第1位 東京都 29勝
1980年選抜1回戦 帝京 3-0 長野 投手:伊東
1980年選抜準々決勝 帝京 2-0 秋田商 投手:伊東
1980年夏1回戦 早稲田実 6-0 北陽 投手:荒木
1980年夏3回戦 早稲田実 2-0 札幌商 投手:荒木
1980年夏準々決勝 早稲田実 3-0 興南 投手:荒木
1980年夏準決勝 早稲田実 8-0 瀬田工 投手:荒木
1981年夏1回戦 早稲田実 4-0 高知 投手:荒木
1981年夏2回戦 早稲田実 5-0 鳥取西 投手:荒木
1982年選抜2回戦 早稲田実 3-0 岡山南 投手:荒木
1982年夏1回戦 早稲田実 12-0 宇治 投手:荒木
1984年選抜決勝 岩倉 1-0 PL学園 投手:山口
1984年夏1回戦 法政一 1-0 境 投手:岡野
1985年選抜1回戦 帝京 2-0 広島商 投手:小林
1985年選抜2回戦 帝京 2-0 東海大五 投手:小林
1985年選抜準決勝 帝京 1-0 池田 投手:小林
1985年夏3回戦 関東一 4-0 日立一 投手:木島
1987年選抜2回戦 帝京 3-0 京都西 投手:芝草
1987年選抜2回戦 関東一 5-0 市岡 投手:平子
1987年夏2回戦 帝京 3-0 東北 投手:芝草
1987年夏3回戦 帝京 1-0 横浜商 投手:芝草
1987年夏3回戦 東亜学園 3-0 延岡工 投手:川島
1987年夏準々決勝 帝京 5-0 関西 投手:芝草
1987年夏準々決勝 東亜学園 3-0 北嵯峨 投手:川島
1989年夏1回戦 東亜学園 2-0 土佐 投手:高平
1989年 選手権2回戦 帝京 3-0 米子東 投手:吉岡
1989年夏準々決勝 帝京 11-0 海星 投手:吉岡
1989年夏準決勝 帝京 4-0 秋田経法大付 投手:吉岡
1989年夏決勝 帝京 2-0 仙台育英 投手:吉岡
1978年から1989年までの東京勢の投手は錚々たる面々が顔をそろえた。
まずは、大ちゃんフィーバーを巻き起こした早稲田実の荒木大輔(ヤクルト)。1年生の夏に甲子園に登場すると、ややツーシーム気味のストレートとカーブを武器に1回戦で大阪・北陽の強力打線を1安打で完封。勢いに乗って、決勝まで44イニング余りを無失点で勝ち抜き、一躍時の人となった。その後、5季連続の甲子園出場を果たし、計12勝で8完封を記録。クレバーな投球術と甘いマスクでファンを魅了した。
一方、その早稲田実を抑え込んで東東京の覇権を手にし続けたのが横綱・帝京。1980年選抜準優勝の伊東昭(ヤクルト)、1985年選抜準優勝の小林昭(ロッテ)、1987年の芝草(日本ハム)と右の本格派の好投手が目白押し。伊東が1完封、小林が3完封、芝草が4完封とそれぞれ甲子園で結果を残し、帝京の一時代を築いた。
その先輩投手3人がいずれも成しえなかった全国制覇を達成したのが平成元年のエース吉岡(近鉄)だった。選抜では初戦で報徳学園に足元をすくわれてまさかの敗退を喫したが、夏は持ち味のストレートで押す投球で失点はわずか1。打線も3番鹿野の8打席連続ヒットなどで打線を強力援護し、決勝では仙台育英のエース大越(ダイエー)も打ち崩した。この全国制覇で壁を破った帝京は平成初期に黄金期を築く。
また、1987年に東亜学園を4強に導いたエース川島(広島)も忘れられない存在だ。非常にハイレベルだった1987年世代において優勝したPL学園の面々をして、「川島が一番」と言わしめた逸材は、抜群のコントロールとスピードで三振を量産。いわゆる「来ると分かっていても打てないアウトロー」の前に相手打者も成す術がなかった。
大会No.1投手(1984年選抜) 山口重幸(岩倉) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
大会No.1投手(1987年選抜) 平子浩之(関東一) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
大会No.1投手(1987年夏) 川島堅(東亜学園) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
第2位 大阪府 25勝
