主将のアクシデントを乗り越え、機動力野球でつかみ取った栄冠
1993年の選手権は、非常に天候に悩まされた大会であった。雨天による順延が続き、2回戦では鹿児島商工と堀越の試合が、雨天コールドにより8回で終了。堀越は最終イニングまで戦うことなく、甲子園を後にした。そして、その勝者の鹿児島商工は3回戦でV候補筆頭の常総学院を相手に4-0と試合をリードしながら、今度は雨天ノーゲームに。再試合で0-1と惜敗し、まさに雨に笑って雨に泣いた大会となった。
また、この年は予選から非常に波乱が多く、大阪府予選では選抜優勝の上宮が近大付属に準決勝で5-14とまさかのコールド敗退。また、選抜準優勝の大宮東も同じく準決勝で強豪・浦和学院に4-6と惜敗し、連続出場の夢を断たれた。選抜8強のうち、夏も甲子園に帰ってこれたのは、鹿児島商工、長崎日大の2校のみ。春以降、がらりと勢力図が入れ替わった印象であった。
波乱が多かった予選を経て、本戦が始まると関東勢が好調を維持。2回戦では常総学院と近大付の東西V候補対決が実現したが、木内監督のしたたかな野球で、金城(横浜)-藤井(近鉄)の2年生バッテリーを中心にパワーのある近大付をうまくかわし、4-1と快勝を収めた。ベスト8には、この常総学院をはじめとして、高橋尚(巨人)がエースの修徳、2年生左腕・小笠原(中日)を擁する市立船橋、そして、今回focusする春日部共栄と実に4校が名乗りを上げた。
そんな関東大会の様相を呈していた大会だったが、決勝戦の顔合わせは、育英と春日部共栄の2校となった。大会前の下馬評は決して高くなかったものの、勝ち上がるごとに強さを増してきた両チーム。ともに初優勝をかけて、ぶつかることとなった。

育英は前年選抜で、上宮の不祥事があって代替出場を果たし、ディフェンディングチャンピオンの広陵を下して8強に進出。2年前に好投手・戎(オリックス)を擁して夏の出場を果たしていたとはいえ、日下監督にとっては、この棚ぼたとも言える選抜での経験が大きかった。当時2年生だった大村(近鉄)を中心に野手は粒ぞろいであり、攻撃力には自信があった。ただ、投手陣は故障を抱えていた背番号1の井上を中心に酒谷、松本と3人の右腕による継投で賄っていたが、柱となる存在はおらず、ディフェンス面ではやや不安を抱えていたのが、現状であった。
しかし、大会が始まると育英の攻撃陣が爆発する。それも打棒が覚醒したという意味ではなく、攻撃スタイルが変貌したのだ。県大会まではどちらかというと手堅いスタイルが売りだった日下監督が、甲子園では初戦からガンガン盗塁を仕掛けていく。犠打ももちろん絡めるのだが、勝負所で敢行する盗塁やスクイズ、エンドランがことごとくはまり、この作戦に、大村を中心としたミートのうまい打者陣がこたえていった。
初戦で秋田経法大付・小野(巨人)を攻略して14-4と大勝をおさめると、その後も横浜商大・福田、修徳・高橋、市立船橋・小笠原と好投手を立て続けに攻略。育英の機動力に神経をすり減らし、ランナーがたまったところで、痛打を浴びるパターンで難敵をことごとく退けてきた。また、投げては日下監督の継投策がはまり、3人の投手をうまく運用。3回戦までは継投で闘い、準々決勝では井上、準決勝では細谷がそれぞれ完投勝利と自在な投手起用で勝利をものにしてきた。冴えわたる機動力と投手起用で、気が付けば優勝まであと一つ。同校初の優勝が目の前まで近づいてきていた。
これに対し、春日部共栄・本多監督も育英・日下監督と同様に苦労を重ねて、チームを強化してきた。もともと選手時代に、主砲・杉村(ヤクルト)と同級生で選抜甲子園を制覇した経験の持ち主。あの原辰徳(巨人)との延長13回の死闘は、選抜の歴史を語る上では欠かせない試合だ。引退後は、日体大を経て、1980年に春日部共栄の監督に就任するが、当時の埼玉は、名将・野本監督が率いた上尾を中心に熊谷商などまだ公立校全盛の時代であった。
