下剋上果たした朱色の挑戦者
3月に発生した阪神大震災の影響がまだ色濃く残る中で、迎えた1995年の選手権大会。大会前は選抜優勝の観音寺中央とスラッガー福留(中日)を擁するPL学園が優勝校の最右翼と言われたが、観音寺中央は2回戦で日大藤沢にサヨナラ負けを喫し、敗退。その日大藤沢を3回戦で激戦の末に逆転で下したPL学園がベスト8が出そろった段階で、V候補一番手に挙げられていた。しかし、準々決勝で王者の前に立ちはだかることとなったのが、同じ近畿の伝統校・智辯学園であった。

PL学園は1987年に春夏連覇を達成するも、その後4年間は春夏ともに甲子園出場無と苦しい時期を過ごしていた。1992年の選抜で5年ぶりの出場を果たすと、2年後の1994年の選抜では当時2年生の福留を擁してベスト4まで進出。準決勝で優勝した智辯和歌山に4-5と惜敗したが、そこまでの勝ち上がり方は圧倒的であり、王者・PL復活を予感させる流れは確実にできつつあった。そして、福留が最上級生を迎えた1995年世代は2年連続で秋の近畿大会を制覇。久々の全国優勝へ向け、中村監督も確かな手ごたえを感じていた。
しかし、絶対的優勝候補として迎えた選抜では、初戦で銚子商に7-10と延長の末に惜敗。負けたこと以上に試合内容が良くなく、福留の勝ち越し3ランで一時3点のリードをしながら、前田(阪神)、前川(近鉄)ら投手陣が打ち込まれ、ここに守りのミスも絡んでリードを守り切れなかった。悔しさをばねにのぞんだ夏は、大阪大会で福留が5試合連続7ホームランと爆発。課題とされた守りも安定し、甲子園へ乗り込んできた。甲子園では1,2回戦をエース前田の好投で快勝すると、3回戦では前述した日大藤沢に逆転勝ち。3失策と少し守乱の気配が顔をのぞかせたが、それでも再逆転で試合をものにする「逆転のPL」で8強へとたどり着いた。

そんなPL学園の相手となったのが、奈良代表・智辯学園であった。昭和後期から存在感を発揮し、当時は天理・郡山とともに県内3強として君臨。1977年には剛腕・山口(近鉄)を擁して選抜4強入りを果たすなど、一時代を築いた。しかし、1986年にライバル天理が選手権で初優勝を果たすと、1990年には2度目の優勝を達成。昭和終盤~平成初期にかけて一気に甲子園での実績で突き放された感があった。
また、1994年の選抜では兄弟校の智辯和歌山が初優勝を達成。もともと智辯学園の監督だった高嶋仁が率いる「弟分」にも先に優勝をかっさらわれることとなった。これは当事者たちにとってはかなり忸怩たる思いだったようで、この代は特に甲子園で勝ちたい思いが強かったようだ。キレのあるボールを投じる左腕・池田と長身から角度のあるボールが武器に右腕・木挽の2枚看板を、4番小阪(現・智辯学園監督)を中心とした打線が支え、夏は平成元年以来実に6年ぶりとなる出場を果たした。本戦では、打線が好調で高岡商に10-0、青森山田に5-2と快勝し、8強へ進出。投手陣も安定し、久々に上位まで勝ち上がってきた。
守乱が響いた近畿王者
1995年夏準々決勝
PL学園
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
| 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 |
| 3 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 |
智辯学園
PL学園 前川→前田
智辯学園 池田→木挽

