天理vs西日本短大付 1990年夏

1990年

セミファイナルで観衆魅了したシーソーゲーム

1990年夏は、選抜4強がすべて予選で敗退する波乱の幕開けとなった。大会が始まると西高東低の様相を呈し、ベスト8の6校を西日本勢が占めることに。準々決勝で日大鶴ケ丘、横浜商が敗退したことで、東日本勢は全滅。エース上園、主砲・内之倉(ダイエー)と投打の柱を擁した鹿児島実も敗退し、優勝争いはいよいよ混迷を極めていた。

そんな中、大会前の下馬評はさほどでもなかったが、試合を重ねるごとに強さを増してきた強豪2校が準決勝第2試合で激突することとなった。

好投手列伝】奈良県篇記憶に残る平成の名投手 1/3 | 世界一の ...

天理は4年前に念願の全国制覇を果たし、この年の選抜でも出場を果たしていた。身長190センチを超えるエース南(日本ハム)、2年生右腕・谷口(巨人)と他校がうらやむツインタワーを擁し、打線も主砲・小竹を中心に周りを2番大宅、3番大森、6番大仲と力のある2年生が固め、スケールの大きなチームであった、

ただ、スケールの大きさにはもろさが同居するのも天理によくある例であり、選抜では初戦突破を果たすものの、2回戦で高松商に2-8と完敗。さらに、5月には部員の不祥事で森川監督が引責辞任となり、初優勝時の監督だった橋本監督が再び就任するというドタバタ劇もあった。しかし、2週間の自粛期間を経て戻ってきた選手たちは野球をできる喜びにあふれており、今までのような試合での硬さはなくなっていた。

奈良大会は準決勝でライバル智辯学園を4-3と競り落とすと、他は危なげなく通過。ターニングポイントとなったのは、2回戦の成田戦である。成田の好左腕・猪俣に6回まで無安打に抑えこまるが、名将・橋本監督が放ったあの名言、「ぼちぼちいこか」の一言でナインの緊張はほぐれ、一気に攻勢に向かった。7回裏に同点に追いつくと、1点を勝ち越されて迎えた9回裏も猛反撃。大会初安打で出塁した4番小竹を犠打で送ると、6番梅田が同点打、7番井上がタイムリー2塁打と瞬く間に試合をひっくり返して、サヨナラ勝ち!難敵を下し、3回戦進出を決めた。

春先の不祥事、そして、2回戦の成田戦と逆境を乗り越えて強さを増した天理ナイン。その後は、3回戦で前年準優勝の仙台育英を、準々決勝は旋風を巻き起こしていた香川・丸亀をいずれもワンサイドで一蹴。南、谷口の二人の長身右腕がすこぶる調子がよく、特に南は集大成とも言える投球を見せていた。4年ぶりの優勝まで後二つ。奈良の伝統校が勢いに乗ってきていた。

好投手列伝】福岡県篇記憶に残る平成の名投手 1/3 | 世界一の ...

一方、西日本短大付は1986年夏、1987年春と好左腕・石貫(広島)を擁して初出場を果たすと、名将・浜崎監督に鍛え上げられたチームは、年々力を増してきていた。そして、この夏のチームは、腰をぐるっと回転させた独特なフォームで投げる、右サイドのエース中島を中心にしぶといチームに仕上がっていた。激戦の福岡大会で強豪を寄せ付けずに圧倒的な勝ちっぷりを見せると、優勝インタビューで浜崎監督は「旗を狙います」と豪語して、甲子園へ乗り込んできたのだ。

本戦では、初戦の2回戦で桜井を相手に8-0と圧勝。この試合は、2回から9回まで毎回1点ずつを挙げるという珍しい得点の仕方。3番木附の2ホームランに加え、相手の守備ミスにつけ込んだ得点やスクイズなど多彩な得点方法で、一切相手に主導権を与えなかった。続く3回戦では中軸にホームランバッターを揃える宇部商との対戦となったが、エース中島が粘投。ここに内野守備陣がけん制アウトを奪うなど、守備での精密さも加わり、相手の強力打線を2点のみに抑えた。

そして、大一番は準々決勝の鹿児島実戦だ。上園・内之倉と投打の柱を擁する相手に対し、西短は初回に機動力を絡めて、打者3人で2点を先制。あっという間に主導権を奪うと、4回までに4点を奪い、上園が調子に乗る前に畳みかけていった。終盤は内之倉の大会3本目のホームランで1点差に詰め寄られるが、最後は相手の攻撃のミスにも助けられ、4-3で逃げ切り勝ち。同じ九州で見上げていた相手を下し、甲子園初勝利から一気に4強まで勝ち上がった。

西短らしいしぶとい勝ち上がり。宇部商・鹿実とタレント力で上回る相手を、守備を中心にした組織力で封じ込めてきた。準決勝で、スケールの大きな野球の天理に対し、どう戦っていくか。非常に楽しみなカードが幕を開けた。

一つの死球とポジショニングがわけた明暗

1990年夏準決勝

西日本短大付

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 2 0 0 1 1 0 0 0 4
1 0 1 0 2 0 0 0 5

天理

 

西日本短大付  中島

天理      南→谷口

先発は、西短が中島、天理が南と両エースを指名。投手戦もあるかと思われたが、これがそれぞれ4試合目・5試合目となり、硬さのない両チームの打線が立ち上がりから襲い掛かった。

