横浜高校投手陣を攻略した強力打線列伝⑨

2016年

2025年の高校球界で大坂桐蔭以来、史上2校目となる2度目の春夏連覇を狙う横浜高校。

あの松坂大輔を擁した1998年の春夏連覇は圧巻の一言であった。そして、この年を皮切りに同校の黄金時代が始まったと言っても過言ではないだろう。小倉部長の緻密なデータ取りによる配球の妙と徹底した下半身強化で、数々の好投手が育った。出場するたびに優勝候補に名を連ね、幾多の大エースを擁して上位をにぎわせた。

しかし、そんな中にあって、全国のライバル校も決して手をこまねいていたわけではなく、幾多の強豪校が自慢の打力で、その横浜の好投手に立ちはだかってきた。

今回は、横浜の投手陣を攻略してきた強力打線を、「強打vs好投手」の対決の歴史として振り返っていきたい。

履正社(2016年夏 2回戦)

高校野球】もはやこれは決勝戦? 2回戦で戦う横浜と履正社の戦績 ...

2015年、高校野球100周年の年に神奈川大会決勝でライバル東海大相模に敗れた横浜高校。長年チームを指揮してきた渡辺監督が勇退し、新たに平田監督がチームを指揮することとなった。大きな転機となったこの指揮官交代は、チームの指導方針にも変化を及ぼすこととなる。

それまで、「1点をいかに奪い、1点をいかに相手に与えないか」という突き詰めた緻密な野球を行ってきた横浜高校だったが、平田監督は平成終盤の時代に合わせた、「個の力を伸ばす野球」にシフトしていく。この判断は、旧世代との軋轢を生んでしまった側面もあったが、この年のエース右腕・藤平(楽天)や当時1年生の万波(日本ハム)が、現在はプロの世界で活躍していることを考えると、あながち間違ってもいなかっただろう。

実際、2016年から3年連続で夏の甲子園の座も射止めており、甲子園でこそ勝ち上がり切れなかったものの、東海大相模に傾きつつあった神奈川の流れを横浜高校に引き戻したという点で、大きな功績を残したと言える。

2016年世代はエース藤平と左腕・石川(巨人)の強力な左右2枚看板に主砲・村田や強打者の公家、期待の2年生スラッガー増田(ソフトバンク)とタレントが揃っていた。藤平は最速150キロを計測するストレートに非常に伸びがあり、中学時代に陸上で鍛えた下半身から繰り出すボールの威力は凄まじいものがあった。また、平田監督のもとで、個々の力を伸ばす自主練習の時間を多くとったことで、神奈川大会ではチーム計14ホームランを記録する強力打線へと成長。3年ぶりの甲子園では優勝候補の一角に堂々と顔を出す存在になっていた。

甲子園初戦では、東北高校との名門対決に。非常に短いテークバックから投じる変則左腕の渡辺を相手に苦戦を強いられるかと思われたが、先制・中押し・ダメ押しと打線がつながり、7-1と快勝。まずは順調なスタートを切った。そして、当時は一戦終えるたびに抽選を行う方式となっており、なんと2回戦で西の横綱の履正社とぶつかることとなる。2006年選抜以来の激突。大観衆が詰めかける注目の大一番となった。

 

その履正社は、2年前の2014年選抜で当時2年生だった溝田永谷の両右腕が活躍して準優勝を果たしていたが、その春に彼らをしのぐ逸材が入学してきた。後にヤクルトにドラフト一位指名されることとなる寺島成輝である。2014年夏、2015年夏と一つ上の実力派投手の二人を押しのけて先発。ともに大阪桐蔭に敗れてしまったが、岡田監督は1年生から寺島を中心としたチーム作りをしてきたことは紛れもない事実であった。

しかし、いよいよ最終学年となって、新チームの押しも押されぬエースとなった寺島だが、チームは寺島に依存してしまい、なかなかそこから脱却できない状況が続いた。秋の大阪大会では準決勝でライバルの大阪桐蔭に1-2と惜敗。大阪桐蔭・高山(日本ハム)との好左腕対決に敗れてしまった。それでも3位決定戦に勝てば、秋の近畿大会には進出できたのだが、ここで阪南大に1-0と敗れてしまう。打線がエースを援護できず、選抜出場の夢は途絶えてしまった。

そこから冬場を超え、チームは打線の強化、守備陣を含めたディフェンス面の整備を進め、強さを増してきた。寺島の一学年下には安田(ロッテ)、若林という左右の大砲がおり、彼らが成長して加わったことで、より一層打線はパワーアップした。1番福田、2番北野、3番四川とミート力の高い打者が並び、出塁したところで、4番安田以下、井町、打撃もいい寺島若林とチャンスに強い打者陣が返す。投打のバランスが整い、守りも捕手・井町を中心に安定してきた。

