大会初日に実現した強豪同士の好カード
関東勢が春夏ともに好調だった2001年の甲子園大会。選抜は7校出場して6校が初戦突破、夏は9校出場して8校初戦突破とほとんどのチームが初戦で勝利し、他地域を圧倒する戦いを見せた。そんな夏の大会の組み合わせ抽選で、開幕戦の常総学院vs上宮太子と並んで、会場をどよめかせたのが、この日大三vs樟南であった。
日大三は春夏連続の甲子園出場。ともにスライダーを武器とする本格派右腕・近藤(オリックスなど)と右サイド・千葉(横浜)の2枚看板に加え、小倉監督も絶賛する強力打線の威力は全国トップクラス。核弾頭・都築(中日)に強打の3番内田(ヤクルト)、主砲・原島の3人の確実性ち長打力は頭抜けており、斎藤・石井・幸内と続く5番から7番も他校なら間違いなく中軸クラスであった。
選抜では、のちに小倉監督が、「甲子園で対戦した中で一番良かった」という姫路工・真田(巨人)と対戦。試合前の投球練習で「どうやって打つんだ」と監督を絶望させたほどのボールを投じていたが、試合が始まると、原島の逆方向への一発、内田のセンターバックスクリーンへの逆転2ランなどで13安打8点を奪い、快勝。自軍の選手を褒めることはあまりない当時の高校球界において、指揮官が賛辞を惜しまないほどの豪打であった。3回戦で神宮王者の東福岡に敗れたが、この試合でも好投手・下野に痛打を浴びせており、試合後は「力は劣っていない」と小倉監督は語りかけた。
西東京大会は準決勝までの試合をすべてコールド勝ち。全国制覇への自信をもって、臨んだ大会だった。
一方、樟南は7年前の選手権大会で福岡-田村(広島)のバッテリーで準優勝を果たすと、一昨年は上の(広島)-鶴岡慎(日本ハム)のバッテリーで準決勝まで進出。昨年も青野(ロッテ)-鶴岡和(鶴岡慎の弟)のバッテリーで8強まで進み、いずれもプロまで進んだ選手を擁したバッテリーで直近3大会連続、夏は8強以上に進んでいた。
枦山監督の指導の下、ディフェンスに絶対の自信を持ち、攻撃は犠打で確実にランナーを進めて手堅く得点を積み重ねる。トーナメント性の高校野球において王道とも言える、投手中心の手堅い野球で結果を残し続けていた。この年も昨夏の甲子園を経験した川畑-鶴岡和のバッテリーが残り、鹿児島大会を危なげなく制覇。決勝ではライバル鹿実に7-0と完勝し、3年連続でのベスト8入りに向けて自信をのぞかせていた。
好投手を打ち崩した強打の三高
2001年夏1回戦
日大三
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
1 | 1 | 2 | 0 | 1 | 3 | 0 | 2 | 1 | 11 |
0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 7 |
樟南
日大三 近藤→千葉
樟南 川畑→岩崎→寺田
樟南はエース左腕・川畑、日大三は右腕・近藤が先発した。
立ち上がり、川畑はいきなり1番都築にサイレンも鳴りやまない中、ストレートをセンターに打ち返される。犠打で二進後、3番内田にはアウトコースのボールをセンターに返され、先取点は日大三。2回にも下位打線で作ったチャンスに1番都築がタイムリーと日大三打線につかまる。
こう書くと、単に樟南バッテリーが攻略されただけに映るが、川畑-鶴岡和のバッテリーは決して悪い投球ではなかった。アウトコース低めを丁寧に突く投球で、日大三打線に対していたのだが、その際どいコースのボールを都築・内田らはいとも簡単にヒットコースに飛ばしていくのだ。鹿児島大会では打ち取れていた、いやおそらく九州地区でも打ち取れていたであろうボールが、通用せず、樟南バッテリーに焦りが生まれたのは想像に難くない。
前年夏に智辯和歌山が甲子園の打撃記録を次々塗り替えたが、彼らには甘く来たボールを一発でスタンドまで運ぶ怖さがあった。それと比較するとこの年の日大三にはコーナーの出し入れ、緩急を駆使しても、それに惑わされずに、コーナーに決まったボールをヒットしていく、「つながる怖さ」があったと言える。後に大会最高のチーム打率を1年で塗り替えることになる日大三の打線が樟南を圧倒し始めた。
樟南打線も、ここ数年全国上位レベルにあった先輩たちを見て育っただけあり、2回裏には3安打で1点を返して反撃体制を取るが、日大三打線がそのはるか上を行く得点力を見せる。3回表に原島・内田の連打などで2点を加えると、5回途中でついに川畑をノックアウト。6回表には2番手で登板した速球派右腕・岩崎に対し、原島がアウトコースの速球を流し打つと、打球は浜風に乗ってレフトスタンドへ着弾。8-1と豪打爆発でしあいの流れを完全にものにした。
試合はその後、互いに得点を重ね、11-3で9回裏に。しかし、ここから樟南ナインの意地がさく裂した。先頭の6番本田からなんと3者連続の内野安打で2番手の千葉を攻め立てると、内野ゴロの間に1点を返す。さらに翌年の熱闘甲子園で主題歌を歌うことになる我那覇美奈さんの弟の我那覇悟志が千葉のスライダーをとらえると、打球は高々と舞い上がってレフトスタンドへ飛び込む3ランに!押されっぱなしだった強豪校が見せた意地の一撃だった。
その後、3番熊迫もヒットで続き、なんと9回だけで5安打。手堅さが売りの樟南打線が、枷が外れたように連打を浴びせて、V候補の度肝を抜いた。最後は、千葉が後続を打ち取り、11-7で日大三が勝利したが、東西の強豪が力を出し切った好ゲームとなった。勢いに乗った日大三は、同校史上初となる夏の全国制覇を果たすこととなる。
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