大会ベストナイン(1998年選抜)

1998年

右投手 松坂大輔(横浜)

2回戦 〇 6-2  報徳学園

3回戦 〇 3-0  東福岡

準々決勝 〇 4-0  郡山

準決勝 〇 3-2  PL学園

決勝 〇 3-0  関大一

後に春夏連覇を達成し、日本球界で沢村賞を獲得してメジャーリーガーにまでなった大投手・松坂大輔。その彼が全国中継で初めてお目見えしたのが、1998年選抜大会であった。下馬評で高校No.1投手という呼び声が高かったが、実際に大会が始まるとその存在感は抜きんでていた。最速150キロ台の速球と高速スライダーを武器に、強打者をバッタバッタと打ち取り、三振と内野ゴロの山を築いていく。前年の甲子園出場投手の最速が平安・川口(オリックス)の142キロだったため、当時、高校野球を見始めたばかりの自分は、頭の中の感覚がバグる思いであった。

その松坂大輔を中心に、投攻守走すべてにおいてハイレベルな横浜ナインは、選抜を悠々と勝ち上がっていく。試合前に小倉コーチが集めたデータをもとに、バッテリーは相手打者の傾向を読み取って勝負していく。8分の力でも抑えられる打者には決して全力投球はせず、序盤はあえて相手打者の得意なコースにボール半個分外して投じるという余裕も見せた。たとえ得意なコースに近いところでも、150キロ台の速球と切れ味抜群のスライダーが来たらそうそう打てるものではない。そして、試合後半になると苦手なコース中心に配球に変えていくのだから、1試合通してみると打てないようになっているのだ。打者陣も相手投手を研究し、終盤には着実に得点を積み重ねる強さを見せた。

また、試合スコアからも分かるように、この大会では5試合中4試合で地元・近畿勢を倒している。平成初期にたびたび甲子園に姿を見せていた横浜だったが、関西勢を中心として西日本勢にことごとく大会序盤で苦汁をなめさせられていた。この苦手意識を、1998年の1年間で見事に払拭し、春夏連覇を達成。逆に、2000年代前半には西日本勢を相手に相性の良さを発揮し、出場5大会連続ベスト8以上という快挙を成し遂げることとなる。

【1998センバツ甲子園⑧】松坂甲子園デビュー 横浜VS報徳学園

【1998センバツ甲子園㉓】横浜VS東福岡

【1998センバツ甲子園㉚】横浜VS郡山

【1998センバツ甲子園㉝】横浜VSPL学園

【1998センバツ甲子園㉟決勝】横浜VS関大一

左投手 南真人(浦和学院)

1回戦 〇 4-2  沖縄水産

2回戦 〇 7-1  苫小牧東

3回戦 〇 6-4  岡山理大付

準々決勝 ● 2-3  関大一

春は3回目の出場であり、当時はまだまだ新鋭校の印象があった浦和学院。若き指揮官・森士監督に率いられ、2年ぶりの選抜出場を果たしたチームは、エース南、4番小板と投打の柱を擁し、侮れない力を擁していた。しかし、この1998年大会は第70回の記念大会であり、史上最多の36チームが参戦した関係で、1回戦枠が4つできることに。運悪く、その1回戦枠を引き当ててしまい、しかも相手は西の優勝候補の沖縄水産という、なんとも厳しい組み合わせになった。

試合は、沖縄水産に2点を先行される展開となるが、南は徐々に持ち味のコントロールとキレを武器に立ち直っていく。V候補に挙げられていた沖水打線の強打者に対し、右打者の懐を突くクロスファイヤーとスライダーで翻弄。ストライク先行の投球で、自分の打撃をさせなかった。対照的に、沖水の宮里・新垣(ダイエー)の右腕2枚看板は、四死球の多い不安定な投球となり、中盤から終盤にかけては完全に浦和学院ペースに。南は沖水打線を3安打に封じ込め、12三振を奪う力投。4-2というスコア以上の差を感じさせる内容で完勝を収めた。

