2026年選抜決勝
智辯学園vs大阪桐蔭
50.1% 49.9%
〇4-0 花巻東 〇4-0 熊本工
〇2-1 神村学園 〇6-5 三重
〇12-8 花咲徳栄 〇4-3 英明
〇2-1 中京大中京 〇3-2 専大松戸
本命不在と思われた2026年の選抜大会のファイナルは、近畿の強豪同士のマッチアップとなった。投手運用ではエース杉本が連投になる智辯学園より、大阪桐蔭の方が有利なのは否めない。それでも、エースが投げた時のチームの安定感で智辯学園がわずかに上回るか。
智辯学園はエース左腕・杉本がここまで大車輪の活躍。4試合を投げて失点はわずか2と抜群の安定感を誇る。速球はスピード・球威ともに抜群であり、準決勝では9回に147キロを計測するなど、まだまだ余力はある。速球、スライダーを軸にした投球で、狙い球を絞られやすいが、試合の中で相手の狙いを察知し、配球を変える柔軟性もある。このあたりは捕手・角谷の好リードによるところも大きい。準決勝の最後に中京の1番田中の打球を受けた影響と球数制限の影響で131球までとなっている点は懸念材料か。花咲徳栄戦で失点はしたものの、控え投手陣も総動員の心構えが必要だ。
対する大阪桐蔭打線は、かつてのような豪打のイメージはないものの、つながりの良さは決して以前のチームに劣らない。準決勝でも低く強い打球を心掛け、コツコツと3点を奪取。専大松戸の好右腕・門倉から決勝点をもぎ取った。西谷監督が要所でエンドランをかけているのも、ある意味、大阪桐蔭が乗っている時の兆候だろう。準決勝では5番藤田、6番主将の黒川とあたりが出てほしい打者にヒットが出たのも好材料だ。主力に左打者が多いだけに、杉本の決め球のスライダーに対して、いかに開かずに打っていけるかがカギとなる。
一方、大阪桐蔭投手陣にとって大きいのは、エース𠮷岡の復活だろう。2回戦は7四死球を与える大乱調だったが、この日は7回まで1失点と力投。本来の指にかかった速球がアウトコース低めに決まりようになり、試合を作ることに成功した。やや変化球の時に腕が緩みがちなことと、速球がたまにシュート回転することは不安材料ではあるが、決勝戦で登板するめどは立ったと言える。そして、2年生左腕・川本は相変わらずの球威と角度で打者を翻弄。特に右打者のインサイドへのスライダーはバットの軌道を合わせるのが難しい。こちらも時折見せる制球難は不安だが、ボールの力自体はまぎれもなく一級品だ。
対する智辯学園打線は、準決勝では中京大中京の先発・安藤のスプリットに苦戦。前半戦はなかなか自分たちのバッティングができなかった。ただ、6回から継投した左腕・今井の方が合っている印象があり、逆方向を意識した打撃で2点を奪うことに成功した。この打撃が川本相手にできれば、威力のある速球を攻略することができそうだ。4番逢坂、5番馬場井にこのバッティングを期待したい。懸念点としては、終盤に犠打や走塁で少しミスが目立った点か。ファイナルの舞台では致命傷になりかねないだけに、後2日で修正しておく必要があるだろう。
2021年のコロナ明けの選抜では智辯学園が勝利。甲子園での対戦はこの1回だけだが、春秋の近畿大会ではもう何度も顔を合わせており、互いによく手の内を知りつくした関係だ。。大阪桐蔭としては杉本攻略へ向け、球数の面も含めて序盤からじっくりと攻めたいところ。投手層で上回るだけに終盤へむけて接戦に持ち込みたい。逆に智辯としては、川本・吉岡の両輪を含めて桐蔭のハイレベルな投手陣の速球に力負けせず打ち返せるか。投打に軸となる選手が仕事をできれば、優勝が近づいてきそうだ。いずれにせよ、両校の総合力に大きな差はなく、決勝戦にふさわしい好勝負となるだろう。
主なOB
智辯学園…秦裕二(横浜)、岡本和真(巨人)、廣岡大志(巨人)、村上頌樹(阪神)、前川右京(阪神)
大阪桐蔭…中村剛也(西武)、中田翔(巨人)、浅村栄斗(楽天)、森友哉(オリックス)、森陽樹(オリックス)
奈良 大坂
春 2勝 1勝
夏 2勝 3勝
計 4勝 4勝
近畿の強豪地区同士の対決は、春は奈良勢が、夏は大阪勢がリードしており、TOTALでは五分の星となっている。
奈良勢の勝利で印象深いのは1997年の準決勝。新チーム結成以来、練習試合も含めて負けなしの上宮が優勝候補の筆頭として挙がっており、エース山田(巨人)、サイド右腕・建山の2枚看板を、1番渡辺(ロッテ)、3番主将の三木、主砲・多井(今回、智辯学園で出場している多井選手のお父さん)ら強打者が揃う打線が支えていた。準々決勝では育英を相手に9回に3点差を追いつく逆転劇を見せ、4年ぶりの優勝が見えてきたかと思われたが、立ちはだかったのは同じ近畿の名門・天理。エース左腕・小南の力投と勝負強い打撃で2-1と逆転勝ちし、勢いに乗って選抜初優勝を果たすこととなった。
