大会ベストナイン(1998年夏)

1998年

右投手 松坂大輔(横浜)

1回戦 〇 6-1  柳ヶ浦

2回戦 〇 6-0  鹿児島実

3回戦 〇 5-0  星稜

準々決勝 〇 9-7  PL学園

準決勝 〇 7-6  明徳義塾

決勝 〇 3-0  京都成章

平成の怪物が甲子園の伝説となった1998年の選手権大会。この大会だけでなく、平成を通してのベストナインがあったとしても選出されるほどのインパクトを残した。選抜では5試合で3完封の快投で全国制覇を果たし、各校が「打倒松坂」を掲げる中で、その挑戦を堂々と寄り切った。

大会のスタートは決して順調ではなく、1回戦の柳ヶ浦戦は1失点完投も6四死球と本来の制球力ではなかった。しかし、2回戦でノーヒッター左腕・杉内(ダイエー)との好投手対決を5安打完封で制すると、調子は上向きに。3回戦では機動力野球の星稜に対して、わずか4安打しか許さず、順調に準々決勝まで勝ち上がってきた。

そして、迎えた準々決勝は西の横綱・PL学園との大一番に。選抜のリベンジに燃えるPLナインは、チーム一丸となった攻撃で、立ち上がりの悪い松坂をとらえ、2回に早くも3点を奪取。ここまで3試合で1失点のエースのまさかの姿に、ナインも動揺を隠せなかった。やはり、前日の星稜戦で148球を投げての、翌日の投球だったことも影響しただろう。その後も、一進一退の攻防が続き、松坂は9回まで10安打5失点。PL打線の破壊力は、やはり他校と比べても一味も二味も違ったのだ。

だが、延長に入ると、松坂が本来の投球を取り戻す。球数が優に100球を超え、150球を通過するにつれて、投球に磨きがかかっていく、11回裏にリードを守り切れずに追いつかれたものの、12回から15回まではなんと一人のランナーも許さないパーフェクトピッチング。PLナインも呆然とするほどの快投を見せる。16回裏には再度PLの執念の前に追いつかれてしまうが、最後は17回に飛び出した常盤の決勝2ランによるリードを守り切り、史上最高とも呼ばれた名勝負を制したのだった。

ただ、大一番を乗り越えたものの、1試合で250球を投げ切った影響は大きく、準決勝は先発を譲ることに。しかし、この試合でも6点のリードを許しながら、チーム一丸の攻撃で横浜が追い上げを見せる。すると、松坂は腕に巻いたテーピングをはがし、9回のマウンドへ。さらなる勢いを呼び込むと、奇跡の逆転サヨナラを果たし、決勝へ駆け上がったのだった。そして、翌日の京都成章戦は、史上二人目となる「決勝戦での無安打無得点」を達成。脚本家でも描けないような劇的なtrilogyを見せつけた松坂と横浜ナインは、空前の高校野球ブームを巻き起こすこととなったのだ。

第80回夏甲子園決勝【横浜vs京都成章】1998年8月22日

左投手 古岡基紀(京都成章)

細身の左腕エースの輝き 京都国際の躍進と重なる記憶 - 高校野球 ...

1回戦 〇 10-7  仙台

2回戦 〇 5-3  如水館

3回戦 〇 5-1  桜美林

準々決勝 〇 10-4  常総学院

準決勝 〇 6-1  豊田大谷

決勝 ● 0-3  横浜

この年の高校球界の「王者」が横浜であれば、この夏に「最も成長したチーム」は京都成章だっただろう。その中心にいたのが、エース左腕・古岡であった。この年の選抜大会にも出場していたが、初戦で岡山理大付の強力打線につかまり、序盤でまさかのKO。制球が定まらず、いつもの出来ではなかったとはいえ、あまりにも早い降板となった。後を継いだ投手陣も相手の強打を止めきれず、2-18と大差で敗退。悔しい思いをしたナインは、守りから再び戦い方を見直し、夏は準々決勝の大谷戦を除いて、安定した戦いでは春夏連続出場を決めた。

