沖縄尚学vsPL学園 1999年選抜

1999年

初優勝への扉開いたジャイアントリング

前年に松坂大輔(西武)を擁する横浜が春夏連覇を達成し、一躍注目を集めた高校野球。その翌年、そんな1つ上の世代のきらびやかな活躍を見た世代が、kiroroの入場行進曲「長い間」に乗って1999年の選抜に乗り込んできた。

大会No.1投手(1999年選抜) 比嘉公也(沖縄尚学) | 世界一の ...

沖縄尚学は、今や全国でも屈指の強豪校だが、当時は沖縄高校時代の春夏1回ずつと沖縄尚学に校名変更してから出場した1992年夏の3回だけであった。当時は、久々の選抜出場であり、金城監督のもとで「1勝できれば」という思いで選抜に臨んでいた。金城監督は、沖縄水産で栽監督のもとでコーチとして研鑽を積み、愛知・弥冨高校での監督を経て、沖縄尚学に就任していた。

その金城監督の指導方針は、「生活をまずきちんとし、社会に出ても通用する人間を育てる」であった。野球はもちろん努力するが、日々の生活でのちょっとした行いの積み重ねを何より重視する指導であった。この指導に鍛えられ、エース・比嘉公(現監督)や比嘉寿(広島)・荷川取らのナインは着実に力をつけていった。秋の九州大会では、日南学園に大敗を喫するも、チーム力の高さを評価されて選出。ただ、大会前は注目される存在ではなかった。

しかし、大会が始まると、1回戦で好投手・村西(横浜)を擁する比叡山との投手戦を1-0で制し、勢いに乗る。2回戦は前年夏ベスト8の浜田に、準々決勝では関東王者の市川に競り勝ち、気が付けばベスト4まで勝ち進んできた。エース比嘉公はカーブを決め球に、キレのある速球とのコンビネーションで打者を打ち取り、投げるたびに手ごたえをつかんでいく。また、打線では1,2回戦と無安打だった比嘉寿を準々決勝で1番に起用。4安打を記録する大活躍で、調子を取り戻した。

初の準決勝進出。すでに大会前の目標をかなえた沖尚ナインは、いい精神状態で大一番に臨むこととなった。待ち受けていたのは、高校球界の王者・PL学園である。

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PL学年は、前年に春夏連覇した横浜と大熱戦を展開。特に夏は延長17回の死闘を演じ、今でも高校野球史上最高の試合と評されることは多い。しかし、この大舞台を経験したのは1番田中一(横浜)と途中出場の捕手・田中雅(ロッテ)の二人だけ。否が応でも注目が集まる中、チームにはプレッシャーがかかっていた。しかし、反骨心の塊のような選手が多かったこの代は、新チーム結成当初に清水コーチに主将・覚前(近鉄)が直談判をしに行く。「悔しかったらやり返せ」と返されたナインは、強打を武器に勝ちぬいていく。

1番に出塁率の高い俊足・田中一が出塁。なんでもできる2番足立が繋ぐと、無類の勝負強さを誇る3番覚前、スラッガー七野(横浜)とつながる上位打線の破壊力は、全国トップクラスであった。唯一、不安視された投手力も長身右腕・植山が一本立ちし、内外野も堅守で支えていく。秋の大阪大会を勝ちぬくと、近畿大会では滝川第二・福沢(中日)、比叡山・村西ら好投手を攻略して優勝。近畿王者に輝き、4度目の選抜制覇へ河野監督も手ごたえを感じていた。

すると、選抜本戦では因縁の横浜と3季連続の対戦に。しびれる接戦を6-5で制すと、2回戦では初戦・完封の玉野光南・福明を攻略。準々決勝では、平安との近畿大会の再戦を制して、2年連続ベスト4へ勝ち上がってきた。準々決勝で神宮王者の日南学園が敗退しており、4強のメンバーを見てPL学園の優勝を信じる声が多かった。

「代わるか」「いいえ」魂の212球熱投

1999年選抜準決勝

沖縄尚学

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2 0 0 1 0 0 2 0 0 0 1 2 8
0 1 0 1 0 0 3 0 0 0 1 0 6

PL学園

 

沖縄尚学   比嘉公

PL学園    西野→植山

迎えた準決勝。沖縄尚学がエース比嘉公を先発に起用したのに対し、PL学園は右腕・西野を指名。植山がここまで3試合を完投していため、妥当な器用ではあったが、これは沖尚ナインの反骨心を刺激した。

1回表、前の試合で1番を打っていた比嘉寿をもとの4番に戻し、従来の打順になった沖尚打線が西野をとらえる。1アウトから2番具志堅が四球を選ぶと、3番具志堅、4番比嘉寿の連打でまず1点。さらに5番松堂のスクイズも成功し、この回2点を先行する。王者に対し、まずは先制パンチを浴びせた。

しかし、PL打線も黙ってはいない。2回裏に沖尚守備陣の失策で1点を返すと、2点差に広げられた4回裏には、3番覚前・4番七野の連続2塁打で再び1点差に。自分たちがコツコツ奪った得点をいとも簡単に長打で返してくるPLに、「さすがに強い」とリードしながらもプレッシャーを感じていた。