1978年選抜1回戦 PL学園 4-0 印旛 投手:西田
1978年夏3回戦 PL学園 2-0 熊本工大高 投手:西田
1978年夏準々決勝 PL学園 1-0 県岐阜商 投手:西田
1979年夏2回戦 浪商 4-0 倉敷商 投手:牛島
1979年夏準々決勝 浪商 10-0 比叡山 投手:牛島
1981年選抜準々決勝 上宮 4-0 御坊商工 投手:柚木
1981年選抜1回戦 PL学園 5-0 岡山理大付 投手:西川
1981年選抜2回戦 PL学園 1-0 東海大工 投手:西川
1981年選抜準決勝 PL学園 4-0 倉吉北 投手:西川
1982年選抜準々決勝 PL学園 1-0 箕島 投手:榎田
1983年夏2回戦 PL学園 7-0 中津工 投手:桑田
1983年夏準決勝 PL学園 7-0 池田 投手:桑田
1983年夏決勝 PL学園 3-0 横浜商 投手:桑田→藤本
1984年選抜準々決勝 PL学園 6-0 拓大紅陵 投手:桑田
1984年選抜準決勝 PL学園 1-0 都城 投手:田口→高松→桑田
1985年選抜準々決勝 PL学園 7-0 天理 投手:桑田
1985年夏3回戦 PL学園 3-0 津久見 投手:桑田
1986年選抜2回戦 上宮 6-0 松商学園 投手:山元
1987年選抜2回戦 PL学園 8-0 広島商 投手:野村→岩崎
1987年夏3回戦 PL学園 4-0 高岡商 投手:野村
1988年選抜2回戦 上宮 5-0 小松島西 投手:壬生
1988年選抜2回戦 近大付 8-0 明野 投手:笹垣
1989年選抜2回戦 上宮 3-0 北陸 投手:宮田
1989年選抜準決勝 上宮 9-0 横浜商 投手:宮田
1989年夏2回戦 上宮 1-0 東亜学園 投手:宮田
この時代はまさにPL学園の黄金期であった。1978年から1987年までの10年間で優勝7回、準優勝2回、ベスト4が2回、ベスト8が1回。つまり20回の甲子園でベスト8以上が12回であり、この時期の甲子園では2回に1回以上の割合でPLの名を上位で見ていたということになる。途方もない成績である。
そのPLに初優勝をもたらしたのは左腕エース西田(広島)。逆転のPLで有名になった年だが、西田自身も春夏で計3完封を記録している。いかにも気の強そうな面構えで粘りの投球を見せ、チームに初の栄冠をもたらした。その後も左腕・西川(南海)、右腕・榎田(阪急)で1981年、1982年の選抜を連覇。山本監督から中村監督への移行も成功した。
そして、あのKKコンビ、桑田真澄(巨人)、清原和博(西武)を擁した時代を迎える。この世代はPL史上でも最もタレントの揃った学年と言われているが、そのエースと4番を1年生から起用した中村監督の慧眼とその期待に見事に応えた2人の活躍は、素晴らしいとしか言いようがない。3季連続優勝を狙った池田を7-0と桑田が5安打完封し、高校球界の王者が入れ替わったのはあまりにも有名な話だ。
また、忘れてはならないのは1979年の浪商の復活だろう。牛島(ロッテ)ー香川(南海)の対照的なバッテリーを中心に、個性を尊重する野球で勝ち進んだ浪商は1979年の選抜で準優勝に名門復活を高らかに告げた。夏は大阪大会決勝で前年の覇者・PLを9-3と圧倒し、連続出場を達成。甲子園では香川が史上初となる3試合連続ホームランを放ち、牛島も選抜以上の好投を見せて4強に勝ち進んだ。
ただ、1987年の春夏連覇を最後にいったんPLの活躍は小康状態となる。この間隙を縫って1988年から1989年に大阪の強豪が次々に台頭する。1988年の選抜には大阪から上宮、近大付、北陽と3校が出場。上宮は翌1989年選抜では宮田(ダイエー)-塩路の2年生バッテリーとスラッガー元木(巨人)を中心とした強力打線で準優勝。近大付と北陽は1990年の選抜でそれぞれ優勝、ベスト4と結果を残して見せた。
PLという王者の存在があまりにも強烈であったが、その王者に対して敢然と立ち向かい続け、大舞台に出場してくれば確実に結果を残した強豪校たちもまたさすがの一言であった。
東邦vs上宮 1989年選抜 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
