準々決勝で実現した「事実上の決勝戦」
「やまびこ打線」・池田の夏春夏3連覇なるかが注目された1983年夏の選手権大会。選抜では、圧倒的な打力とエース水野(巨人)の自責点0の好投で、準決勝・明徳戦以外は危なげなく勝ち、夏春連覇を達成。当時の高校球界は池田を中心に回っていた。その打倒・池田に燃える好投手が多く顔をそろえたのがこの選手権大会であり、いわば20世紀後半の松坂世代のようにタレントが揃った大会であった。
仙台商・萩原(巨人)、横浜商・三浦(中日)、創価・小野(近鉄)、箕島・吉井(近鉄)、宇部商・秋村(広島)、高知商・津野(日本ハム)、久留米商・山田(巨人)、佐世保工・香田(巨人)、興南・仲田(阪神)といったように北から南まで好投手がずらり。そのほかにも伝統校の広島商や選抜4強の東海大一など多くの強豪が出場し、王者を止めるべく立ち向かった。
そんななか、準々決勝で大一番を迎えることとなる。剛腕・野中(阪急)を擁し、打倒・池田の一番手に上がっていた中京が、ベスト8で池田との対戦を実現させたのである。
王者・池田は選抜を圧倒的な強さで制し、夏の甲子園でもその強さは健在。初戦の太田工戦では18安打の猛攻で圧勝を果たすも、守備の乱れが出て蔦監督のお怒りを買ったが、2回戦では高鍋に12-0と完勝を収める。噂では高鍋の選手が、1回戦勝利後に「池田には勝てますよ」とテレビで豪語したのを聞いて池田ナインが発奮したのだとか。
続く3回戦では昨夏の決勝戦と同じく広島商と対戦。エース水野が頭部に死球を食らうアクシデントはあったが、打線は広島商のエース沖元から5番吉田の3ランなどで7点を挙げ、昨夏のリベンジに燃える相手を退けた。ただ、エースの不慮のアクシデントは予想外であり、3連覇へ向けて一抹の不安を抱えることとなる。
その池田との対戦を熱望していたのが、野中を擁する中京。すでに春夏合計10度の優勝を果たし、前年も春夏連続で4強入り+甲子園通算100勝を達成していた名門校は、名将・杉浦監督に率いられ、この年もしたたかに優勝を狙っていた。野中は2年生からチームの主戦として活躍。球威抜群の速球を武器に、対戦相手をねじ伏せてきた。
しかし、激戦区・愛知だけにライバルは多く、一昨年夏は好左腕・工藤(ソフトバンク)を擁した名古屋電機が夏の甲子園4強入り。新興勢力に加えて常連校も力強い戦いを見せており、同年選抜でも享栄の藤王が11打季連続出塁という驚愕の記録を打ち立て、8強入りを果たしていた。愛知大会決勝では、案の定というか、この2校が激突。1-1の同点の最終回に中京が2本のタイムリーで勝ち越し点を挙げ、2年連続の出場をつかみ取った。
本戦では北陸、岡山南を危なげなく下すと、3回戦では宇都宮南打線を野中が5安打13奪三振でシャットアウト。2年連続のベスト8進出を決め、そして、ようやく前年からの悲願である池田との対戦を実現させたのである。
剛腕沈めた最終回の一発
1983年夏準々決勝
池田
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 |
0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
中京
池田 水野
中京 野中
注目の好カードは、第1試合にも関わらず、多くの高校野球ファンが押し寄せ、満員御礼でスタート。それだけ全国の耳目がこのカードに注がれていた。
先行は池田。1回表、先頭の1番坂本がスライダーをセンターに打ち返すと、2番金山はバントヒットでチャンスを拡大する。ここで打席には3番江上。まだ甲子園通算14試合を戦って負け知らずの男は、野中の速球をジャストミート!しかし、打球は不運にもセカンドの正面をつき、併殺でチャンスを逸する。
これに対し、打力では池田に対してやや分の悪い中京は、水野の立ちあがりを捕まえたいところだったが、四球でもらったランナーを3番鈴木、4番野中が生かせずに無得点。やや右サイド気味のフォームから繰り出す水野の速球、スライダー、シュートはいずれも、そう簡単にはとらえられないボールだ。
すると、2回表、やまびこ打線が野中に襲い掛かる。これまで対戦校がバットを押し込まれていた野中の剛速球だが、水野や前年エースの畠山(横浜)を相手に練習を重ねてきた池田打線には、むしろとらえやすいタイプのボールなのか。5番吉田がストレートを左中間にはじき返すと、続く6番山田のたたきつけた打球はサードの頭上を越えるレフト前ヒットとなり、吉田が生還。池田が先制点を手にする。さらにこの回、7番高橋、9番井上にも痛烈な当たりが飛び出し、得点こそ1点に終わったものの、改めてその破壊力を見せつける。
