帝京vs尽誠学園 2002年夏

2002年

壮絶なつばぜり合いを見せた強豪同士の激闘!

4年ぶりの甲子園ながら東の横綱として夏3度目の全国制覇を狙った帝京と4季連続出場で3度目のベスト8入りを果たした尽誠学園の一戦。準々決勝最後のカードは実力校同士の好カードとなった。

帝京は松本(広島)、坪木、吉田(広島)らの強打と高市(ヤクルト)、浅野の右の2枚看板の安定した投球で圧倒的な勝ち上がり。開幕戦の中部商戦で終盤1点差に迫られる場面があったが、それ以外は危なげなし。3回戦では福井の好投手・藤井(ロッテ)を滅多打ちにして177と大勝し、豪快に8強入りを決めた。1995年以来7年ぶりの全国制覇に向けて視界良好であった。

一方の尽誠学園は予選から毎試合初回に得点を挙げる先行逃げ切りがパターン。2試合連続ホームランの4番碩野を中心につながる打線は上位から下位まで切れ目なし。2試合で29得点を挙げた。投手陣もエース井上が140キロ台の速球とスライダーを武器に強気の投球。4季連続ということで全員場慣れしており、東の優勝候補相手に腕を撫していた。

終盤に地力を見せた帝京が僅差で勝利

2002年夏準々決勝

尽誠学園

1 2 3 4 5 6 7 8 9
3 0 0 1 0 0 0 0 0 4
1 0 2 0 0 0 0 1 × 5

帝京

 

尽誠学園    井上

帝京      高市

試合は初回、帝京のエース高市にいきなり尽誠打線が襲い掛かる。2アウトから連続四球を選ぶと、5番上出、6番村田、7番今井が3者連続タイムリー。下位までつながり打線の威力を見せつける。

 

一方、帝京も前の試合から打線好調。特に上位は当たっており、初回に1点を返すと3回裏には1番松本、2番佐藤、3番笹沢の3者連続ヒットであっという間に同点に追いつく。

 

しかし、先行お得意の尽誠学園はすぐに反撃。4回表、唯一前年からのレギュラーの1番上森が風にも乗ったセンターオーバーの勝ち越しタイムリー3塁打。再び1点をリードする。

 

その後はお互いに流れの引き合いで点の入らない展開。尽誠学園は62アウト満塁の拙攻機でカウント23まで行ったが、3番磯俣が高めのボール球を打ってしまい、勝ち越し点はならず。帝京も4番坪木がスクイズを失敗するなどお互いにチャンスを逃す。

 

だが、この展開を帝京の前田監督は冷静に見ていた。尽誠学園のエース井上は帝京様に取っておいた決め球チェンジアップを多投していたが、その影響で徐々に球威が落ちており、ベンチでも「5点は取れる」と豪語。チャンスをうかがっていた。

 

7回裏2アウトランナーなし。打席には7番で投手も務める浅野が入り、尽誠学園・井上の低めのボールを引っ張った打球はライナーでレフトポール際へ。値千金の同点ホームラン。打たれた井上はあれが打たれるのかというさすがにショックな表情。

 

これで流れの変わった試合は8回に疲れの見える井上をとらえて4番坪木が決勝犠飛。9回の尽誠学園の反撃をしのぎ、54で準決勝進出。1992年夏に春夏連覇の夢を初戦で砕かれた因縁の相手に借りを返した。

 まとめ

帝京はその後準決勝で智辯和歌山と対戦。終盤まで同点で推移したが、最後は智弁の長打攻勢の前に61と敗戦。自慢の打線が3安打1点と智弁の技巧派右腕・田林を打てず、思いのほか差がついてしまった。その後、4年後に再び再戦。9回に取って取られての大乱戦となり、おそらく永く語り継がれることになるだろう名試合を演出した。

 

一方の尽誠学園もベスト8には終わったが、4季連続で3度のベスト8とこの時期の甲子園の主役の一校だった。姫路主将を中心にまとまりのある明るいチームカラーで、積極性のある野球が光った魅力的なチームであった。帝京戦ではエース井上の球数が106球だったのに対して、帝京エース高市の球数は155球。尽誠学園がいかに最後まで攻め続けて圧力をかけたかがよくわかる数字だった。その後、しばらく甲子園から遠ざかる時期もあったが、2016年に復活出場。主将だった姫路氏かコーチとなり、チームを支えている。

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