報徳学園vs浦和学院 2002年夏

2002年

執念が実ってついに優勝候補撃破!選抜の雪辱を果たす!

新チーム結成以来公式戦無敗で選抜の頂点にたった報徳学園。前年のチームでスタメンを2年生が7人占めたチームは、夏の兵庫大会で真田(巨人)が率いる選抜出場校の姫路工に競り負けて甲子園こそならなかったものの、全国で噂に上る好チームであった。

明治神宮大会ではエース大谷(ロッテ)以外の3投手がそれぞれ完投勝利を収めて頂点に立つという質量ともに豊富な投手陣、そして、下位まで強力な打線を擁し、戦力は充実の一途をたどる。選抜大会では日大三、広陵、浦和学院、福井商と強豪ばかりを相手に接戦を次々勝ち抜き、決勝では鳴門工を8-2と圧倒して28年ぶりの優勝を勝ち取った。

春季近畿大会で大谷高校に敗れ、公式戦の連勝こそ止まったが、夏の兵庫大会は貫禄の勝ち上がりで優勝。決勝では坂口(オリックスーヤクルト)のいた神戸国際大付を5-0と大谷の完封で下して、春夏連続出場を達成。大谷は選抜後にスランプになった時期もあったが、夏の兵庫大会ではきっちり復調し、西の横綱が1981年以来21年ぶりとなる全国制覇を狙いに甲子園へ乗り込んできた。

 

この報徳学園をどこが倒すのかと注目していたが、なんと初戦の相手が東の優勝候補・浦和学院。このカードが決まった時の組み合わせ会場のどよめき具合は記憶にないほどのものであった。

しかし、このカードは浦和学院にとっては本当に待ちに待ったものであった。話は前年の春までさかのぼる。

2001年の春、前年に続いて2年連続の甲子園出場を目指す浦和学院はエース大竹寛(広島―巨人)を擁し、充実の戦力を擁していた。大竹の実力は昨年甲子園で奪三振記録を作った坂本(ヤクルトー日本ハムー横浜―西武)に勝るとも劣らないほど。打線も前年の経験者を中心に強力で、春季関東大会で花咲徳栄が優勝していたが、「夏の代表は譲らん」と息巻いていた。

そんな折、兵庫の名門・報徳学園と練習試合をすることになった。当時の報徳学園はエース大谷をはじめスタメンの大半が2年生の若いチーム。浦和学院にすれば、いくら報徳とはいえ2年生主体のチームには負けないと思っていただろう。ところが…

しかし、結果はまさかのコールド負け。大竹は完膚なきまでに打ち込まれ、打線も大谷の前に完全に沈黙した・森監督は「なんだ!?このチームは?」と驚きを隠せなかった。その後、報徳学園は夏の兵庫大会で上述のように敗退して、甲子園出場を逃していたものの、森監督は「次の一年は必ず報徳学園を中心に回る」と対戦後からすでに報徳学園の研究を始めていた。

森監督の予想通り、代が変わると天下は報徳学園を中心に回り始める。浦和学院も好チームを従えて、甲子園に乗り込んだが、選抜ではベスト8で報徳と対戦し、逆転負け。6月の練習試合でも再び6回に大量失点で逆転負け。逆転の報徳をまざまざと見せつけられていた。

しかし、3度の敗戦を経て森監督の報徳学園対策はさらに磨きがかかっていた。エース大谷の高めにストレートの浮く悪い癖。セカンド、ライトなど右方向の守備が弱いこと。各打者のウィークポイント。約1年余りをかけて丸裸にしてきた。「次対戦すれば負けない」と腕を撫していたところに、いきなりの初戦激突。まさに願ってもない展開であった。

 

6回に気合の逆転、9回の集中打で王者を撃沈!

