清峰vs愛工大名電 2005年夏

2005年

初戦で起きた衝撃のジャイアントキリング

2005年の選抜大会を制し、春夏連覇を狙って愛知大会を圧倒的な強さで制した愛工大名電。その初戦の相手は春夏通じて初出場の長崎の公立校・清峰であった。大方の予想は名電有利の中で、戦いの火ぶたは静かに切って落とされた。

愛工大名電は前年選抜で準優勝、今春選抜で優勝とこの当時乗りに乗っていた。バント戦法に強打を絡めた攻撃で相手の守備陣をかく乱。2年生時から試合に出ていた佐々木、柴田(オリックス)、小島らがかき回し、4番には2年生の主砲・堂上直(中日)がどっかり座る。攻撃の多彩さとその迫力の前に選抜では神戸国際大付・大西(ソフトバンク)や神村学園・野上(西武)らのちにプロ入りする好投手もなすすべがなかった。

一方、投手陣は2年生時に選抜で決勝のマウンドを経験した斎賀がエースに成長。140キロ台の速球と低めに落ちるスライダーを外角低めに制球し、選抜では2試合連続完封を達成するなど安定感抜群の投球を見せた。また、2番手の右サイドハンド・十亀(西武)もシンカーを武器に試合終盤をきっちり締めることができ、連戦にも不安はない。

組み合わせ抽選では辻内(巨人)、平田(中日)を擁する大阪桐蔭や前年選抜の決勝で敗れた済美と同ブロックに入ったが、投攻守走の総合力と経験値で愛工大名電が頭一つに抜けているのではないかと思われた。

一方、清峰は北松南から校名を変更し、春夏通じて甲子園に初出場を果たした。公立校で練習環境が劣る中で、丸太を使用した独自のトレーニングを編み出すなど、着々と力をつけてきた。選手のメンタル面を指導する吉田監督と投手指導に長けた清水コーチの二人三脚での取り組みも相まって、このころには長崎でも上位の常連になっていた。

前年夏は決勝で佐世保実に惜敗したが、今年は好左腕・古川(オリックス)と小柄ながらパンチ力のある打線がかみ合って再び決勝に。決勝では瓊浦に8点のビハインドを背負いながら、打線が奮起して試合をひっくり返し、見事初の甲子園をつかみ取った。

 

しかし、初戦の相手は選抜優勝の愛工大名電。ビデオで名電のバントを見た吉田監督と清水コーチは「このクラスのバントをしてくるのか…」と頭を抱えざるをえなかった。

延長13回、エースの一打で決着!

2005年夏1回戦

清峰

10 11 12 13

愛工大名電

 

清峰     古川

愛工大名電  斎賀→十亀

試合は序盤は静かな立ち上がりとなった。清峰の古川は名電の各打者の特徴を徹底的に研究。また、バント攻撃に対してはフィールディングの苦手は古川に対して、「真正面のバント以外はバント処理に参加しなくていい」という思い切った戦法を取り、スタミナのロスを軽減した。

一方、序盤は落ち着いた投球を見せていた愛工大名電・斎賀だったが、5回2アウトから突然制球を乱し始める。9番古川、1番広滝、2番大石将と3者連続の四球。選抜以降、「目標を見失った」というエースのふとした気のゆるみが出たのか。ここで3番大石剛のショートゴロはなんと柴田のユニフォームに挟まってしまって送球できずに3塁ランナーがホームイン。清峰が貴重な先制点をもぎ取る。

しかし、先制されたことで目が覚めたか、名電打線も中盤に入って古川をとらえ始める。8番斎賀の死球に盗塁を絡めて、チャンスをつかむと、9番石黒もヒットでつなぐ。選抜ではやや不振だった下位打線の成長でチャンスをつかむと、1番佐々木は伝家の宝刀・スクイズを敢行。打球は古川の正面を突くも、ホームへ送球できずに名電が同点に追いつく。

これで波に乗りたい斎賀だったが、6回に入っても落ち着きを取り戻せない。5番木原の内野安打と6番佐々木伸の犠打エラーに暴投も絡んで1アウト2,3塁のチャンスをつかむと、8番野元の振り逃げの間に3塁ランナー木原がホームをついて勝ち越し点をもぎ取る。名電のお株を奪うような好走塁での勝ち越し点。もはや試合前の前評判など両チームも観客も頭から消え去っていた。

追いつきたい名電は7回からリリーフエースの十亀をマウンドへ。抜群のコントロールを武器に清峰打線の勢いを食い止める。すると、古川の球威に苦しんでいた打線が奮起。疲れの見える古川から粘り強く四球をもぎ取っていくと、2アウト満塁から打席には2番柴田。5回に不運な形で先制点を許した主将が意地の内野安打を放ち、名電が終盤に同点に追いつく。

以降は、古川と十亀の投げ合いとなるが、名電がやや押し気味の展開に。特に4番堂上直は古川のボールに対して逆方向への打撃できっちり対応し、3安打を放つ。だが、清峰バッテリーもスコアリングポジションにランナーを置かずに4番を迎え、名電打線を「線」にしないことに成功する。試合前の徹底した研究が名電打線の分厚い攻撃を前にしても平常心を失わせなかった。

すると、ピンチをしのぎ続けた清峰に勝ち越しの好機が訪れる。延長13回表、5番木原のヒットと6番佐々木伸の野選と好調な2人でチャンスを作ると、2アウト2,3塁で打席には8番投手の古川。名電バッテリーは「ここは決め球のシンカーは使わなくてもいいか」とストレートを選択するも、結果は凶と出た。古川は見事にとらえて打球はセンターへの勝ち越しの2点タイムリーとなり、清峰が大きな勝ち越し点をものにした。

最終回、なんとか反撃したい名電だったが、古川の球威は最後まで落ちず。落ち着いた投球で3人で退け、春の王者が1回戦で甲子園を後にした。

まとめ

清峰は見事な分析と古川の好投で選抜王者を撃破。とても初出場とは思えない内容で勝利をものにした。この勝利は全国でも自分たちはやれるという手ごたえをチーム全体に残したことだろう。続く2回戦では前年の選抜優勝投手・福井(広島)を攻略して済美も撃破。3回戦で大阪桐蔭に敗れたものの、翌年の選抜では木原、佐々木心、広滝など前年のメンバーが残り、好左腕・有迫を擁して準優勝。一躍強豪の仲間入りを果たした。

そして、2009年の選抜では剛腕・今村(広島)の快投で長崎県勢初優勝を達成。2005年から2009年までの5年間で13勝4敗と脅威の勝率を残した「清峰時代」の華々しい幕開けとなったのがこの試合であった。

 

一方、愛工大名電は夏も勝ち続けることの難しさを改めて痛感させられる試合となった。この2年間常にブラウン管の向こうに自分たちのプレーが映し出される状況で、相手に研究される難しさを乗り越えることができなかったか。バントという一つのスタイルで勝ち続けるのは情報化社会となった現代においては厳しいものがった。

そして、敗れたということは「このチームに勝つにはこうすればよい」という答えを全国にさらされるということでもある。2004年から2005年にかけてバント野球で一世を風靡した名電だったが、ここから再び全国でなかなか勝てない冬の時代を迎えることとなってしまう。

清峰-愛工大名電 柴田のユニにボールが – YouTube

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