野中の力投にこたえたい打線だが、この日はスライダーを軸にした池田バッテリーの配球の前になかなか手が出ない。中京打線もトップの今井や投手兼任の5番紀藤(広島)など実力者をそろえているのだが、やはり選抜優勝投手の看板は伊達ではない。
その後も、試合は池田ペース。5回にはヒットで出た井上が、1番坂本のセンターオーバーの当たりでホームを狙うもタッチアウトになるが、毎回のように野中をとらえて塁上をにぎわす池田の猛打の前に、中京ナインはこれまで経験したことのない重圧を感じていただろう。しかし、針の一刺しで決壊しそうな状況のなかでも、名門校のナインはエースを中心に一枚岩で守り、追加点は与えなかった。
ただ、再三のチャンスをつぶすと、流れが逃げていくのが野球というスポーツだ。5回裏、それまで抑え込まれていた中京打線がついに水野を捕まえる。
この回、ラストバッターの9番豊永が苦しんでいた水野のスライダーをうまくとらえてレフトへのヒットで出塁。盗塁と犠打で1アウト3塁とすると、2番安藤には強攻策を指示する。スクイズも考えられる場面だったが、ここで安藤は豊永の打撃のVTRのように、スライダーをレフトへ引っ張って、3塁から豊永が生還する。ここまで必殺のスライダーで相手を牛耳ってきた池田バッテリーだったが、ここは愛知の名門の意地が勝つ。
1-1の同点で試合は後半に突入。
追いついて勢いに乗る中京は6回裏、5番紀藤がセンターオーバーの2塁打で出塁。犠打で1アウト3塁とし、絶好のチャンスを得る。しかし、7番佐々木の3塁線への当たりは水野が好捕し、そのまま飛び出した紀藤にタッチして、痛恨の逸機となる。水野相手にそう多くのチャンスは望めないだけに、あまりにも惜しい攻撃だった。
対する池田も7回表にすぐに逆襲。2番金山のヒットなどで2アウト1,3塁と勝ち越しのチャンスを得る。ここで打席には3番江上であったが、蔦監督はなんと重盗を敢行。しかし、中京内野陣の落ち着いた守りの前に、ホームタッチアウトとなり、得点が入らない。池田としてはいつもの強攻策を選ばなかったところに、名将の焦りも見られたか。
全国トップクラスの強豪同士がつばぜり合いを見せ、何度もホームタッチアウトとなる白熱の好試合。試合はそのまま最終回へと突入していった。
9回表、池田の攻撃は下位打線。しかし、9番に打撃のいい井上が座る池田打線に下位打線という言葉はないのだろう。この回、蔦監督は「スコアリングポジションに進めて井上に回せ」と指示を与えていた。
ところが、出塁の期待された7番高橋が大仕事をやってのける。野中の高めの速球、見送れば完全にボール球というコースを叩いた打球は打った瞬間に野中がしゃがみ込むほどの当たりでレフトスタンドへ一直線。強烈な一撃で池田がついに勝ち越し点を奪う。さらに、気落ちした野中から8番松村・9番井上が長短打を放って決定的な3点目が入り、試合は決した。
中京も最終回の攻撃に望みをつないだが、集中力を保った水野の気迫の投球の前に3者凡退。優勝へ向けて最大の関門を突破するとともに、大会の行方もこれでほぼ決したかと思わせるような空気感が試合後に漂ったのだった。
しかし、野球というスポーツは本当に前評判通りに進まないものである。準決勝でその池田を止めたのが、1年生のエースと主砲を擁するPL学園だったとは。彼らはもちろん、のちにKKコンビとして名を馳せる桑田真澄と清原和博であったが、当時はまだ無名の1年生であった。水野もちょうど医師から「頭部の死球の影響が出る」と言われた3日後の試合であったが、あまりもあっけなく3連覇を狙い王者が甲子園を後にすることとなったのだ、これが野球の怖いところであり、面白いところでもある。
PL学園vs池田 1983年夏 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
一方、敗れはしたものの、中京は最後まで王者・池田を苦しめる戦いを見せた。また、1982年~1983年の2年間で3度甲子園に姿を現し、いずれも8強以上で計10勝を挙げた安定感は特筆ものだろう。この時代の愛知はまさに「野球王国ここにあり」と思わせる強さを誇っていた。そして、この試合を見ていた愛知の中学生が中京に進み、4年後の甲子園でついに池田にリベンジを果たすこととなる。最終回にスクイズで追いつき、延長10回裏もスクイズでサヨナラ勝ちを収めるという、なんとも中京らしい試合運びであった。
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