しかし、1986年に野本監督の系譜を引き継いだ新鋭校の浦和学院が、1986年に初出場でベスト4の快挙を成し遂げると、風向きが変わり始める。本多監督自身も、スパルタ教育から徐々に対話重視のスタイルに変更していった。その後、1991年に城石(ヤクルト)を中心とした好チームで春夏連続出場を果たすと、この夏は土肥(西武)-小林の2年生バッテリーを強力打線が支えて、2年ぶりの夏の甲子園出場を決めた。
本戦では初戦で近江兄弟社に12-0と圧勝すると、3回戦の日大山形戦は相手の主砲・佐竹の2発を浴びながらも、最後は延長サヨナラ勝ちで8強入りを果たす。中軸の遠藤、柴田を中心に、甲子園入りしてから好調な打線は、準々決勝で指のまめがつぶれた徳島商・川上(中日)を中盤一気に攻略すると、準決勝ではV候補大本命だった常総学院のエース倉から1,2回に5点を奪う猛攻で攻略。同じ関東で格上と思われた相手に対し、見事な速攻劇で奪ったリードを2年生バッテリーが死守し、春夏通じて初の決勝進出を決めたのだった。
8回裏、決死のスクイズで奪った決勝点
1993年夏決勝
春日部共栄
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
| 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 |
| 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | × | 3 |
育英
春日部共栄 土肥
育英 井上→酒谷→松本

フレッシュな印象の顔合わせとなった東西対決。ただ、チームカラーは対照的であった機動力で攻める育英に対して、強打で襲い掛かる春日部共栄。土肥という絶対的な軸がいる共栄に対して、3人の投手で戦う育英。果たして、どちらの戦い方がはまるのか。ともに監督歴13年目を迎え、苦労を重ねてたどり着いた、日下・本多の両監督のタクトに注目が集まった。
1回表、育英の先発・井上は完投勝利を収めた準々決勝の修徳戦以来となるマウンドへ上がる。コントロールに自信を持つ右腕は、前の試合で立ち上がりに集中打を見せた春日部共栄の上位打線に対し、ストライク先行の投球で3者凡退に切って取る。ここまで3投手の起用で勝ちぬいてきた育英だが、絶対的エース土肥のいる春日部共栄と比べると、そうは言っても分が悪いのは確か。チーム打率が3割7分を超える強力打線に対して、先制点はどうしても与えたくなかっただけに、この初回の井上の3者凡退がまずは大きかった。
すると、1回裏、育英はさっそく伝家の宝刀の機動力を見せつける。待っていても勝機は薄いだけに、自ら仕掛けていくのだ。
先頭の1番安田が2球目をプッシュバントすると、打球は土肥の頭上を高いバウンドで超えて、二塁への内野安打に。さらに2番岡本は犠打の構えで2ストライクと追い込まれるが、日下監督がバスターエンドランのサインを出すと、バントシフトを敷いてきた3塁手の横を破って、1,3塁とチャンスを拡大する。続く3番大村は四球で歩いて満塁とすると、4番西内のタイムリー、5番桑鶴のスクイズと畳みかけて、2点を先行!育英らしさ全開の野球で主導権を奪う。
この初回の攻防が試合に与えた影響は終わってみると大きく、2点のリードを有効に使って、井上は序盤3回をスイスイと投げていく。一方、2点を失った土肥も、2回以降は持ち味のカーブを活かした投球で育英打線を封じ込める。ここまで4試合を一人で投げぬいてきたタフネス左腕は、育英の足の圧力にも屈することなく、淡々と自分にリズムを取り戻していく。
