横浜高校投手陣を攻略した強力打線列伝③

2004年

2025年の高校球界で大坂桐蔭以来、史上2校目となる2度目の春夏連覇を狙う横浜高校。

あの松坂大輔を擁した1998年の春夏連覇は圧巻の一言であった。そして、この年を皮切りに同校の黄金時代が始まったと言っても過言ではないだろう。小倉部長の緻密なデータ取りによる配球の妙と徹底した下半身強化で、数々の好投手が育った。出場するたびに優勝候補に名を連ね、幾多の大エースを擁して上位をにぎわせた。

しかし、そんな中にあって、全国のライバル校も決して手をこまねいていたわけではなく、幾多の強豪校が自慢の打力で、その横浜の好投手に立ちはだかってきた。

今回は、横浜の投手陣を攻略してきた強力打線を、「強打vs好投手」の対決の歴史として振り返っていきたい。

駒大苫小牧(2004年夏 準々決勝)

東都大学】駒大苫小牧時代に甲子園連覇を達成した林裕也氏が母校 ...

北海道勢初の全国制覇を成し遂げた2004年の駒大苫小牧。大会最高打率を大幅に更新した、その打棒は凄まじいものがあったが、大会序盤はそこまで注目度が高かったわけではなかった。その実力が全国でしっかり認められたのは、やはり準々決勝の横浜戦だったのではないだろうか。

駒大苫小牧は、1990年代に若き指揮官である香田監督が就任。当時、北海道勢として唯一の全国制覇を社会人野球で達成していた我喜屋監督(後に興南で春夏連覇)に師事し、走塁とカバーリングを徹底させて、スキのない野球を作り上げてきた。道内の他のチームにとっては、「駒苫は何をしてくるかわからない」と恐れさせる野球、自軍のスキは与えず、相手のスキをつく野球で、勝利を積み重ねた。

年々チーム力は向上し、2001年には夏の甲子園に出場。同大会で4強入りを果たした松山商と6-7と好勝負を演じた。さらに、2003年には春夏連続で甲子園に出場。しかし、選抜では藤代に1-2とミスから惜敗し、そして、夏はあの有名な降雨ノーゲームで勝ち試合を落とし、倉敷工に再試合で無念の敗退となった。この2004年の代は、その一つ上の先輩たちの無念を晴らすべく、立ちあがった代なのだ。

この代は、佐々木主将糸屋を始めとして有望な選手が揃っており、中学時代には全国大会8強入りの快挙も成し遂げている。2004年に突如、道産子集団が頂点に立ったと驚かれることも多かったが、もともとポテンシャルの高い子たちが、香田監督の魅力あふれるチームに惹きつけられ、出来上がったチームなのだ。

しかし、この代をもってしても、まずこの年の北海道は予選を勝ち上がるのが至難の業であった。予選と言っても北海道大会のことではない。全道大会へ向かう前の室蘭地区大会のことだ。広大な地域で予選を行う北海道は、まず、各地区で代表校を決めて、そこから全道大会へ向かう。しかし、この年の室蘭地区は選抜代表の鵡川(神宮では後に選抜を制する済美に勝利)、夏の代表の駒大苫小牧、そして、プロ注目の左腕・木興(日本ハム)を擁する北海道栄という全国レベルのチームが3校顔をそろえていた。そして、この中から全道大会に行けるのは2校なのである…

全国屈指の実力を持ちながら、1校は全道大会にすら行けないという残酷さ。秋の予選では鵡川と北海道栄が激突し、鵡川が5-2で勝利したが、2-2で9回に突入して最終回に3点を勝ち越したという内容。無川の強力打線は木興に14三振を奪われ、まさに薄氷の勝利だった。そして、木興対策をしていた鵡川と駒大苫小牧にとって、他の地区の投手は問題ではなく、秋の決勝は当然のようにこの2校の対戦に。7-3で鵡川が勝利し、選抜でも1勝を上げて存在感を示した。

そして、夏の大会では室蘭地区予選で、今度は鵡川と駒大苫小牧が対戦。鵡川のエース宮田の故障もあったとはいえ、8-0と駒苫の圧勝で、リベンジが決まった。全道決勝では、北海道栄が待ち受けていたが、6-3で勝利。北海道は土地が広い関係でなかなか強豪校と練習試合を組むのも難しいが、この年の駒苫にとっては格好の全国レベルの相手が近くに2校もいたのだ。これはチームのレベルアップにつながったのは間違いない。

