2022年選手権準々決勝予想 大坂桐蔭vs下関国際

2022年

2022年選手権準々決勝

大坂桐蔭vs下関国際

51%    49%

〇6-3      旭川大高   〇5-0    富島

〇19-0    聖望学園   〇9-3 浜田

〇4-0   二松学舎大付

片や秋春と全国を制し、投打に豊富な戦力で史上3度目の春夏連覇を狙う近畿地区の王者。一方、昨年の選抜出場メンバーが多く残り、実力は高く評価されながらも、なかなか全国の舞台に届かなかった中国地区の雄。対照的な歩みをしてきた両チームが、準々決勝の舞台で相まみえることとなった。実力伯仲の好ゲームが予想される。

 

大坂桐蔭は先発ローテーション制を敷いており、順当ならばつぎは左腕・前田が先発してくるはずだ。左腕からの強烈なクロスファイヤーに切れ味抜群のスライダー、タイミングを狂わすチェンジアップと、さながらダイヤのエースに登場する「稲実の成宮鳴」の実写版だ。春の近畿大会決勝では立ち上がりを攻略されたが、その課題も夏の大会を見る限りは克服されている。前田が普通に投げれば、取れる得点は3点までになりそう、そう感じさせるほどの実力者だ。

対する下関国際としてはとにかく自慢の機動力を使って、前田のメンタリティーを崩したい。幸い、上位から下位まで満遍なく当たりが出ており、特に6番赤瀬・7番森が打率7割越えと絶好調だ。いくら前田が好投手とはいえ、甘いボールがくれば確実にとらえる力は下関国際の各打者陣は有している。塁上からのプレッシャーに加え、打席の立ち位置や狙い球など、すべての面において「仕掛け」をしていきたい。そうすれば、勝機は見えるはずだ。

 

一方、下関国際の強みはエース左腕・古賀が復調したことだろう。左打者の外に逃げるスライダーは切れ味抜群であり、大阪桐蔭の打者陣と言えどもそうそう簡単に打てるボールではない。1,2戦とも継投で戦っているが、投手のタイプを考えた場合、可能ならこの試合は古賀がいけるところまで投げた方がよいか。そのあたりの判断も坂原監督は慣れており、投手起用に迷いはないようにしたい。

対する大阪桐蔭打線は3回戦の二松学舎大付戦で左投手のカーブに対して苦労している場面が見受けられた。伝統的に左腕アレルギーがあるチームだが、次戦もまた好左腕が相手である。ただ、そうはいっても相手の四死球やミスに付け込んで点を取るうまさがあり、打ち崩せなくても勝てるのが今年のチームだ。好調の1番伊藤、3番松尾を中心に少しでも甘く入ればスタンドインさせるリスクは常に秘めている。

 

両左腕が万全の状態であれば、おそらく2~3点を争う好ゲームになるだろう。戦力的な選択肢はやや大阪桐蔭が多いが、その選択肢が出せずに終わる場合も十分にある。今大会の優勝争いを占う大一番。過去の甲子園でも幾度も名勝負が演じられた準々決勝で白熱のバトルが幕を開ける。

 

主なOB

大阪桐蔭…中村剛也(西武)、中田翔(巨人)、藤浪晋太郎(阪神)、森友哉(西武)、根尾昴(中日)

下関国際…宮崎敦次(ロッテ)

 

大坂  山口

春  6勝   4勝

夏  3勝   1勝

計     9勝     5勝

歴史のある両府県の戦いであり、昭和から平成にかけて数多くの名勝負が演じられた。

古くは、1963年の春夏の甲子園で下関商と明星が激突。選抜では2年生エース池永(西鉄)の快投で下関商が5-0と完勝し、そのまま勢いに乗って初優勝。再び相まみえた選手権決勝では池永の立ち上がりを攻めた明星が2-1で勝利し、悲願の優勝を手にした。

また、1985年も春夏連続でPL学園と宇部商が対戦。選抜では好左腕・田上が力投するも、PL学園が6-2で快勝。夏は不調の田上に代わってマウンドに上がった古谷が好投するも、清原(西武)の2ホームランで流れを引き戻したPL学園が9回裏に主将・松山(オリックス)のサヨナラ打で3度目の夏優勝を飾った。

選抜の方が対戦が多く、2008年の選抜では下関商が履正社に対して、9回表にソロホームラン2本で追いつくも、延長10回裏に下関商のセンターの落球で履正社がサヨナラ勝ち、これが履正社の記念すべき初勝利であった。

一方、翌年の2009年は南陽工とPL学園が対戦。PLのエース左腕・中野が9回無安打と好投するも、打線が南陽工の2年生エース岩本(阪神)を攻略できず、延長戦の末、2-1で南陽工が勝利した。

その他にも、2016年の履正社・寺島と高川学園・山野(ともにヤクルトで現在チームメイト)の投げ合いなど、数多くの名勝負が生まれてきた。今年はどんなドラマが待っているだろうか。

