1994年に福岡-田村(広島)のバッテリーで準優勝して以来、夏の甲子園から遠ざかっていた樟南。その間にライバルの鹿児島実が1996年の選抜で鹿児島県勢として初の優勝を飾り、樟南としては忸怩たる思いがあったことは想像に難くない。そんな鹿実優勢の流れを打ち破ったのが、上野(広島)-鶴岡(日本ハム)の好バッテリーを擁したこの年の代であった。九州屈指の好投手として5年ぶりの代表をつかみ、全国の舞台へと挑んだ。
甲子園では準決勝までの5試合でわずか4失点と快調なピンチングを展開。磨き上げてきた自慢の真っすぐを武器に秋田、新湊、都城、青森山田と次々に打ち破り、ベスト4進出を果たした。球威、制球ともに申し分なく、この年を代表する左腕が優勝した桐生第一の正田(日本ハム)なら、右腕は間違いなく上野であった。準決勝では9回表に決勝打を浴びて敗れたものの、最後まで直球勝負を貫いた薩摩隼人であった。
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