すると、4回表、純粋な「打力」では育英の上を行く春日部共栄が、二巡目に入って本領を発揮する。先頭の1番梅村が四球で出塁。すると、ここで育英・日下監督は早くも2番手で酒谷をマウンドへ送る。早め早めの継投策で、共栄に流れを渡さない構えだ。細谷は後続を二人打ち取って、2アウトとなるが、1塁に残った2番高橋が二盗を敢行。これが捕手の悪送球を誘い、高橋は一気に3塁へ進む。このチャンスに主砲・柴田が、酒谷の得意とする速球が甘く入るのを逃さない。打球はライト前への痛烈な当たりのタイムリー!さすが強打の春日部共栄という打撃で1点差に迫る。
追撃態勢に入った春日部共栄。5回表には、1アウトから7番小川がライトオーバーの2塁打を放ち、下位打線でも力のあるところを見せる。8番小林のセカンドゴロの間に3塁へ進むと、打撃もいい9番土肥がインコースのスライダーをうまく拾ってライトへのタイムリー!ついに試合を振り出しに戻す。ここまで初回の失点によって主導権を奪われていた共栄だが、両チームの勢いが徐々に逆転していってる様子が感じられた。
さらに攻撃の手を緩めない享栄は、当たっている1番梅村がライトへのヒットで繋ぎ、育英を追いつめる。速球派の細谷に対し、春日部共栄打線が合っている印象だ。すると、ここで日下監督は早くも3人目で2年生右腕・松本をマウンドへ送る。スライダーが武器で、気持ちの強さが持ち味の右腕である。
ところが、ここで育英サイドに思わぬアクシデントが。2アウト1,3塁から1塁ランナーの梅村が盗塁を敢行するが、このプレーでベースカバーに入ったセカンド安田の足をスパイクしてしまう。みるみる靴下が赤く染まるほどの負傷。プレー中のアクシデントで防ぐのは難しかったが、主将でセカンドとチームの要だったプレーヤーなだけに、チームには動揺が走った。盗塁はアウトとなったが、5回裏の先頭打者で入った安田は打った後にまともに走ることはできず。そのまま病院へ直行となった。
しかし、この主将の退場が、押され気味だったチームにかえって闘志を取り戻させた。投手陣も3人目である松本を登板させており、すべてのカードを使い切った状況。初回に先制してから、リードをうまく活用する流れだったが、ここにきてあらゆる面で退路は断たれてことで、かえって覚悟は定まったのだろう。6回、7回と一枚岩の守りで松本を支え、勢いづいていた春日部共栄の攻撃を抑え込む。
ただ、育英の攻撃陣も2回以降は、土肥から得点が奪えない。6回、7回とランナーを犠打でスコアリングポジションにランナーを進めるが、2年生エースの巧みな投球術と強気な内角攻めが強力打線を封じ込めていた。ここまで数多の好投手を崩してきた育英打線が、今大会に入って初めて抑え込まれていた。
すると、8回表、春日部共栄がビッグチャンスをつかむ。1アウトから当たっている1番梅村が外角に偏りがちな育英バッテリーの配球を見切り、ライトへのヒットを放つ。続く2番高橋には一球一球指示を変えていく徹底ぶりで揺さぶると、本多監督のかけたエンドランに応えて打球はセカンドの横を抜くヒットに。主将・安田に代わって出場していた佐藤だったが、これはさすがに対応できず、1アウト1,3塁と絶好のチャンスが春日部共栄に転がり込んできた。
ここで打席には最も期待できる中軸の3番遠藤、4番柴田。しかし、ここで育英バッテリーは強気のインサイド攻めで遠藤を3塁ファウルフライに打ち取る。4番柴田には慎重な配球で四球を与え、満塁となるが、5番松下に対しても内角の速球を投じて3塁ゴロに。左右の強打者を相手に、土壇場で強気の投球を取り戻し、絶体絶命のピンチをしのいで見せた。
