智辯和歌山vsPL学園 1994年選抜

1994年

初優勝へ大きな関門を突破

1994年選抜は智辯和歌山が初優勝を飾った年として知られている。2回戦から横浜、宇和島東、PL学園、常総学院とそうそうたる面々を破っての栄冠だったが、中でも王者・PLを下した準決勝の一戦は高嶋監督に大きな自信をもたらした。今や、両校とも関西の超強豪として高校野球ファンの間では有名だが、当時の立場は今とは全く異なるものであった。

智辯和歌山は前年夏まで甲子園5連敗中。和歌山県勢は箕島の力が落ちてきてからというもの、なかなか甲子園で勝てない時代が続き、智辯和歌山も出るたびに1点差で敗退。甲子園のファンに「また負けに来たのか!」とののしられる一幕もあった。そんな中で、高嶋監督はチーム方針を少しずつ変えていき、少数精鋭、体力の強化、複数ポジション制など甲子園で勝てるスタイルを模索していった。

1993年夏に東北を相手に念願の初勝利をマークして3回戦まで進むと、新チームにはリリーフエース松野や井口、中本といった中軸が残った。近畿大会では準々決勝で嘉瀬(オリックス)を擁する北陽に2-4と惜敗したが、地域性で選出。ぎりぎりの選出ながら、実力は高く、裏の優勝候補と言われていた。

迎えた本戦前の甲子園練習ではV候補の宇和島東との報道陣の数の差に忸怩たる思いの高嶋監督であったが、初戦は秋田、2回戦はのちにプロ入りする選手を複数抱えた横浜を打力で圧倒。準々決勝では、その宇和島東との対戦となり、8回を終わって0-4と敗色濃厚だったが、9回に1番植中の走者一掃の逆転打などで5点を奪い、延長戦の末に勝利をもぎ取った。V候補を下して勢いに乗り、いよいよ頂点が見えるところまで来ていた。

一方、PL学園は栄華を誇った1980年代を経て、90年代は苦戦が続いていた。強豪がひしめく大阪にあって、それまでPLに押さえつけられていた強豪が次々と台頭。近大付、大阪桐蔭、上宮と過去4年間で3校の新たな優勝校を輩出し、レベルの高さを誇っていた。その間もPLからはプロ入りする選手は途切れず出ており、決して力が落ちていたわけではないのだが、春夏連覇の1987年以降で全国の舞台に届いたのは1992年の選抜だけであった。

しかし、この年は新チームから好調を維持し、秋の近畿大会で久々に優勝。エースの宇高(近鉄)はPLには珍しいアンダーハンドのエースだが、ストレートのMAXは130キロ台ながらも、くせ球を活かした投球で凡打の山を気づいた。速球には球威があり、投球の中身は本格派と言っていい投手であった。左腕の光武も計算がたち、左右の2枚看板を形成していた。打線も1番大村(のちのサブロー、ロッテで活躍)や2年生の主砲・福留(阪神)など力のある面々が並んでいた。

迎えた本戦では初戦で拓大一の好投手・早田を打ち込んで10-1と大勝すると、2回戦は完全試合を達成した金沢の中野と対戦。初回に中野の立ち上がりをとらえて、早くも完全試合を断ち切ると、投げては左腕・光武が完封勝利を挙げ、貫禄の内容で好投手を下した。準々決勝では再び宇高が好投を見せて、神戸弘陵に10-1と大勝。久々に強いPLが戻ってきた印象であった。

王者の猛追を振り切り、初の決勝進出決める

1994年選抜準決勝

智辯和歌山

1 2 3 4 5 6 7 8 9
1 0 2 2 0 0 0 0 0 5
0 0 0 1 0 0 0 2 1 4

PL学園

 

智弁和歌山  笠木→松野

PL学園    宇高→光武→宇高

準々決勝で劇的な逆転勝利を飾った智辯和歌山とここまで全く危なげなく勝ち進んできたPL学園。勝ち上がり方は対照的だったが、ともに強力打線と智辯和歌山は笠木と松野、PL学園は宇高と光武と左右の2枚看板を擁し、似た側面も持つチームであった。