大会No.1投手(1982年選抜) 榎田健一郎(PL学園) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
大会No.1投手(1985年夏) 桑田真澄(PL学園) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
第3位 高知県 14勝
1978年夏準決勝 高知商 4-0 岡山東商 投手:森
1980年選抜2回戦 高知商 7-0 富士宮北 投手:中西
1980年選抜決勝 高知商 1-0 帝京 投手:中西
1980年夏1回戦 高知商 2-0 松商学園 投手:中西
1982年選抜1回戦 明徳 11-0瀬田工 投手:弘田
1983年選抜1回戦 明徳 10-0 青森北 投手:山本賢
1983年選抜準々決勝 明徳 8-0 佐世保工 投手:山本賢
1984年選抜1回戦 明徳 1-0 福岡大大濠 投手:山本賢
1984年選抜2回戦 明徳 2-0 佐世保実 投手:山本賢
1984年夏2回戦 明徳義塾 6-0 広尾 投手:山本誠
1985年選抜準々決勝 伊野商 5-0 西条 投手:渡辺
1985年選抜決勝 伊野商 4-0 帝京 投手:渡辺
1985年夏2回戦 高知商 4-0 志度商 投手:中山
1986年選抜1回戦 高知 3-0 帝京 投手:和田
この時代は高知商の黄金時代であり、また故・松田監督が鍛え上げた明徳が世に出てきた時代でもあった。
高知商はこの時代はエースがほとんどプロ入りする投手王国であった。谷脇監督のもとで厳しい指導を受けたエースたちが甲子園で躍動する。1978年は2年生エースで準優勝を成し遂げると、1980年は球道くんこと中西(阪神)を擁して悲願の全国制覇を達成。そのほかにも、1982年の中脇、1983年の津野(日本ハム)、1985年の中山(大洋)、1986年の岡林(ヤクルト)、1988年の岡(ヤクルト)と錚々たる面々が顔をそろえた。
ただ、1978年夏、1983年夏、1985年夏といずれもこの年に優勝したPL学園に敗れる不運。特に1985年夏は選抜優勝の伊野商を県大会決勝で下し、自身を持って臨んだ大会だったが、エース中山が清原にレフト席上段へと届く特大ホームランを浴びて力尽きた。ただその強さは全国の高校野球ファンの脳裏に刻まれていただろう。
一方、1982年の選抜に悲願の初出場を果たした明徳(現明徳義塾)は鮮烈な戦いぶりを見せた。初戦でエース弘田が完封発進すると、2回戦では当時高校球界の王者だった箕島と延長14回に死闘を演じた。最後は逆転サヨナラ負けを喫したが、野球王国・高知の実力を存分に示した。
その後、1983年、1984年の選抜でもエース山本賢を擁してベスト4、ベスト8と上位に進出。同じ四国の王者・池田が最も対戦を嫌がったという、緻密かつ手堅い守りの野球は今の明徳義塾にも通ずるものがあり、しぶとく確実に甲子園で結果を残し続けている。
大会No.1投手(1978年夏) 森浩二(高知商) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
大会No.1投手(1980年選抜) 中西清起(高知商) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
大会No.1投手(1985年選抜) 渡辺智男(伊野商) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
第4位 愛知県 11勝
1981年夏2回戦 名古屋電機 4-0 長崎西 投手:工藤
1981年夏準々決勝 名古屋電機 3-0 志度商 投手:工藤
1982年選抜2回戦 中京 1-0 大成 投手:野中
1982年夏2回戦 中京 3-0 佐世保工 投手:野中
1982年夏3回戦 中京 5-0 益田 投手:野中
1986年夏1回戦 享栄 8-0 唐津西 投手:近藤
1987年夏1回戦 中京 11-0 伊香 投手:木村
1988年選抜2回戦 東邦 1-0 西部台 投手:山田
1988年選抜準決勝 東邦 4-0 宇都宮学園 投手:山田
1989年選抜1回戦 東邦 6-0 別府羽室台 投手:山田
1989年選抜2回戦 東邦 3-0 報徳学園 投手:山田
