大会ベストナイン(2000年夏)

2026年

右投手 坂元弥太郎(浦和学院)

1回戦 〇 2-1  八幡商

2回戦 ● 1-5  柳川

ミレニアムの選手権で、衝撃の奪三振ショーを見せた右腕。昭和後期から台頭し、平成に入ってからも木塚(横浜)・三浦貴(巨人)・南真人と多くの好投手を輩出してきた浦和学院だったが、その歴史の中でも別格の存在感を放っていた。県大会決勝では春日部共栄・中里(中日)と球史に残る投手戦を展開。東海大相模・筑川、桐生第一・一場(楽天)と並んで関東3羽ガラスと謳われた剛腕を相手に投げ勝ち、52イニングで計58三振を奪う力投で、4年ぶりの選手権切符をつかみ取った。

迎えた甲子園初戦は、滋賀・八幡商と対戦。失策から1点のリードを追いつかれるが、味方打線が勝ち越しに成功すると、1点のリードがはるか遠い点差に感じるほどの投球を見せる。インサイドをストレートで正確に突き、スライダーで空振りを奪う。打者のバットが悉く空を切る、必殺の変化球はカウント球の縦割れversionと決め球になる横滑りversionがあり、その2つを自在に操って三振の山を築いていった。また、ストライクゾーンの中で変化するため、打者としても手を出さざるをえないのが厄介なところであった。終盤は7連続三振でフィニッシュし、当時の大会最多タイ記録となる19三振を奪ったのであった。

その後、2回戦では柳川・香月(近鉄)との好投手対決となったが、課題の立ち上がりを狙われて4失点。ここで姿を消すこととなったが、この試合でも九州最強と言われた打線から16三振を記録。20世紀最後の大会を鮮やかに彩った好投手であった。

【高校野球監督対談】甲子園をかけた名勝負第1位!春日部共栄本多利治監督と浦和学院前監督森士が2000年の激闘の中里篤史VS坂元弥太郎の投手戦を語る!

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左投手 三浦泰揮(酒田南)

酒田南vs益田東 2000年夏 | 世界一の甲子園ブログ

1回戦 〇 5-3  益田東

2回戦 ● 1-3  長崎日大

2000年の選手権大会は、右の好投手が多く、左腕投手に関しては大会前に評価の高かった延岡学園・神内(ダイエー)、小松工・鹿野、福島商・芳賀、郡山・黒川などが初戦で姿を消すこととなった。そんな中、大会前は全く下馬評に上がっていなかった2年生左腕が存在感を放った。

大会2日目の第1試合、ともに甲子園初勝利を狙う酒田南と益田東の対戦は初回から大きく動く。立ち上がりが不安定な酒田南の右腕・伊藤に対し、益田東は3番山口、4番澄川、5番中林と3者連続のタイムリー2塁打を放ち、いきなり3点を先行する。伊藤の制球が甘かったこともあったが、あまりにもタイミングが合いすぎていたため、危険を察知した西原監督は、ここで2年生左腕の三浦にスイッチ。これが試合の流れを大きく変えることとなる。

山形大会決勝でも登板していたとはいえ、いきなり初回からの救援登板となった三浦。しかし、持ち味の縦に大きく割れるカーブを武器に益田東打線の勢いを止める。ストレートの最速は130キロに届くかどうかなのだが、この流れるように落ちる決め球が相手打者を翻弄し、2回以降は、得点はおろかヒットすらほとんど出なくなった。すると、味方打線が終盤に反撃を開始し、ファウルフライでタッチアップを成功させる好走塁も飛び出すなど、7,8回で5点を奪う猛攻を見せて逆転。三浦は11三振を奪う好投でチームを救い、酒田南に記念すべき甲子園初勝利をもたらしたのであった。

その後、2回戦では長崎日大・浜口との投げ合いに敗れて姿を消したが、三浦は翌年にも主軸打者として甲子園に出場。平安の前に2-4と敗れたが、2年連続で聖地の土を踏みしめた。

【甲子園】2000年 2回戦 長崎日大 対 酒田南【高校野球】#甲子園 #懐かしい #高校野球

捕手 山内徹也(長崎日大)