その後、2回戦でも苫小牧東打線をわずか3安打に抑えて完投勝利を挙げると、3回戦は中国王者の岡山理大付を相手に序盤に挙げたリードを守り切り、12安打を浴びながらも4失点にまとめてみせた。準々決勝で関大一・久保(ロッテ)との接戦に敗れたが、この試合でも12安打を浴びながら3失点で完投。小柄な体格に秘められた負けん気と野球センスの高さを存分に見せつけた好左腕であった。

【1998センバツ甲子園④】浦和学院VS沖縄水産

【1998センバツ甲子園⑳】浦和学院VS苫小牧東

【1998センバツ甲子園㉘】浦和学院VS岡山理大付

【1998センバツ甲子園㉜】関大一VS浦和学院

捕手 西本雅成(関大一)

Special/Sports

2回戦 〇 14-1  鈴鹿

3回戦 〇 2-1  今治西

準々決勝 〇 3-2  浦和学院

準決勝 〇 5-3  日大藤沢

決勝 ● 0-3  横浜

関西甲種商時代以来、実に67年ぶりの甲子園出場となった関大一。そのチームの4番捕手として屋台骨を支えたのが、西本であった。西本-久保のバッテリーに3番ショート横山を加えた3人は前年度から出場経験豊富で、名将・尾崎監督の信頼も抜群。140キロ台の速球と切れ味抜群のスライダーを武器とするエース久保は大会随一の好投手であったが、その良さを引き出したのは西本の好リードだったと言えるだろう。息ぴったりの二人が作り出すテンポのいい投球が、関大一に守りのリズムを作り出していた。

また、打っても4番打者として18打数8安打5打点の大活躍を見せた。バットをやや寝かせて構える独特のフォームでヒットを量産。ボールのラインにバットを綺麗に入れていくため、軌道をずらされる打席が少なかった。センターから右方向への意識を持っているため、大味な打撃が少なく、4番打者ではあるが、つなぎの意識をしっかり持った打撃を見せていた。怪物・松坂の印象が強かった1998年大会だが、反対のブロックの主役は間違いなく関大一だったと言えるだろう。

【1998センバツ甲子園⑭】関大一VS鈴鹿

【1998センバツ甲子園㉗】関大一VS今治西

【1998センバツ甲子園㉜】関大一VS浦和学院

【1998センバツ甲子園㉞】関大一VS日大藤沢

【1998センバツ甲子園㉟決勝】横浜VS関大一

一塁手 後藤武敏(横浜)

後藤武敏 横浜高校時代 バッティング集 - YouTube

2回戦 〇 6-2  報徳学園

3回戦 〇 3-0  東福岡

準々決勝 〇 4-0  郡山

準決勝 〇 3-2  PL学園

決勝 〇 3-0  関大一

エース松坂の投球が光った横浜高校だが、打撃陣もつわもの揃い。小池(DeNA)、小山(中日)、松坂といった中軸を務める強打者と、加藤、松本、佐藤というあらゆる作戦に柔軟に対応する巧打者がバランスよく組み合わさっており、相手にするとこの上なくやりにくい打線であったが、その中でも最も「剛」の強さを見せたのが、後藤武敏であった。

大事な初戦となった報徳学園は、過去2回甲子園で敗れている相手であり、ここ数年序盤で敗退している横浜としても鬼門となる試合であった。しかし、この試合で松坂が報徳打線を全く寄せ付けない投球を見せると、打っては後藤が3安打3打点の大活躍!7回には貴重な2点タイムリーを放ち、試合の行方を決定的にした。彼の打撃は、いい意味での荒々しさがあり、自分のタイミングで「ぶっ叩いた」打球はすさまじいスピードで、外野深い位置まで飛んでいった。

その後、3回戦では東福岡の好投手・村田(横浜)から、これも完ぺきなプルヒッティングでレフトスタンドへ飛び込むホームランを放ち、周囲の度肝を抜く。決勝戦でも3安打を放ち、大会通算で20打数8安打の打率4割と大暴れ。のちに「ゴメス」の愛称でプロ野球界でも親しまれたスラッガーが、その実力を存分に証明した大会であった。

