日大三vs横浜 2001年夏

2001年

準決勝で実現した関東頂上決戦

2001年夏は選抜優勝の常総学院や春季関東大会優勝の花咲徳栄、好投手・佐々木を擁する習志野など関東勢が非常に好調な大会であった。その中においても4番原島を中心に強力打線で他を圧倒した日大三と緻密な野球とそれを体現できる野球脳の高さを持ち合わせた横浜の2校は別格の強さを見せつけ、ともに4強に名乗りを挙げた。

そして、準決勝の第二試合でまさに関東の王者はどちらかを決する、運命の試合が幕を開けた。

日大三は前年にエース栗山ら経験者を多くそろえたチームで春夏ともに甲子園を逃していた。危機感を抱いたチームは自慢の打撃にさらに磨きをかけ、秋の東京大会を圧倒的な強さで制覇。1番都築(中日)、3番内田(ヤクルト)、4番原島らが形成する打線の破壊力はすさまじく選抜の初戦ではのちにプロでも活躍した姫路工・真田(巨人)を滅多打ち。大会でも屈指に実力を誇る右腕を打ち崩した打線に小倉監督も驚きを隠せなかった。

 

しかし、2回戦では神宮王者の東福岡を相手に試合中盤にミスを連発。特に、セカンドの都築は3エラーで自信喪失しかけていた。だが、ミスがなければ互角の展開だったと逆に自信を深めた小倉監督都築を中心にナインを鍛えなおし、西東京大会をほとんどコールドで勝利。近藤(ヤクルト)、千葉(横浜)とタイプの異なる右腕二人を擁する投手力にも自信を持ち、堂々甲子園に乗り込んできた。

 

その甲子園では4番原島が初戦から3戦連発するなど他校の投手陣を圧倒。樟南・川畑、花咲徳栄・宮崎、日本航空・八木(日本ハム)と標準以上の好投手を打ち崩した。前年に智辯和歌山は甘くはいればスタンドに放り込まれる怖さがあったが、この年の日大三には多少いいコースに投げても打ち返され、打線が止まらない別の意味でも恐怖が刷り込まれた。準々決勝でも明豊の好投手3人を打ち込み、向かうところ敵なしでベスト4へ名乗りを挙げた。

一方、横浜は前年夏の8強入りしたメンバーが複数残り、当時は松坂フィーバーの余韻もまだ冷めやらぬ時期であった。そのため、横浜のユニフォームを見ただけで委縮し、力を出し切れないチームも数多くあったほどだ。渡辺監督の指導と小倉コーチの緻密なデータ取り、そして各選手の野球に対する造詣の深さは高校球界でもトップクラスだっただろう。23年ぶりに1年生で1番を務める荒波(横浜)を筆頭に大河原杉浦松浦ら前年の経験者を残し、畠山福井の2年生左腕2人で形成する投手陣も強力であった。

 

しかし、そんな横浜の足元を脅かすチームも確実に育ってきていた。それが、新鋭の桐光学園。のちに松井裕樹(楽天)ら名選手を輩出する同校もこの年の選抜が初出場だったが、スラッガー石井天野黒木藤崎と好選手を擁し、強力打線を形成していた。神奈川大会決勝では両チームが激突し、先制した1回裏に横浜は2本の3ランを食らう。しかし、横浜らしく徐々に追い上げ、2番手の左腕・福井も好投。10-7と強敵を下し、2年連続の夏切符をつかんだ。

 

迎えた本戦はまずエース畠山の好投で開星を10-1と圧倒。3回戦は初戦で選抜王者の常総学院を下した秀岳館を5-0と寄せ付けなかった。初戦で常総の振りの鋭さに恐れおののいた秀岳館ナインは3回戦で対戦した横浜の選手がまるで次に来るボールがわかっているかのように打つ姿に別の強さを感じ取っていた。そして、準々決勝は大会最速の154キロを記録した日南学園・寺原(ダイエー)を攻めつけ、4-2で勝利。エース畠山の安定感が光り、盤石の内容で準決勝へと進出してきた。

最終回に二転三転の死闘を制し、日大三が初優勝に弾み

2001年夏準決勝

横浜

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 0 0 1 0 0 0 0 2 6
3 0 0 1 0 0 0 1 7

日大三

 

横浜   福井→畠山

日大三  近藤

さて、同じ関東でしのぎを削る両校は毎年練習試合をする間柄だったが、この年は天候不順もあって練習試合を組むことができなかった。日大三にとってはある意味、横浜野球の不気味さを感じずに試合に臨むことができたと言えるかもしれない。ただ、日大三にとっては大会に入ってからいまいち調子に波のあるエース近藤の出来が気がかりであった。

 

