独断と偏見で選ぶ、2000年春にベスト8へ進めなかったイチオシの好チーム

2000年

四日市工(三重)

1 秋葉 9 佐野
2 岡本 10 安田
3 葛原 11 山下
4 尾上 12 中村
5 佐藤 13 金森
6 大西 14 広瀬
7 山岡 15 山際
8 梅山 16 権藤

強力打線で勝負に出た神宮王者

1991年夏に好投手・井手元(西武)の活躍で甲子園初出場を果たした四日市工。同年夏の3回戦で松商学園と繰り広げた延長16回の死闘は高校野球ファンの間では語り草となっている。若き指揮官・尾崎監督に率いられたチームは三重県内の勢力図を塗り替えるかと思われた。

しかし、翌年春も連続出場を果たすが、その後はしばらく出場が途絶える。当時、平成初期の三重県内は海星高校が中心であり、1989年、1996年と夏の甲子園でベスト8に進出。2年前にあたる1998年夏、そして前年の1999年春も夏春連続出場を果たしており、エース岡本(西武)、4番加藤と投打の太い柱を擁し、選抜ではV候補の明徳義塾を倒して8強へ勝ち上がっていた。

平成の甲子園で10年間で6度、夏の出場を果たしていた海星。そのうち3度、四日市工は直接対決で敗れて涙をのんでいた。海星がこの牙城を崩さないことには甲子園出場は困難。しかし、尾崎監督を中心に四日市地区の有望選手が集まってきていたチームは、年々力を蓄えていた。

そして、1999年夏、ようやく執念が実ることとなる。三重大会決勝で対戦すると、3-0とビハインドの9回裏に打線が猛反撃を開始。一挙4点を挙げる奇跡の逆転サヨナラ勝利で、8年ぶりの出場を決めたのだ(逆に海星は、これを最後に今日に至るまで甲子園出場を果たせていない。不思議なものである)。

甲子園では都城を相手に終盤の逆転劇で敗れたが、エース秋葉に主砲・佐藤をはじめとして佐野大西らメンバーが多く残ったチームは快進撃を見せる。東海大会を打ち勝って制すると、神宮大会でも壮絶な打撃戦をものにし、初優勝を達成。敦賀気比・内海(巨人)や東海大相模・筑川ら好投手を攻略しての栄冠であった。前述したメンバー以外にも、新2年生コンビの梅山山岡葛原(実は現健大高崎コーチで機動破壊を持ち込んだ人物)、岡本など実力がそろい、打力は出場校中でもトップクラスであった。

その強打の秘訣は、尾崎監督が取り入れた「シンクロ打法」。投手と重心の上下動を同調させることで、タイミングを合わせることが容易になった。中でも、4番の佐藤勇は公式戦12試合で6ホームランを記録。東海大会では満塁ホームランを放ち、神宮大会でも1発を放った。今大会屈指の強打者である。

一方、エース左腕の秋葉は昨夏の都城戦の悔しさをばねに秋は最後まで投げぬいて優勝をつかんだ。球威ある直球と落差のあるカーブで勝負する本格派であり、スタミナには自信を持つ。ただ、制球面に関しては一抹の不安があり、どちらかの球種がコントロールがつかなくなると、途端に雲行きがあやしくなる。打たれ強さはあり、バックには強力打線が控えるだけに、どれだけ最少失点で踏ん張っていけるかがカギを握るところであった。

1回戦

四日市工

1 2 3 4 5 6 7 8 9
1 1 1 0 0 1 0 7 3 14
0 1 0 0 0 0 0 0 0 1

戸畑

こうして、神宮王者として迎えた初戦の相手は福岡の県立高・戸畑。しかし、激戦区の福岡県では北筑・東筑をはじめとして力のある公立校が多く、戸畑もその例にもれなかった。チームの強みは何と言っても、エース横松(広島)の存在だ。柔らかい体の使い方から繰り出す速球は140キロ台を計測。球威・キレも伴う本物の真っすぐだ。

前年秋の九州大会では、準々決勝で九州学院に0-6と敗退していた。通常なら、選出は難しい状況だが、準決勝で九州学院・城北の熊本勢2校が敗退したことで、地域性も考慮して、優勝した柳川にコールド負けの城北がはじかれる格好に。戸畑も柳川と同じ福岡県勢なのだが、その事情を差っ引いてでも、高野連の選考委員は選抜の舞台でエース横松を見たかったのだろう。春の全国の舞台では、やはり好投手のピッチングは映えるのだ。

こうして、強打を誇るV候補・四日市工と好投手・横松の対戦が実現。1回戦の中でも注目のカードとなった。

しかし、ここまで多くの好投手とのしびれる対決を制してきた四日市工にとって、わかりやすくストレートで攻めてくる横松は、相対しやすかったか。加えて、横松が肩の痛みで投げ込み不足という事情もあった。初回に4番佐藤のタイムリーで先制すると、3回まで毎回タイムリーが飛び出し、着実にリードしていく。

一方、前日まで発熱していたという四日市工・秋葉だが、当日の朝にはけろっとした姿を見せ、尾崎監督を安心させていた。2回裏に1点は失うも、速球は走っており、カーブは切れる。両球種とも調子がいい時の彼は手が付けられないのだ。おまけに、相手打線がやや非力と見るや強気のインコース攻めでガンガン行くため、戸畑打線はなかなか攻略の糸口をつかめず。結局、この試合で14三振を奪うこととなる。

そして、横松がなんとか踏ん張って1-4で迎えた終盤戦。ついに緊張の糸が切れたか、8回に6安打7点、9回に4安打3点を挙げ、勝負あった。速球が走らない中、戸畑バッテリーの息が合わないこともあったが、それ以前に四日市工の打力がすさまじかったのだ。上位打線だけでなく、下位打線の4人も併せて10安打を放つなど、どの打順からでも仕掛けられる攻撃力は脅威であった。初戦を終え、やはり「四工強し」の印象を他校の監督は抱いたことだろう。