【1998センバツ甲子園⑧】松坂甲子園デビュー 横浜VS報徳学園

【1998センバツ甲子園㉓】横浜VS東福岡

【1998センバツ甲子園㉚】横浜VS郡山

【1998センバツ甲子園㉝】横浜VSPL学園

【1998センバツ甲子園㉟決勝】横浜VS関大一

二塁手 中本眞教(関大一)

2回戦 〇 14-1  鈴鹿

3回戦 〇 2-1  今治西

準々決勝 〇 3-2  浦和学院

準決勝 〇 5-3  日大藤沢

決勝 ● 0-3  横浜

関大一打線の核弾頭として活躍を見せたのが中本である。1番セカンドとして攻守両面でチームを支えた中本だが、中でも打撃面での貢献度は大きかっただろう。大事な初戦となった2回戦の鈴鹿戦では、緊張感が漂う中でいきなりレフト前への快打を見せ、初回4得点の口火を切ると、接戦となった今治西戦、浦和学院戦、日大藤沢戦はいずれも高い出塁率で得点に絡んだ。バットを指2本ほどあまして持ち、コンパクトな打撃でセンターから逆方向へはじき返す打撃は安定感があり、4割を超す打率を残す結果となった。

そして、チームが3安打に封じられた決勝戦でも、怪物・松坂から唯一のマルチヒットを記録。この2本も右方向への打撃であった。そして、0-1のビハインドで迎えた6回裏には初めて3塁を陥れることに成功。ここで思い切って仕掛けたホームスチールは惜しくも横浜バッテリーに外されたが、乾坤一擲の勝負をかけたこの場面は、相手の隙を突こうとする関大一野球を象徴するものであった。卒業後は教職の道に進み、奈良大付の部長に。2018年にはチーム初となる夏の甲子園出場を果たし、再び聖地の土を踏むこととなった。

【1998センバツ甲子園⑭】関大一VS鈴鹿

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【1998センバツ甲子園㉟決勝】横浜VS関大一

三塁手 古畑和彦(PL学園)

1回戦 〇 5-1  樟南

2回戦 〇 9-0  創価

3回戦 〇 3-1  敦賀気比

準々決勝 〇 3-2  明徳義塾

準決勝 ● 2-3  横浜

名門・PLの4番打者として、チームを牽引したのが古畑和彦。ややアッパースイング気味のバット軌道から低めのボールをうまく拾う技術が光ったが、彼の凄みは何といってもその勝負強さ。なんと1回戦から5試合連続でチームの初得点となるタイムリーを放ったのだ。打率は決して高くはなかったが、敦賀気比・東出(広島)、明徳義塾・寺本(ロッテ)といった好投手を相手に、しぶとくタイムリーを稼いでいった。

そして、迎えた準決勝は、V候補筆頭のの横浜との胸突き八丁の大一番に。大会No.1の剛腕を相手に、さしものPLナインも序盤は面食らったが、中盤以降に徐々に怪物攻略の糸口をつかむ。すると、6回裏、下位打線から始まる攻撃でランナーをため、2アウト満塁とすると、打席には4番古畑。ここまで、初戦となった2回戦の最終回以外は失点をしていなかった怪物に対し、アウトコースよりの速球を引っ張ると、打球は3塁線を鋭く破る2点タイムリーに!(この打球はやや物議を呼んだが…)難攻不落の好投手から奪った会心の一打で先制に成功したのであった。

試合はその後、横浜の底力の前に逆転負けを喫することとなったが、古畑はこの大会で5試合連続の6打点をマーク。名将・中村監督が率いた最後の大会で、まさに「チームを勝たせる」4番打者の働きを果たしたのであった。

【1998センバツ甲子園①】PL学園VS樟南

【1998センバツ甲子園⑰】PL学園VS創価

【1998センバツ甲子園㉒】PL学園VS敦賀気比

上重VS寺本【1998センバツ甲子園㉙】PL学園VS明徳義塾

【1998センバツ甲子園㉝】横浜VSPL学園

遊撃手 村田創(郡山)

