【好投手列伝】愛媛県篇記憶に残る平成の名投手 2/2 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
山本雅章(新田)
5試合で7ホームランを放ち、初出場で決勝まで勝ち進んだミラクル新田。華々しいホームランが目を引いたが、投手陣の中心として屋台骨を支えた玉本の投球あっての快進撃だったことを忘れてはならない。決勝こそ疲労から近大付打線につかまってしまったが、それまでは4試合で37イニングを投げ33三振をマーク。快速球を武器にイニングに匹敵するほどの三振を奪った。準々決勝では自らホームランも放つなど、投打にわたって新田高校を牽引した。
1990年選抜高校野球・決勝戦 近大附属vs新田 – YouTube
平井正史(宇和島東→オリックス)
牛鬼打線の愛称で親しまれた宇和島東に現れた快速右腕。のちにオリックスで新人王を取ることになる剛腕だが、高校時代は故・上甲監督の厳しい下半身トレーニングに耐え、3年春夏と2季連続の甲子園出場を果たした。選抜では常総学院の強打につかまってしまったが、夏は海星の好左腕・広田(ダイエー)に投げ勝って5-1と快勝。待望の甲子園初勝利を手にした。
⚾【平成5年】宇和島東 対 海星【高校野球】 – YouTube
藤井秀悟(今治西→ヤクルト)
四国屈指の左腕として大会前から評価が高かった藤井秀悟。愛媛大会、四国大会で51イニング連続無失点を継続し、四国大会決勝では名門・高知を相手に17奪三振を記録。しなやかな腕の振りから繰り出す速球とスライダーを武器に相手校の打者をきりきり舞いさせた。
選抜本戦では初戦の富山商を5安打完封し、2回戦では試合巧者の広島工打線を2失点で完投した。迎えた準々決勝は被災地の代表の神港学園が相手。しかし、1点リードで迎えた9回表に左前腕の痛みが出て、まさかの緊急降板。その後、チームは逆転を許してしまうが、9回裏に4番として意地の同点打を放った。結局最後はサヨナラ勝ちを収めたが、準決勝のマウンドには立つことはできなかった。その高い実力を証明しながらも、未来のヤクルトのエースは不完全燃焼で甲子園のマウンドを去った。
新田浩貴(松山商)
1995年夏、1996年春と2季連続出場しながらもともに初戦敗退と苦しんでいた松山商。スラッガー今井を中心に打力には定評があったが、エース渡辺に頼りがちな投手陣に不安があった。そんなチームの救世主となったのが、2年生右腕・新田。全6試合に登板し、しなやかなフォームから繰り出す切れのあるストレートと抜群のコントロールで相手打線を抑え込んだ。
決勝では9回裏に同点ホームランを浴びて膝から崩れてしまったが、最後はあの奇跡のバックホームもあって5度目の優勝を達成。間違いなくこの夏の優勝の立役者の一人であった。
19960821【懐かし】熊本工 vs 松山商【奇跡のバックホーム】(9回より10分ダイジェスト) – YouTube
越智啓介(今治西)
身長165センチの小さな体で今治西のリリーフエースとして活躍した「小さな大魔神」。4試合すべてリリーフの登板で計24イニングを投げ抜き、ベスト4進出の原動力となった。特に、打ち合いとなった日南学園との準々決勝では終盤6イニングを3失点にまとめ、神宮王者に競り勝った。また、チームの精神的支柱として内野陣にも積極的に声をかける姿勢も好印象の選手であった。
阿部健太(松山商→近鉄)
2001年の夏に5年ぶりに帰ってきた松山商の2年生エース。5年前の2年生エース新田の持ち味が「キレ」なら、阿部のボールは見た目にもわかる「スピード」があり、最速140キロを超すボールで試合を支配した。特に2回戦の九産大九州戦では初戦で9得点の強力打線を相手に7回2アウトまで無安打ピッチングを展開。その後に集中打を浴びはしたものの、一躍全国注目の好投手となった。
コメント
[…] […]
[…] […]
[…] […]