育英vs長崎日大 2000年夏 | 世界一の甲子園ブログ

1回戦 〇 5-3  富山商

2回戦 〇 3-1  酒田南

3回戦 〇 6-2  徳島商

準々決勝 ● 7-8  育英

2年生時から4番兼捕手として、チームの屋台骨を支えた扇の要。前年夏は、崎田・山中の上級生投手二人を支える立場として、チーム史上初の夏16強入りを果たす。しかし、最後は3回戦で滝川第二の好投手・福沢(中日)を追い詰めながらも、2-3で9回サヨナラ負け。8強入りを目前に姿を消すこととなった。最上級生となり、投手陣は2年生の浜口・高倉の2枚看板となって、より山内の責任は大きくなったが、攻守でチームを牽引。2年連続での夏の甲子園出場を決めた。

その甲子園では軟投派右腕・浜口をうまくリードし、富山商・酒田南といずれも完投勝利を達成。浜口はストレートの球速は120キロ台と決して速くないが、山内がそのストレートを相手打者に速く見せる投球術を披露し、酒田南戦では

【甲子園】2000年 準々決勝 長崎日大 対 育英【高校野球】#甲子園 #懐かしい #高校野球

一塁手 阿竹智史(徳島商)

1回戦 〇 10-2  福島商

2回戦 〇 11-6  仙台育英

3回戦 ● 2-6  長崎日大

4年連続出場の徳島商の主砲としてチームの16強入りに貢献したスラッガー。1997年に8強入りし、前年夏にも滝川第二の好投手・福沢(中日)を苦しめるなど、当時の徳島商の強力打線は高校球界でも一目置かれる存在であった。その滝川第二戦で唯一の得点となるタイムリーを放っていたのが、当時2年生で5番を打っていた阿竹であり、インハイの速球を力でライト前に持っていた打撃は、センスとパワーが詰まった一打であった。

そして、4番として迎えた最後の夏。阿竹はその打棒でチームを力強く牽引する。この年の徳島商投手陣は、主戦格として期待していた右腕・白石が故障で調整が遅れており、技巧派右腕の志摩とリリーフエースとして阿竹自身が登板することでなんとか賄っていた。そんなディフェンス面に不安を抱える中、迎えた甲子園初戦の相手は選抜8強の福島商。エース左腕・芳賀を中心に粘り強い戦いで春夏連続出場をつかんで強敵であった。

試合は、0-0のまま迎えた3回表。阿竹が驚愕の一打を放つ。ランナーを二人置き、打席に立った阿竹に対し、芳賀は右打者のインコースをえぐる速球を投じる。インハイに投じられた力のある速球に対し、阿竹は大根切りのようなスイングでこのボールを一閃!打球が弾丸ライナーでスタンドへ飛び込む先制3ランとなり、一気に試合の主導権を握ることに成功した。この一打でリードを得た徳島商は、中盤に福島商の反撃にあうも、追い越されることなくリードを保ち、終盤には再び猛打爆発!終わってみれば10-2の大差で好カードを制し、2年連続の初戦突破を果たした。

その後、2回戦でも同じ東北の仙台育英を相手に阿竹はホームランを記録。上位から下位まで切れ目のない徳島商打線は好左腕・村上から一挙6点の猛攻で試合をひっくり返すと、阿竹が2試合連続での好リリーフを見せ、11-6と打ち勝って3回戦進出を決めた。まさに打って投げての大活躍だった「TOKUSHO」の主砲は、最後の夏に千両役者の活躍を見せたが、特に初戦で見せたインハイ打ちの一発は甲子園の歴史に残る「内角打ち」だったのは間違いないだろう。

【甲子園】2000年 1回戦 徳島商 対 福島商【高校野球】#甲子園 #懐かしい #高校野球

二塁手 北川聡(光星学院)

青森県代表 八戸学院光星高校|2016年夏の甲子園出場校の ...