2回戦 〇 3-2  北照

3回戦 〇 7-3  徳島商

準々決勝 ● 0-4  横浜

前年の選抜で悲劇の主人公となった村田が、最終学年となり、一回りも二回りも逞しくなって帰ってきた。1997年の選抜1回戦、函館大有斗戦で1点リードの9回裏、2アウト満塁の場面でショートゴロを後逸し、チームは逆転サヨナラ負けの憂き目に。この経験を糧に、それまでセンスはあるものの、どこか気が緩む場面のあったショートストップが、攻守に隙のないプレーをするようになった。名将・森本監督にも練習中からたびたび叱責を受けたが、それも期待の裏返しだっただろう。エース竹村をはじめとして、前年の選抜経験者が多く残ったチームは、秋の近畿大会を制し、堂々地区大会王者として甲子園へ乗り込むこととなったのだ。

その選抜初戦は、奇しくも前年と同じ北海道代表の北照に。初回にいきなり北照の1番西下に先制ホームランを許す苦しい立ち上がりになるが、ショート村田を中心とした好守で竹村の投球を盛り立てる。すると、中盤には9番竹村、1番北原とつなぎ、2,3塁のチャンスを迎えて打席には2番村田。足を高く上げる、イチローばりの振り子打法から放った打球はサード強襲の内野安打となり、同点に追いつくと、この回、さらに攻撃がつながって逆転に成功!5回には、ショートの守備でダイビングキャッチを見せるなど、攻守にわたって活躍を見せ、3-2で初戦を突破。最後の打球も自らさばき、甲子園での借りを見事の返す戦いを見せた。

その後、3回戦では前年8強のメンバーが残る、強打の徳島商を相手に7-3と堂々打ち勝ち、久々の8強進出を達成。準々決勝では横浜・松坂の前にさすがに4安打と沈黙したが、この試合でも村田は初回に松坂からヒットを放ち、3試合で4安打と3割を超す打率を残した。大会全体の主役は松坂であったが、序盤から中盤にかけての甲子園の主役は、村田だったと言えるのではないだろうか。

【1998センバツ甲子園⑩】郡山VS北照

【1998センバツ甲子園㉔】郡山VS徳島商

【1998センバツ甲子園㉚】横浜VS郡山

左翼手 田中一徳(PL学園)

1回戦 〇 5-1  樟南

2回戦 〇 9-0  創価

3回戦 〇 3-1  敦賀気比

準々決勝 〇 3-2  明徳義塾

準決勝 ● 2-3  横浜

名門・PL学園で唯一2年生でスタメンを勝ち取ったスピードスター。その俊足と守備範囲の広さは高校球界でも別格であり、1番田中(横浜ベイスターズ)、2番平石(楽天)、3番大西(近鉄)と続く俊足トリオがこの年のPLの売りであった。中でも光ったのが、3回戦の敦賀気比戦でのプレー。1-0とリードで迎えた8回表、スコアリングポジションにランナーをおいて、この回から継投したエース上重の打たれた打球は、最も難しいと言われる「正面で伸びてくる打球」でレフト田中の頭上を襲う。しかし、これに対して、田中は背走しながらジャンピングキャッチを見せ、取った後にきれいに受け身も取って、同点のピンチを防いだのであった。

また、打撃でも持ち味の俊足を活かして塁上を駆け回り、1回戦の樟南戦ではセカンド強襲の内野安打を好走塁で一気に2塁打にする脚力を見せた。敗れはしたものの、準決勝の横浜戦でも叩きつける打撃で、投手への内野安打を記録。高いバウンドの当たりであり、松坂が取った瞬間に1塁への送球をあきらめるほどの俊足ぶりであった。また、パンチ力も十分あり、2回戦の創価戦では左打席から流し打つ打撃で、左中間への長打を記録。小さな体に、いっぱいのファイトと野球センスが詰め込まれており、歴代のPLの外野手でも屈指の好プレーヤーだったのは間違いないだろう。