また、コロナ明けの選抜大会では智辯学園と大阪桐蔭という、今回対戦する両校が初戦で激突。この時は前年秋の近畿決勝でも対戦しており、その時は智辯学園が7-3で大阪桐蔭を下していた。リベンジに燃える大阪桐蔭が勝つかとも思われたが、初回にエース左腕・松浦(日本ハム)が智辯の6番植坂の満塁走者一掃打などえ4点を失う。中盤には2番手の右腕・関戸も守備のミスなどで3点を失い、自慢の左右2枚看板が攻略されることに。打線は終盤に智辯の左腕・西村から得点を重ね、追い上げを見せたが、8-6で再び智辯の軍門に下ることとなった。
2021年選抜1回戦 智辯学園vs大阪桐蔭(4日目第2試合) | 世界一の甲子園ブログ
一方、2010年の選手権大会では履正社と天理という好カードがなんと初戦で実現。この時は反対の山にもエース有原(日本ハム)を擁する選抜4強の広陵と、2年生エース斎内(阪神)が軸の春季東北王者・聖光学院がおり、とんでもない激戦区となっていた。
この年の天理は、森川監督が打撃に振り切ったチームを作り、3番中村(ロッテ)、4番安田、5番内野の中軸を筆頭に打って打って打ちまくって勝ってきた。しかし、試合が始まると、履正社の2年生エース飯塚を打ち崩せず、逆に履正社はランナー1.3塁からのトリックプレーなどで天理のエース左腕・沼田から小刻みに加点。天理は1アウトランナー3塁のチャンスを2度逸するなど、拙攻が続き、試合巧者の履正社が4-1で勝利を収めることとなった。ちなみにこの時履正社の3番を務めていたのが、のちにトリプルプレーを3度達成する山田哲人(ヤクルト)である。
また、2012年夏の選手権大会準々決勝では大阪桐蔭と天理の近畿勢対決が実現。この年の大阪桐蔭は藤浪(DeNA)-森(オリックス)のバッテリーを中心に春夏連覇を狙っており、選抜では接戦続きであったが、夏は盤石の強さを誇っていた。そんなチームが唯一公式戦の負けをつけられたのが、前年秋の近畿大会・準々決勝の天理戦。終盤に藤浪が2ランホームランを喫するなど、4-8と逆転負けし、一時は選抜行きも危ぶまれた。
その後、両チームとも春夏連続出場を果たすこととなるが、天理はエース中谷が腰の痛みで離脱するなど苦しい時期を過ごした。それでもチーム全体で立て直すと、3回戦ではV候補の浦和学院を下し、久々にベスト8の舞台化で帰ってきたのだ。ただ、再戦したこの時には両者の力関係は大きく入れ替わっていた。桐蔭は森の先頭打者弾、藤浪のホームランなどで着々と加点。山本・中谷の左右2枚看板を打ち崩すと、藤浪も大量リードの中で150キロ台の速球と高速スライダーで伸び伸びと投げ、8-1と完勝を収めた。ただ、天理の1点は9回に6番吉村が放ったホームランによるものであり、最後まで強敵を相手に食らいつく姿勢を見せたナインの姿は笑顔であふれていた。
白熱したバトルを繰り広げてきた両府県の激突。優勝を勝ち取るのはどちらになるのか。
思い出名勝負
1995年夏準々決勝
PL学園
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
| 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 |
| 3 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 |
天理
PL学園 前川→前田
智辯学園 池田→木挽
3月に発生した阪神大震災の影響がまだ色濃く残る中で、迎えた1995年の選手権大会。大会前は選抜優勝の観音寺中央とスラッガー福留(中日)を擁するPL学園が優勝校の最右翼と言われたが、観音寺中央は2回戦で日大藤沢にサヨナラ負けを喫し、敗退。その日大藤沢を3回戦で激戦の末に逆転で下したPL学園がベスト8が出そろった段階で、V候補一番手に挙げられていた。しかし、準々決勝で王者の前に立ちはだかることとなったのが、同じ近畿の伝統校・智辯学園であった。