2回戦 〇 10-8  丹原

3回戦 〇 4-3  九州学院

準々決勝 〇 2-1  樟南

準決勝 ● 5-7  智辯和歌山

この年まで春夏計3度の出場でいまだ甲子園の勝利がなかった光星学院。しかし、前年の夏にライバル青森山田が開幕戦の勝利から一気にベスト8まで駆け上がったことで、確実に潮目が変わってきている感はあっただろう。また、それまで投手中心に守りの野球を信条とするチームが多かった東北勢にあって、若き指揮官の金沢監督が標榜する攻撃型の野球も新鮮な印象を与えていた。県外へ積極的に遠征を行い、全国のレベルを肌で体感し続けたことも、チーム力upに大きく影響したと言えるだろう。

そんな中、2000年度のチームはサイド右腕・斎藤と本格派右腕・根市(巨人)の2枚看板を強力打線が支える形で青森大会を勝ち上がっていく。特に3番北川の勝負強さはチームを何度も救っており、準決勝では三沢商を相手に一時1-5とリードを許しながらも、終盤の猛攻で試合をひっくり返すことに成功した。決勝では、弘前実を7-1と圧倒し、3年ぶり2回目の出場が決定。この試合でも、北川は2安打2打点の活躍で優勝に貢献した。

そして、迎えた甲子園初戦。相手は愛媛代表の丹原であった。初出場ながら県大会決勝で秋の四国王者の今治西を13-6と打力で圧倒したチームであり、地力は高かった。試合は序盤から先発・斎藤が丹原打線につかまり、5回表を終わって6-2と丹原がリード。しかし、ここから光星打線が猛反撃を開始。特に北川は5回、7回、8回と3打席連続でタイムリーを放ち、7回は4番中村の逆転ホームランに繋ぐ一打、8回はダメ押しの一打といずれも値千金のタイムリーであった。結局、この試合、北川は5打数4安打3打点の大活躍を見せ、光星学院は10-8でついに甲子園初勝利を手にすることとなった。

これで勢いに乗った光星学院は快進撃を見せ、北川は準々決勝でも樟南の剛腕・青野(ロッテ)から右中間に先制タイムリー2塁打を放ち、前評判は不利な中、チームを鼓舞する一打を放つ。そして、ハイライトは準決勝の智辯和歌山戦。この試合、強力打線を誇る相手に1回から3回まで毎回1点ずつを取られるが、0-3で迎えた3回裏に反撃開始。2番松倉のヒットなどで1アウト1,3塁のチャンスを作ると、続く3番北川は智辯・山野の真ん中寄りの速球を豪快に振りぬく。打球は左中間スタンドへ悠々飛び込む同点3ラン!猛打・智辯のお株を奪う一発で一気に試合を振り出しに戻して見せた。

結局、この試合は5-7で競り負けてしまうのだが、北川の打棒により、智辯有利と見ていた球場のムードを一変させることに成功。この夏、青森の野球が全国トップレベルに全く引けを取らないことを全国の高校野球ファンが感じることとなった。

【熱闘甲子園】2000年 準決勝 智弁和歌山 対 光星学院【高校野球】#甲子園 #懐かしい #高校野球

三塁手 川原功久(育英)

1回戦 〇 8-1  秋田商

2回戦 〇 11-6  小松工

3回戦 〇 12-2  那覇

準々決勝 〇 8-7  長崎日大

準決勝 ● 7-10  東海大浦安

秋の近畿大会を制し、V候補として臨んだ選抜大会の育英。しかし、持ち味である機動力野球のお株を国学院栃木に奪われる格好となり、開幕戦で6-10と持ち味を出し切れずに敗れてしまう。その後、GW期間中に合宿を敢行し、徹底的な走り込みをしたナインは、改めて自分たちの持ち味である機動力野球を取り戻し、選抜で乱れた守備も鍛え上げて、夏の甲子園に帰ってきた。

その機動力野球の先鋒を務めたのが、1番川原。50メートル5秒9という規格外の快足を持つ男は、ただ単に足が速いだけでなく、走塁技術もきっちり習得していたため、相手バッテリーの隙をかいくぐって盗塁を決め続けた。夏の甲子園では、またも開幕カードを主将・上野が引き当てたが、3回表に川原の左中間への3塁打をきっかけに先制に成功。迷わず2塁を蹴って3塁へ向かう姿に、足への自信が感じ取れた。この試合を、エース橋本の好投もあって8-1と制し、まずは選抜のリベンジを果たす1勝を手にした。

その後も育英の機動力を各校は止めることができない。2回戦の小松工戦は好左腕・鹿野を中盤に打ち崩し、大量11点。さらに、3回戦の那覇戦でも12得点と、足と強打がかみ合った攻撃で、毎試合大量点を奪ってみせた。川原は3回戦の那覇戦で1試合4盗塁という離れ業を記録。相手捕手が左投げだったこともあったが(当時話題を集めた)、それにしてもすさまじいばかりの脚力であった。最後は準決勝で東海大浦安の前に及ばなかったが、この試合では足を封じられた代わりに、右中間へ強烈な一発をお見舞い。打った本人が驚くホームランを放ち、「打」でも「走」でも存分に存在感を見せつけた夏となった。

【甲子園】2000年 準々決勝 長崎日大 対 育英【高校野球】#甲子園 #懐かしい #高校野球

遊撃手 堤野健太郎(智辯和歌山)

立浪和義がいた“1987年のPL学園”、最強打線“2000年の智弁和歌山 ...

1回戦 〇 14-4  新発田農

2回戦 〇 7-6  中京大中京

3回戦 〇 11-7  PL学園

準々決勝 〇 7-6  柳川

準決勝 〇 7-5  光星学院

決勝 〇 11-6  東海大浦安

智辯和歌山を3年ぶり2度目の全国制覇へ導いた主将。当時、各学年10人という少数精鋭を貫いていた同校だったが、ここまで5年連続の出場を続けてきたことで、確実に甲子園経験者を次代に残す戦いを続けていた。ただ、この年代は前年からのスタメンが3人しか残っておらず、投手陣の経験者は0。決して、前評判の高い学年ではなかった。そして、秋の国体優勝から日を置かずして臨んだ近畿大会では東洋大姫路の技巧派右腕・山脇を打ち崩せず、初戦敗退。厳しい船出となったが、チーム力の高さを評価され、選抜出場を果たすこととなった。

全国大会出場は喜ばしい事だったが、地区大会未勝利での選出は、選手・監督に大きなプレッシャーとなってのしかかることに。絶対に結果を残さなくてはいけないという状況の中、主将・堤野が抜群のリーダーシップを取って、チームを牽引した。選抜大会では2番打者として攻撃の起点になると、ショートの守備でも堅実な守りで貢献し、準優勝を達成。夏は各校がマークしてくる中で春夏連続出場を決め、再び夢の舞台に帰ってきた。

すると、夏の甲子園では選抜以上の猛打ぶりで、さらに力強くチームを引っ張っていく。初戦から6打数5安打の大暴れを見せると、毎試合のようにヒットを重ね、5割を超す打率でチャンスメークもランナーを返す役割も果たした。3番の武内(ヤクルト)も5割を超す打率を残していたため、ほとんどの時間帯でこの二人のうちのどちらかが出塁している感覚に襲われたのは、この年の智辯打線の威力を証明する事象であった。

そして、優勝を目指して臨んだ決勝戦。ここで、それまでチームを支えてきた主将がさらなる大活躍を見せた。序盤から守備が乱れ、腰痛を抱えた2年生エース中家も本調子ではない。常に先手を取られる中、堤野は東海大浦安のエース浜名から2打席連続のホームランをマーク。握力が低下し、得意のシュートボールが制御できない姿を見て、真ん中から外寄りに狙いを定め、見事に振りぬいた打撃であった。試合は、8回表に得意の集中打が飛び出し、智辯和歌山が逆転で2度目の優勝を達成。最後まで厳しくチームを引っ張った主将が、最後は涙を流しながら歓喜の輪に加わることとなった。

【熱闘甲子園】2000年 決勝 東海大浦安 対 智弁和歌山【高校野球】#甲子園 #懐かしい #高校野球

左翼手 森拓也(東海大浦安)