【1998センバツ甲子園①】PL学園VS樟南

【1998センバツ甲子園⑰】PL学園VS創価

【1998センバツ甲子園㉒】PL学園VS敦賀気比

上重VS寺本【1998センバツ甲子園㉙】PL学園VS明徳義塾

【1998センバツ甲子園㉝】横浜VSPL学園

中堅手 橘本大(明徳義塾)

1998年春準々決勝 PL学園vs明徳義塾 20/23 - YouTube

2回戦 〇 6-0  京都西

3回戦 〇 5-4  常総学院

準々決勝 ● 2-3  PL学園

前年に続く2年連続の出場となった明徳義塾。エース左腕・寺本(ロッテ)と右のアンダーハンド高橋(ヤクルト)の2枚看板に、打線も強打者がずらりと並ぶ中、異彩を放っていたのが9番センターの橘本であった。身長160㎝台と決して体格には恵まれていなかったが、ガッツあふれるプレーを見せ、センターの守備では好守を連発。打ってもしっかり振り切る打撃で、しぶいヒットを連発し、3試合で11打数5安打と攻撃の起点になった。

四国王者として2勝を挙げてベスト8にまで進んだ明徳だったが、最も苦しんだのが、3回戦の常総学院戦。エース寺本が制球難で4失点し、攻守の軸が試合中盤で退く事態になったが、チームは冷静さを失わなかった。中盤以降に反撃体制を整えると、5回には橘本がセンターへのテキサスタイムリーを放って点差を2点に詰める。さらに、1点差とした8回表には先頭打者として、これもレフトへのテキサスヒットで出塁。これが5番谷口の逆転タイムリーを呼び込む結果となり、明徳が大逆転勝利を手にした。「山椒は小粒でもぴりりと辛い」という表現がぴったりの好選手であった。

【1998センバツ甲子園⑤】明徳VS京都西

【1998センバツ甲子園㉑】明徳義塾VS常総学院

上重VS寺本【1998センバツ甲子園㉙】PL学園VS明徳義塾

右翼手 小板佑樹(浦和学院)

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1回戦 〇 4-2  沖縄水産

2回戦 〇 7-1  苫小牧東

3回戦 〇 6-4  岡山理大付

準々決勝 ● 2-3  関大一

1986年の夏の甲子園で初出場で4強入りという鮮烈なデビューを飾った浦和学院。上尾高校など公立全盛だった埼玉の高校野球をがらりと変え、1992年の選抜でも初出場でベスト4という快挙を成し遂げた。しかし、その後は出場回数を重ねるものの、なかなか上位までは勝ち進めず、三浦貴(巨人)、石井義人(西武)など好選手を擁しながらも要所で競り負ける大会が続いていた。

しかし、そんな流れを変えたのが、この1998年度の世代である。特に4番打者の小板は中学時代に日本代表を経験した逸材。その日本代表の中でも、後に平成の怪物と呼ばれる松坂大輔を差し置いて主力を張ったほどの選手であった。高校は数多の誘いを蹴って浦和学院を選択。森士監督の「うちは高校に入ってから競争だ」という方針が、チャレンジャー精神旺盛な小板には合っていたのだ。

その甲子園では、初戦で優勝候補の沖縄水産と激突。前評判では不利と言われたが、2点を先行された中盤に小板がライト線を鋭く破るタイムリー2塁打を放ち、反撃開始。この一打をきっかけに形成が一気に逆転し、4-2の快勝劇を呼び込んだ。その後は順当に勝ち進み、3回戦では中国覇者の岡山理大付を相手に、序盤に貴重な2点タイムリーをマーク。先行逃げ切りの体制を築いたことで、相手の半分のヒット数で勝利を呼び込むことができた。準々決勝で関大一に惜しくも惜敗したが、浦和学院というチームの流れを変えるきっかけとなった快進撃は、4番小板のバットから生まれたと言っても過言ではないだろう。

【1998センバツ甲子園④】浦和学院VS沖縄水産

【1998センバツ甲子園⑳】浦和学院VS苫小牧東

【1998センバツ甲子園㉘】浦和学院VS岡山理大付

【1998センバツ甲子園㉜】関大一VS浦和学院

 

 

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