2022年選手権準々決勝予想 大坂桐蔭vs下関国際 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

南陽工vsPL学園 2009年選抜 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

思い出名勝負

1985年選手権決勝

宇部商

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 1 0 0 0 2 0 0 0 3
0 0 0 1 1 1 0 0 4

PL学園

 

宇部商   古谷

PL学園   桑田

 

KKコンビの最後の夏となった1985年選手権大会。絶対的な優勝候補を倒そうと幾多のチームが挑戦してきたが、その全てを跳ねのけて最強軍団は勝ち上がってきた。そして、最後の決勝戦、対峙する相手は選抜で対戦経験があり、両メンバーの親交も深い宇部商であった。

 

PL学園は桑田(巨人)、清原(西武)のKKコンビを中心に5季連続の甲子園出場であり、それまでは優勝1回、準優勝2回、ベスト4が1回。はたから見れば、うらやましい限りの成績だが、1年夏を最後に優勝から遠ざかり、選抜では伊野商・渡辺(西武)の快速球の前に3-1と完敗を喫した。悔しさをばねにスター選手が努力を重ね、課題と言われた笹岡-安本の二遊間の守備力も見違えるほどよくなってきていた。

甲子園では初戦で史上初となる毎回得点を記録して東海大山形に29-7と圧勝する衝撃のスタート。準々決勝では選抜でPLが敗れた伊野商を高知大会決勝で下した高知商だったが、これも6-3と力強く下した。KKコンビのアベックホームランが注目されたが、高知商のエース中山(大洋)を打ち崩した集中打は2人以外のメンバーによるものであった。全員が主役を張れるスター集団が満を持して決勝まで勝ち上がってきた。

 

一方の宇部商は玉国監督のもとで年々力を蓄え、今年のチームは春夏連続出場を達成。選抜ではPL学園に惜敗したが、終盤まで1点差で食らいついており、エース左腕・田上を強力打線が支えるチームに監督も手ごたえを感じていた。選手権では初戦で優勝候補の銚子商を8-3と一蹴。3回戦では藤井に2本のホームランが飛び出し、3試合連続8得点と打線は好調を維持していた。

ところが、この3回戦でエース田上が終盤に打ち込まれると、不調の迷路に陥ってしまう。準々決勝の鹿児島商工戦、準決勝の東海大甲府戦と終盤の打線の奮起でともに逆転勝ちを収めたが、田上はKOされてしまった。決勝戦を前に玉国監督は好リリーフを見せていた右腕・古谷の先発を選択。勝つための選択であったが、「一心野球」の宇部商に合って田上は複雑な気持ちで試合に入ることとなった。

 

宇部商としては、PLが苦手とする「スライダー、シュートで内外角を広く使って出し入れする」タイプの古谷の先発は、間違ってはいなかっただろう。前年の選抜決勝でPL打線を1安打完封した岩倉の山口(阪神)がまさにそんなタイプの投手であった。初回いきなりレフトを守る田上のところに打球が飛ぶが、これを田上がジャンピングキャッチすると、勢いに乗って3回まで無失点ピッチングを展開する。

一方、PLの先発は文句なしに桑田真澄。ここまで甲子園通算19勝の男は、最後の夏の栄冠に向けて徹底した走り込みを続けてきた。ただそんなエースをもってしても決勝の前は疲労困憊。チームメイトに「3点までに抑えるから4点取ってくれ」と懇願するほどであった。

そんな桑田に対し、2回表、先制点を取ったのは宇部商だった。ここまで大会を通じて4ホームランと個人最多となるホームランを放っていた4番藤井を歩かせると、積極野球の玉国監督は続く5番田上の打席で初球スチールを敢行。これがまんまと決まり、スコアリングポジションにランナーを進めると、5番田上のセカンドゴロと6番福島の犠飛で1点を先制する。

疲れの見える桑田に対し、なんとか援護点をもたらしたいPL学園。しかし、前半3回は上述したような古谷の持ち味を活かした投球で突破口を開けない。

嫌な流れの中、迎えた4回裏、PLの主砲・清原がバッターボックスに立つ。直近3大会は、前半戦はよく打ちながらも、大会が進むにつれて調子を落とすことが多かった。しかし、この大会では準々決勝で高知商・中山の148キロのインハイ速球をレフト最上段に打ち込むと、前日の準決勝でも2発。現在4ホームランに藤井に対して、桑田に「藤井にだけは打たすな」と言っていたこともあり、抜き返す気は満々だ。

対する古谷も臆する様子は全くない。「逃げたら負ける」という鉄則の元、清原のインサイドをシュートでえぐりに行く。ところが、これまで「弱点はインサイド」と言われ、徹底的に練習してきた怪物はこのボールを完ぺきにはじき返す。打球はピンポン玉のように飛んで、レフトスタンドへ飛び込み、PLがあっという間に同点に追いつく。