態勢を整えなおしたチームは、春季大阪大会で大坂桐蔭にリベンジを果たすと、勢いそのままに春季近畿大会を制覇。決勝では、選抜優勝の智辯学園に6-0と完勝し、自信を深めた。迎えた夏の大阪大会本戦では、ライバルの大阪桐蔭が関大北陽に1-2と敗れ、早々と姿を消す。そんな状況下で、履正社は一つ一つ着実に勝利を積み重ねる。唯一、好右腕・西田のいた大体大浪商には2-0と苦戦したが、他の試合はすべてワンサイドで制す強さを見せた。

横浜と並んでV候補の筆頭格に上げられた履正社。初戦は同じく好左腕の山野(ヤクルト)を擁する高川学園との対戦となった。先制点がカギを握る中、2回裏に8番山本、1番福田、2番北野のタイムリーで4点を先行!これで余裕を得た寺島はストレート主体で2安打1失点の好投を見せ、まずは危なげなく初戦を突破した。そして、2回戦で横浜との大一番に向かっていくのである。

試合

横浜

1 2 3 4 5 6 7 8 9
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1
0 5 0 0 0 0 0 0 × 5

履正社

 

横浜  石川→藤平

 

履正社  スタメン

1 福田
2 北野
3 四川
4 安田
5 井町
6 寺島
7 若林将
8 山本
9 若林健

先発は履正社がエースの寺島だったのに対し、横浜は左のエース石川を指名。神奈川大会決勝でも先発のマウンドを踏んでいる実力者で有り、なんら違和感のない人選であった。ちなみに、この試合の前が、あの「東邦vs八戸学院光星」の大逆転ゲームであり、球場全体にざわつきが残る異様なムードの中で試合は幕を開けた。

1回表、立ち上がりに課題のある寺島に対し、横浜打線がいきなり襲い掛かる。先頭の1番戸堀が内野安打で出塁すると、2番遠藤の犠打が野選に。3番増田が送って1アウト2,3塁となると、4番村田の犠飛で着実に1点を先行する。このあたりの流れるような攻撃は、さすが強豪である。

対する石川は初回に1番福田、2番北野、3番四川の3人を3者連続三振に切って取る。平田監督としては、願ってもない立ち上がりだっただろう。初回の攻防は完ぺきに横浜が制したと言えるだろう。

ところが、2回裏に入って思わぬところから試合の流れが変わる。4番安田のヒットを皮切りに1アウト2塁のチャンスを履正社が迎えたところで、なんと雷雨で43分間もの中断となってしまったのだ。この中断で温まっていた石川の肩が冷えてしまった。再開後に2アウト目を奪うが、7番若林にヒットを許すと打席には、8番山本。初戦で先制打を放っていたラッキーボーイが高めの速球を振りぬくと、打球はレフトポールを巻く3ランホームランとなって一気に試合をひっくり返した。

横浜としてはここで流れを切りたかったところだが、石川は続く打者に連続四死球を与えてしまう。ランナー二人をためたところで、平田監督はついに藤平にスイッチ。エースに運命を託す。しかし、ここで2番北野に対し、再開後の初球をとらえられた打球はライト線に弾み、走者二人が一気に生還!履正社がこの回一挙5得点の猛攻を見せた。

このリードはことのほか大きい。それは大エース・寺島を擁するアドバンテージもさることながら、履正社というチームの手堅さにある。

もともと強豪校ではなかったところから、チームを強化してきたこともあり、犠打・守備・走塁という野球の軸となる確実に強化できるところを鍛えてきた履正社の野球は、リードを奪った時ほど強さを発揮する。岡田監督が戦った、1997年から2019年までの甲子園での33試合(交流試合は除く)は、22勝11敗だったのだが、なんと逆転負けは一度もなし。あまり知られていないが、これは高校球史に残るアンタッチャブルレコードだろう。試合は一転して履正社が圧倒的に優位な展開となった。

寺島の落ち着いた投球の前に、横浜は毎回のようにランナーは出すものの、なかなか「ためる」ところまではいけない。8回表にようやく1回以来の複数ランナーを出すが、ここでも4番村田を渾身の真っすぐで空振り三振に切って取る。球数が148球に達したことから、横浜打線が寺島を大いに苦しめたことは間違いないが、やはり2回の「5」が大きくものをいう結果となった。

横浜の投手陣は藤平石川の二人とも非常にハイレベルだったが、やはり天候はどうにもしようがなかっただろう。二人とも非常にポテンシャルの高い投手であり、今でもプロ野球の一軍のマウンドで活躍しているが、この日は、天候と履正社の試合巧者ぶりが光った試合となった。

履正社VS横浜 第98回全国高校野球選手権大会2回戦 16年夏最高のカード!東西横綱対決!夢のドリームマッチが2回戦で実現!

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