1980年代は愛知の私学4強の均衡が最も保たれていた時期ではなかっただろうか。
名古屋電機は1981年にエース工藤(西武)の投球が甲子園を席巻する。初戦でいきなり長崎西打線を相手に無安打無得点試合を達成。高校生レベルでは打てないと言われたカーブを武器に、快投を続け、延長12回のサヨナラ勝ちとなった3回戦の北陽戦でも打たれたヒットはわずか4本であった。最後は疲れから優勝した報徳学園打線に打ち込まれたが、初出場で鮮烈なデビューを飾った。
これに対して、高校球界で最も優勝と勝利を積み重ねてきた名門・中京も黙ってはいない。1978年は惜しくもベスト4で敗退したが、優勝したPLを土俵際まで追い詰める戦いを見せると、1982年~1983年はエース野中(中日)を軸に3度出場してベスト4が2回、ベスト8が1回と素晴らしい結果を残した。敗れはしたものの、池田・水野との投げ合いは史上最もハイレベルな投手戦と一つに挙げられるだろう。
その池田にリベンジを果たした1987年夏も2年生エース木村(中日)を中心に8強に進出。この時代は優勝こそ果たせなかったが、安定したディフェンスと抜け目のない攻撃で、「さすが中京」と何度も高校野球ファンをうならせた。
ここ数年復活の気配を見せている享栄が最もインパクトを残したのもこの時代か。1983年選抜では完封勝ちこそしていないが、4番藤王(中日)が11打席連続出塁など数々の打撃記録を塗り替えて8強に進出。いまだにこの記録は破られていない。その戦いを見て入学した1986年世代は、エース近藤(中日)を中心に春夏連続出場を果たすと、夏の初戦では近藤が1安打完封ピッチを果たし、新湊に初戦で敗れた悔しさを晴らした。
そして、最後は鬼の阪口と言われた阪口監督が率いた東邦。1977年のバンビ坂本以来、勝ち上がれない時期が続いていたが、1988年、1989年の選抜で見事に復活を果たす。山田(中日)-原のバッテリーを中心に1988年の選抜で準優勝を果たすと、平成初の選抜となった1989年は2回戦から地元・近畿勢を4タテして4度目の選抜制覇を達成。上宮との決勝戦は史上最もドラマチックな幕切れであった。
東邦vs上宮 1989年選抜 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
大会No.1投手(1981年夏) 工藤公康(名古屋電機) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
大会No.1投手(1989年選抜) 山田喜久夫(東邦) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
第5位 兵庫県 10勝
1978年夏1回戦 報徳学園 7-0 盛岡一 投手:手嶋
1978年夏3回戦 報徳学園 5-0 延岡学園 投手:手嶋
1980年選抜1回戦 滝川 1-0 鳴門 投手:石本
1981年夏1回戦 報徳学園 9-0 盛岡工 投手:金村
1981年夏決勝 報徳学園 2-0 京都商 投手:金村
1982年夏2回戦 東洋大姫路 4-0 県岐阜商 投手:中島
1985年夏1回戦 東洋大姫路 3-0 高岡商 投手:豊田
1986年夏3回戦 東洋大姫路 1-0 拓大紅陵 投手:長谷川→嶋尾
1987年選抜1回戦 滝川第二 3-0 富士 投手:西詰
1987年 選抜1回戦 明石 4-0 常総学院 投手:井上
投手力の高い兵庫代表もこの時代は幾度も好投手を擁して甲子園を沸かせた。
1974年の選抜で初優勝を果たした報徳学園は、1978年に好投手・手嶋を擁して8強に進出。そして、1981年にはエースで4番の金村(近鉄)を擁して悲願の全国制覇を達成する。
報徳史上初の初戦敗退を喫した選抜の悔しさをばねに、夏は金村が大人のピッチングで変化球をうまく使ってピンチを切り抜けた。前年優勝の横浜、同準優勝の早稲田実、好投手・藤本(南海)の今治西、工藤(西武)の名古屋電機と強豪ばかりを下して勝ち上がると、最後はエース金村が京都商業打線を完封。小さな大投手と言われた相手エース井口との投げ合いを制し、栄冠をつかみ取った。