迎えた本戦では、佐世保実を相手に初勝利を上げると、続く3回戦では日大三の好右腕・浅香も攻略。初戦でPLとのV候補対決を制していた東の横綱を相手にしても打ち勝った。また、駒苫の特徴として練習でスローボール打ちを多く取り入れているということがある。スピード全盛になりつつあった2000年代の高校球界では150キロのマシン打ちが流行っていたが、そんな中で体幹と軸を使わないと打ち返せないスローボールうちは、駒苫の選手の打撃の基本を作ったと言えるだろう。

これに対し、横浜はエース涌井(西武)を軸にV候補の大本命として甲子園に乗り込んできたが、実は神奈川予選から誤算が始まっていた。通常、神奈川を勝ち抜くセオリーとして準決勝までにエースの登板イニングは2~3試合分にまとめておきたいところなのだが、あろうことか、この年は4回戦で日大藤沢を引いてしまったのだ。この難敵を5-4と僅差で退けると、その後も桐光学園・桐蔭学園・横浜商大(後のメジャーリーガーの田澤がエース)と強豪ばかりを相手に涌井は完投。結局、決勝も含めて丸々5試合分を投げることとなった。

そして、本戦でも横浜の不運は終わらず、初戦から報徳学園・京都外大西・明徳義塾と西日本きっての強豪校とばかりの対戦となった。特に2回戦の京都外大西戦は、延長11回を完投し、1-0でのサヨナラ勝利。炎天下の中で155球を投げぬき、涌井の疲労は確実にたまっていた。しかし、それでも3回戦の明徳戦では、中盤からギアを上げて、打者12人連続のアウトを奪う快投を披露。涌井の底知れないスタミナが光り、横浜が辛くも8強まで勝ち上がった。

試合

駒大苫小牧

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 1 1 0 2 0 2 0 0 6
0 0 0 o 0 1 0 0 0 1

横浜

 

横浜 涌井→千葉

 

駒大苫小牧 スタメン

1 桑原
2 沢井
3 桑島
4 原田
5 糸屋
6 佐々木孝
7
8 岩田
9 五十嵐

こうして、駒大苫小牧と横浜の一戦が始まったが、高校野球ファンは、当時の自分も含めて、「まあ横浜が勝つだろう」と踏んでいたはずだ。「駒大苫小牧の実力は疑う余地はないが、横浜には及ばない。途中苦戦しても、最後は涌井が持っていくのだろう…」というのが、今となっては申し訳ないが、正直な気持ちであった。

試合は、初回から駒大苫小牧が2番沢井のヒットを皮切りに2アウト満塁と攻め立てる。しかし、この場面は6番佐々木孝がショートゴロで無得点。こういうチャンスをものにできなかったことが後々響くんやろな…と見ていた。

だが、そんな予想を吹き飛ばすheroが現れる。

2回表、先頭の2年生・が打席へ。全くノーマークの7番打者が高めの速球をとらえると、打球は右中間へ飛び込む先制アーチに!駒苫が1点を先行する。これで勢いに乗った駒苫は3回にものタイムリーで1点を追加。試合を優位に進める。

しかし、点差はまだ2点。横浜打線の力をもってすれば、そこまでの差でもない。ところが、横浜の首脳陣は、駒苫の先発左腕・岩田を警戒していた。左腕からキレのあるボールを投じる岩田のような左腕を苦手としており、また捕手・糸屋も洞察力が高い。3回には1アウト3塁のチャンスでスクイズを外されて無得点に。横浜攻撃陣からいつものような豪快さ・老獪さが影をひそめる。

すると、5回表、いつもこのぐらいからボールが走り始める涌井なのだが、一向に立ち直りの気配が見えない。この回も、6番佐々木孝、そしてまたも7番にそれぞれタイムリーとなる長打を浴びる。には3打席すべて違う球種を打たれ、村田捕手(現監督)も打つ手なし。ことごとくボールが高めに入るコントロールミスも、涌井らしくなく、完全に試合は駒苫ペースとなる。

そして、7回表、歴史的な瞬間が訪れる。ここまでホームラン、2塁打、3塁打を放ち、サイクルまで後は単打のみのが、涌井の速球をとらえると、この日4本目となるヒットは、サイクル安打を決めるメモリアルヒットとなった。涌井はこの回を終えてついに降板。名門を背負ってきたエースを北の新鋭校がついに引きずりおろしたのだ。

試合は、駒苫が岩田鈴木の左腕継投で横浜打線を封じ込めて快勝。6-1というスコア以上の差を感じさせる勝利で初の4強入りを決めた。横浜のエース涌井にとっては、神奈川予選からの不運な組み合わせの影響もあって、ついにスタミナが切れるという不運もあった。ただ、それを考慮しても、やはり大会注目のエースを豪快に打ち崩した駒苫の打棒は素晴らしかった。ここから、3年間、駒大苫小牧の、今も語り継がれる黄金時代が幕を開けるのである。

駒大苫小牧-横浜

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