独断と偏見で選ぶ、2001年春にベスト8へ進めなかったイチオシの好チーム

2001年

桐光学園(神奈川)

1 猪原 9 藤崎
2 天野 10 清原
3 照沼 11 花井
4 12 船井
5 石井 13 佐藤
6 黒木 14 北村
7 岡田 15 高木
8 桜井 16 舟木

激戦区勝ち抜き、晴れ舞台に乗り込んだ初出場校

「神奈川を制すものは全国を制す」という格言の通り、全国でもNo.1と言っても過言ではない激戦区・神奈川を勝ち抜くことは容易ではない。古くは柴田勲(巨人)を擁して夏春連覇を達成した法政二に始まり、第52回・53回大会で2年連続で夏の甲子園を制した東海大相模・桐蔭学園、そして、現在、松坂大輔(西武)を擁しての春夏連覇を含む計6度の優勝を誇る横浜と、強豪校が数多存在するスーパー激戦区なのである。県民の高校野球熱も非常に熱く、毎年神奈川大会終盤の横浜スタジアムは大熱狂の雰囲気となるのだ。

そんな中、1980年代序盤にまだ無名の桐光学園に就任したのが、野呂雅之監督であった。20台での監督生活スタートだったが、1984年の神奈川県予選では、いきなり選抜出場校の法政二・横浜を連破する快挙をやってのける。華々しいスタートであり、期待が持たれたが、ただやはり神奈川を勝ち抜く壁は厚い。1980年代後半は横浜商、1990年代前半は高木大成(西武)・高橋由伸(巨人)を輩出した桐蔭学園が強く、そして、1990年代後半はあの王者・横浜が全国を席巻する活躍を見せた。

そんな中、毎年ベスト8近くまでは姿を見せる桐光学園だったが、もう一つ突き抜けることができなかった。しかし、あの松坂大輔の横浜が春夏連覇を果たした年に、ついに神奈川大会の決勝まで進出する。結果は3-14の完敗だったが、王者を相手にしても自分たちが試合前に考えていたことは遂行でき、手ごたえを感じた夏であった。さらに、前年に当たる2000年夏も2年ぶりの決勝へ進むが、またしても横浜の前に3-5と敗戦。あと一歩のところで届かず、悔しい思いをしたが、確実に全国の舞台が近づいている手ごたえはあっただろう。

そして、注目のスラッガー石井ら主力打者が残った新チームは、持ち前の打力を武器に勝ち上がっていく。県予選では石井をはじめとして藤崎岡田とホームランが飛び出し、危なげなく先行逃げ切り勝ち。関東大会では準々決勝で試合巧者の水戸商に4-6と惜敗したものの、好左腕・田中をよく攻めた。関東が5校選出なので、本来なら出場は微妙な立場なのだが、準々決勝敗退校の中では圧倒的に地力を評価される。神奈川1位ということもあって、ベスト8ながら出場は間違いないとの選考委員の見解であり、見事初出場を勝ち取ったのだった。

2回戦

桐光学園

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 0 0 0 0 0 5 0 0 5
0 0 0 0 0 0 1 0 1 2

智辯学園

こうして初めてつかんだ選抜大会。初戦の相手は好右腕・(横浜)を擁する智辯学園であった。打力では、明らかに桐光学園に分があり、安定感の光るエース猪原・2年生左腕清原を擁する投手陣はある程度の失点で済む算段は立っていただろう。ただ、桐光学園の最大の武器である打力が封じ込まれる可能性があり、そういう意味ではvs桐光学園打線の結果がすべてを握っていると言っても過言ではなかった。

試合は、桐光学園・猪原、智辯学園・の投げ合いで投手戦に。ただ、猪原が内外に散らす投球で智辯学園打線にほとんどチャンスを与えなかったのに対し、桐光学園打線はを序盤から攻めつけていく。のインサイド攻めにも臆することなく踏み込んでいき、4回から6回まで毎イニングの5安打を放って塁上をにぎわせる。スコアレスドローの展開ながら、試合内容は桐光学園が圧倒していた。

すると、7回表、ついにの牙城を崩す瞬間がやってくる。6回あたりから徐々にボールが浮きはじめ、野呂監督としても手ごたえを感じていたことだろう。先頭の9番猪原がライト線に落ちる2塁打で出塁で出塁し、1番桜井が犠打で送って1アウト3塁となると、智辯バッテリーは2番、3番石井を歩かせて満塁策を取る。

ここで4番黒木に対して智辯学園バッテリーは再び内角攻めを選択。しかし、インサイドを突いたストレートがすっぽ抜け痛恨の死球となって、押し出しで1点を献上する。さらに続く5番藤崎への投球も死球となり、痛恨の連続押し出しに。桐光のスコアボードにタイムリーなしで2点が刻まれる。

これまで智辯バッテリーの配球の生命線となっていたインコースのストレートが災いしての2失点。このダメージは非常に大きく、2アウト後に7番天野が甘く入ったスライダーをとらえて、4-0。さらに1,3塁から重盗で得点を重ねるしたたかさも見せ、決定的な5点が入った。初出場とはいえ、勝負所を逃さない桐光学園の攻めはさすが激戦の神奈川でもまれただけのことはあると思わせるものであった。