初戦は初出場の仙台とのフレッシュな対決となったが、選抜でエースを援護できなかった打線が大量10点を奪取。古岡は最終回に仙台打線の追い上げにあうが、この試合を10-7で制し、甲子園初勝利を手にする。この勝利で自信を得た古岡と京都成章は、その後、機動力野球の如水館、粘り強さの光る桜美林、名将・木内監督が率いる常総学院と立て続けに撃破。打線は戦いを重ねるたびに力強さを増し、古岡は得意のカーブを武器に、すべての試合で完投勝利を挙げた。左投手独特の軌道を見せる縦割れのボールは、全国の強打者を相手にしても十分に通用するものであった。

そして、ハイライトは準決勝の豊田大谷戦。ここまで強敵ばかりを相手に劇的な戦いを演じてきた愛知の新興勢力に対し、古岡の左腕が猛威を振るう。大会随一のスラッガー古木(横浜ベイスターズ)から4打席連続三振を奪うなど、勝負強い打者の並ぶ打線から、なんと14三振を奪取。決め球のカーブとキレのある速球をコーナー、低めに決める姿に、制球に苦しんだ選抜の面影は完全になくなっていた。決勝は、横浜・松坂のノーヒットノーランの前に敗れたが、この試合でも王者を相手に古岡は3失点の粘投。この夏、横浜打線を相手に一人で投げぬいた投手の中では最も少ない失点に防いだ。

その後、甲子園を終えてからも京都成章ナインは成長を続け、国体の準決勝ではあのPL学園を7-5と撃破。決勝では再び横浜と対戦し、敗れたものの、1-2と接戦を演じ、その差が確実に縮まっていたことを示したのだ。最後の最後まで右肩上がりで終えた京都成章ナインは、最高の笑顔で1998年の戦いを終える結果となった。

京都成章-常総学院

捕手 小山良男(横浜)

横浜(神奈川)小山良男捕手 松坂大輔…:1990年代 「夏の ...

1回戦 〇 6-1  柳ヶ浦

2回戦 〇 6-0  鹿児島実

3回戦 〇 5-0  星稜

準々決勝 〇 9-7  PL学園

準決勝 〇 7-6  明徳義塾

決勝 〇 3-0  京都成章

春夏連覇を狙う横浜の主将兼司令塔として、甲子園に乗り込んだ小山。大会前の抽選では選手宣誓も引き当て、「新しい世紀に向けて、夢と希望と感動を与えられるよう…」という名文句を謳いあげ、まさに大会の主役として甲子園に乗り込んできたのだった。

その小山だが、他校の捕手よりも、負担は大きかっただろう。まずは、剛腕・松坂の150キロ台の速球と「消える」と評された高速スライダーを捕球しなくてはならない。何度も痛い思いをして、超高校級のボールを補球できるようになり、平成の怪物の投球についていった。そして、もう一つは小倉コーチの緻密なデータをもとに、投球を作り上げること。一人の打者に対して、これでもかというほどの資料を作ってくれるが、それを試合の中で活かせるかどうかは小山次第であった。目の前の打席で相手を打ち取る作業と、1試合の中で配球の流れを作る作業の2つを高いレベルでこなさなくてはならなかった。

1回戦から順当に勝ち上がった横浜だったが、準々決勝で名門・PL学園とのリターンマッチを迎えることとなる。有名なエピソードだが、ここで3塁コーチャーを務めていたPL・平石が小山のリード時の構えを見抜いて、序盤に松坂が集中打を浴びる。並の捕手ならここでへこんでしまうのだが、横浜の正捕手はそうはならなかった。4回表、選抜で苦しめられたPLの軟投派左腕・稲田に対し、甘く入った速球を小山がフルスイング!打球はレフトスタンドへ突き刺さる2ランホームランとなり、試合開始から押されっぱなしだった流れを一気に自分たちに引き寄せたのであった。

