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1975年

大会No.1投手(1975年夏) 小川淳司(習志野)

1975年の夏に習志野に2度目の栄冠をもたらしたのが、のちにヤクルトの監督を務めることとなる小川淳司であった。8年前の夏に同じく習志野で優勝投手となった石井好博が青年監督となり、厳しい指導でチームを率いていた。小川と好捕手・神子のバ...
1976年

大会N0.1投手(1976年選抜) 黒田真二(崇徳)

第48回大会で初出場初優勝を飾った崇徳。その絶対的エースとして君臨したのが黒田真二(ヤクルト)だった。初戦の高松商戦こそ8失点と苦しんだが、2回戦では初戦で無安打無得点試合を達成した鉾田一の戸田との投手戦を9回逆転勝ちで制し、波に乗...
1976年

大会N0.1投手(1976年夏) 酒井圭一(海星)

長崎県で唯一優勝投手となったのは清峰の今村猛(広島)だが、長崎県史上最高の投手と言えば、海星の「サッシー」こと酒井圭一(ヤクルト)を思い出す人が多いのではないだろうか。ネス湖の怪物「ネッシー」にあやかってニックネームをつけられた怪物...
1977年

大会No.1投手(1977年選抜) 山口哲治(智辯学園)

通算勝利数1位の高嶋監督が智辯学園の監督だった時代に甲子園4強へと導いたのが智辯学園の剛腕・山口哲治だった。8強入りした前年の選抜に続き、2年連続で出場した第49回大会では初戦から土浦日大、銚子商、早稲田実と関東勢を3タテ。140キ...
1977年

大会No.1投手(1977年夏) 松本正志(東洋大姫路)

大会No.1の剛球左腕として登場した東洋大姫路・松本正志(阪急)。2年生の選抜でも4強入りを果たしていたが、さらにスケールアップして帰ってきた。140キロ台の球威のあるストレートにカーブを織り交ぜ、初戦から準決勝までの4試合で失点は...
1978年

大会No.1投手(1978年選抜) 木暮洋(桐生)

選抜で2度の準優勝の経験を持つ群馬の伝統校・桐生を11年ぶりに甲子園に復活させたのが、大型左腕・木暮洋だった。4番阿久沢毅とともに投打の柱としてチームを牽引。がっちりした体格から繰り出す重みのあるストレートを武器に好投を見せた。 ...
1978年

大会No.1投手(1978年夏) 森浩二(高知商)

1970年代後半から1980年代後半にかけて好投手を数多く輩出し、出場すればほぼベスト8近くまで勝ち上がるという黄金時代を築いた高知商。その流れの先鋒を切ったのが1978年夏の2年生エース森浩二(阪急)だった。決勝でPL学園に逆転サ...
1979年

大会No.1投手(1979年選抜) 牛島和彦(浪商)

春夏計4度の優勝経験がありながら、強豪ひしめく大阪でなかなか出場の機会に恵まれなかった浪商。その名門校を久々に甲子園へ導いたのが牛島(ロッテ)-香川(南海)の黄金バッテリーであった。140キロ台の速球にスライダー、カーブ、フォーク、...
1979年

大会No.1投手(1979年夏) 石井毅(箕島)

箕島の黄金時代を支えたサブマリン・石井毅(西武)。嶋田(阪神)とのバッテリーで春夏合わせて4季連続の甲子園出場を果たし、計14勝をマーク。最終学年では史上3校目にして、公立校では唯一となる春夏連覇を成し遂げた。特に、夏の星稜との3回...
1980年

大会No.1投手(1980年選抜) 中西清起(高知商)

高校球界屈指の名門・高知商に唯一の栄冠をもたらしたのが球道くんの愛称で親しまれたエース中西清起(阪神)であった。長身から繰り出す剛球とキレのあるカーブを武器に5試合で一人で投げ抜き、失点はわずか5。決勝では帝京のエース伊東(ヤクルト...
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