PL学園vs金足農 1984年夏

1984年

王者を追い詰めた雑草軍団

前年夏、1年生の清原、桑田(ともに巨人)、いわゆるKKコンビを擁して5年ぶりに2度目の選手権制覇を果たしたPL学園。同年選抜では岩倉・山口(阪神)に完封されて惜しくも準優勝に終わったが、この夏も当然優勝候補の筆頭であった。そのPL学園の前に準決勝で立ちはだかったのが、秋田の「雑草軍団」こと金足農であった。

大会No.1投手(1984年夏) 水沢博文(金足農) | 世界一の甲子園 ...

金足農は名将・嶋崎監督の厳しい指導の下、年々力をつけ、1984年にその努力が花開いた。エース水沢と捕手・長谷川という打撃でも主軸を担うバッテリーを中心に堅い守りでリズムを作り、スクイズなど犠打を多用した野球で得点を重ねる。昭和時代の王道とも言える野球で結果を残し、選抜でも優勝した岩倉に善戦していた。

迎えた夏も連続出場を果たすと、1回戦は名門・広島商に6-3と完勝。同じく犠打を多用する野球をするチームであったが、相手のお株を奪う攻撃で会心の勝利をつかんだ。この勝利で勢いに乗った金足農は、別府商・唐津商と九州勢に連続で競り勝つ。勝つたびに自信をつかんだチームは、準々決勝で新潟南との雪国対決も6-0と圧倒。15安打を放った打線とエース水沢の投球がかみ合い、力強く4強まで勝ち上がってきた。

大会No.1投手(1984年夏) 水沢博文(金足農) | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

一方、PL学園は清原・桑田という投打の2年生の柱を擁していたが、チームの要を務めるのはやはり3年生であった。捕手として主将としてチームを牽引した清水孝を中心にセンターラインの守りは強固。特に旗手-松本の二遊間の守りは絶品であり、2年生エースを支える。打線も清水哲、松本、北口など中軸の桑田・清旗の周りを固める3年生打者がとにかくしぶとい。3番鈴木は清原と並んで長打力を誇る強打者であり、今年もPL打線の破壊力は凄まじいものがあった。

夏は初戦で享栄との強豪校対決となったが、この試合を清原の3ホームランなど14得点で大勝。桑田も快速球を武器に、享栄打線にほとんどチャンスを与えず、憎らしいほどの強さを見せた。続く2,3回戦も9-1と大勝。3回戦は都城との選抜再戦であったが、左腕・田口(南海)をノックアウトし、注目の好カードを大差でものにした。

しかし、そんなPLだったが、準々決勝では松山商の左腕・酒井(日本ハム)の巧みな投球の前に苦戦する。初回に先制点を奪われると、3回戦まで見せた強打が鳴りを潜める。2-1と逆転勝ちを収めたが、選抜と同様、大会後半に打線が湿る展開が危惧されていた。

蘇った「逆転のPL」

1984年夏準決勝

金足農

1 2 3 4 5 6 7 8 9
1 0 0 0 0 0 1 0 0 2
0 0 0 0 0 1 0 2 × 3

PL学園

 

金足農   水沢

PL学園   桑田

試合は当然、両エースの先発で幕を開ける。1回表、金足農は1アウトから2番大山の投手強襲の当たりを桑田がはじき、チャンスを迎える。フィールディングのいい桑田にしては珍しいプレーだ。当然、嶋崎監督は犠打でチャンスを広げると、ここで4番捕手の長谷川が打席へ。桑田のカーブをとらえた打球はショート旗手の手前で大きくバウンドが変化し、レフトへ抜ける間に大山はホームイン。金足農が大きな先制点を手にする。

このリードを金足農・水沢が素晴らしい投球で守り抜く。スライダーとシュートを駆使し、ストライクゾーンの横幅いっぱいを使った攻めでPL打線を封じ込む。後年、中村順司監督が、「PLの苦手なタイプな岩倉・山口のように内外のスライダーの出し入れで勝負する投手」と発言していたように、水沢もこの例にもれずPL打線を封じ込んでいく。4番清原に対しては徹底したインコース攻めで無安打に抑え、打線全体でも5回までわずか1安打。3回戦までの強打が嘘のような沈黙ぶりである。

一方、桑田もさすがのピッチングを見せ、2回以降は金足農打線に得点を与えない。高校時代最も球速が速かったと言われる2年夏の快速球はアウトローに突き刺さり、右打者をのけぞらせるカーブとのコンビネーションで金足農打線を封じる。