その報徳学園と2強を形成していたのが名将・梅谷監督が率いた東洋大姫路。1977年夏に初優勝を果たすと、その後も1979年選抜で4強、1982年選手権で4強と出るたびに勝ち上がる。1976年選抜の4強と合わせて出場4大会連続4強以上は高校野球の歴史を見てもおそらく数校しかいない快挙だろう。
その東洋大姫路の強さを支えていたのはなんといっても徹底した守りの堅さ。相手の鋭い打球も磨き上げた守備でことごとくアウトにし、そつのない攻撃で取った得点を守り切る。対戦するうえで最もやりにくい相手だろう。1986年の夏は好捕手・飯田(ヤクルト)を擁してV候補筆頭だった拓大紅陵に7安打を浴びながらも、長谷川(オリックス)-嶋尾の継投で完封勝ち。梅谷監督の最後となった甲子園で、東洋大姫路らしい勝ち方を見せた。
第63回全国高校野球選手権大会 決勝 報徳学園対京都商 4/5 – YouTube
第5位 和歌山県 10勝
1978年選抜1回戦 箕島 1-0 黒沢尻工 投手:石井毅
1978年選抜準々決勝 箕島 2-0 PL学園 投手:石井毅
1978年夏1回戦 箕島 1-0 能代 投手:石井毅
1980年夏1回戦 箕島 5-0 国立 投手:宮本
1980年夏2回戦 箕島 5-0 高知商 投手:宮本
1981年選抜2回戦 御坊商工 4-0 大府 投手:薮
1981年夏1回戦 和歌山工 4-0 星稜 投手:中田
1981年夏2回戦 和歌山工 2-0 近江 投手:中田
1981年夏3回戦 和歌山工 4-0 熊谷商 投手:中田
1982年選抜1回戦 大成 2-0 静岡市立 投手:佐原
この時代は箕島の黄金期の後半部に当たる。時代が金属バット全盛の時代にさしかかる直前に公立校としては唯一の春夏連覇を達成した。
プッシュバントも絡めた手堅い攻撃や、星稜戦のように土壇場で長打が飛び出す勝負強さが取りざたされることが多いが、箕島の野球の根幹をなしていたのはやはるバッテリーを中心とした堅守だろう。のちに智辯和歌山の高嶋監督が、「終わってみればミスなく戦って3-2や5-4で勝っている」と語ったように、守り勝つのは箕島の野球であった。
1978年から1979年には4季連続で甲子園に出場。エース石井は右アンダーハンドから、多彩な球種をコーナーに投げ分け、勝負所で三振を取る本格派の一面も覗かせた。延長18回の星稜戦はどうしても敗れた星稜にスポットライトが当たることが多いが、19安打を浴びながらも踏ん張り続けて16もの三振を奪った石井の投球も圧巻であった。
また、フィーチャーされることは少ないが、その翌年の1980年も左腕エース宮本を擁して8強まで進出している。前年のレギュラーがほとんど抜けたチームだったが、2回戦では選抜優勝の高知商に5-0と完勝。優勝投手の中西(阪神)をそつのない攻撃で攻略した。準々決勝では横浜に3-2と惜敗したが、14安打の横浜に半分のヒット数の7安打で互角の展開に持ち込んだ粘りは驚愕に値するものだった。箕島はこの時代に最も対戦したくないチームの一つだったのは間違いないだろう。
また、1981年には選抜で御坊商工が、夏は和歌山工は完封勝利を達成。特に夏は和歌山工の好投手・中田が3試合連続完封と離れ業を演じ、この大会好調だった近畿勢の象徴的存在となった。
大会No.1投手(1979年夏) 石井毅(箕島) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
第5位 広島県 10勝
1978年夏1回戦 広島工 2-0 中越 投手:津田
1980年選抜2回戦 広陵 1-0 九州学院 投手:渡辺
1982年選抜1回戦 尾道商 3-0 千葉商大付 投手:平沼
1982夏準決勝 広島商 1-0 中京 投手:池本
1986年選抜1回戦 広島工 8-0 鹿児島商 投手:上田
1986年選抜2回戦 尾道商 1-0 天理 投手:木村
1986年夏2回戦 広島工 1-0 熊本工 投手:上田
1988年夏準々決勝 広島商 5-0 津久見 投手:上野
1988年夏決勝 広島商 1-0 福岡第一 投手:上野
1989年選抜1回戦 広島工 1-0 尽誠学園 投手:才野
広島商を筆頭に守りの野球が持ち味のチームが多い広島県。1980年代に打撃のチームが増えてきた中で、堅守の野球で対抗して見せた。