2002年夏1回戦

浦和学院

1 2 3 4 5 6 7 8 9
1 0 0 0 0 2 0 0 4 7
2 0 0 0 0 0 0 0 1 3

報徳学園

 

浦和学院  須永

報徳学園  大谷

 

焦点は両エースの打線が捕らえることができるかどうか。春から夏にかけてスクリューボールを覚えて投球の幅が広がった浦和学院・須永(日本ハム)。選抜でカーブを攻略されて敗れた左腕は新たな武器を手にしている。一方、大谷も最後の夏。MAX147キロのストレートを軸にした力強い投球は健在。選抜優勝のプレッシャーで春から一時期不調に陥ったこともあったが、夏の兵庫大会では復調してきた。

また、浦和学院のキーマンは4番の田爪。ヘッドスピードの速いスイングから快打を連発する。しかし、選抜の準々決勝では初回にファーストの守備で風に流されたフライを落球。以来練習で徹底してフライをとる練習を、特に風の強い日には積極的に行ってきた。

初回、浦和学院は先頭の大久保が真っすぐをいきなり左中間のはじき返すと、送って2アウトから4番田爪が右中間に先制タイムリー。立ち上がりの悪い大谷を捕らえていたが、徹底して真っすぐを狙っている感じが伝わってくる。

一方、浦和学院の須永も立ち上がりいきなり先頭の尾崎(日本ハム)に高めの真っすぐをバックスクリーンへ運ばれる。プロ注目の素質がありながら選抜は5試合で4安打に終わった男がいきなり意地を見せる。

その後、同じく選抜で不振だった2番の橋本が3ベース。暴投でホームインし、いきなり試合をひっくり返す。

しかし、2回以降はうって変わって投手戦となり、須永はスクリューをあまり使わず、選抜同様カーブとストレートでの組み立てで抑えていく(今思えば、スクリューを強調した情報戦の勝利だったのか…)。一方、大谷も立ち直ってからはアウトコースの真っすぐ中心に力で浦和学院の強力打線を封じ込んでいく。

試合が動いたのは、グラウンド整備後の6回表。6回は試合が変わる一つのポイントでもある。連打で1,3塁のチャンスを作ると強打の浦学がセーフティースクイズ。セカンドは一瞬躊躇してからホームを送球するもセーフとなる。さらに満塁となって9番滝沢はライトへ犠牲フライ。この回一気に逆転したが、報徳のウィークポイントの一つである右方向の守備を狙った攻撃でもあった。森監督はベンチで渾身のガッツポーズを見せていた。

その裏報徳も2アウトながら1,3塁と同点・逆転のチャンスを作り、バッターは大谷。選抜で高めに浮いたカーブを逆転タイムリーされた相手に須永は低めのカーブで空振りの三振。大谷の頭の中にはスクリューもあったかもしれないが、須永としては打たれた同じボールでやり返した。

須永の投球はますますさえわたり、1番の尾崎には3安打を許すが、そのほかの打者は手玉に取る。特に8回の裏は3者連続三振に切って取り、ランナーすら許さない。報徳の強力打線を翻弄した。

そして、9回浦和学院の徹底してきた真っすぐ狙いに疲れの見える大谷がついに捕まる。大久保の右中間への2塁打から始まり、田爪は高めの真っすぐを大根切りでタイムリースリーベース。5番内田も長打で続き、決定的な4点が入った。

その裏、報徳も6番石井の3塁打を含む3連打で選抜王者の意地を見せる。下位打線とはいえ、全く気の抜けない打者の並ぶ報徳打線が最後まで須永を苦しめる。しかし、ノーアウト2,3塁から2人を落ち着いて打ち取ると、最後の代打・秦の打球はこれも運命なのかファースト田爪へのフライに。まるで選抜のリプレーのような打球を田爪がキャッチして試合終了。浦和学院は4度目の対戦で念願の勝利をてにしたのだった。

まとめ
おそらく森監督の中では勝利への図式が出来上がっていたのではないだろうか。研究に研究を重ねたため、どこをどうすれば倒せるのかわかっていた。追うものの強さが出た試合であった。

一方、報徳学園は投打ともに実力は十分ながらわずかなスキ・癖・弱点をことごとく突かれて敗れてしまった。このチームになってからずっとトップを走り続けてきただけにメディアへの露出も増え、研究され追われる中での戦いが続き苦しかったはず。しかし、その中でも夏甲子園に帰ってきたのは立派であり、28年ぶりの選抜優勝は色あせることはない。見事に名門復活を果たしたたくましいチームであった。

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