2回戦 〇 2-1  延岡学園

3回戦 〇 6-2  日大豊山

準々決勝 〇 2-1  横浜

準決勝 〇 10-7  育英

決勝 ● 6-11  智辯和歌山

大会前は全く下馬評に上がっていなかったが、準優勝の快進撃を見せた東海大浦安。「投」の主役が背番号4のエース浜名だとしたら、「打」の主役は間違いなく2年生の主砲・森であった。初戦となった2回戦の延岡学園戦は、好左腕・神内(ダイエー)から2安打を放つと、3回戦でも貴重なタイムリーを放ち、チームの8強入りに貢献する。しかし、準々決勝の横浜戦では無安打に終わり、3試合を終えて13打数3安打といまいち乗り切れない結果に。中学時代からの先輩である浜名が獅子奮迅の働きを見せる中、なんとか力になりたいと感じていた。

そして、迎えた準決勝の育英戦。相手はエースの橋本を温存し、控えの馬場を先発に送るが、森のバットが初回から火を噴く。1回裏、1アウト1,3塁から高めに浮いた速球を痛打すると、打球はライト線を鋭く破るタイムリー2塁打となって、いきなり2点を先制。試合前は育英有利かと思われた予想を覆し、浦安優勢のムードとなる。その後も、強烈なプルヒッティングからヒットを量産し、3回にはセカンドへの内野安打で追加点へつなぐと、6回、8回もタイムリーを放ち、4安打5打点の大暴れ。特に、8回は9点リードを2点差まで詰められた直後のタイムリーだったため、効果てきめんであった。

その後、決勝では智辯和歌山の猛打の前に屈するも、この試合でも3安打を記録。6回には一時勝ち越しとなるタイムリーを放ち、準決勝・決勝の2試合で10打数7安打6打点と八面六臂の活躍で、スタメン唯一の2年生ながら大いに存在感を放った。

育英vs東海大浦安

中堅手 荘野龍仁(PL学園)

46期・第82回全国高等学校野球選手権大阪大会

1回戦 〇 7-0  札幌南

2回戦 〇 9-4  明徳義塾

3回戦 ● 7-11  智辯和歌山

名門・PL学園の不動のトップバッターとして、チームを2年ぶりの選手権へ牽引したのが、1番荘野であった。この2000年の世代は、PL学園の流れの中でやや「狭間の世代」の感があり、1つ上は田中一、七野(横浜ベイスターズ)、覚前(近鉄)、田中雅(ロッテ)と後にプロ入りする選手が4人もいる豊作世代であり、1つ下は朝井(近鉄)・今江(ロッテ)と入学前から騒がれていた投打の柱のいる学年であった。しかし、そんな上下で力のある世代に挟まれながらも主将・加藤領(ソフトバンク)を中心に結束したナインは、PLらしい攻守に隙の無いチーム作りで力を高めていった。

この代の特徴は何といっても1番から左右が続く「ジグザグ打線」。左打ちの荘野から始まり、清水・中尾・今江・奥野・加藤・徳重・朝井・中山と見事に交互に並んでおり、相手バッテリーとしたらやりにくさのある打線であった。2年生右腕・朝井とサイドハンドのエース宮内の二人を、この打線と堅守で支え、大阪大会では上宮・北陽・履正社と強豪を立て続けに競り落として優勝を達成。荘野は俊足と高いミート力を生かし、攻撃の起点となり続けた。

そして、迎えた甲子園本戦では、このジグザグ打線は効力を発揮する。1番荘野は初戦の札幌南戦で2安打を放ち、序盤の相手のミスにもつけ込む形でPL打線は7点を奪取。朝井-宮内の完封リレーでまずは危なげなく勝利をつかみ取った。

続く2回戦は明徳義塾との強豪対決になったが、初戦で完封勝ちのエース三木田に対し、PL打線が猛威を振るう。この日は三木田の調子が今一つだったこともあるが、PLの各打者が前の打者を見て狙い球を絞り、3回裏に打者一巡の猛攻で一挙に6点を奪う。多彩な球種を誇る三木田だったが、打者一人一人にその武器をはぎ取られるような格好で失点を重ね、朝井の3ランなどで大量失点になってしまった。この攻撃には相手の中継プレーを逃さない好走塁も含まれており、まさに「攻走」が一体となった素晴らしい攻撃であった。

