大会No.1投手(1991年夏) 大野倫(沖縄水産)

1991年

現在の球数制限の論争が起こるきっかけとなったことで有名なのが1991年夏の沖縄水産のエース大野倫(巨人)であった。前年夏は5番打者としてチームの準優勝に大きく貢献。新チームでは満を持してエースで4番を務めたが、県大会から右ひじが痛む状況の中、苦心の投球となったが、140キロ台の自慢の速球が影をひそめるも、変化球をうまく駆使して勝ち上がった。

 

初戦で北照に4-3と競り勝つと、2回戦以降も明徳義塾・宇部商・柳川と強打のチームを相手に粘投。自慢の強力打線がもたらしたリードを終盤に大野が打ち込まれながらも、守り切るパターンで勝ち抜いていった。準決勝では永年九州で覇を争った鹿児島実が相手。手の内を知り尽くす相手に対して、大野が14安打を浴びながらもリードを守り切って2年連続の決勝進出を果たした。

 

決勝は萩原(阪神)を中心とした強打の大阪桐蔭に敗れるも、2年連続の準優勝を達成。しかしながら、エースが投げ抜くのが当たり前だった高校野球界に対して大野の肘の酷使は大きな問題点を残す結果となった。この年以降、複数投手性の重要性が叫ばれていくこととなる。

【好投手列伝】沖縄県篇記憶に残る平成の名投手 1/2 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

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