豊田大谷vs智辯和歌山 1998年夏

1998年
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昨夏王者をうっちゃった新鋭校

1998年夏は、平成の怪物・松坂大輔(西武)を中心に高校球界は回っていた。MAX150キロの速球と高速スライダーで打者を牛耳る剛腕を中心に、投攻守走と全く隙の無い布陣を敷く絶対王者である。対抗一番手はPL学園と明徳義塾の2校であり、かたや横浜と同じタイプの隙のない布陣を見せる西の横綱であり、かたや投打に粗さは見られるものの、はまった時の力強さは2校を上回るかもと思わせる四国の強豪であった。

そして、この大会は好投手が多かったことでも有名であり、南から順に、沖縄水産・新垣(ダイエー)、鹿児島実・杉内(ダイエー)、東福岡・村田(横浜)、岡山城東・中野、浜田・和田(ダイエー)、京都成章・古岡、関大一・久保(ロッテ)、海星・岡本(西武)、敦賀気比・東出(広島)、星稜・米沢、日本航空・松本(近鉄)、滑川・久保田(阪神)、八千代松陰・多田野(日本ハム)などなど枚挙にいとまがない状態であった。

これに対し、攻撃型のチームでも魅力的なチームはいくつかあり、同年秋に神宮王者となる日南学園、スラッガー吉本(ダイエー)の率いる九州学院、田中賢介(日本ハム)・村田・大野(ダイエー)とタレントの揃う東福岡、強打者・松浦のいる如水館、大会初戦で3本のホームランを放った海星、3季連続出場の敦賀気比、ヒグマ打線の駒大岩見沢などが注目されていた。

が、そんな中でも攻撃力に自身を持っていた2校が豊田大谷と智辯和歌山。虎視眈々と上位をうかがう2校が、ベスト8をかけて3回戦で激突することとなった。

豊田大谷は、初出場だった前年に続いて2年連続の夏の甲子園。若き指揮官・後藤監督に率いられ、強打を武器に甲子園に乗り込んできた。

注目は何と言っても大会屈指のスラッガー古木(横浜)。2年生の夏の甲子園の初戦・長崎南山戦では、9回表に同点2ラン、延長12回に勝ち越し2ランを放つという離れ業を見せた。しかも、1本目はライトへ引っ張って弾丸ライナー、2本目はレフトへ流す滞空時間の長い一発と、打者としての幅も見せていた。のちに松坂世代と言われる1980年生まれの面々だが、一番最初に名を打ったのは、2年生の甲子園で活躍した、この古木と現・阪神タイガース監督の藤川球児(高知商)だったのだ。

そんな古木だが、ブレイクを経ての最終学年はバッティングフォームを見失い、苦労することとなる。打ちたいという気持ちが焦りを生み、自分の打撃を崩していた。だが、核弾頭・大井や4番捕手でチームの要であった前田ら同世代に好選手の残った豊田大谷は順調に最後の夏を勝ち上がっていく。投げては長身の右腕・上田(かんだと読む)が準決勝・決勝と無失点ピッチング。不振にあえぐ主砲をチームで支え、2年連続の夏切符をつかみ取った。

甲子園では初戦でいきなり東福岡との強豪対決となるが、中盤にセンター山瀬の好プレーで相手の得点機を阻むと、4回に3番古木がエース村田から2点タイムリー!この中盤の攻防を制した豊田大谷が、7回にも6番小谷の満塁走者一掃打などで大量6点を奪う。8回の東福岡の猛追を4点にとどめ、注目の好カードを乗り切った。

すると、2回戦では山口・宇部商との対戦。過去に何度も印象的なホームランで甲子園を沸かせてきた伝統校は、中京や東邦といった同じ愛知の強豪校が苦しめられてきた相手でもあった。対戦前に「宇部商の玉国監督は粘っこい野球をするから気をつけろ」と助言を受け、臨んだ一戦だったが、相手の2年生左腕・藤田の前に8回まで古木のタイムリー1本に抑え込まれる。しかし、1-2で迎えた9回裏に2アウト1,3塁からしかけた重盗が成功!土壇場で同点に追いつくと、最後は延長15回裏にサヨナラボークというまさかの幕切れで勝利!粘り強さの出てきた愛知の新鋭が、台風の目になりつつあった。

試合前に100mダッシュ100本、スクワット1000回!」智弁和歌山 ...

一方、平成初期から甲子園で常連校となってきていたのが和歌山代表・智辯和歌山である。平成序盤は出ると負けの状態が続いていたが、高嶋監督が野球部の体制に手を加えていく。中でも驚きだったのが、1学年10人という少数精鋭のメンバー構成。けが人などが出ると途端に破綻しそうなシステムだが、一人複数ポジションを敷き、特性があるとみるやコンバートを厭わない姿勢で、斬新なチーム作りを推し進めていった。

1994年春に横浜、宇和島東、PL学園、常総学院と名だたる強豪を倒して、初優勝を飾ると、1996年春は2年生エース高塚(近鉄)の快投で準優勝を達成。そして、前年にあたる1997年夏はケガで満足に投げられない高塚をカバーしようと打線が奮起し、3番喜多(ロッテ)、4番清水、5番中谷(阪神、現智辯和歌山監督)を中心とした猛打で、ついに選手権初優勝を手にしたのだった。

ただ、1998年度のチームは一つ上の学年が投手・野手ともに力のある選手が揃っていたため、新チームになった時、試合の中で核となる選手が少なかった。秋の近畿大会では初戦でPL学園と当たり、3-6と敗退。投手陣は速球派の児玉と野手兼任の中村秋の両右腕が軸だったが、前年に比べるとやや質量とも下がる印象だった。また、打線は1番久米、2番福地、3番佐々木といずれも2年生を起用。やや狭間の学年にもあたる印象の1998年世代であった。

しかし、毎年3年生を大事にする高嶋監督は例年通りの猛練習で選手を鍛え上げる。夏の和歌山大会準々決勝では橋本高校の好投手に苦戦し、2-2の同点で日没再試合となることも。しかし、再試合を制すると、準決勝・決勝も打ち合いをなんとか1点差で制して、しぶとく3年連続出場をつかみ取った。投手力にやや不安があったものの、攻撃力は健在。4番中村秋、5番池辺、そして、6番鵜瀬と上級生が並び、1~3番の下級生で作ったチャンスを生かす布陣である。

昨年までのような優勝を狙って勝ち抜く力はないものの、組み合わせにさえ恵まれたらするするっと勝ち抜くのではという手ごたえが主将・鵜瀬にはあった。奇しくも大会が始まると、東海勢との対戦ばかりが続き、掛川西・岐阜城北と危なげなく撃破。打線が序盤から先制点を奪い、そのリードをエース児玉が守るという安定した戦い方で勝利を重ねた。こうして、3戦目、この年の東海地区の中でも親玉に当たる、強打の豊田大谷と相まみえることとなったのだ。

主砲にようやく出た一発、そして、犠打

1998年夏3回戦

豊田大谷

1 2 3 4 5 6 7 8 9
1 0 1 0 0 1 2 0 2 7
0 1 3 1 1 0 0 0 0 6

智辯和歌山

 

豊田大谷   上田

智辯和歌山  児玉→中村秋

1998年 高校野球 選手権 3回戦 豊田大谷vs智弁和歌山 DVDの落札 ...

さて、3回戦で戦うこととなった両者だが、実は夏前の練習試合で対戦していたのだ。その時はダブルヘッダーであり、智辯和歌山が2試合で合計30得点近くを奪って、連勝を飾っていた。よく、夏前の練習試合で勝ったチームと本戦で当たるとやりにくいというが、試合前の智辯ナインには勝つ手ごたえがしっかりあったそうだ。

ともに攻撃型のチームだけに、試合は序盤から打ち合いとなる。1回表、智辯・児玉の立ち上がりをとらえ、先頭の大井がヒットを放つと、盗塁と犠打で1アウト3塁。ここで3番古木が詰まりながらも、センターへ落とし、先制点を挙げる。この試合も先制されていたら、そのまま流れにのまれていた可能性があり、この一打は大きな意味があった。

だが、智辯ナインにとって一度対戦している右腕・上田に関して、苦手意識はない。互いに1点を加え、1-2で迎えた3回裏、ランナー一人を置いて3番佐々木が速球をフルスイングすると、打球はレフトフェンスを悠々超える逆転2ランに!この回、さらに6番鵜瀬、7番川崎の長短打で1点を加え、主導権を奪い返す。

上田は長身から投じるボールの角度が武器だが、球威・スピードがとびぬけているわけではない。基本的に内外角の出し入れと緩急で勝負するタイプだが、時折甘くなったボールを智辯打線が見逃してくれない。4回裏には9番児玉にカーブを引っ張り込まれてレフトポール際へ一発を浴びると、5回裏には守備ミスも絡んでもう1点。先行して流れを作った豊田大谷だったが、前半戦を終わって2-6とリードを許す展開となった。

逆に智辯和歌山ナインとしては、先行されたものの逆転に成功し、練習試合の時と同じような感覚になりつつあったかもしれない。だが、決して守りに入ったわけではないものの、ここから豊田大谷の猛追を受けることとなる。

6回表に、エース児玉の荒れ球が裏目に出て、連続四球から犠打と犠飛で1点を返されると、7回表にはラッキーボーイの9番山本の2塁打から1番大井のレフトフライによるタッチアップと2番山瀬のスクイズで1点。そつのない攻撃でじわじわと2点差に詰め寄っていく。ディフェンス力に不安を抱えるこの年の智辯和歌山としては嫌な流れだ。一度守勢に回ると、簡単に覆らないのが甲子園でもある。

だが、2点差になったものの、2アウトでランナーはなし。このまま終われば、あるいは智辯の勝利だったかもしれない。ところが、この傾いた流れをさらに加速させる一打が、最も重要な打者から飛び出すこととなる。ここまで3試合連続でタイムリーを放っていたものの、なかなか自分らしい長打の出ていなかった3番古木。智辯のエース児玉のアウトコース高めの速球に対し、バットが素直に出る。ジャストミートした打球は、左中間スタンド中段へ流し打ちで飛び込む特大のホームラン!智辯ナインには焦りを、豊田大谷には歓喜を呼び込む一打となり、終盤戦へむけていよいよ風雲急を告げる展開となったのだ。

ただ、高嶋監督にとってこうした追い上げを食らう状況の中で、ディフェンス以上に痛かったのは、6回から8回までの3イニングで4安打1四球1盗塁と、相変わらず豊田大谷・上田をよく攻め立てていたのだが、ここという場面で肝心の一本が出ない。この時間帯で1点が取れていたら、試合展開も大きく変わっていただけに惜しまれる逸機の連続であった。

こうして、1点差のまま試合は最終回へ。8回にもピンチを迎えていた智辯は2番手の右腕・中村秋にスイッチしていた。ただ、タイプとしては先発の児玉とそう変わるわけでもなく、そこまで有効性のある継投になっていなかった点も否めない。すると、9回表、巧打の1番大井がヒットを放つと、2番山瀬はじっくりと選球して四球を奪取。このあたりはただ打つだけでない、豊田大谷の攻撃力の高さが垣間見えた。

ここで、打席には先ほど会心のホームランを放った3番古木。当然打たせると思ったのもつかの間、なんと後藤監督は古木に犠打を命じたのだ。この判断に古木も応え、きっちりと打球を殺したバントで1アウト2,3塁とチャンスをおぜん立てする。流れるような攻撃で得た絶好機。もはや試合の流れは完全に豊田大谷の手中にあった。4番前田がたたきつけた打球は高いバウンドで三塁手の頭上を越し、レフトへ。鵜瀬の懸命のバックホームはそれてしまい、2者が生還!土壇場で試合をひっくり返る劇的な一打となった。

だが、昨夏の王者の威信にかけて智辯和歌山も簡単には引き下がれない。先頭の5番池辺が四球を選ぶと、犠打と7番川崎のヒットでチャンスメーク。さらに、川崎は盗塁も決め、1アウト2,3塁と一打逆転サヨナラのチャンスを迎えた。

ただ、13安打を浴び、序盤から終盤までランナーを背負いっぱなしの豊田大谷・上田であったが、この男は本当にタフだった。サード古木から高さだけは気をつけろとの指示を受け、目いっぱいのボールを低めへ投じていく。代打・中村泰を空振り三振に打ち取ると、最後は同じく代打の井上(翌年のエース)に対して変化球を打たせ、セカンドフライで打ち取ってゲームセット。劇的な逆転勝ちで昨夏の王者を沈めた豊田大谷が、ベスト8へとコマを進めたのだった。

まとめ

豊田大谷は、その後、準々決勝で好左腕・和田を擁する浜田にもサヨナラ勝ち。これまた劇的な勝利で、この大会4強まで勝ち進んだ。この大会はよく横浜の勝ち上がり方が取りざたされるが、豊田大谷の勝ち方もまた負けず劣らずドラマチックであった。東福岡との強打対決、宇部商戦の延長15回サヨナラボーク、智辯和歌山戦の最終回逆転劇、そして、浜田戦で2度目のサヨナラ勝ちと、これほど観衆を魅了したチームは歴史を振り返ってもそうそうないだろう。真っ赤なユニフォームとともに鮮烈な印象を残し、今も多くの高校野球ファンの脳裏に焼き付いている。

一方、智辯和歌山は終盤に守り負けた印象の試合だったが、智辯和歌山・高嶋監督の試合後のコメントは、「最終回の1アウト2,3塁でひっくり返せないのがいけない」と攻撃面に敗因を求めるものであった。取られたら取り返せばいいのだという、どこまでも攻撃的な姿勢には、清々しさを感じさせるものがあった。翌年、久米・福地・佐々木が最上級生となった1999年夏も岡山理大付に9回裏で逆転サヨナラ負けを喫し、2年連続で悔しい敗戦に。しかし、2年後の夏、ご存じの通り大会記録を数々塗り替えた強力打線を擁し、攻撃野球で大輪の花を咲かせることとなる。

対照的な2本塁打 大会第23号、24号

強打者のバント 勝利への執念

岡山理大付vs智辯和歌山 1999年夏 | 世界一の甲子園ブログ

コメント

  1. Keiji より:

    98年に出ていた池辺は池辺啓二さんの2つ上の兄・亮一さんですよね。亮一さんのこともあって、啓二さんを智弁に勧誘したという話もありますから、運命みたいなものは分からないものですね。

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