優勝へ向けて最大の関門となった一戦
第70回記念大会の横浜高校は、高校野球史上でも最も大会前の前評判が高いチームであった。大会が始めると、その前評判に違わぬ強さで勝ち上がっていき、準決勝で高校球界屈指の名門・PL学園と激突することとなった。
横浜は前年夏にエース松坂(西武)のサヨナラ暴投で横浜商にサヨナラ負けを喫したが、その悔しさをばねにして同年秋の関東大会を圧倒的な力で制覇。各地区大会の王者が集う神宮大会でも優勝を果たし、前年の上宮以上の絶対的な優勝候補として甲子園に乗り込んできた。
選抜本番でもエース松坂が初戦で150キロを記録したストレート、打者の前で消えると称された高速スライダー、タイミングを外すカーブを武器に好投し、相手校の打者は全く手が出ない。しかも、小倉コーチの入念なデータ取りに基づいて試合前半は打者の得意なコースからボール半分ずらし、終盤に苦手なコースに投じるという策士ぶりであった。
前年選抜4強の報徳学園、強打者・村田(巨人)を擁する東福岡、近畿大会優勝の郡山と実力校ばかりが相手だったが、失点は報徳学園戦の最終回の2点のみである。エースで4番の村田は、「松坂を見て投手としてのプロ入りはあきらめた」とのことであった。郡山戦では相手の必殺に重盗を松坂が好フィールディングで阻止するなど、付け入るスキが全く見当たらなかった。
また、打線も破壊力と緻密さを兼ね備えており、小池、後藤(ともに横浜)、小山(中日)、松坂といった強打者と加藤、佐藤、松本ら巧打者が融合し、ベンチの高度な作戦・戦術に対応していった。スコアこそ東福岡戦が3-0、郡山戦が4-0だったが、それ以上の差を感じる内容であり、試合時間のほとんどを横浜が試合していた。
ここ数年の選抜大会では新野、上宮、智辯和歌山、大阪学院と西日本の学校にことごとく苦汁をなめさせられていたが、今回はものともせずに3タテ。いよいよ25年ぶりの選抜制覇まであと2勝と迫っていた。
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一方のPL学園は春夏連覇を果たした1987年の後は1991年までの4年間、春夏ともに甲子園出場を逃していた。その間、上宮・近大付・大阪桐蔭・北陽とその他の強豪が甲子園で結果を残しており、大阪は群雄割拠の様相を呈していた。
しかし、1992年に2年生松井(西武)を擁して久々に出場を果たすと、その後はサブロー(ロッテ)、福留(中日)、前川(近鉄)らを擁して再び甲子園出場を勝ち取るようになり、徐々に復活の気配を見せ始めていた。いずれの大会も最後は惜敗を喫したものの、負けてなお強しの印象を与えていた。
そして、1998年の代は前年夏に大阪桐蔭に逆転サヨナラ負けを喫したところからのスタートであった。大西(近鉄)ら前チームからのメンバーも数人はいたが、やはりまだまだ土台はしっかりしておらず、勝ち上がりながら強くなっていったチームであった。右の上重、左の稲田の投手両輪に、田中一(横浜)・平石・大西の俊足トリオを活かした機動力がかみ合い、秋の近畿大会ではベスト4に入って、3年ぶりの選抜切符を獲得した。
その選抜では大会前にこれまで永年チームを指揮してきていた中村監督の勇退が決定。チームに新たなモチベーションが生まれる中、樟南との開幕ゲームをエース上重の好投で制すると、ここから名門が波に乗る。特に4番古畑は4試合連続で先制点をたたき出す大活躍。強打を誇った創価、好投手・東出(広島)を擁する敦賀気比、四国チャンピオンの明徳義塾と次々に下し、ベスト4までコマを進めてきた。
特に明徳義塾戦は相手エース寺本(ロッテ)のホームランで9回表に1点を勝ち越されるも、その寺本の制球難につけこんで9回、10回と連続得点してサヨナラ勝ち。追い詰められた状況で冷静に選球して相手を追い詰める様に、かつての常勝軍団の香りを取り戻してきている感覚があった。
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最終回に敢行した決死のスクイズ
1998年選抜準決勝
横浜
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 3 |
0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 |
PL学園
横浜 松坂
PL学園 稲田→上重
試合前の予想では、横浜有利は変わらなかった。世代No.1のエースを強力打線、内外野の堅守と全くスキがない野球であり、難攻不落のチームである。しかし、そんな横浜を倒せるとしたら、やはりこれまで数々の伝説を築いてきたPLなのではないかと高校野球ファンも期待を抱いていた。
ただ、試合前から松坂のボールに対して畏敬の念を抱いていたPLナインは、やはり実戦でそのボールを目の当たりにしてさすがに面食らう。特に目の前で消えると言われた高速スライダーには手を焼き、5回までヒットはわずか1本。これまで好投手を攻略してきた百戦錬磨のナインをもってしても攻略は容易ではない。
一方、PL学園の先発はローテーション通りに左腕の稲田。明徳義塾戦でリリーフ登板し、サヨナラ打も放った乗ってる男は、持ち前のテンポのいい投球で横浜打線に立ち向かう。左右、高低、緩急を駆使して冷静に投げ分ける投球の前に、これまで長打で活路を開いてきた横浜打線も沈黙する。決してスピード・球威があるわけではないが、技の投球で大会随一の強力打線を封じ込めていた。
東西の強豪同士がっぷり四つの好試合。しかし、こうなると試合前に有利と予想されていたチームの方にプレッシャーがかかるか。見ていた観衆も、「この試合は初めて横浜に何か波乱があるかも!?」と思い出していただろう。
すると、6回裏、PL学園が初めて松坂から大チャンスを作り出す。1アウトから9番松丸がフルカウントからのスライダーを見切って四球で出塁。続く1番田中一は高めのスライダーをたたきつけ、投手・松坂への内野安打でチャンスを拡大する。松坂は捕球した瞬間に送球をあきらめたほど、田中一の俊足はこの大会で輝いていた。
試合前半は全く手が出なかったスライダーに徐々に対応し始めるPLナイン。2アウト後に、3番大西はインサイドの速球を詰まりながらもセンターに運ぶ。ここで打席にはここまですべての試合でチーム初得点をたたき出している古畑。横浜バッテリーのわずかな心の乱れを逃さず、初球のストレートを叩いて痛烈に3塁線を襲う。ラインに入っているかどうか微妙な当たりだったが、判定はフェアとなり2者が生還。PLが大きな大きな先制点を奪う。
後続を打ちとった横浜ナインは、ライン上の打球の判断に納得いかない様子だったが、渡辺監督は「フェアでもファウルでもいい!ここからだ!」と手綱を引き締める。絶対的エースが先制点を許した直後だったが、ここでしっかり前を向けるのが、横浜ナインの強みである。
一方、ここまで想定以上の好投を見せていたPLの左腕・稲田だったが、先制点をもらったことで重圧の色は濃くなる。7回も無失点にこそ抑えたものの、アウトになった場合でもいい当たりが増えてきており、中村監督も交代の時期に悩んでいただろう。
そして、8回表についに横浜打線が目覚めの時を迎える。1番加藤がライト線に落ちるヒットを放つと、俊足を活かして判断良く2塁を奪う。このあたりの走塁も実にスキがない。ここで中村監督はとうとう稲田に代えてエース上重をマウンドに送る。ところが、ここで2番松本に四球を与えると、続く3番小池の犠打で1アウト2,3塁とピンチを広げてしまう。
この間に中村監督は2度伝令を送り、状況の確認を入念に行う。しかし、稲田と同様にテンポのいい投球が持ち味の上重にとってはいまいちリズムに乗り切れなかったのかもしれない。のディフェンス陣全体もなにかバタバタした印象を受けた。
続く4番松坂に対して上重はカウント1-2から強気にインサイドを速球で攻める。松坂の放った当たりはサードゴロとなり、サード古畑はホームへ送球するもこれが3塁ランナー加藤の肩に当たって、ボールは転々とファウルゾーンを転がる。2塁ランナーも一気に生還して、たちまち横浜が同点に追いついた。加藤は送球と捕手の構えの直線上に入る見事な走塁で同点劇をアシストした。
こうなると、試合の流れは横浜に完全に傾く。9回表、8番齋藤、9番佐藤の連打で無死1,3塁とすると、打席には先ほどのイニングで好走塁を見せた加藤。横浜ベンチはスクイズのサインを出すも、バッテリーは3塁ランナーのスタートを察知してボールゾーンにとっさに外す。ところが、このボールに対して加藤が飛びついてバットに当てると、打球はフライ気味ながら内野手の間にポトリ。走塁といい、小技といい、横浜を象徴する実にいい選手である。
最終回を前に1点のリードをもらった松坂。しかし、PL打線は最後まであきらめない姿勢を見せる。1アウトからこの大会当たっている6番三垣が甘めに入ったスライダーをとらえてセンターの左を抜く2塁打とし、最後のチャンスを迎える。これまでのチームがどうにもとらえられなかったスライダーを試合終盤にはしっかり攻略するあたり、さすがPLである。
しかし、投球が130球に迫ろうとする松坂であったが、鍛え上げたスタミナはまだ余力十分であった。7番石橋を3塁ゴロに打ち取ると、最後は代打・倉本を快速球で空振り三振に切って取り、ゲームセット。優勝へ向けての最大の正念場を乗り越えた横浜が25年ぶりの決勝戦進出を決めた。
まとめ
横浜は決勝では松坂が関大一打線を完封し、3-0で勝利。打線も13安打を放って好投手・久保(阪神)を攻めつけ、投攻守走全てで圧倒して25年ぶり2度目の頂点に輝いた。そこまでの数年間苦汁をなめた分だけ、ジャンプアップした強さは大きく、すべてにおいてスキのない野球が高校生とは思えない完成度を誇っていた。
ただ、そんな中にあっても、この準決勝のPL学園戦は薄氷を踏む思いでの勝利であった。この試合があったからこそ、夏まで気を緩めることなく、最強軍団は鍛錬の日々を積めたと言っても過言ではないだろう。そして、夏の甲子園で再び相まみえた両校は、球史に残る延長17回の死闘を演じることとなる。
一方、PL学園は敗れはしたものの、さすがの粘り強さを見せ、「やはりは強い」という印象を残した。春の段階では、横浜とは個々の差はかなりあったのだが、それでも投手陣のテンポのいい投球、鍛えられた堅守、少ないチャンスを活かす確実かつ勝負強い攻撃で優勝候補に食らいつき、好勝負を演じた。
春夏計6度の全国制覇を成し遂げた中村監督だったが、決して甲子園での勝利を強要することはなく、「球道即人道」の教訓のもと、人としての礼儀・節度を学生たちに教え込んでいた。また、「上の世界でも野球を続けられるように」と基本となる野球のプレーを丹念に教え続けた強さが、この日のPLの野球に詰め込まれていたと言えだだろう。稀代の名将が教え子たちの胴上げを受けて、惜しまれながら聖地を後にした。
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