広島商は1982年に技巧派右腕・池本を中心に決勝まで進出。決して前評判の高いチームではなかったが、内外野の堅守と犠打を活かした攻めで勝ち抜いた。初戦で鉾田一・関(ロッテ)、興南・仲田(阪神)、中京・野中(中日)と好投手を相手に守り負けない広商野球の粘り強さを見せつけた大会であった。
1982年は準優勝に終わったが、その6年後は川本監督のもとで夏6度目の全国制覇を達成する。3回戦の日大一戦で1試合最多となる9犠打を記録するなど、当時の大会通算最多犠打記録を更新。準々決勝では津久見・川崎(ヤクルト)、決勝では福岡第一・前田(中日)と好投手を擁するチームを相手に粘り強く守り抜いて完封勝ちしたのは見事であった。
これに対して1980年代中盤から台頭してきたのが「KENKO」の愛称で親しまれる広島工。1986年にはエース上田を中心春夏連続出場を果たし、上田は春夏ともに完封勝利を挙げた。特に夏の2回戦の熊本工戦に1-0で勝利した試合はしびれる内容の投手戦であった。ちなみにこの大会で2番打者で出場したのが現ヤクルトスワローズ監督の高津氏である。
⚾【昭和63年】広島商業 対 福岡第一【高校野球】決勝戦 – YouTube
第8位 愛媛県 9勝
1979年選抜2回戦 川之江 1-0 前橋工 投手:鍋島
1980年夏1回戦 南宇和 10-0 日川 投手:岡崎→徳岡
1983年夏1回戦 川之江 3-0 日大山形 投手:定金
1984年夏1回戦 松山商 13-0 高岡商 投手:酒井
1984年夏2回戦 松山商 13-0 浜松商 投手:酒井
1985年夏1回戦 川之江 3-0 八戸 投手:川上
1988年選抜2回戦 宇和島東 9-0 野洲 投手:小川
1988年選抜決勝 宇和島東 6-0 東邦 投手:小川
1989年夏1回戦 宇和島東 3-0 東海大山形 投手:宮崎
野球の生みの親・正岡子規を輩出した野球王国・愛媛もランクイン。時代は変われどもハイレベルなチームを輩出し続け、川之江・南宇和などが完封勝利を挙げた。特に川之江は1979年、1983年、1985年と3大会で完封勝ちを収めている。
その新興勢力に対抗すべく、伝統校・松山商も1984年に存在感を示す。
春夏連続出場を果たすと、夏は2年生エース酒井(日本ハム)を中心に初戦から連続完封勝ちで発進。3回戦でも東海大甲府を大差で退けると、準々決勝でコンビが2年生のPL学園に挑んだ。結果は1-2で逆転負けを喫したが、それまで大量得点を続けていたPL打線を酒井はわずか2得点に抑えた。これ以降PLの得点が湿りがちになったことを考えると、この試合での酒井の好投がその後の大会の流れを変えたと言っても過言ではないだろう。
その松山商に対抗すべく新たに台頭したのが1987年から登場した宇和島東。松山商を中心とした北予地区の守りの野球に対し、南予地区の宇和島東は攻撃野球を掲げて台頭。陸上部に混ざっての徹底した下半身トレーニングやゴルフボール打ちなど、上甲監督仕込みの練習法でナインは力をつけていく。1987年夏は初戦敗退に終わったが、翌年の選抜で快進撃を見せる。
エース小川を明神、薬師神、山中などの強力打線が援護し、3回戦ではV候補の一角の近大付を9-3と粉砕。準々決勝での宇部商戦の逆転サヨナラ勝ちや準決勝の藤蔭学園との延長16回の死闘など、初出場とは思えない粘り腰で勝ち抜いた。そして、徹底したスタミナ強化をしてきたエース小川は4連投をものともせずに決勝では東邦打線を6安打で完封。四国からの初出場校の恐ろしさを存分に示した勝ちっぷりで優勝を決めた。
桑田 清原 2年の夏 PL学園vs松山商 酒井光次郎 1984年高校野球 – YouTube
1988年選抜高校野球・決勝戦 宇和島東、初出場V – YouTube
第9位 徳島県 8勝
1979年選抜2回戦 池田 5-0 鶴商学園 投手:橋川
1979年夏準決勝 池田 2-0 浪商 投手:橋川
1983年選抜1回戦 池田 11-0 帝京 投手:水野
1983年選抜準々決勝 池田 8-0 大社 投手:水野
1983年選抜決勝 池田 3-0 横浜商 投手:水野
1983年夏2回戦 池田 12-0 高鍋 投手:水野
1985年選抜準々決勝 池田 1-0 東北 投手:片山
1987年選抜準々決勝 池田 9-0 甲府工 投手:糸永