一方、横浜は前の試合で日南学園の強力打線をわずか2安打に抑えた畠山がこの日は疲労のためか登板を回避。神奈川大会決勝で好投を見せた2年生左腕の福井の出来に運命を託すしかなかった。さらにこの日は昨夏甲子園でホームランも放っていたものの、大会に入ってから不振に陥った4番松浦を外す荒療治も敢行。飛車角落ちの状況で日大三との試合に臨むこととなった。

 

2年生左腕・福井はスクリューを武器に神奈川県大会ではエース畠山と同数のイニングを投げた実績を持つ。しかし、準決勝の大舞台でいきなり日大三打線を相手にするのは酷というもの。初回、1番都築のヒットを足掛かりに日大三は無視1,3塁のチャンスをつかむと、3番内田が強烈なタイムリーを放って1点先制。さらに、勝負強い5番齋藤のタイムリーに横浜のミスも絡んで一挙3点を先制する。

 

反撃したい横浜打線は2回表に5番田仲のセンター前タイムリーで1点を返すが、この日の横浜は守備からリズムが作れない。4回裏、8番諸角のヒットとエラーで2人のランナーをためると、1番都築のレフトへの痛烈な打球を北村が後逸。打者走者の都築まで生還し、一気に3点が加わる。この後、得点にこそつながらなかったものの、2番野崎からの3連打で満塁のチャンスも築き、日大三の「打」の圧力が横浜守備陣にのしかかる。

 

しかし、通常のチームならこのままずるずると崩れていくが、横浜は何とか踏ん張る。5回表に1番荒波の内野ゴロの間に1点を返すと、序盤から好調だった日大三のエース近藤を徐々にとらえ始める。7回裏には得点圏に2人のランナーを置いて、1番荒波が1,2塁間を痛烈に破る1点タイムリーを放ち、点差は2点。あの明徳義塾戦の逆転劇を思い起させる粘りに、球場のムードもだんだん横浜を後押しするような空気が出てきた。

 

そして、2点差で迎えた9回表、1アウトから8番福井が疲れの見える近藤から四球を選ぶと、打席にはここまで不振でスタメンを外れた松浦が打席に向かう。昨年夏から4番を務めた男は渡辺監督の「お前は打てる」の言葉に奮起し、高めカーブを痛烈に引っ張る。打球は、打った瞬間ホームランかと見間違うほどの当たり。台風の影響で打球は風に押し戻されたが、球場のムードを一変させる3塁打となり、1点差でなお1アウト3塁とする。

 

チームを支えてきた主砲に会心の当たりが飛び出し、続くは1年生の1番荒波。動揺する近藤を見透かしたように、甘く入ったボールを完ぺきにとらえ、右中間を破る3塁打でついに横浜が同点に追いつく。完全に自分たちのペースで試合を進めていた日大三にとっては、自分たちの半分ほどのヒット数ながら、着実に追いついてきた横浜の怖さを身をもって知っただろう。

 

さらに1アウト3塁で勝ち越しのチャンス。だが、9回から疲労困憊のエース畠山がマウンドに上がることがわかっていた横浜に焦りが出たか、2番円谷のスクイズは小フライで併殺となり、一気にチャンスは消失する。横浜が勝利するにはここで一歩前に出るしかなかっただろう。

 

その裏、試合の結末はあっけなくやってきた。肘の違和感を抱えるエース畠山に対して、代打・菊村が2塁打で出塁。さらに、7番幸内のバントが野選となって無死1.3塁とチャンスが広がる。ここで打席には近藤を支えてきた女房役の諸角。前日までのキレがない畠山のボールを痛烈に右に引っ張ると打球はライトの前に弾み、試合終了した。

 

すべての戦力・戦略を使い果たした横浜ナインの姿と、その横浜の野球に苦しみながらも打ち勝った日大三ナインの姿が残酷なコントラストをグラウンドに映し出していた。

まとめ

日大三にとっては、優勝を狙うためには避けては通れない相手に対して、持ち前の打力で打ち勝ったことは、これ以上ないほどの大きな自信を与えたことだろう。また、前述したように練習試合をしていなかったため、横浜の緻密で粘り強い野球の怖さを体感したタイミングが試合の最終盤だったことも功を奏したか。中盤までのびのびと打ちまくる日大三らしい野球で横浜を圧倒した。

これで波に乗った日大三ナインは決勝で近江の3人の好投手から10安打を放ち、夏の甲子園初優勝を達成。パワフルな荒々しい野球で21世紀最初の頂点に輝いた。

 

一方、横浜にとっては中心選手の怪我や不振もある中で、死力を尽くしての戦いとなったが、最後は力尽きてしまった。しかし、逆に言えば、それだけのビハインドを背負っても優勝校の日大三に食らいつける強さがあったということ。この時代に横浜は負けてなお強しと、畏怖や尊敬の念を感じさせる強さがあった。この年の事実上の決勝と言われた激闘を戦い抜いて去っていく横浜ナインに万雷の拍手が降り注いだ。

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