沖縄尚学vs東洋大姫路 2008年選抜

2008年

大会屈指の好右腕が争った決勝への片道切符

2008年の選抜は近畿勢が非常に好調な大会だった。出場6校が全て初戦を突破し、うち4校がベスト8へ進出。共通していたのは、いずれも個性は違えど、素晴らしいエースピッチャーがいたことだ。そして、その近畿の王者・東洋大姫路が順当に準決勝へ勝ち上がってきた。

また、この頃あたりから高校球界にも、手元で動く高速系の変化球が本格的に浸透し始めていた。この試合の前に決勝進出を決めた聖望学園のエース大塚はカットボールを武器に好投しており、そして、この試合に出てくる沖縄尚学の東浜(ソフトバンク)はツーシームを武器にする右腕であった。

この試合は大会でも1、2を争う本格派右腕の対決だったのである。

印刷用】東洋大姫路、沖縄尚学4強/選抜高校野球第12日 ...

東洋大姫路はエースで4番で主将と一人三役をこなす、スーパースター佐藤を擁し、前年秋の近畿大会を制覇。この年、同じ兵庫の報徳学園には好左腕・近田(ソフトバンク)がおり、兵庫県内では「西の近田、東の佐藤」と評されるほどの存在だった。140キロ台の速球と多彩な変化球を低めに集め、安定感は大会でも随一である。

一方、打線は1番藤井、2番松葉(中日、当時は野手だった)、3番亀井、4番佐藤と上位は強力なラインナップが並んでいたが、下位打線がやや弱い印象があった。しかし、名門校だけあって、佐藤頼みの雰囲気はなく、「俺が主役を食う」と言わんばかりに他のスタメン陣も実力を磨いてきていた。

すると、本大会では、初戦で2年生の7番能丸が3安打を放ったり、9番三谷が俊足を活かして小技を決めたりと下位打線の面々も奮起する。もちろん上位陣も好調を維持し、藤井・亀井が3割を優に超す打率を残せば、チームの要の佐藤も3試合をホームランによる1失点のみにまとめる安定感を見せた。チーム力の底上げを実感し、堀口監督も現実的に選抜制覇を視界に入れ始めていた。

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一方、沖縄尚学は1999年の優勝投手である比嘉公也監督が率いて初めてとなる甲子園であった。1年生時からその実力が高く評価されていた東浜は、スレンダーな体型から繰り出すキレのある速球とツーシーム、スライダーを軸に好投。2年夏は、沖縄大会準決勝で浦添商のライバル伊波との投げ合いに敗れ、4-5と惜敗したが、秋は順当に地区大会を勝ち上がった。九州大会では今宮健太(ソフトバンク)が1年生の明豊に1-2と惜敗したが、選抜出場はほぼ当確としていた。

その沖縄尚学の野球、というよりこの頃に注目された沖縄の野球の特徴は、「スピード感」である。沖縄では温暖な気候を活かして、野球で作った種目を競う大会があり、ボール回しやベースランニングなどのタイムで強豪校が順位を競う。そんな大会を通じて、守備・走塁のスピード感を磨いた強豪校は沖縄尚学であり、浦添商であった。この年は、9番主将の高甫から、1番伊古、2番伊志嶺、3番西銘と俊足の選手が並び、足でかき回す野球も大きな武器となっていた。

迎えた選抜本戦では、初戦となった2回戦で東浜が7安打を浴びながら聖光学院打線を完封すると、3回戦では明徳義塾打線を1失点で完投。名将・馬淵監督をして「あれは打てん…」と嘆かせたピッチングであった。そして、準々決勝はこれまた名門の天理戦。ここで比嘉監督は思い切って左腕・上原を投入する。九州大会決勝のマウンドも経験した左腕だったが、今大会は初登板。緊張気味のチームメイトを助けるべく、野手陣は奮起する。盗塁、セーフティスクイズなどで天理守備陣をかきまわし、上原が投げていた前半5回までを2-2のタイで推移。これにより、エース東浜のスタミナを温存することに成功したのだ。

ただ、懸念点は天理戦の終盤に東浜がピッチャーライナーを左ひざに受けていたこと。投げる際の軸足に果たして力は入るのか、そこが心配材料であった。

8回に訪れた勝機

2008年選抜準決勝

東洋大姫路

1 2 3 4 5 6 7 8 9
1 0 0 0 0 0 1 0 0 2
0 0 0 0 0 0 0 4 × 4

沖縄尚学

 

東洋大姫路  佐藤

沖縄尚学   東浜

好投手同士の投げ合い。試合は初回から動きを見せる。

1回表、東浜は立ち上がりからボールが良く走っており、簡単に2アウトを奪って、打席に3番亀井を迎える。この世代の東洋大姫路で最も打撃センスのあるバットマン。東浜のカウント1-3からストライクを取りに来た速球をフルスイングすると、打球は右中間を完ぺきに破る3塁打となり、一気に先制のチャンスを迎える。

ここで打席にはエースで4番の佐藤。2,3回戦と無安打だったが、準々決勝で大会初ヒットと含む2安打を記録し、調子を上げてきていた。フルカウントまで粘って、7球目、アウトコースの真っすぐを素直に返した当たりは、負傷している東浜の足元をぐらつかせるほどの強烈な打球となって、センターへ抜けるタイムリー!注目のエース同士、第1ラウンドは佐藤に軍配が上がる。

しかし、その裏、立ち上がりにやや不安を抱える佐藤も俊足の1番伊古に3塁線を破るヒットを打たれると、2番伊志嶺の犠打を処理した佐藤がセカンドへ高投。これで無死1,2塁といきなりこちらも大ピンチに見舞われる。ここで打席には3番西銘。こちらも沖縄尚学で最も打撃センスのある打者だ。

しかし、比嘉監督の出したサインは犠打。佐藤相手にそうそうチャンスは訪れないと踏んだのだろう。ところが、この犠打が成功せず、最後はバットを引いたところで見送り三振に。沖尚としては痛いプレーになる。この後、4番仲宗根のサードへの内野安打で満塁とするも、5番波照間がショートゴロでホーム封殺。6番嶺井(ソフトバンク)も倒れ、得点を上げることができない。

佐藤は満塁の場面でもボール球から入り、カウントを整えるのも変化球で行うという周到ぶり。打者心理を逆手に取った非常にクレバーな投球である。

試合はこの後、両エースが踏ん張って投手戦に。沖尚の東浜はケガの影響を感じさせない素晴らしい投球を見せるが、それ以上に素晴らしかったのが佐藤、いや東洋大姫路ナインの落ち着きようだ。

故・梅谷監督時代から徹底して守備を鍛えて勝ち抜いてきた伝統校には、そのDNAが脈々と受け継がれており、一度リードを奪った時のがっちり守る堅牢さは他校の追随を許さない。まだ昭和後期で金属バットが出始めたばかりの時代、徹底した守りで出場4大会連続ベスト4以上(うち1回は全国制覇)という圧倒的な強さを誇ったが、それは徹底して守り抜くという泥臭いスタイルからくるものであった。沖縄尚学のかき回す野球が全く通じず、5回までに4安打を放つも、得点の香りはしてこない。

一方、機動力を含めた得点力では沖尚に分があるだけに、東洋大姫路としても早く追加点が欲しい状況。すると、7回表、秋までは目立っていなかった下位打線が大仕事をやってのける。

この回、今大会13打数6安打とここまで好調な7番能丸が先頭で打席に入ると、初球のストレートをとらえた打球は右中間を深々と破る3塁打に。この大会、東浜がここまで長打を浴びる試合も初めてだ。続く打席には準々決勝まで11打数無安打の福田。しかし、第1打席で初ヒットが飛び出しており、堀口監督は期待を込めてヒッティングの指示を出す。これに福田が応え、インサイドの速球に詰まりながらも、あっちむいてほいのような形で打球をライトに運び、貴重な2点目を手にする。

しかし、この後、9番三谷は送ることができず、1番藤井はショートゴロ併殺に。試合後に、姫路ナインが悔いたように、この攻撃が沖縄尚学にまだ生き残る余地を与えることとなる。

ただ、そうは言っても、試合は7回を終えて、沖縄尚学のヒットは4本。東洋大姫路の堅牢なディフェンスの前に、得点の香りは全く漂ってこない。守りの堅さもそうだが、佐藤の投球が非常にクレバーであり、単にボールに力があるだけでなく、相手の狙い球を外し、ボール球を打たせることで、守りからリズムを作っていく投球ができていた。試合を見ていたものの大半は、東洋大姫路の決勝進出を、あるいは予感していたかもしれない。

そんな空気で迎えた8回裏、沖縄尚学は先頭の9番高甫がショートへの内野安打で出塁。俊足のランナーが出て、かき回せる状況が整う。しかし、1番伊古の犠打と2番伊志嶺の内野ゴロで2アウト3塁。ランナーは進められたものの、それ以上の仕掛けは姫路守備陣が許さない。

しかし、続く3番西銘はフルカウントまで持ってくるとファウルで粘る。インサイドを突かれてもコンパクトなスイングで逃げると、8球目の低めを見送って四球に。試合後に佐藤が、「ボール半個分の制球が出来なければ」とうめいたように、振らせたいボールを投げようとしたが、西銘の選球眼が勝った。立ち上がりから苦しんでいた佐藤の「振らせる球」をようやく見切れるようになった。

2アウト1,3塁となり、続くは主砲・仲宗根。0-1から佐藤がカウントを取りに来た速球をはじき返すと、打球はライト前に弾むタイムリーとなって、ついに1点を返す。ボール球は振ってくれず、少し中にいれると打ち返される。佐藤の精密機械のような投球が崩れ始めていた。代打・金城もボール球に手を出さず、満塁。ここで東浜をリードしてきた2年生の女房役・嶺井が初球の緩い変化球を狙っていたかのように痛打すると、打球は1,2塁間を鋭く破っていく。ライトがジャッグルする間に2者が生還!ついに沖尚が試合をひっくり返した。

この回、さらに振り逃げの間に1点を追加し、一挙4点の猛攻。東浜に2点のリードは十分すぎるものであった。最終回、先頭打者に四球は与えたものの、後続を3人で打ち取りゲームセット。優勝への最大の関門を若き指揮官のもとで制したナインは、あとは2度目の選抜制覇に突っ走るだけであった。

まとめ

1999年は大会前にノーマークだった中で勝ち上がった大会だったが、この大会はある程度マークされながらの中で優勝を勝ち取ることができた。そういう意味では、比嘉監督にとっても違う感慨のある優勝だったのではないだろうか。

一方、その沖尚を最も苦しめたのは、やはりこの東洋大姫路に相違ない。エースで4番が君臨し、その柱を中心に守り抜くという昭和のオールドスタイルの野球に見えたが、どんな相手に対してもその展開にはめ込んでいく強さが、この年の東洋大姫路にはあった。過去の甲子園でも、「このチームは優勝する力あったよな」というチームが何校か存在するが、この東洋大姫路も間違いなくそうだっただろう。2008年の選抜大会で大きなインパクトを残したことは間違いなく、守り勝つという強さを最も感じさせたチームでもあった。

2008春 東洋大姫路vs沖縄尚学

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