1976年にさわやかイレブンで準優勝を果たした徳島・池田。初出場まで20年を擁した苦労人・蔦監督の鍛え上げたチームがこの時代に大輪の花を咲かせた。
1979年には橋川-岡田のバッテリーで選抜8強、夏準優勝と再び躍進。選抜では東洋大姫路との伝説の雨中泥んこ試合で7-8と惜敗したが、夏は牛島-香川の浪商を下すなど、準優勝を飾った。ただ。その翌年に期待の1年生畠山(横浜)が入学してからはなかなか出場できない時期が続く。四国大会で明徳相手にスクイズを失敗して0-1で惜敗したり、1979年の夏決勝も箕島に屈したことで蔦監督は完全にパワー野球へと舵を切った。
そして、畠山が3年生になった1982年夏、水野(巨人)・江上の2年生主砲2人も揃えた打線は完全に甲子園を飲み込んでいった。荒木大輔(ヤクルト)擁する早稲田実や守りの広島商をともに2桁得点で打ち崩して悲願の初優勝を達成。その優勝した3年生を相手に投げ続けた新エース水野は新チーム結成以降自責点0のまま翌年選抜を制し、5試合を3完封2失点で夏春連覇を成し遂げた。
後年、水野が語っているが、やまびこ打線と謳われた強力打線は練習で畠山・水野という高校トップクラスの投手のボールを練習で打ち込んでいたことが要因である。池田の試合を紐解くと、絶対的エースが試合を作って後半に相手投手陣を打ち崩すというパターンが見えてくる。だからこそ、その絶対的エースが序盤でKOされたPL学園戦はもろくも崩れ去ってしまったのだろう。
畠山・水野の2大エースの時期が注目されがちな池田だが、その後も強さは継続していた。特に1985年から1987年の選抜ではベスト4、優勝、ベスト4と出れば必ず上位まで勝ち進む。1985年の片山、1986年の優勝投手・梶田、1987年の左腕エース・糸永といずれも高校球界トップクラスの好投手であった。3人とも決して大柄な投手ではなかったが、豊富な練習量と食トレに支えられ、がっしりした体格からパワーのボールを投じていた。
大会No.1投手(1983年選抜) 水野雄仁(池田) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
【公立校決戦】1983 55回選抜 決勝 池田 vs 横浜商 昭和58年【超えてる強さ 池田夏春連覇】 – YouTube
第9位 福岡県 8勝
1978年選抜1回戦 小倉 3-0 帝京 投手:大石
1978年夏2回戦 東筑 1-0 日大二 投手:石田
1983年選抜1回戦 久留米商 2-0 宇部商 投手:山田
1983年夏2回戦 久留米商 9-0 小松明峰 投手:山田
1985年夏1回戦 久留米商 4-0 能代商 投手:秋吉
1985年夏2回戦 久留米商 2-0 延岡商 投手:秋吉
1989年夏2回戦 福岡大大濠 4-0 成東 投手:木村
1989年夏3回戦 福岡大大濠 2-0 福井商 投手:木村
個の能力が非常に高い福岡勢。この時期は優勝こそなかったものの、上位にたびたび顔を出した。
中でも1983年の久留米商のエース山田(巨人)の投球は高校野球ファンの記憶にも必ず残っているだろう。この世代は池田の水野(巨人)を筆頭に松坂世代級の好投手の揃い具合だったが、その中でも池田の選手が「久留米商の山田のボールは凄い」と語るほどの快速球であった。
選抜では宇部商・秋村(広島)とのハイレベルな投手戦を2-0と制して自身の甲子園初勝利を挙げると、夏は3回戦で池山(ヤクルト)を擁する市立尼崎に終盤4点差をひっくり返すなど、ベスト4まで勝ち進む快進撃を見せた。その2年後にも好投手・秋吉が2試合連続完封でベスト16に進出。この時期は久留米商が非常に元気であった。
そして、1988年からは5年連続でベスト8以上と福岡勢は黄金期を迎える。1988年はエース前田幸(中日)と4番山之内(ダイエー)を投打の軸に福岡第一が準優勝を達成。その翌年は福岡大大濠が2年生右腕・木村の丁寧な投球でしぶとく勝ち上がり8強まで勝ち進んだ。名将・木内監督の率いる常総学院や成東・押尾(ヤクルト)、福井商・近岡ら好投手を倒しての勝利は非常に価値が高かった。
【池山 対 山田】昭和58年3回戦 市尼崎 対 久留米商 – YouTube
【伝説の快速球】小松明峰 対 久留米商 【山田武史 全球】 – YouTube