追いついたPLは5回裏にも大会中に不調でスタメンを外れていた代打・今岡の2塁打でチャンスメークすると、1番内匠(近鉄)がシャープにセンターに打ち返して勝ち越し点を得る。熾烈なレギュラー争いで鍛え上げられたPLナイン。彼らにとって一番怖いのは対戦相手より、試合出場機会を奪われる味方チームのライバルである。

しかし、これまで数々の逆転劇を見せてきた宇部商ナインも一歩も引かない。逆転された直後の6回表、ランナーを1塁において打席には4番藤井。桑田のアウトコースのストレートをものすごいスイングでとらえると、打球はセンター内匠の頭をはるかに超えるタイム利3塁打となって宇部商が同点に追いつく。風がなければあるいはホームランかという凄い当たりであった。続く5番田上がきっちり犠飛を放ち、宇部商が逆転に成功する。

エース桑田が疲労から苦しい投球になり、なかなかいつものペースに持ち込めないPL学園。そんな状況の6回裏、この日3度目の打席に「打」の怪物が降り立つ。

先ほどホームランを打たれた宇部商バッテリーとしてはアウトコース勝負にいかざるをえないか。しかし、古谷の力みの入ったボールがやや真ん中高めに入ると、再び怪物のバットがボールを一閃。打った瞬間に古谷が膝に手を突くほどの完ぺきな打球は左中間最深部に弾み、PLが再び同点に追いつく。これで準々決勝からの3試合で5ホームラン。大会記録を更新してしまった。まさに「甲子園は清原のためにあるのか!」である。

その後は両先発が一歩も引かない投球を展開。古谷が清原には打たれてもなお、果敢にインコースを攻める投球を見せれば、桑田は球威は落ちていようとも、抜群のコントロールで強打・宇部商を封じ込める。互いに死力を尽くした試合は、いよいよ最終回に突入した。

9回の宇部商の攻撃を桑田が併殺でしのぐと、その裏2アウトからドラマは待っていた。2番安本が四球で出塁。3番松山の打席でカウント2-1と追い込まれながら、1塁ランナーの安本が盗塁を成功させ、一打サヨナラの場面が出来上がる。ネクストバッターズサークルには清原がおり、その後ろにも強打者・黒木が控える。PL打線に息つく場所があろうはずもない。宇部商バッテリーは勝負を選択。

一方の松山は桑田・清原というタイプの違う2大スターを抱えたチームで1年間主将の重責を果たしてきた。打席でがちがちになっていたところをネクストの清原に声をかけられる。落ち着きを取り戻したキャプテンが、外角の速球をとらえると、これぞPLの打撃とばかりに打球は右方向へライナーで転がっていく。懸命に追いつこうとするセンター藤井の横を通過した打球がフェンスに到着する頃には、サヨナラの歓喜の輪が広がっていた。

劇的なサヨナラ勝ちでの3度目の夏全国制覇。5季連続出場を果たした、史上最高のチームが悲願だった頂に立ち、1985年の夏は幕を閉じた。

 

PL学園は最強の戦力を有して有終の美を飾ったが、PLの強さの秘訣は強制ではなく、豊富な自主練習に合った。凄まじい緊張感の全体練習が終わると、各自が考えた練習で自分を追い込み、自らの課題と向き合っていた。厳しい寮生活がとかく注目されがちだが、彼らが見つけた答えはあくまで「強制の中の自主性」であった。プロ野球で多くのOBが活躍したのも納得である。

休部にはなってしまったが、大阪桐蔭の西谷監督をはじめ、多くの選手・指導者の中に「王者PL」の姿は今の根付いている。野球が存在する限り、彼らの強さは永遠に語り継がれていくことだろう。

 

一方、敗れた宇部商は先発できなかった田上が試合後に号泣してしまったが、宇部商ナインにとって最高の夏になったのは間違いないだろう。その後も、何度も甲子園に出場してきた宇部商だが、優勝経験はないとはいえ、与えたインパクトは優勝校に引けを取らないものがあった。

特に大事な場面で飛び出すホームランは宇部商の代名詞。1985年夏の帝京戦の逆転サヨナラ2ランや、1988年選抜の中京戦で飛び出した完全試合を奈落に突き落とす逆転2ラン、同じく1988年の夏に代打の1年生宮内が放った東海大甲府戦の最終回の逆転3ランと、数えだしたらきりがないほどの衝撃的なホームランが飛び出した。高校野球の歴史を振り返っても、こんなチームは宇部商だけだろう。それだけ玉国監督の築き上げた宇部商というチームは魅力的であった。

2009年選抜を最後に聖地から遠ざかっているが、カムバックを待ち望む高校野球ファンは覆うはずだ。

PL学園vs宇部商【第67回甲子園】1985年 – YouTube

大会No.1投手(1985年夏) 桑田真澄(PL学園) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

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