前評判ではややPL有利の予想だったが、智辯和歌山が初回からエース宇高に襲い掛かる。先頭の植中がレフトへの2塁打で出塁すると、犠打と四球で1アウト1,3塁となって、4番井口がレフトへ先制タイムリーを放つ。インコースやや甘めのボールをしっかりとらえた打球だった。しかし、このあと智辯和歌山はけん制死など走塁のミスが重なって無得点。試合巧者のPL相手に痛いミスだ出て、流れが変わるかと思われた。

2回を無難に乗り切り、調子が出てくるかと思われた宇高だったが、3回に2アウトから再び智辯和歌山打線につかまってしまう。2番岸辺に四球を与えると、中本のヒットと死球で満塁のピンチを招く。この試合は変化球の制球に苦しみ、そこを5番西中は逃さない。ストライクを取りに来たストレートをとらえ、打球は1,2塁間を破って2点を追加する。安定感抜群のエースが序盤からつかまり、ナインも同様の色を隠せない。

攻撃の手を緩めない智辯和歌山打線は4回にも宇高をとらえ、9番川原のヒットでチャンスを作ると、代わった光武から2番岸辺がライト線へタイムリー2塁打を放って2点を追加。徹底した逆方向への打撃でPLの2枚看板を攻略した。

大きなアドバンテージを奪った智辯和歌山は荒れ球が持ち味の左腕・笠木が打たせて取る投球でPL打線の反撃を4回裏の1点でしのぐ。PL打線は焦りからかボール球に手を出し、いつものスキのない攻撃が見られない。準々決勝まですべてワンサイドゲームだったことが弊害として出てしまったか。

そして、試合は後半戦に入ると、高嶋監督は6回からスパッとリリーフの松野をマウンドに送る。前年夏はサヨナラ打、前の試合でも勝ち越し打を放った勝負強さを買っての起用だったのだろう。6,7回とPL打線をぴしゃりと封じ込める。

しかし、PLも中盤から宇高が再びマウンドに上がって別人のような投球で智辯打線を抑え込む。すると、8回裏眠っていたPL打線がようやく反撃を開始。2番松下の2塁打などでチャンスを作ると、4番福留がインコース甘めの真っすぐを見事にとらえ、2点を返す。このあたりは名門校の意地が詰まった攻撃だった。

なんとか追いつきたいPLは9回裏、2アウトからこの大会当たりのなかった1番大村のセンターへのタイムリーが飛び出し、ついに1点差に詰め寄る。松野のボールにPL打線も徐々に対応しつつあった。ここでこの日当たっている2番松下に打順が回り、一打同点、サヨナラの場面を迎える。しかし、最後は松野のボールになるスライダーを打たされてゲームセット。落ち着いた投球で逃げ切りに成功し、智弁和歌山が春夏通じて初の決勝進出を決めた。

まとめ

これでさらに勢いを増した智辯和歌山は決勝で常総学院と対戦。名将・木内監督は左中間の守備をわざと広げて引っ張りたい打者心理を引き出そうとしたが、智辯和歌山は徹底したセンター返しで対応し、9回に藤田の勝ち越し打で7-5と初優勝を飾った。野球王国・和歌山の復活を告げる栄冠でもあった。

しかし、このあと連戦連勝だったチームは夏の和歌山大会で笠木が3本のホームランを打たれてまさかの初戦敗退を喫する。指導法に迷った高嶋監督はかつて春夏連覇を成し遂げた箕島・尾藤監督に助言を仰ぎ、「春勝ったチームはあえて一度状態を落としてから夏に向かう方がよい」とアドバイスをもらった。この助言を活かし、以後は何度も春夏連続の出場を達成。2000年には選抜準優勝の後に、夏は2度目の全国制覇を果たした。

 

一方、敗れたPL学園も確固たる強さを取り戻した感があった。翌年には全国屈指のスラッガーとなった福留を擁して、夏は8強に進出。2000年までコンスタントに出場し、1998年にはあの松坂大輔(西武)を擁する横浜と球史に残る激闘を演じた。やはり、PLは走攻守にスキのないチームカラーが特徴とされるが、この年のチームもその例外に漏れない好チームであった。

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