大会のチーム打率が4割を超す滝川第二打線を相手に熱投を見せた。

1999 朝倉健太 甲子園-夏 – YouTube

コメント

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