【好投手列伝】千葉県篇記憶に残る平成の名投手 2/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
【好投手列伝】千葉県篇記憶に残る平成の名投手 3/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
押尾健一(成東→ヤクルト)
平成最初の夏の大会となった第71回大会。千葉県屈指の好投手として代表の座をつかんだのが、押尾健一だった。夏の千葉大会で7試合で71三振を奪った剛腕は、強豪校の誘いを蹴って地元の成東に進学。私立の強豪を下して夢の甲子園を手にした。迎えた初戦は当時まだ甲子園で勝ち星のなかった智辯和歌山。1点を先行されたものの、中盤以降は智辯和歌山打線を完ぺきに抑え込み、延長戦で見事甲子園初勝利を達成した。
残念ながら2回戦で福岡大大濠に屈し、プロでも思ったような活躍はできなかったが、今でも千葉の高校野球ファンの脳裏にその剛球は刻み込まれている。
猪俣広(成田)
1990年の夏の選手権大会で開幕ゲームに登場し、記念すべき大会初勝利投手に輝いた技巧派左腕。キレのある真っすぐと2種類のカーブを武器に打たせて取る投球で都城打線を2点に抑え込んだ。
2回戦は名門・天理と対戦。大型打者の居並ぶV候補を相手に猪俣は見事な投球を見せ、なんと7回途中まで無安打ピッチング。相手校の橋本監督が放ったかの有名な「ぼちぼち行こか」の一言で天理打線がよみがえり、最終回に逆転サヨナラ負けを食らったものの、この大会で優勝した天理を最も苦しめた投手と言っても過言ではないだろう。
⚾【平成2年】天理 対 成田【高校野球】 – YouTube
荒井修光(我孫子→日本ハム)
監督である父とともに親子鷹として甲子園に乗り込んだ本格派右腕。長身から繰り出す威力ある速球を武器に初戦で米子東を完封すると、2回戦の西条農業戦では粘りの投球で3失点完投し、逆転勝ちを演出した。
中国勢を連破して迎えた3回戦は選抜4強の市川と対戦。樋渡との好投手同士の投げあいとなり、荒井はこの日も我慢の投球で2失点完投したが、如何せん打線が樋渡の前に手も足も出ず。ベスト8まで後1勝と迫ったところで親子の夏は終わりを告げた。
1991年甲子園 西条農業vs我孫子4/4 – YouTube
小笠原孝(市立船橋→中日)
のちに中日ドラゴンズのローテーションを守った小笠原。出身校である市立船橋は高校サッカー随一の名門だが、90年代は野球部の活躍も光った。1993年に春夏連続出場を果たし、夏は小笠原の好投もあって快進撃。小柄ながら抜群のコントロールを武器に初戦で三本松打線を完封すると、その後も桐生第一・京都西と実力校を破り、4強まで勝ち進んだ。最後は優勝した育英の足に屈したが、「技」の投球で甲子園を沸かせた。
嶋田貴之(銚子商)
昭和期に屈指の強豪として君臨し、夏の第56回大会では強力打線とエース土屋(中日)で全国制覇も成し遂げた銚子商。しかし、平成に入ってからは拓大紅陵など新興勢力に押され気味で激戦の千葉県でなかなか勝ち上がることができなかった。そんな中、1995年度のチームはスラッガー沢井(ロッテ)を擁し、久々に全国で戦える自信を持って、選抜に乗り込んできた。
そのチームのマウンドを守ったのがエース嶋田。小柄な体格から丁寧な投球が光った右腕は、初戦のPL学園戦でこそ福留(中日)の3ランなどで打ち込まれたが、2回戦以降は好投を見せる。1985年の夏に敗れていた宇部商、接戦に強い前橋工、好左腕・藤井(ヤクルト)のいた今治西(藤井は怪我で投げれなかったが)と強豪校を打たせて取る投球で封じ込み、見事に選抜では初となる決勝進出を果たした。
夏も嶋田の好投もあった3回戦に進出。時代の流れに飲まれそうだった名門が、復活を果たした一年となった。
長尾康博、松尾直史(ともに市立船橋)
1996年、1997年と2年連続で市立船橋を甲子園に導いた左右のWエース。球威のある左腕・長尾と右サイドからの丁寧な投球が光る松尾という、対照的な両エースの投球が千葉で一時代を築いた強豪を支えていた。2年生時は好捕手・首藤を擁する佐伯鶴城との延長の死闘をサヨナラで制すると、2回戦では選抜優勝の鹿児島実に最後まで食い下がり、接戦を演じた。
そして、最後の夏は左腕・長尾が本調子でなく、初戦の文徳戦では1-9と大量ビハインドを背負ったが、リリーフした松尾の好投投打線の爆発で、17-10と大逆転勝利を達成。勢いに乗った「イチフナ」は仙台育英、甲府工と強豪を相手に競り勝ち、4年ぶりの8強進出を決めた。準々決勝ではそれまで好投してきた松尾が打ち込まれたが、今度は左腕・長尾が復活の力投。最後まで互いの背を支え合ったWエースであった。
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