智辯学園打線も終盤にようやく意地を見せ、7回に3番岡崎のホームラン、9回に5番松山の犠飛でそれぞれ1点を返す。しかし、ディフェンス力で勝負する智辯学園にとって、やはり5点の差は大きすぎた。猪原は危なげない投球で5安打2失点完投勝ち。初出場ながら大会注目の右腕を攻略し、全国上位の力を持つことを示した勝利となった。

3回戦

宜野座

1 2 3 4 5 6 7 8 9
1 0 0 2 1 0 0 0 0 4
0 0 1 0 0 0 0 1 1 3

桐光学園

手ごたえのある勝利で迎えた2戦目。相手はこの大会からできた21世紀枠で初出場をつかんだ宜野座であった。制度初年度ということもあり、まだ21世紀枠の概念も全国に広まり切ってはいなかったのが現状であったが、この年の宜野座は一般枠でも十分戦えるだけの力を持っていた。秋の沖縄大会を制覇すると、九州大会では鳥栖の好投手・宮崎に0-1と完封負けしたものの、ヒット数は10本を数えていた。地域への貢献活動も評価され、実力も含めて文句なしでの選出に。一般枠の他校からすれば不気味な存在であった。

すると、初戦の2回戦では東海王者の岐阜第一を相手に7-2と快勝を収める。犠打を絡めたリズムのある攻撃に、3番嘉陽、4番山城尚を中心とした強打で地区大会のチャンピオンを圧倒。そして、何よりも驚いたのは、右腕・比嘉裕の投じた「宜野座カーブ」である。奥浜監督の指導で編み出された球種は、親指でスピンをかけて円盤投げの要領で投げる独特のものであった。初めて見る打者は明らかに面食らっており、バットとの接点が少ないボールである。投打に高い実力を示し、ベスト8をかけて桐光学園とぶつかることとなった。

結果から言うと、桐光学園にとってはやや不憫な面も多かった。初出場対決であったが、激戦区・神奈川を勝ち抜いたチームに対し、21世紀枠で出てきたチームに対して、判官びいきの甲子園ファンは味方した。ここに沖縄特有の指笛の雰囲気も加わり、球場の応援は明らかに宜野座よりであった。

試合は、1回表に宜野座が1番山城勝の2塁打を足掛かりに3番嘉陽の犠飛で先制すれば、桐光学園も3回裏に5番藤崎のタイムリーで1点を返す。ただ、攻撃のリズムとしては得意のバントがきっちり決まっている宜野座の方が上回っており、桐光学園打線は独特の軌道を描く比嘉裕のカーブに苦戦する。

すると、4回表、この回も宜野座は犠打をうまく活用して猪原を攻め立てると、2アウト2,3塁とから7番比嘉翼が巧みな流し打ちで三遊間を突破。2塁ランナーも送球をかいくぐり、大きな追加点を挙げる。さらに5回にも1アウト1,3塁とすると、今度は2番比嘉裕の打席でスクイズを敢行!これがきっちり決まって、4-1とリードを広げる。比嘉裕に比べて、猪原のボールの軌道はオーソドックスであり、宜野座としても犠打を駆使しながら、いつもの自分たちの攻撃ができた。

この3点の差が比嘉裕に余裕を与えたか、思い切って懐も突きながら得意のカーブを活かしていく。捕手・山城尚の配球も見事。一発の魅力を持つ桐光学園の強打者たちを淡々と抑え、4回から7回までをわずか2安打に抑える。振り返ると、この時間帯が非常にもったいなかったか。3点の差がついたことで焦りもあったかもしれないが、なかなかどっしりと構えての反撃は難しかった。

ただ、そんな中でも猪原はエースとしての意地を見せ、6回以降は無失点で封じると、8回には自らタイムリーも放って2点差に詰め寄る。さらに、9回には先頭の2番が3塁打で出塁。ここで、3番石井が特大の犠飛を放ち、ついに差は1点!いよいよ試合はクライマックスへ向かう。

ようやく比嘉裕のカーブの軌道にも慣れ、1アウトから4番黒木がヒットで出塁。さらに四球も絡めて2アウト1,2塁と一打逆転サヨナラもあるケースを迎える。打席には初戦で貴重な2点タイムリーを放った7番天野。しかし、最後はやや詰まらされた打球をセンター比嘉翼がつかみ、ゲームセット。息詰まる接戦をものにした宜野座がベスト8進出を決め、桐光学園があと一歩で涙をのむこととなった。

 

この初出場を皮切りに、桐光学園は春夏計5度の甲子園出場を達成。野呂監督は、2025年を最後に惜しまれながら甲子園を後にした。ただ、桐光学園というチーム自体は、どこか特徴がつかみづらいチームだったのも一つ。アグレッシブベースボールの東海大相模や緻密な野球の横浜といった戦いの軸となる戦術があるわけではなく、初出場時の打力のチームもあれば、松井裕樹(パドレス)の時のようなディフェンス力で勝負する年もあった。

しかし、そんな中でも21世紀の神奈川で横浜や東海大相模と最も互角に渡り合ったのは、この桐光学園だっただろう。2強ほどは選手が集まる環境ではない中、その年のチームの特徴を生かし、勝てるチームを作る。その時の状況に合わせていく、柳のような強さがあった(どこかこの特徴のない強さは明徳に通じるものがあると個人的には思っている)。野呂監督はこの夏で退任となったが、彼と桐光学園が神奈川に残した功績は間違いなく大きいものであり、今後もその強さは引き継がれていくことだろう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました