大会No.1投手(1981年選抜) 槙原寛己(大府)

1981年

愛知の私学4強の壁を跳ねのけて、甲子園へとたどり着いた剛腕・槙原(巨人)。のちにジャイアンツの3本柱の一角を担うこととなる右の本格派は高校生時代からものが違うと評判であった。堂々たる体格から真っ向投げ下ろすストレートは球威・スピードとも申し分なく、ストレートの威力で相手校を威圧できる投手であった。奪三振数は回平均で1.27とイニング数をはるかに上回り、打者にバントすらまともにやらせないほどの威力であった。

甲子園では1勝のみだったが、初戦で夏の優勝校となる報徳学園を撃破。名門・報徳でエース兼4番を張った金村(近鉄)がブルペンの投球を見ただけでかなわないとシャッポを脱ぐほどであった。レギュラー全員が3割打者という強打の報徳を相手に8安打を浴びながらも要所を締めて3点に抑え、見事選抜初勝利をもたらした。

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