だが、この試合、挑戦者としてファイティングポーズをとる沖尚ナインはひるまない。田中一の俊足や中軸の長打力には驚いても、「同じ高校生だから戦えないことはない」と堂々渡り合う。エース比嘉公もキレのある速球とカーブを低めに集め、打たせて取っていく。2回戦の浜田戦でベースカバーの際に右足をねんざしていたが、それでも歯を食いしばって投げ続けていく。

このエースの力投に打線が応え、7回表に4番比嘉寿・5番松堂の連打に盗塁も絡めて2点を追加する。7回表を終えて3点差。これで勝負がついたかと思われたが、ここから「逆転のPL」と謳われる強豪が意地を見せる。

この回、内野ゴロ2つでぽんぽんと2アウトを取り、9番田中雅もショートゴロ。しかし、これを主将・比嘉寿がはじいてしまう。それでも2アウト1塁。傷口はまだ浅い。あとアウト1つでチェンジである。

だが、ここにきてPLナインも比嘉公の投球に慣れ始めていた。徹底したカーブ狙いを見せ、1番田中一の四球を挟んで、2番足立がタイムリー2塁打!まず1点差に迫ると、ここで打席には3番覚前。漢気で引っ張るPLの主将が難しいボールに食らいつくと、打球はライト前に落ちる同点タイムリーとなる。たった一つのミスを得点に繋げてくる王者の強さを見せられ、沖尚ナインも背筋がヒヤッとするような感覚に襲われていた。

同点のまま試合は進み、9回裏、PLは1アウトから田中一がこの日2本目のヒットで出塁。初戦で2安打を放った後、バットが沈黙していたリードオフマンがここにきて復活を遂げる。犠打と暴投で2アウトながら3塁へ進み、打席には先ほど同点打の覚前。比嘉公のカーブをとらえた打球は、奇しくも7回に失策をおかしたショート比嘉寿の元に転がる。一つのミスでサヨナラの場面だったが、ここは主将が落ち着いてさばく。5-5の同点で試合は延長戦。このあたりから、金城監督は交代を打診していたが、比嘉公は「代わりません」の一点張り。最後まで自分がなげるという覚悟を示す。

すると、延長11回表、沖尚は1番荷川取がヒットで出ると、送って和うと2塁から3番津嘉山がタイムリー。リリーフ登板していたエース植山の角度のある速球にもだいぶ慣れてきていた。しかし、その裏にPLも反撃。昨夏の横浜戦で2度にわたって延長での1点差を追いついた粘りはこの代にも生きていた。2塁打で出塁した8番植山を1番田中一がライトへのタイムリーで返し、同点!昨夏を知る男が猛打賞となるヒットで試合を振り出しに戻した。

勝利するには、やはり2点差が必要。エース比嘉公の状態を見てもそろそろ勝負を決めたい。12回表、6番浜田がヒットで出ると、犠打できっちり送る。2アウト後、打席にはエース比嘉公。植山の速球を流し打った打球は前進して突っ込むレフト田中一のグラブの先にポトリ。勝ち越しの2塁打となると、1番荷川取にも連続タイムリーが飛び出し、待望の2点差をつける。植山もほぼ1試合分の投球イニングになってきており、やはり疲労は隠せなかった。

その裏、200球以上の球数を投じてきた比嘉公がいよいよフィニッシュに向かう。PLも4番七野のヒットと6番中尾の四球でランナーをためるも、すでに2アウト。最後は7番永山を渾身の真っすぐで見逃し三振に取り、沖縄尚学が下馬評をかわす大きな大きな1勝を手にしたのだった。

 

沖縄尚学は、その後、決勝で右腕・照屋が好投し、打線も水戸商のアンダーハンド・三橋を打ち込んで7-2と快勝。大会前にはだれも想像していなかった快進撃を見せ、頂点に輝いた。ただ、長い目で見ると、それは決して偶然ではなく、沖縄水産・栽監督をはじめとした先人たちの歴史の上に成り立つものであった。そこにはかつて本土にコンプレックスを抱いていた沖縄の姿はもうなかったと言えるだろう。その後、2008年にこの年のエース比嘉公が監督となって優勝を果たし、選手・監督の両方での優勝を達成。今も母校を率いて、全国で闘いに臨んでいる。

一方、PL学園は惜しくも準決勝で敗退はしたものの、したたかなPLの野球を貫いた1999年の代は、前年に勝るとも劣らない魅力のあるチームだった。例えば、横浜戦で相手守備の隙をついてバスターを仕掛けた場面、あるいは玉野光南戦で1番田中一が相手エース福明のボールの情報を引き出すためファウルで粘った姿、などなど相手を観察しながら仕掛けていく高度なPL野球が随所にちりばめられていた。現在はPL野球部はなく、なかなか復活も難しいかもしれないが、今現在も多くのOBが指導者として選手の指導にあたっており、そのエッセンスを野球界に注ぎ込んでいるのだ。

沖縄県勢初優勝 報道

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