さて、智辯学園としては、同じ近畿で見上げるような存在だった強豪にどう対していくか(一つ例を挙げて話せば、前年秋の近畿大会では智辯学園は初戦で育英に0-6と完敗。その育英に準決勝でPLは4-0と完勝していた)。甲子園1回戦で2打席連続弾を放った福留はもちろんすごいが、それ以外にも俊足巧打の1番渡辺、勝負強い5番出井ら強打者が揃っていた。中学時代の実績で言えば、「特A級」の選手ばかりである。智辯としてはある程度の失点は覚悟して臨むしかなかっただろう。
1回表、智辯の先発は左腕・池田。県大会では木挽の先発もあったが、甲子園に来てからはすべて池田→木挽のリレーで通してきた。しかし、先頭の渡辺をショートゴロエラーで2塁へ進ませてしまうと、犠打と3番福田のタイムリーで返され、いきなり失点してしまう。さらに失点にこそ繋がらなかったものの、4番福留にもスライダーを痛烈な打球でセンターへ返される。智辯サイドとしては、PL打線の鋭い打球に内心ヒヤヒヤだっただろう。
ただ、ある程度の失点は覚悟のうえで、勝つなら打ち合いと思っていたのも事実。そこに、3回戦あたりから顔をのぞかせていたPLの守乱が重なっていく。
1回裏、PLの先発は2年生左腕・前川。向こうっ気は強いが、単調になる側面もある投手だった。ただ、智辯の上位陣に左打者が並んでいることもあり、エース前田を後ろに回すことに決め、若きサウスポーを先発に選んだのだ。
しかし、その立ち上がり、智辯は1番竹村が四球を選ぶと、2番佐藤のバントをPLのサード稲荷が後逸。無死1,2塁となり、さらに3番西川の犠打を今度は前川が3塁封殺を狙って悪送球し、2塁ランナーが生還sにてたちまち同点。さらに、無死2,3塁から4番小阪の犠飛と1年生の5番庄田のスクイズで計3点を挙げ、なんと無安打で試合をひっくり返すことに成功する。PLとすれば、目を覆いたくなるばかりの守りの乱れであった。
すると、一度狂った守りのリズムは簡単には戻ってこない。2回裏、この回から早くもエース前田を投入するが、いきなち7番長島にレフトへの2塁打を浴びる。犠打で1アウト3塁となると、9番中本の浅いライトフライを、今度はライト本同が落球。4点目が入ると、さらに2番佐藤の内野安打などで2アウト2,3塁とし、巧打の3番西川がセンターへ打ち返して、6-1。前半で智辯学園が思わぬリードを奪うことに成功する。
中村監督もおかんむりの守りとなったPL。2回までで早くも3失策が飛び出し、このままでは選抜の二の舞となってしまう。しかし、全国制覇を本気で狙っていたナインが、3回表、怒涛の反撃に転ずる。
この回、4番福留のライト線への痛烈な2塁打などで1アウト満塁とチャンスメークすると、ここから打線が止まらない。6番前田の2点タイムリー、7番浦田の犠飛と畳みかけて6-4。続く8番本同は先ほどの落球の汚名返上とばかりに、レフト線へ会心のタイムリー2塁打を放つと、仕上げは9番早川のセンターへのタイムリーで、この回一挙に同点!大量ビハインドを1イニングで跳ね返して6-6とし、「逆転のPL」成就まで後1点とする。
これで前田も乗っていきたいところだったが、2回戦の城北戦で安定感抜群の投球を見せたエースも、この日はなかなか調子が上がらない。4回裏2四球を与えるなど、1アウト満塁のピンチを招くと、打席には先ほどタイムリーを打たれた3番西川。広角に打ち分ける強打者に対し、決め球のスライダーでアウトコースを突くも、甘くなってしまう。逆方向へ見事に打ち返した打球はレフト線を鋭く破っていく勝ち越し2点打に。追いついたPLにとっては、この失点は再び相手に主導権を渡す嫌な失点であった。
その後、試合は8-6で推移。4回までが嘘のように、5回以降は無失点が続く。いわゆる「打ち疲れ」のような状態か。追い上げたいPLだが、なかなか得点を挙げることができない。守る智辯は先発・池田が、自分のボールにタイミングが合ってきたように感じ、7回には自ら木挽への継投を志願。追う「逆転のPL」に対し、守る智辯の方が実に冷静に試合を運んでいた。
しかし、それでもこの試合が後半崩れなかったのは、PLのエース前田の力投だろう。中盤には、ショート福留とのサインプレーでけん制タッチアウトを奪うなど、5回以降は智辯の攻撃を0封。選抜では最後までマウンドを守り切れなかったが、この日は8回までを全うしてエースの役目を果たした。
PLは7回表に、福留がショートへの内野安打と悪送球で2塁まで進むも、得点にはつながらず。6-8のまま試合は最終回へ突入する。
9回表、最後の望みを託すPLは、先頭の代打・河村がサードへの高いバウンドで必死に走り、内野安打を奪いとる。1アウト後、打席にはこの大会、ここまで14打数7安打2ホームランと、最も頼れる男・福留孝介。一発出れば同点の場面を迎える。しかし、木挽のアウトコース低めのスライダーを打たされた打球は、6-4-3の併殺となり、ゲームセット。序盤からしたたかな野球で食らいついた智辯学園が、ついに「逆転のPL」に逆転を許さず、夏は初めてとなるベスト4へ駆け上がったのだった。
まとめ
その後、智辯学園は準決勝で星稜に1-3と惜敗。1977年の選手権では勝利していたが、18年ぶりの対戦でリベンジを許す格好となった。ただ、ヒット数は5-15と圧倒されながら、このスコアに収まったのは、やはり1995年度の智辯学園の粘り強さがなせる業であった。この後、2年後の1997年からは6年間で5度の出場を果たすなど、完全復活をアピール。この1995年の活躍を見て入学した選手も多く、智辯復活の足掛かりを作った大会であった。また、この代の4番小阪監督が率いたチームが2016年に悲願の初優勝を達成したことは周知の事実である。
一方、PL学園としてはあまりにも悔しい敗戦の仕方であった。打力は大会でも文句なしにトップクラスだったのだが、やはり投手力・守備力で抱えていた不安が顕在化してしまったのだ。1987年の最後の優勝以降で、現実的に優勝を狙える戦力を持った代はいくつか存在したのだが、この1995年のチームもその力は持っていただけに、惜しまれる結果となった。
ただ、この頃の活躍を見て入学した当時中学3年生の代が、のちのち甲子園で横浜と伝説の延長17回を戦うことになる年代であり、優勝こそならなかったものの、ファンに多くの感動を与えることとなる。歴史はこうして紡がれていったのだが、今、永遠の学園と謳われた学校は時代の移り変わりとともに厳しい状況に置かれている。「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」ではないが、やはり、勝ち続ける・王者であり続けるという事はかくも難しいことなのかと感じさせられる出来事であった。


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