このPLとの名勝負を延長17回の激闘で制すると、その後もドラマチックな展開で勝ち続けた横浜は史上5校目の春夏連覇を達成!大会前に語った通り、多くのファンに夢と希望と感動を与えた戦いぶりであった。

第80回夏の高校野球準々決勝【横浜vsPL学園】1998年8月20日

一塁手 松浦孝祐(如水館)

1回戦 △ 6-6  専大北上

1回戦 〇 10-5  専大北上

2回戦 ● 3-5  京都成章

中国地区屈指のスラッガーとして、大会史に名を刻んだスラッガー。同校は、前年の夏に初出場を果たしていたが、平野・浅井(ともに阪神)・川岸(中日)と強力なメンバーを擁していた桐蔭学園に序盤からペースを握られ、1-3と惜敗していた。しかし、全国制覇の経験を持つ名将・迫田監督に率いられたチームは、広島県らしい機動力と投手力の高さを武器に、年々力をつけてきていた。そこに、唯一足りていなかった長打力を加えたのが松浦の豪打。準々決勝から実に3試合連続で1点差ゲームをもので来たのは、勝負所での松浦の一打が大きく、決勝では選抜出場の広島商を相手に、終盤に3点差をひっくり返し、2年連続の甲子園切符をつかみ取った。

甲子園初勝利を狙って臨んだ初戦は、奇しくも同じ2年連続出場の専大北上。試合は雨中の中、序盤から点の取り合いになるが、この試合で松浦のバットが火を噴く。専大北上のアンダーハンドの畠山に対し、アウトコースのボールをしっかり呼び込んでとらえた打球は左中間スタンドへのホームランに!この試合は6-6で降雨引き分け再試合となってしまったが、その存在感は両校の中でも打者として抜きんでていた。

そして、迎えた再試合も打撃戦となるが、ここでも松浦は畠山の変化球をとらえてレフトへホームラン!2試合連続の一発を放つと、投げても不安定な投球だった2年生エース小町をリリーフし、サイドハンドからの粘投でチームを鼓舞した。試合は終盤に専大北上の守乱につけこんで、6点を追加した如水館が10-5で勝利し、念願の甲子園勝利を達成。また、黒字のユニフォームが多かった広島代表において、鮮やかな青字のユニフォームは、どこか新時代の到来を告げるような爽やかさを放っていた。

二打席連発

二塁手 赤田将吾(日南学園)

日南学園(宮崎)赤田将吾内野手 2年…:1990年代 「夏の ...

1回戦 〇 7-2  愛工大名電

2回戦 〇 11-9  平塚学園

3回戦 ● 2-5  明徳義塾

強力打線を引っ提げて、3年ぶりの甲子園に乗り込んできた日南学園。初出場で春夏連続出場を果たし、選抜では8強入りを果たした3年前の代を見ていた有力選手が入学し、投打に充実した戦力を擁して甲子園に戻ってきた。中でも3番赤田(西武)を中心とした打線の破壊力は全国でも屈指であり、宮崎大会では、取られても取り返す野球で準々決勝からの3試合は計24点を奪取。中でも赤田は打率4割1分7厘の10打点と主砲としての役割を果たしていた。先行されもなんとかできるという雰囲気があり、自信を持って聖地に乗り込んできたのだ。

甲子園初戦は、大会初日の第2試合で、愛知の名門・愛工大名電が相手。やや硬さの見える日南ナインに対し、名電は序盤に2点を先行する。日南学園も7回表に1点を返すが、名電の右腕・小宮の好投の前に8回まで4安打1点。1点ビハインドで最終回を迎えることとなった。その9回表、先頭で打席に入ったのは3番赤田。初球、真ん中高めの速球を積極的にたたいた打球はセンターフェンス直撃の2塁打に!この一打で勢いに乗った日南打線は、堰を切ったようにつながり始め、大量6点を奪取。赤田は、打者一巡で迎えた2打席目もタイムリー2塁打を放ち、チームの大逆転勝利に貢献した。

続く2回戦は、同じく初戦で最終回に逆転劇を演じた平塚学園が相手。全く同じような勝ち上がりを見せた両チームだったが、試合は立ち上がりから日南ペースとなる。1回表、赤田の先制タイムリー2塁打でいきなり2点を先行すると、2回には集中打が飛び出して、大量6点を追加。赤田は6回にもタイムリー2塁打を放ち、前の試合から6打数連続ヒットと、まるで打ちでの小づち状態でヒットを量産した。終盤に平塚学園打線の猛攻にあい、7回裏に10-1から10-8まで詰め寄られるヒヤヒヤの展開となったものの、最後は大量リードがものを言って、11-9と寄り切り勝ちを果たした。

ただ、この年はまだ2年生右腕の春永が中心の投手力にやや不安を抱えていたのは事実。3回戦ではV候補の明徳義塾の2-5と力負けし、赤田の夏はベスト8を前に幕を閉じた。ただ、この年の日南学園の豪打は鮮烈な印象を残しており、赤田たちが初出場した3学年上の代を見て入学したように、この赤田の代を見た学年が入学して、3年後、エース寺原(ダイエー)を中心に日南学園史上最強のチームとして甲子園へ乗り込むこととなる。

平学、初戦に続いて乱打戦

三塁手 古木克明(豊田大谷)

豊田大谷(愛知)古木克明内野手 2年…:1990年代 「夏の ...

1回戦 〇 6-4  東福岡

2回戦 〇 3-2  宇部商

3回戦 〇 7-6  智辯和歌山

準々決勝 〇 4-3  浜田

準決勝 ● 1-6  京都成章

今やすっかり松坂世代として定着した1980年生まれ世代だが、この世代で最も早く全国にその名を知らしめたのは豊田大谷の主砲・古木であった。2年生で出場した前年の甲子園では、初戦の長崎南山戦で2本塁打を記録。しかも、その中身が9回の同点2ランと延長12回の勝ち越し2ランなのだから、いずれも値千金の一打であった。ただ、無我夢中で臨んでいた2年生を経て、最終学年になると、周りからのプレッシャーもあって本来の打撃を崩してしまう。チームは4番捕手の前田や1番主将・大井などタレント揃いであり、2年連続の甲子園を決めたが、古木自身の調子はなかなか上がらなかった。

ただ、甲子園に来ると、苦しい状態の中でも古木は結果を残していく。初戦は村田(DeNA)-大野(ダイエー)、田中賢(日本ハム)とこちらもタレント揃いの東福岡が相手だったが、中盤にセンター山瀬の好守で流れをつかむと、直後の攻撃で古木が先制の2点タイムリーをマーク。この攻防でリズムを得た豊田大谷が正捕手・大野を欠いた東福岡を6-4で寄り切り、注目の好カードを制した。続く2回戦は、宇部商との延長15回にわたる厳しい攻防に。宇部商に2点を先行される展開となったが、この試合でもチーム初得点は古木のタイムリーであった。苦しい中でもチームを救う一打を放てるのが、古木の古木たるゆえんであった。

そして、この夏最も輝きを放ったのが、3回戦の智辯和歌山戦。前年夏の王者であり、夏前の練習試合では大量失点で2連敗を喫していた。この試合でも古木は初回に先制点となるタイムリーを放つが、中盤以降にエース上田が2ホームランを含む6失点を喫し、全国制覇を知る強豪の底力を見せつけられる。しかし、6回以降に徐々に反撃を開始すると、ムードは豊田大谷に傾きだす。そして、7回表についにその時がやってきた。

2番山瀬のスクイズで1点を返すと、直後の打席で智辯和歌山・児玉の高めの速球をフルスイング!打球は、左中間スタンドへ飛び込む会心のホームランとなり、古木は最高の笑顔でダイヤモンドを一周したのであった。それは、あるいは前年の活躍による呪縛を自ら振り解いた瞬間だったのかもしれなかった。試合は、9回表に1,2番が出塁すると、ここで古木に対して後藤監督がバントを指示。これにもしっかり応えて1アウト2,3塁とチャンスを広げると、4番前田の逆転打が飛び出し、豊田大谷が劇的な勝利を手にしたのであった。