【好投手列伝】三重県篇記憶に残る平成の名投手 1/2 | 世界一の甲子園ブログ

四日市工の長打力

2回戦

四日市工

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 0 4 0 2 0 1 0 0 7
0 1 0 5 2 0 0 0 × 8

明徳義塾

初戦を順当に勝ち上がった四日市工。しかし、2回戦の相手は試合巧者・明徳義塾であった。V候補として迎える相手としては、実に不気味なチームだ。

右腕・三木田、左腕・増田はともに昨年の甲子園を経験しており、特に三木田は昨夏の長崎日大戦でサヨナラ暴投をしてしまった悔しさをばねに猛練習に励んできた。冬場の走り込みで下半身は一回り大きくなり、速球のスピード・球威とも上昇。もともと多彩だった変化球に直球の威力が加わり、攻略の難しい投手となった。

初戦は初出場ながら、好投手・亀井(巨人)を擁し、V候補の一角にも挙げられた上宮太子と対戦。創部2年目の若いチームだったが、その実力は投打とも本物である。ところが、試合が始まると、4番清水を中心に、大会屈指の速球派投手である亀井の真っすぐを明徳打線はポンポン打ち込む。5回までは4-3の接戦だったが、7回に清水の2ランでリードを広げると、後半は完全に明徳ペースであった。エース三木田は後半戦は要所を締める投球を見せ、3失点完投。9-3とまさかのワンサイドで難敵を下し、5年連続の初戦突破を果たした。

2回戦で実現した強豪対決。明徳義塾は前年春に同じ2回戦で同じ三重勢の海星に敗れており(夏はその海星を四日市工が下した)、その試合で投げていた左腕・増田は三重勢へのリベンジに燃えていた。

試合は初戦で好投した両エースの先発で始まるも、二人とも1回戦ほどの調子ではない。秋葉はカーブの制球に苦しみ、2回裏に四死球で二人のランナーをためると、9番村田に高めのカーブをセンターへ運ばれて1点を失う。球種が少ないだけに、1球種でも調子が悪いと投球は苦しくなる。

しかし、1点の差など強打の四工にとっては、さしたるビハインドではない。直後の3回表、8番秋葉が自ら内野安打で出塁すると、犠打で1アウト2塁。1番梅山がヒットでつなぐと、2番佐野のサードゴロがエラーを誘ってすぐさま同点に追いつく。ここで迎えるは強打を誇る中軸。3番大西三木田の真っすぐを痛烈にとらえると、打球はレフトフェンスへ一直線!そのまま直撃するタイムリー3塁打となり、2者が生還すると、4番佐藤三木田のカーブを痛烈にはじき返してセンターへ。三木田がのけぞるほどの強烈な打球であり、迫力満点の攻撃で4点を返す。

倍返しならぬ、4倍返し。これで四工ペースかと思われたが、れこの日は秋葉の調子が一向に上がらない。4回裏、またも制球難が顔を出し、連続四死球などで満塁のピンチを招くと、押し出しで1点を返され、4-2。さらに、2回にタイムリーを打たれている9番村田には、前進守備のセンターの頭上をはるかに超すタイムリー3塁打を浴び、塁上の走者を一掃されて、一気に試合はひっくり返る。この場面は打たれたこともそうだったが、センターの守備があまりに偏った位置であり、正ポジションならあるいは取れたかという当たりだっただけに悔やまれた。

荒れた展開となった試合は、5回表に四日市工が1番梅山、2番佐野、3番大西の3連打に5番山岡のスクイズも絡めて追いつけば、5回裏に明徳が3本の長打ですぐさま2点を勝ち越し。取っては取られのシーソーゲームだったが、絶対的エースの秋葉の調子が上がらない四工の方が少し分が悪かった。

というのも、先ほどリベンジを期すと話していた明徳の2番手の左腕・増田が控えていたからだ。エース三木田にも並々ならぬライバル意識を燃やす負けん気の男は、三木田が打たれたなら自分は抑えるとばかりに、四日市工打線に立ち向かう。四工打線としても、先発の右腕・三木田とは全くタイプの違う一線級の左腕が出てくると攻略は容易ではない。それでも中軸の二人には関係なく、7回表に3番大西、4番佐藤の連打から作ったチャンスで5番山岡が犠飛を放ち、1点を返した。

打線の反撃に応えんと、秋葉も6回以降はランナーを背負いながらも無失点。エースの意地を見せる投球である。しかし、8回、9回は増田の前に四球のランナー一人のみ。最後は4番佐藤がファーストファウルフライに打ち取られ、神宮王者の戦いは2回戦で幕を閉じた。

【好投手列伝】高知県篇記憶に残る平成の名投手 2/3 | 世界一の甲子園ブログ

見ごたえのある打撃戦 – YouTube

 

その後、四日市工は夏は三重県予選でベスト8を前に敗退。2001年は山岡梅山の活躍で春夏連続出場を果たすも、春は藤代・井坂(楽天)、夏は日南学園・寺原(ダイエー)の前に初戦敗退に終わった。以降は、甲子園には戻れず、好投手・米倉を擁した2003年決勝では、同じく2年生エースの江川(ソフトバンク)のいる宇治山田商にサヨナラ弾で屈した。県大会では上位に進出することもあり、オールドファンは復活の時を待っている。

また、尾崎監督は四日市工を退任後は、いなべ総合で指揮を取り、春夏計3度の甲子園出場を達成。県立高2校を甲子園に導いた実績は、三重県屈指の名将であることを証明している。

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