その後、3回戦では智辯和歌山の猛打の前に敗れることとなったが、1-9と大量ビハインドから一時2点差まで追い上げた攻撃は見事の一言。荘野は6回にタイムリーを放つと、送球間に2塁を陥れる好走塁を見せ、PLらしい隙の無さを見せた。3試合で計7安打を放った荘野に引っ張られた、この代のPL打線はスター不在でも、十分な破壊力を秘めた強力打線だったと言えるだろう。

【甲子園】2000年 1回戦 PL学園 対 札幌南【高校野球】#甲子園 #懐かしい #高校野球

右翼手 山野純平(智辯和歌山)

智辯和歌山vsPL学園 2000年夏 | 世界一の甲子園ブログ

1回戦 〇 14-4  新発田農

2回戦 〇 7-6  中京大中京

3回戦 〇 11-7  PL学園

準々決勝 〇 7-6  柳川

準決勝 〇 7-5  光星学院

決勝 〇 11-6  東海大浦安

2000年の選手権大会で最もドラマチックな活躍を見せたのが山野だっただろう。夏の選手権制覇に向け、投手陣の整備を図っていた智辯和歌山だったが、選抜でエース格として働いた左腕・白野が不調になり、エース番号を背負った松本もなかなか調子が上がらなかった。投手陣は実質、腰痛を抱える2年生右腕・中家と山野の二人だけとなり、山野にかかる重責は大きくなった。また打線でも高嶋監督が重要視する6番を務め、ランナーがたまったところでのポイントゲッターとしての役割を期待されていた。

迎えた甲子園本戦。智辯和歌山は大会序盤から強豪との対決が続く中、山野がチームを救う活躍を見せる。

2回戦では、当時春夏計10回の甲子園優勝を誇っていた名門中の名門・中京大中京が相手だったが、初回にいきなり5番捕手の後藤が頭部に死球を受けてしまう。2アウト満塁とチャンスは拡大したものの、いきなり司令塔を欠く苦しい状況となり、ここで打席には6番山野が入る。中京のエース高橋としてはインコースを突きにくい場面。山野はアウトコースに狙いを絞り、右方向へ鋭く打ち返した打球は先制の2点タイムリーに!この一打で主導権を握った智辯は、最終的に7-6と競り勝ち、3回戦へ進出。初回の山野の一打がなければ、どうなっていたかわからない試合であった。

続く3回戦では、高校球界の王者・PL学園が相手。当時優勝から遠ざかっていたとはいえ、関西圏の有望中学生・特Aクラスの選手たちで入学し、ポテンシャルでは智辯和歌山を上回るチームであった。しかし、少数精鋭の中、徹底した打撃練・体力練で力を高めた智辯ナインが序盤からPLの2枚看板の朝井(近鉄)・宮内をKO。中でも山野は左中間・右中間と一番深いところに2本のホームランを放ち、PLナインの度肝を抜く打撃を見せた。守っているPLの野手に、「野球をやっていて初めて怖いと思った」と言わしめるほどの猛打で、智辯和歌山は見事8強入りを決めることとなった。

そして、最も印象的だったのが準々決勝の柳川戦。大会屈指の剛腕・香月(近鉄)と九州随一の強力打線が、選抜準々決勝で0-1で敗れた悔しさを晴らさんと立ちはだかってきた。試合は序盤から柳川ペースで進み、先発・中家を中盤でKO。6-2と柳川が4点リードのまま、終盤8回に突入した。しかし、8回裏、智辯は3番武内(ヤクルト)が目の覚めるような一発を放って、1点を返すと、さらにランナーを二人ためて打席には6番山野。香月のカーブが高めに浮いたところを逃さずとらえた打球は、高々と舞い上がって左中間の最前列に着弾!試合開始から柳川に傾いていた流れを一気に自軍の引き寄せる一発となり、延長11回のサヨナラ勝ちにつながることとなった。

山野は結局、準決勝・決勝もマウンドにあがり、20世紀最後の夏の優勝マウンドに君臨することに。普段はチームメイトから「何考えてるかわからん」と言われていたマイペースな男が、3年の夏に大輪の花を咲かせることとなった。

【甲子園】2000年 3回戦 智弁和歌山 対 PL学園【高校野球】#甲子園 #懐かしい #高校野球

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