古木は、その後、準々決勝でも浜田の好左腕・和田(ソフトバンク)から先制タイムリーを放ち、チームの4強入りに貢献。準決勝で、京都成章・古岡に4打席連続三振を喫し、大会を通じての打率は2割台前半だったが、この夏に放った5本のヒットはいずれも打点付きの一打であり、チームの勝利に欠かせない「一本」であった。苦しみぬいた愛知のスラッガーが、最後の夏を思い残すことなく終えて、聖地を後にすることとなった。

強打者のバント 勝利への執念

遊撃手 吉本亮(九州学院)

1回戦 ● 9-10  平塚学園

1回戦で敗退こそしたものの、今大会出場校中でも屈指の「南国のスラッガー」が大会で抜きんでた存在だったことは誰の目にも明らかであった。昭和38年に夏の甲子園で8強入りの歴史を持つ伝統校も、前回出場は昭和62年と全国の舞台から11年遠ざかっていたが、この年は吉本を中心とした自慢の打棒が爆発。若き指揮官・坂井監督のもとで、自主練習の時間を多く設けると、打撃の好きなナインの実力はみるみる上昇していった。熊本大会では、2年生エース西村を強力打線が援護。決勝では熊工との名門対決を制して、久々の全国切符を手にしたのだった。

甲子園初戦の相手は、初出場の平塚学園。記念大会で東西に分かれた神奈川大会で、王者・横浜とは別の地区に分かれての出場だったが、決勝では東海大相模に10-2と完勝しており、こちらも打力に自信を持つチームだった。しかし、試合が始まると球場の空気を制圧したのは九州学院・吉本のバットであった。平塚学園のエース藤原が緩急を活かした投球を見せようとするが、その緩いボールを吉本のバットが一閃!自分のポイントまでしっかり呼び込んで叩く打撃で2打席連続のホームランを放ち、チームとしての3本のホームランで試合を優位に進めた。

しかし、この年の甲子園は終盤にドラマが起こる試合が多く、この試合もまた例に漏れなかった。8回まで5失点でなんとか踏ん張っていた九州学院・西村が最終回に平塚学園打線につかまり、この回だけで5点を献上。九州学院も9回裏に1点を返す粘りを見せたが、最後は追撃及ばず、10-9で初出場・平塚学園に軍配が上がった。ただ、敗れはしたが、吉本の打撃の与えた印象は鮮烈であり、この年を皮切りに、名門・九州学院は復活の道のりを歩み始めることとなる。

【松坂世代 高校ジャパン代表】第3回AAAアジア野球選手権大会優勝の軌跡。松坂大輔の快投から吉本亮、寺本四郎、村田修一のホームラン!ヒットメーカー赤田将吾。小技の東出輝裕。新垣渚、杉内俊哉の投球も

左翼手 藤本敏也(明徳義塾)

1998年夏の甲子園回顧 史上最多の55代表校がしのぎを削った記念 ...

1回戦 〇 6-5  桐生第一

2回戦 〇 7-2  金足農

3回戦 〇 5-2  日南学園

準々決勝 〇 11-2  関大一

準決勝 ● 6-7  横浜

センバツまでは7番を打っていた藤本だが、その非凡な打撃センスを武器に最後の夏は1番に定着。最後の試合となった準決勝では「サイクルヒット」の快挙を成し遂げる快挙を見せ、聖地にその名を刻む形となった。

もともと、この年の代は個々の能力は高いものの、我の強さがゆえにチームの勝利に結びつかないところもあった。特に、選抜準々決勝ではエース寺本(ロッテ)の制球難で自滅に近い形で、PL学園にサヨナラ負けを喫しており、一度チームが瓦解するような状況にまでなったそうだ。それでも最後の夏に向けて、馬淵監督のもとでチームを再構成し、藤本はその高い打力から切り込み隊長の役目を担うこととなった。