両投手のテンポのいい投球もあって試合は早いペースで進んでいく。戦前の予想に反し、5回を終わって金足農が1-0とリード。球場全体にどこか波乱の予感が漂い始めていた。

しかし、グランド整備を挟んで迎えた6回、試合が動く。PLは3番鈴木にとっておきの代打・清水哲を送る。名将・中村監督もこことばかりにカードを切ると、その清水哲がカーブをとらえて三遊間を破る。1アウト後に桑田の内野ゴロが失策を誘って1,2塁となると、ここで打席には6番北口。再三、内角を攻めていた金足農バッテリーだったが、北口はスライダーが甘く入るのを逃さず、ライト線に運び、PLが同点に追いつく。捕手・長谷川も「さすがPL。嫌な打順に嫌な打者がいる」と舌を巻く。

同点に追いつかれた金足農だが、この日は野球の神様に愛されているような、ツキを感じる。1アウトから四球のランナーをエンドランで進めると、7番原田の投手返しの当たりがまたも桑田のグラブをはじいてレフトへ転々と転がる。スピードが緩い分、2塁ランナーの鈴木は悠々生還し、金足農が勝ち越し。試合のほとんどの時間帯が金足農リードで進んでいく。

ただ、1978年の代逆転優勝をはじめとして数々の逆転劇を演じてきたPLである。水沢-長谷川もプレッシャーは感じていただろう。8回裏、運命のイニングが金足農バッテリーに降りかかる。

この回、PLは1アウトから4番清原が四球で出塁、ここまでは金足農としても想定内である。続く5番桑田に対し、バッテリーは細心の注意を払っていたはずだったが、2球目のカーブが魅入られたように甘く入る。これを桑田のバットが一閃。打球は高々と舞い上がってレフトポールを巻く逆転2ランとなり、PLが土壇場で試合をひっくり返した。金足農としては悔やんでも悔やみきれない一球であった。

自ら逆転弾を放った桑田は9回を快調なピッチングで3者凡退に封じ、試合終了。PLが苦しい試合をものにし、2年連続の決勝進出を果たした。

 

PLとしては試合開始からずっと苦しい時間帯が続いていたが、チームとしての底力を感じさせる試合でもあった。特に、相手の失投を一球で仕留めた桑田の打撃は見事のひところ。高校時代、「清原より桑田の方が怖い」と言われていたように、2年生までは大事な場面で貴重な一打を放っていたのはむしろ桑田の方であった。

しかし、決勝では指の皮が剥けた影響で取手二打線に捕まり、延長10回を8失点で敗退。強力な2年生の投打の柱を擁するチームを、3年生主体の金足農や取手二が苦しめた戦いは甲子園のファンを感動させた。ただ、一部では桑田-清原のいたこの3年間で最も強かったのは、春夏準優勝ながら、センターラインを中心にディフェンスの安定していた1984年のチームではと言われている。清原、桑田を支えながら、彼らに負けない働きを見せたPLの3年生たちの活躍もまた見事であった。

一方、金足農は敗退したものの、嶋崎監督をはじめナインは清々しい表情で甲子園を後にした。秋田勢として久々の4強入りを果たし、最強チームPLを苦しめた戦いぶりは、彼らの歩んできた道が間違っていないことを示していた。PL・中村監督も「うちの守備のリズムを崩した金足農の攻撃は見事」と賛辞を惜しまなかった。

1995年にも8強入りを果たすなど、その後も雑草魂の強さを見せ続けた金足農。この年から34年後、エース吉田輝(日本ハム)を中心として秋田勢として第1回大会以来となる決勝進出を果たすのだが、この年のチームも犠打に強打を絡めるオールドスタイルの野球で甲子園を沸かせた。昭和からの高校野球ファンにとっては、どこか懐かしさを感じさせるチームだったのではないだろうか。

 

第66回(1984年)全国高校野球選手権大会 準決勝 PL学園 対 金足農 1/4 – YouTube

第66回(1984年)全国高校野球選手権大会 準決勝 PL学園 対 金足農 2/4 – YouTube

第66回(1984年)全国高校野球選手権大会 準決勝 PL学園 対 金足農 3/4 – YouTube

第66回(1984年)全国高校野球選手権大会 準決勝 PL学園 対 金足農 4/4 – YouTube

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