PL学園は1987年に春夏連覇を達成するも、その後4年間は春夏ともに甲子園出場無と苦しい時期を過ごしていた。1992年の選抜で5年ぶりの出場を果たすと、2年後の1994年の選抜では当時2年生の福留を擁してベスト4まで進出。準決勝で優勝した智辯和歌山に4-5と惜敗したが、そこまでの勝ち上がり方は圧倒的であり、王者・PL復活を予感させる流れは確実にできつつあった。そして、福留が最上級生を迎えた1995年世代は2年連続で秋の近畿大会を制覇。久々の全国優勝へ向け、中村監督も確かな手ごたえを感じていた。
しかし、絶対的優勝候補として迎えた選抜では、初戦で銚子商に7-10と延長の末に惜敗。負けたこと以上に試合内容が良くなく、福留の勝ち越し3ランで一時3点のリードをしながら、前田(阪神)、前川(近鉄)ら投手陣が打ち込まれ、ここに守りのミスも絡んでリードを守り切れなかった。悔しさをばねにのぞんだ夏は、大阪大会で福留が5試合連続7ホームランと爆発。課題とされた守りも安定し、甲子園へ乗り込んできた。甲子園では1,2回戦をエース前田の好投で快勝すると、3回戦では前述した日大藤沢に逆転勝ち。3失策と少し守乱の気配が顔をのぞかせたが、それでも再逆転で試合をものにする「逆転のPL」で8強へとたどり着いた。
そんなPL学園の相手となったのが、奈良代表・智辯学園であった。昭和後期から存在感を発揮し、当時は天理・郡山とともに県内3強として君臨。1977年には剛腕・山口(近鉄)を擁して選抜4強入りを果たすなど、一時代を築いた。しかし、1986年にライバル天理が選手権で初優勝を果たすと、1990年には2度目の優勝を達成。昭和終盤~平成初期にかけて一気に甲子園での実績で突き放された感があった。
また、1994年の選抜では兄弟校の智辯和歌山が初優勝を達成。もともと智辯学園の監督だった高嶋仁が率いる「弟分」にも先に優勝をかっさらわれることとなった。これは当事者たちにとってはかなり忸怩たる思いだったようで、この代は特に甲子園で勝ちたい思いが強かったようだ。キレのあるボールを投じる左腕・池田と長身から角度のあるボールが武器に右腕・木挽の2枚看板を、4番小阪(現・智辯学園監督)を中心とした打線が支え、夏は平成元年以来実に6年ぶりとなる出場を果たした。本戦では、打線が好調で高岡商に10-0、青森山田に5-2と快勝し、8強へ進出。投手陣も安定し、久々に上位まで勝ち上がってきた。
さて、智辯学園としては、同じ近畿で見上げるような存在だった強豪にどう対していくか(一つ例を挙げて話せば、前年秋の近畿大会では智辯学園は初戦で育英に0-6と完敗。その育英に準決勝でPLは4-0と完勝していた)。甲子園1回戦で2打席連続弾を放った福留はもちろんすごいが、それ以外にも俊足巧打の1番渡辺、勝負強い5番出井ら強打者が揃っていた。中学時代の実績で言えば、「特A級」の選手ばかりである。智辯としてはある程度の失点は覚悟して臨むしかなかっただろう。
1回表、智辯の先発は左腕・池田。県大会では木挽の先発もあったが、甲子園に来てからはすべて池田→木挽のリレーで通してきた。しかし、先頭の渡辺をショートゴロエラーで2塁へ進ませてしまうと、犠打と3番福田のタイムリーで返され、いきなり失点してしまう。さらに失点にこそ繋がらなかったものの、4番福留にもスライダーを痛烈な打球でセンターへ返される。智辯サイドとしては、PL打線の鋭い打球に内心ヒヤヒヤだっただろう。
ただ、ある程度の失点は覚悟のうえで、勝つなら打ち合いと思っていたのも事実。そこに、3回戦あたりから顔をのぞかせていたPLの守乱が重なっていく。
1回裏、PLの先発は2年生左腕・前川。向こうっ気は強いが、単調になる側面もある投手だった。ただ、智辯の上位陣に左打者が並んでいることもあり、エース前田を後ろに回すことに決め、若きサウスポーを先発に選んだのだ。
しかし、その立ち上がり、智辯は1番竹村が四球を選ぶと、2番佐藤のバントをPLのサード稲荷が後逸。無死1,2塁となり、さらに3番西川の犠打を今度は前川が3塁封殺を狙って悪送球し、2塁ランナーが生還sにてたちまち同点。さらに、無死2,3塁から4番小阪の犠飛と1年生の5番庄田のスクイズで計3点を挙げ、なんと無安打で試合をひっくり返すことに成功する。PLとすれば、目を覆いたくなるばかりの守りの乱れであった。
すると、一度狂った守りのリズムは簡単には戻ってこない。2回裏、この回から早くもエース前田を投入するが、いきなち7番長島にレフトへの2塁打を浴びる。犠打で1アウト3塁となると、9番中本の浅いライトフライを、今度はライト本同が落球。4点目が入ると、さらに2番佐藤の内野安打などで2アウト2,3塁とし、巧打の3番西川がセンターへ打ち返して、6-1。前半で智辯学園が思わぬリードを奪うことに成功する。