激戦の高知大会を勝ち抜いて迎えた甲子園では、開幕戦でまたもエース寺本の不調から苦戦を強いられたが、この試合を底力でサヨナラ勝ちすると、チームは乗っていく。藤本はどちらかというと思い切りのいいプルヒッティングが持ち味であり、四球を選んでコツコツ出塁するタイプではなかった。しかし、そのどんどん振っていく姿勢がナインに好影響を与え、明徳打線は大会を通じて好調を維持。のちに神宮優勝投手となる日南学園の春永や選抜準優勝投手の関大一・久保(ロッテ)を攻略し、4試合で実に29得点の猛打でチーム史上初の夏4強入りを果たしたのだった。

迎えた準決勝は王者・横浜が相手。しかも、エース松坂がPL戦の疲労を考慮して先発しないという好条件だ。明徳打線は、横浜の2年生投手二人に対し、物足りないと言わんばかりの猛打を見せつける。中でも、凄まじかったのが藤本の打棒であり、初回からヒットを放つと、4回の打席では打った瞬間に打球を見失いそうになるほどの特大ホームランを放って、観衆の度肝を抜く。

そして、3安打を放ってサイクルヒットまで、あとは3塁打のみとなった8回表。横浜の右腕・斎藤に対し、真ん中高めの速球を振りぬいた打球は左中間を深々破っていく。藤本は一気に3塁を奪い、見事サイクル安打を達成!大会史上4人目の快挙を成し遂げ、その積極性あふれる打棒で王者を窮地にまで追い込んだのであった。

その後、6点差をひっくり返されるまさかの逆転負けを喫することになるのだが、この試合が大会史に残る名勝負になったのも、ある意味、明徳の攻撃力、いや藤本の打棒があってこそだったと言えるだろう。選抜から大きく成長を遂げた核弾頭もまた、この夏の主役の一人であった。

第80回夏の甲子園準決勝【横浜vs明徳義塾】1998年8月21日

中堅手 大西宏明(PL学園)

1回戦 〇 6-2  八千代松陰

2回戦 〇 2-1  岡山城東

3回戦 〇 5-1  佐賀学園

準々決勝 ● 7-9  横浜

走攻守3拍子揃ったPLの5番打者。全国から才能豊かなプレーヤーが揃う同校だが、この代で最もセンスが光ると言われていたのが大西宏明であった。選抜では3番を打っていたが、夏は主砲・古畑の後の5番を任されることに。センターの守備でも好守を見せ、PL学園の隙の無い野球を体現するうえで、欠かせないピースとなっていた。夏の大阪大会を圧倒的な強さで勝ち上がると、決勝の上宮戦以外はほとんど苦戦することがなく全国行きを決めたのであった。

甲子園に来てもPLの強さは健在であり、初戦で「ミスター0」の異名を取った八千代松陰の好投手・多田野(日本ハム)を13安打6得点と打ち込み、快勝発進を見せる。2回戦は岡山城東の2年生右腕・中野の前に苦戦するも、打てないときはしっかり守るのがPL野球。1-1で迎えた最終回に、6番三垣の決勝ホームランが飛び出し、苦しみながらも勝利をもぎ取った。すると、3回戦では佐賀学園の好投手・江口を相手に、3番本橋の先制打、4番古畑のホームランと打線が再び復活。大西自身も2安打を放つと、2回の守備では右中間を抜けそうな打球を好捕して、1塁ランナーの生還を許さず、エース上重を救う堅守を見せた。

そして、ナインが待ちに待った横浜・松坂との因縁のリベンジマッチ。試合は追いつ追われつの好試合となり、延長戦に突入。PLナインは、選抜と違って松坂の投球に食らいつき、大西も松坂のカーブを狙う打撃で複数安打を放つ。150キロの快速球と高速スライダーが武器の右腕に対し、時折タイミングを外すために投じる、この緩い変化球を逃さないところが大西の非凡さを示していた。

試合は、5-5のまま延長戦へ突入。11回表に横浜が1点を勝ち越すと、その裏、PLも先頭の主将・平石(楽天)が意地のヒットで出塁。しかし、1アウト2塁から4番古畑は三振し、後一人の状況に追い込まれる。ここで2塁ランナーの平石がタイムを取って靴ひもを結び、一瞬の間を与えると、打席には5番大西。ここで、横浜の捕手・小山は、それまで2打席カーブでヒットを打たれていたにも関わらず、エアポケットに入ったようにカーブを要求してしまう。松坂も頷いて投じるが、これが甘く入るのを大西は逃さなかった。打球は三遊間を綺麗に破るタイムリーとなって、平石がガッツポーズで生還!土壇場でPLの執念を見せつける一打を放ち、試合を振り出しに戻したのであった。

その後、周知の通り、17回まで及んだ死闘は横浜に軍配が上がったが、あの松坂から13安打7点を奪取したPLの底力はすさまじいものがあった。中でも大西は選抜の準決勝と合わせて、松坂から計10打数5安打の5割を記録。怪物を打ち込んだセンスあふれる打者は、その後、近畿大学を経てプロの世界でも活躍を見せることとなる。

第80回夏の高校野球準々決勝【横浜vsPL学園】1998年8月20日

右翼手 谷口和弥(明徳義塾)

朝日新聞デジタル:〈31〉藤川球児とライバルたち - 香川 - 地域

1回戦 〇 6-5  桐生第一

2回戦 〇 7-2  金足農

3回戦 〇 5-2  日南学園

準々決勝 〇 11-2  関大一

準決勝 ● 6-7  横浜

試合ではセンターを守ることが多かったが、登録上はライトだったため、ライトで選出。そこまでしてでも選びたくなるほどの打棒を誇る打者であった。選抜でも3回戦の常総学院戦で逆転打を放つなど、勝負強さを誇っていたが、もともとはあまり気の強い方ではなく、実家に逃げかえった過去もあった。しかし、チームメイトから「帰ってこい」と励まされ、夏は堂々5番でスタメン出場。この年の高知は、高知商・藤川(阪神)、高知・土居(横浜)と明徳のエース寺本を合わせた、三すくみのハイレベルな争いであったが、最後は決勝で谷口が高知・土居からサヨナラ弾を放ち、劇的な形で春夏連続出場をつかんだ。

迎えた甲子園では、大会序盤から明徳打線が爆発。上位から下位まで満遍なく打ったが、中でも5番谷口の好調ぶりが打線を支えていた。1つ前の打順を打つ4番寺本が打つと、チームが乗っていくが、5番が不調だと簡単に歩かされてしまう。しかし、谷口が打ちまくることでこの状況を回避し、寺本は3回戦の日南学園戦では先制弾をマーク。大会序盤は不調だった寺本だが、この試合で「打」から復活を果たし、肝心の投球面も息を吹き返したのであった。

準々決勝では、選抜準優勝の関大一を11-2と豪打で圧倒し、迎えた準決勝は絶対王者の横浜が相手。しかし、横浜は前の試合でPLと延長17回を戦った疲労から、松坂が登板を回避していた。序盤は攻めあぐねた明徳打線だったが、5回に打線が爆発!1番藤本のホームランで2点目を奪うと、なおもランナー一人を置いて、打席には5番谷口。横浜の2年生左腕・袴塚の速球をコンパクトなスイングでとらえた打球はレフトを守る松坂の頭上をはるかに超える2ランとなり、会心の一打で明徳の流れを呼び込んだ。試合は終盤にまさかの逆転負けを喫したが、谷口の活躍があってこその、明徳の躍進だったことは間違いないだろう。

第80回夏の甲子園準決勝【横浜vs明徳義塾】1998年8月21日

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