【好投手列伝】福岡県篇記憶に残る平成の名投手 1/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
第11位 秋田県 7勝
1981年選抜1回戦 秋田経法大付 3-0 丸亀商 投手:松本
1981年選抜2回戦 秋田経法大付 3-0 星稜 投手:松本
1984年選抜1回戦 金足農 7-0 新津 投手:水沢
1984年夏準々決勝 金足農 6-0 新潟南 投手:水沢
1986年夏2回戦 秋田工 4-0 日南 投手:川辺
1989年夏2回戦 秋田経法大付 5-0 出雲商 投手:中川
1989年夏準々決勝 秋田経法大付 1-0 福岡大大濠 投手:中川
1980年代に入ってそれまでなかなか勝ち上がれなかった秋田勢が甲子園で躍動し始めた。1980年の選抜で伝統校・秋田商がエース高山の好投で8強入りを果たすと、1981年には秋田経法大付が初出場ながら剛腕・松本(横浜)の活躍で春夏ともに計2勝をマーク。松本は重い速球を武器に選抜では2完封を挙げた。
そして、1984年に雑草軍団こと金足農が登場する。名将・嶋崎監督に鍛え上げられたチームは選抜で新津に完封勝ちして初勝利をマークすると、夏は初戦で名門・広島商を撃破して一気に勢いに乗った。エース水沢はシュートで右打者の内角を強気に攻め、内野ゴロの山を気づけば打線もしぶとく叩きつける打撃でエースを援護した。準決勝でPL学園に2-3と惜敗したが、桑田(巨人)の逆転2ランが飛び出すまでは完全に金足農が試合していた試合であった。
時代は進み、平成に入るとふたたび秋田経法大付が快挙を成し遂げる。1年生左腕・中川(阪神)が小気味いい投球で出雲商打線を2安打完封して好発進すると、V候補の横浜を初戦で下した星稜、好投手・木村の福岡大大濠と続けて下しあれよあれよという間に準決勝に進出した。中川は結局2年夏まで3季連続で甲子園に出場。この時期の甲子園の主役であった。
大会No.1投手(1984年夏) 水沢博文(金足農) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
【好投手列伝】秋田県篇記憶に残る平成の名投手 1/2 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
第11位 岐阜県 7勝
1978年夏2回戦 県岐阜商 3-0 桐生 投手:野村
1978年夏3回戦 県岐阜商 3-0 横浜 投手:野村
1983年夏1回戦 岐阜第一 7-0 天理 投手:加藤
1983年夏3回戦 岐阜第一 5-0 印旛 投手:加藤
1986年夏1回戦 県岐阜商 3-0 西日本短大付 投手:大野
1987年夏1回戦 県岐阜商 2-0 広島商 投手:可児
1988年夏1回戦 大垣商 3-0 坂出商 投手:篠田
この時代の岐阜県勢の投手はしぶい活躍を見せた。
1978年は県岐阜商の野村が強豪校を相手に粘り強い投球で8強に進出。2回戦ではV候補本命の桐生・木暮との投手となり、8回まで両投手無失点の展開になったが、味方打線が9回に木暮を打ち崩して3点を奪い、ジャイアントキリングに成功した。3回戦でも当時1年生だったエース愛甲(ロッテ)の横浜に完封勝ち。関東の強豪2校を撃破して名門校の意地を見せた。
1983年には岐阜第一がエース加藤の2完封の活躍で8強に進出。天理、川之江、印旛と強豪ばかりを下して3勝を挙げた。1986年、1987年には県岐阜商がエースの右腕・大野、左腕・可児の両投手の快投でそれぞれ初戦を完封発進。ともに球威十分のストレートを武器に好投した。
そして、昭和最後の甲子園となった1988年の選手権大会で快投を見せたのが大垣日大のエース篠田(ダイエー)であった。正確なコントロールとキレを誇る左腕は、坂出商・京都西と安定した投球で下すと、3回戦で津久見の剛腕・川崎との左右好投手対決となる。「剛」の川崎と「柔」の篠田がそれぞれ持ち味を出した投手戦は0-1で大垣商業が惜敗したが、篠田は勝るとも劣らない投球内容でエースとしての仕事をきっちり果たした。
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