1975年の夏に習志野に2度目の栄冠をもたらしたのが、のちにヤクルトの監督を務めることとなる小川淳司であった。8年前の夏に同じく習志野で優勝投手となった石井好博が青年監督となり、厳しい指導でチームを率いていた。小川と好捕手・神子のバッテリーが中心となり、ディフェンスの堅いチームは選抜では豊見城・赤嶺(巨人)との投げ合いに敗れて0-3と惜敗するも、夏は雪辱を期して激戦区・千葉を勝ち抜いて戻ってきた。
しかし、初戦の旭川竜谷戦は小川が本調子でなく5失点の乱調。試合後にチームメートから𠮟責があったとのことだった。この𠮟責に奮起したのか、ここから小川は足利学園、磐城、広島商を3試合連続完封と完ぺきな投球を展開。打線も準々決勝の磐城戦で先発全員マルチ安打という強力援護を見せ、投打ががっちりかみ合って2度目の決勝の舞台に勝ち上がってきた。
決勝の相手は愛媛から初出場ながら地元の有力選手が集まり、自力の高い新居浜商だった。連投による肩の痛みで本調子でない小川が序盤に3点を先行されるも、打線は中盤に集中打で一気に逆転。終盤に追いつかれるも、最後は9回裏に2年生の下山田がサヨナラ打を放ち、チームを全国制覇へと導いた。初の全国制覇の時も石井–醍醐(阪急)の好バッテリーを擁しており、その時と酷似した好チームであった。
【肩の痛みこらえ投げぬいたエース】1975 57回大会 決勝 習志野 vs 新居浜商 昭和50年【サヨナラ勝利を呼ぶ】 – YouTube
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