この守りが勢いを与えたか、8回裏、育英は先頭の4番西内がピッチャー土肥を強襲するヒットで出塁する。5番桑鶴の犠打は2塁封殺となると、続く6番渡辺も犠打が決まらずに追い込まれるが、ここで渡辺は「打ちたい」というプラス思考でベンチを見る。出たサインはヒットエンドラン。このサインに頷くと、アウトコースの速球を流し打った打球は、レフトの前へ!1塁ランナーが一気に3塁を奪い、こちらも1アウト1,3塁とチャンスをつかむ。ここまで犠打で進塁させてもなかなか流れを掴めなかった中、思い切った作戦で突破口を開いた。
表の攻撃では、春日部共栄が強打でチャンスを活かせなかった中、育英はどうするか。
ここで打席には7番田中。日下監督の出した作戦は、「セーフティスクイズ」だ。いい場所に転がらなければ、得点は入らず、ただアウトを増やすだけという高度なスクイズである。
当然、春日部共栄サイドの警戒してくる。難しい選択肢を実行に移そうとするなか、打席の田中がベンチに視線を送ると、負傷で病院に行ってから帰ってきていた主将・安田と目が合う。「絶対に決める」という決意を堅くした田中は、カウント1-3から土肥の5球目を決死の覚悟で1塁側へ転がす。
しかし、打球が強く、3塁ランナーは一瞬躊躇したが、再スタート。このランナーの動きがかえって土肥の焦りを読んだか、ホームへの送球が逸れてしまう。その間に、桑鶴が貴重な勝ち越しのホームイン!おそらく普通のスクイズなら失敗していただろう。だが、セーフティスクイズだったため、ランナーのスタートが遅れたことが若きバッテリーの判断を一瞬、躊躇させてしまった結果であった。
3-2のスコアで試合は最終回へ。春日部共栄は下位打線とは言え、当たっている打者が並ぶ。だが、松本は冷静だった。優勝のマウンドに立つことを懇願していた2年生右腕は、アウトコース低めを丹念について打たせて取る。最後は、8番小林をセカンドゴロに打ち取り、安田に代わって出場していた佐藤がさばいてゲームセット。育英が57年ぶりに進出した決勝で勝利をつかみ取り、悲願の初優勝を達成したのだった。
まとめ
育英は、前評判が決して高くない中、柔軟な戦い方で強さを増していった。手堅い戦いだった県予選から、機動力で揺さぶる戦いに変化した攻撃陣。3投手がそれぞれ持ち味を発揮して戦い抜いた投手陣。そして、土壇場で主将が欠けても揺らぐことなく戦い抜いた守備陣。8回裏の土壇場で難しい作戦を成功させたように、試合の流れの中で何が必要かを理解している「野球脳の高さ」がこの地0無であった。
投打で頭抜けた選手は3番の大村くらいであったが、投攻守走すべてで高いレベルでまとまった1993年の育英。日下監督の作り上げた最高傑作と呼べるチームが、兵庫県に12年ぶりとなる夏の栄冠をもたらすこととなった。
一方、春日部共栄も敗れはしたものの、育英と同様に戦いながら強さを増していったチームだった。2年生バッテリーを強力打線が支える戦いぶり。特に打線は上位から下位まで低いライナー性の打球を徹底し、好投手を相手に素晴らしい打撃で攻略していった。また、速球とカーブという少ない球種ながら、巧みなコーナーワークと配球で、相手打者を封じた土肥の投球も見事であった。
この年が、本多監督率いる春日部共栄の最高成績であったが、その後も、浦和学院・花咲徳栄・聖望学園とともに埼玉で私学4強を形成。2014年開幕戦では選抜王者の龍谷大平安を下すなど、1990年代から埼玉を代表する強豪として君臨した。本多監督は2025年3月に勇退したが、一時代を築いた春日部共栄というチームの名前は、全国の高校野球ファンの脳裏に刻まれたに違いない。そのきっかけとなったのが、この1993年夏の戦いであった。


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