岡山理大付vs智辯和歌山 1999年夏

1999年

怪我を乗り越えてつかんだ逆転勝利

1999年の準決勝第1試合は強力打線を擁するチーム同士の激突となった。

智辯和歌山vs柏陵 1999年夏 – 世界一の甲子園ブログ

智辯和歌山は2年前に悲願の夏の全国制覇を達成。当時、1年生で優勝メンバーとなった佐々木が4番主将となり、打力は全国でもトップクラスであった。ところが、投手陣の柱が春先までなかなか固まらずに苦労することに。右腕・井上が一本立ちしてようやくめどが立ったが、複数投手制を敷いていた智辯和歌山には珍しくこの年はエース井上一人で勝ち抜く構えであった。

和歌山大会では4番佐々木が、打率6割を超す打撃でチームを牽引し、和歌山大会4連覇を達成。甲子園では4番佐々木、1番久米にそれぞれ一発が飛び出して、都立城東、好投手・森本を擁した尽誠学園と下し、8強に進出した。そして、準々決勝では柏陵の好左腕・清水から終盤の集中打で7点を奪取。強力打線とエース井上の粘投がかみ合い、2年ぶりの全国制覇まで後2勝に迫っていた。

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対する岡山理大付は夏は19年ぶりの出場だったが、前年の選抜に出場したメンバーが多く残り、チーム力には自信を秘めていた。若き指揮官の早川監督の自由な練習方針が新鋭校に伸び伸びとして雰囲気を与え、特に前年から主軸を打つ3番西川、4番森田の2人を中心とした打線は出場校中でも上位に位置していた。エース早藤が引っ張る投手陣にめどが立ったことで、上を狙えるチームになっていた。

甲子園では初戦の学法石川戦をサヨナラで制すると、3回戦では選抜準優勝の水戸商に6-0と快勝。ヒット数でも相手の3本に対して14本と圧倒しており、4番森田にも待望の一発が飛び出したことで、他校も警戒する存在へとなっていった。そして、準々決勝ではエース福沢(中日)を温存したV候補の滝川二に対して、序盤から先手を奪う展開に持ち込んで5-2と寄り切り、4強に進出。岡山県勢初の優勝へ向けて乗りに乗った状態で準決勝を迎えた。

あと1アウトが遠かった智辯和歌山

1999年夏準決勝

智辯和歌山

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 0 2 0 2 0 0 0 0 4
1 0 0 0 0 0 2 0 5

岡山理大付

 

智辯和歌山  井上

岡山理大付  早藤

岡山理大付は投打に好調を維持しての4強進出。ただ3回戦の途中で足首に故障を抱えたエース早藤の状態がやや気がかりではあり、4番捕手の森田が強気のリードで引っ張れるかがカギを握っていた。

試合は1回裏、岡山理大付が2アウト2塁のチャンスを迎えると、ここで4番森田がアウトハイのボールを右中間へのタイムリー2塁打として1点を先制する。大会屈指のスラッガーがまずはその打棒で強豪に圧力をかける。

しかし、打者一巡して早藤の球筋に慣れてきた智辯和歌山も中盤に反撃。3回表、1番久米にうまい右打ちのタイムリーを許して同点に追いつかれると、さらに2アウト3塁となって3番福地にはインサイドの速球をセンターにタイムリーされて逆転を許す。強気の攻めを見せた森田であったが、相手の捕手・福地にその意図を読まれてしまったか。

さらに、5回表には再びランナーを一人置いて、打席には先ほどタイムリーの1番久米を迎える。3回戦で尽誠学園の好投手・森本から決勝2ランを放った核弾頭が早藤の高めの速球をとらえると、打球は左中間スタンドへ飛び込む2ランホームランとなって4-1。昨年から甲子園を経験した久米、福地といった上級生の活躍で智辯和歌山が流れを引き寄せる。

だが、苦しい状況でも森田の強気は途切れない。4番佐々木をインハイの速球で空振り三振に切って取るなど、早藤に向かっていく姿勢を忘れさせず、粘りの投球を引き出す。常にランナーを背負いながらも、6回以降は相手に得点を許さない。

すると、この粘りが打線の援護を生む。7回裏、主将・森北の2塁打を足掛かりに1アウト3塁のチャンスを迎えると、8番葛城がインサイドの速球を詰まりながらもライトに落としてまず1点。さらにチャンスを広げると、2番松下のたたきつけた打球がセンターに抜けて2塁ランナーが生還し、ついに1点差に迫る。智辯和歌山のような迫力ある打撃ではないものの、わき役陣のしぶといヒットでじわじわと智辯和歌山に圧力をかけていく。

そして、1点差で迎えた最終回、岡山理大付はここまで一人で投げ抜いてきたエース早藤に代打を送る賭けに出る。結果的に投手ゴロに打ち取られるが、この決断が打線に決意と覚悟を与える。続く1番大北の痛烈なサードゴロがサード佐々木の悪送球を誘うと、続く2番松下は先ほどの打席と同じような当たりのセンター前ヒットを放ち、逆転のランナーも出塁する。

この最終回の守りで智辯サイドとしては常に4番森田の影がチラついていただろう。3番西川の1塁ゴロで併殺を狙うも、併殺崩れとなってあと一つのアウトを残して森田に打席を回してしまう。攻守で強気の姿勢を見せてきたスラッガー相手にさすがの智辯バッテリーも勝負できず、満塁で5番馬場に打席が回る。馬場は8回の守備でランナーと交錯し、足にけがを負っていた。しかし、ネクストサークルにいた主将・森北に鼓舞され、強気の姿勢を保って打席に向かう。

足を引きずるほどの痛みを抱えていたが、最後は気持ちの強さが痛みを凌駕した。カウント0-1からのストレートをフルスイングした打球は左中間を真っ二つに破るサヨナラ打となって2者が生還。1塁まで余裕を持って到達できる当たりとなり馬場がしっかりファーストベースを踏みしめて勝負あり。岡山理大付が劇的な幕切れで死闘を制し、岡山県勢として初の決勝進出を果たした。

 

岡山理大付は翌日の決勝でも5番馬場がタイムリーを放って先制点を奪う。しかし、エース早藤をはじめとして満身創痍だったナインは、桐生第一の猛攻に耐え切れず、1-14で大敗を喫した。しかし、前評判をかわしてV候補を次々に打ち破ったその戦いは決して色あせるものではなく、今も岡山の球児に勇気を与える試合として語り継がれている。

一方、敗れた智辯和歌山は最終回の後1アウトがあまりにも遠かった。例年と違って一人エースで戦っていた分、最後は戦いの選択肢がどうしても限られてしまった面は否めなかっただろう。ただ、この悔しさをかみしめたチームは、翌年に堤野、武内(ヤクルト)、池辺の3人が残り、強力打線で甲子園を席巻。選抜準優勝、夏優勝と結果を残し、智辯和歌山の黄金期を築くこととなる。

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