中村監督もおかんむりの守りとなったPL。2回までで早くも3失策が飛び出し、このままでは選抜の二の舞となってしまう。しかし、全国制覇を本気で狙っていたナインが、3回表、怒涛の反撃に転ずる。
この回、4番福留のライト線への痛烈な2塁打などで1アウト満塁とチャンスメークすると、ここから打線が止まらない。6番前田の2点タイムリー、7番浦田の犠飛と畳みかけて6-4。続く8番本同は先ほどの落球の汚名返上とばかりに、レフト線へ会心のタイムリー2塁打を放つと、仕上げは9番早川のセンターへのタイムリーで、この回一挙に同点!大量ビハインドを1イニングで跳ね返して6-6とし、「逆転のPL」成就まで後1点とする。
これで前田も乗っていきたいところだったが、2回戦の城北戦で安定感抜群の投球を見せたエースも、この日はなかなか調子が上がらない。4回裏2四球を与えるなど、1アウト満塁のピンチを招くと、打席には先ほどタイムリーを打たれた3番西川。広角に打ち分ける強打者に対し、決め球のスライダーでアウトコースを突くも、甘くなってしまう。逆方向へ見事に打ち返した打球はレフト線を鋭く破っていく勝ち越し2点打に。追いついたPLにとっては、この失点は再び相手に主導権を渡す嫌な失点であった。
その後、試合は8-6で推移。4回までが嘘のように、5回以降は無失点が続く。いわゆる「打ち疲れ」のような状態か。追い上げたいPLだが、なかなか得点を挙げることができない。守る智辯は先発・池田が、自分のボールにタイミングが合ってきたように感じ、7回には自ら木挽への継投を志願。追う「逆転のPL」に対し、守る智辯の方が実に冷静に試合を運んでいた。
しかし、それでもこの試合が後半崩れなかったのは、PLのエース前田の力投だろう。中盤には、ショート福留とのサインプレーでけん制タッチアウトを奪うなど、5回以降は智辯の攻撃を0封。選抜では最後までマウンドを守り切れなかったが、この日は8回までを全うしてエースの役目を果たした。
PLは7回表に、福留がショートへの内野安打と悪送球で2塁まで進むも、得点にはつながらず。6-8のまま試合は最終回へ突入する。
9回表、最後の望みを託すPLは、先頭の代打・河村がサードへの高いバウンドで必死に走り、内野安打を奪いとる。1アウト後、打席にはこの大会、ここまで14打数7安打2ホームランと、最も頼れる男・福留孝介。一発出れば同点の場面を迎える。しかし、木挽のアウトコース低めのスライダーを打たされた打球は、6-4-3の併殺となり、ゲームセット。序盤からしたたかな野球で食らいついた智辯学園が、ついに「逆転のPL」に逆転を許さず、夏は初めてとなるベスト4へ駆け上がったのだった。
その後、智辯学園は準決勝で星稜に1-3と惜敗。1977年の選手権では勝利していたが、18年ぶりの対戦でリベンジを許す格好となった。ただ、ヒット数は5-15と圧倒されながら、このスコアに収まったのは、やはり1995年度の智辯学園の粘り強さがなせる業であった。この後、2年後の1997年からは6年間で5度の出場を果たすなど、完全復活をアピール。この1995年の活躍を見て入学した選手も多く、智辯復活の足掛かりを作った大会であった。また、この代の4番小阪監督が率いたチームが2016年に悲願の初優勝を達成したことは周知の事実である。
一方、PL学園としてはあまりにも悔しい敗戦の仕方であった。打力は大会でも文句なしにトップクラスだったのだが、やはり投手力・守備力で抱えていた不安が顕在化してしまったのだ。1987年の最後の優勝以降で、現実的に優勝を狙える戦力を持った代はいくつか存在したのだが、この1995年のチームもその力は持っていただけに、惜しまれる結果となった。
ただ、この頃の活躍を見て入学した当時中学3年生の代が、のちのち甲子園で横浜と伝説の延長17回を戦うことになる年代であり、優勝こそならなかったものの、ファンに多くの感動を与えることとなる。歴史はこうして紡がれていったのだが、今、永遠の学園と謳われた学校は時代の移り変わりとともに厳しい状況に置かれている。「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」ではないが、やはり、勝ち続ける・王者であり続けるという事はかくも難しいことなのかと感じさせられる出来事であった。

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