1回裏、天理は2アウト1,2塁のチャンスをつかむと、5番大仲のタイムリーで1点を先制。さらに、満塁と攻め立てて、7番井上の大飛球は風に押し戻されてアウトとなるが、各打者が右サイドの投手に対して、きっちりセンターから逆方向を意識した打撃を見せていく。

これに対し、西短打線も天理・南への対策は万全だった。ここまで4試合でわずか3失点の難攻不落の長身右腕に対し、2回表に5番山口、6番片岡が連打を放つ。エンドランも絡めており、足元からの揺さぶりも効果的だ。ここで鹿実戦はホームランと当たっている7番後藤が3塁戦突破のタイムリー!2者が生還し、逆転に成功する。南の角度のある速球に対し、徹底して叩きつける打撃で攻略に成功する。

しかし、天理打線は2回戦の苦しい戦いを経て勢いに乗っていた。3回裏にここまで打率5割近い2番大宅がホームランを放って同点に追いつくと、1点を勝ち越された5回裏にも4番小竹のタイムリーで逆転に成功する。西短・中島のフォームは下半身に相当負担がくるものであり、やはり連戦の疲労は隠しきれないか。それでも、なんとか最少失点で踏ん張り、味方の反撃を待つ。

一方、天理・南もなかなか調子が上がらず、5回途中でついに2年生右腕の谷口にスイッチ。西短は、この夏、南を唯一途中降板に追い込んだチームとなった。ただ、ここで控えていた谷口が想像以上のピッチングを見せる。捕手・柴田の起点でそれまであまり多く投げていなかったカーブを多投。これが、まんまとはまり、南対策で速球狙いを徹底していた西短打線を封じ込めることとなる。6回に守備ミスで追いつかれはするものの、以後は淡々としぶとい打線を封じ込めていった。

試合は、4-4の同点のまま9回裏へ。互いに投攻守ともすべて出し切った好ゲームはクライマックスへと入っていく。

この回、中島は7番、8番を簡単に打ち取り2アウトランナーなし。しかし、ここで9番柴田へのボールがすっぽ抜け、背中への死球となる。まだ2アウト1塁。スコアリングポジションには進んでいないが、野球はこういうところから動くものだ。西短守備陣は当然、左中間・右中間を締めて、1塁ランナーを返さない体制を取る。

ここで打席には天理の核弾頭・寺川。なんとかチームを救いたい主将だったが、簡単に2ストライクと追い込まれる。ここで西短ベンチの浜崎監督は勝負を急がないように、いったん間を開けようとするが、これがバッテリーに届いていない。すると、アウトコース低めを狙ったボールは魅入られたように真ん中へ入っていく。寺川はバットを振りぬくと、打球は1塁手の横を鋭く破り、誰もいないライト戦をフェンス際まで転がっていく。右中間を締めていたライト竹内は追いつくのが遅れる。

これを天理の3塁コーチャー難波が見逃さなかった。3塁へ向かってくる1塁ランナーの柴田へ迷わず腕を回す。西短守備陣の中継プレーが間に合う前に、柴田がホームを駆け抜け、サヨナラのホームイン!天理とたった一つ空いていた穴をこじ開けたような形で西短に競り勝ち、4年ぶり2度目となる決勝への切符をつかみ取ったのだった。

まとめ

天理はこの後、決勝で沖縄水産に1-0と僅差で競り勝って2度目の優勝を達成。この試合のラストもあわや同点打という当たりをレフト小竹がファインプレーで好捕し、最少得点差で逃げ切っての勝利だった。準決勝で自分のピッチングができなかった南も、決勝は疲労困憊の中、我慢の投球で完封勝利を挙げた。

先ほども書いたように、優勝までの道のりは逆境の連続であった。思えば、初優勝時のエース本橋の故障もそう、そして、7年後の1997年に選抜初優勝を果たした時も逆境を乗り越えての栄冠だった。苦しい状況が重なった時、そこでめげることなく乗り越えた先に、本物の強さがあることを天理ナインはいつの時代も証明してくれている。

1990年全国高校野球 天理、サヨナラで決勝進出

一方、敗れた西短ナインも見事な戦いぶりであった。強豪ばかりとの対戦だったが、持ち味のディフェンシブな野球が全国でも通用することを十分証明したといえるだろう。内野のサインプレーの豊富さ、ポジショニングの妙など、考えて野球をやることで相手との力の差を埋められるという、まさにお手本のような野球であった。この年は、惜しくも準決勝で姿を消したが、2年後の選手権ではエース森尾を擁し、5試合をわずか1失点という完ぺきな投球で栄冠を勝ち取ったのだ。

そして、この時代の福岡勢は、1988年の福岡第一(準優勝)、1989年の福岡大大濠(ベスト8)、先ほど書いた1990年の西日本短大付(ベスト4)、1991年の柳川(ベスト8)、1992年の西日本短大付(優勝)と5年連続で夏の大会ベスト8以上という快挙を成し遂げた。これだけ連続で、しかも代わる代わるほぼ違うチームが出場しての連続上位はちょっと記憶にない。まさに福岡勢の強さが際立った時代だったが、どの年も絶対的エースを中心にしっかり守れる強さを兼ね備えていたのだった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました