九州勢同士、火花散らした攻防
1990年の選手権大会は、2026年の選手権と同じく、予選で選抜4強がすべて姿を消す本命不在の大会となった。そんな波乱の様相を呈する中で、元気を見せたのが九州勢。選抜8強組みで唯一甲子園に帰ってきた鹿児島実をはじめ、沖縄水産・西日本短大付と3校がベスト8に顔をそろえ、大会を席巻した。

鹿児島実は、春夏連続の甲子園出場。1976年夏にはエース定岡(巨人)を擁して、4強入りを果たしたが、昭和後期は鹿児島商工・鹿児島商の2校に押され気味。夏は7年間甲子園から遠ざかり、その間、他の2校はそれぞれ夏の甲子園で8強入り、4強入りと結果を残していた。
しかし、名将・久保監督のもと、平成2年のチームは投打にスケールが大きく、非常に期待が持てた。エース上園は小柄な体格ながら、躍動感のあるフォームから繰り出す球威十分の速球とカーブを武器に相手を圧倒。タフネスさも併せ持ち、ほとんどの試合を一人で投げぬいた。一方、打線の軸には主砲・内之倉(ダイエー)が君臨。鹿児島大会ではまともに勝負してもらえなかった九州屈指の長距離砲は確実性と勝負強さを併せ持つ、怖い存在であった。
この投打の太い柱を中心に、桜島のようなスケールの大きい野球が、鹿実の特徴。内之倉以外にも、主将・宮下(のちに監督になる)、関、2年生の竹脇とタレントが揃い、選抜では8強に進出。夏は、初戦で日大山形を相手に内之倉の一発などで9-0と大勝スタートを切ると、その後は高知商・松山商と言った四国の優勝経験校を接戦で撃破。特に、3回戦の松山商戦は終盤に内之倉の3ランで一気に試合をひっくり返すという、ドラマチックな試合に。悲願の優勝へ向けて、鹿実がいよいよ乗ってきた印象であった。

一方、西日本短大付は、こちらも名将・浜崎監督に率いられ、夏は2度目の出場。好左腕・石貫(広島)を擁して夏春連続出場を果たすなど、堅いディフェンス力に定評のあるチーム作りをしていた。
この1990年度のチームの主戦は右のアンダーハンドの中島。体をバックスクリーン方向へ完全にひねってから投げる投法は、相手打者からすると背中が見えるほど曲がっており、ボールの出所が非常に見にくい。よほど下半身が強くないとできない投げ方なのだが、徹底した走り込みによってこのフォームで投げ切る強さを身に着けた。また、浜崎監督を中心にしたデータ野球も強さの秘訣であり、試合前は何度も相手のビデオを見て研究に浸った。この抜け目のなさが西短の強さの根源にあり、大会前に浜崎監督は「優勝を狙う」と豪語して乗り込んできた。
初戦は2回戦からの登場となったが、富山・桜井を相手に2回から9回まで毎イニング1点ずつを挙げるという、珍しいスコアリングで快勝る。一度も相手に主導権を与えない強さを見せる。続く3回戦では、好左腕・金藤を擁する宇部商対して、初戦とオーダーを組み替えて、右打者二人を起用すると、彼らが結果を出して先制に成功した。守っては、エース中島が、宮内・松本と大砲を揃える宇部商打線をシュート・シンカーで丁寧に打たせて取ると、バックもけん制アウトを奪うなど、エースを援護。最終回に、松本に3試合連続となる一発を浴びたものの、4-2と守り勝ちで、初の8強進出を決めたのであった。
先制攻撃でV候補撃破
1990年夏準々決勝
鹿児島実
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
| 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 3 |
| 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | × | 7 |
西日本短大付
鹿児島実 上園
西日本短大付 中島
互いをよく知る九州勢同士の対戦。試合前、それを意識してかしないのか、鹿実のエース上園は、「西短はつよいからなぁ」と弱気ともとれる発言が見られた。3試合連続完投の右腕が、何かを予感していたのか、試合開始からその発現が的中することとなる。
1回裏、カーブの制球に苦しむ上園に対し、西短打線が襲い掛かる。当たっている1番主将の木附がライトへのヒットで出塁すると、鹿実内野陣は犠打を警戒してブルドッグ守備を敢行。しかし、この虚をついて、2番三宅に強攻策を命じると、打球はセンターへのヒットとなって、木附は一気に3塁を奪う。さらに、送球間に打った三宅も2塁を陥れると、3番竹内はこれまた綺麗なセンター返しで、2者が生還。上園が試合開始からこうも打ち込まれる展開はこれまでなく、鹿実ナインの動揺が透けて見えるようであった。
カーブのキレに加えて、内角球に強さも見られない中、苦しむ上園は1アウト2,3塁のピンチを招く。ここはスクイズを見破って事なきを得たかと思われたが、なおも2アウト3塁から4番浜口に、これもカーブを捉えられて、三遊間突破のタイムリー!さらに、4回裏には8番後藤に内角速球を痛烈に引っ張られて、レフトスタンドに放り込まれ、4回まででまさかの4失点を喫する。上園に対して、その実力をよく知っている西短ナインが、臆することなく序盤から攻め立てることに成功した。
この4点のリードは、西短ナインに余裕を与えたことだろう。中島は1回から4回まで持ち前の打たせて取る投球で、淡々と「0」を並べていく。5回表に鹿実はようやく反撃を開始し、8番薗田の2塁打を足掛かりに、1番宮下のタイムリーで1点を返すが、さらに続いたチャンスは盗塁失敗で生かせない。軸となる4番内之倉の前にランナーをためて回す展開を作れず、鹿実ナインに焦りが見え始める。
それでも、V候補の名に懸けて、終盤に鹿実が反撃体制を強める。7回にも、8番薗田、1番宮下のコンビがヒットを放って、チャンスを作ると、2番福山のラッキーな内野安打で1点を返し、2点差。ただ、続くチャンスでまたしても3番関が倒れてしまい、内之倉にチャンスで回らない。
じれったい展開が続き、2点差で迎えた8回表。しかし、ここで目の覚めるような一撃が西短のエース中島を襲う。ここまで慎重な攻めで無安打に抑えていた4番内之倉に対し、インサイドを強気に攻めた一球を主砲のバットがとらえると、打球はレフトスタンドへ一直線!アナウンサーが「白い炎」を称した弾丸ライナーの打球が突き刺さり、あっという間に1点差に詰め寄る。大会3本目となる、主砲のアーチで一気に試合はわからなくなった。
なおも攻め立てる鹿実。5番竹脇が動揺した中島から四球をもぎ取り、同点のランナーとして出塁する。だが、ここであまりにも痛いミスが。途中出場で6番に入っていた福元の犠打が小フライとなってしまい、1塁ランナーの竹脇も戻れずにゲッツー。試合巧者の西短がこの流れを逃すはずがなく、8回の得点は1点に終わった。
それでも鹿実は、中盤から立ち直った上園が5回以降を無失点に抑え、最終回へ。2アウトながらランナーを3塁へ進めると、打席にはここまで3安打の2番福山が入る。しかし、最後はインサイドから入ってくるカーブにタイミングを外されて、当たりそこないのファーストゴロに。西日本短大付が白熱の九州対決を制し、初勝利から一気に3勝を挙げて、4強へ駆け上がることとなった。
まとめ
西短は、その後、準決勝で優勝した天理に4-5と惜敗するも、この大会で天理・南(日本ハム)をKOした唯一のチームとなった。堅いディフェンスに、そつのない攻撃をプラスしたチームスタイルは強者相手でも自分たちの良さを見失わない強さを秘めていた。この2年後、5試合で失点わずか1という鉄腕・森尾を中心に、圧倒的なディフェンスを押し出し、西日本短大付は頂点を極めることとなる。
西日本短大付vs拓大紅陵 1992年夏 | 世界一の甲子園ブログ
天理vs西日本短大付 1990年夏 | 世界一の甲子園ブログ
大会No.1投手(1992年夏) 森尾和貴(西日本短大付) | 世界一の甲子園ブログ
1990年 全国高校野球選手権大会 西日本短大附VS鹿児島実業
一方、西日本短大付と対照的に、チームスタイルを変えていったのが鹿実である。この翌年も春8強、夏4強と、全国屈指の強打線で結果を残し続けたのだが、久保監督は打力重視の野球での限界を感じ取る。1994年にはライバルの樟南が全国準優勝を果たし、「鹿児島勢初の栄冠は自分たちが」という気持ちもあっただろう。1996年春、好投手・下窪(横浜)と主将・林川の黄金バッテリーを擁し、ディフェンス主体の野球を貫いた鹿実は、ついに念願の鹿児島県勢初優勝を飾ることとなる。


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