記憶に残る代打(1998年夏)

1998年
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横浜 柴武志

大会16日目第1試合

1998年夏準決勝

明徳義塾

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 0 0 1 3 1 0 1 0 6
0 0 0 0 0 0 0 4 7

横浜

 

明徳義塾  寺本→高橋→寺本

横浜    袴塚→斎藤→松坂

試合前予想

超高校級右腕・松坂大輔(西武)を擁し、投攻守走ともに完ぺきなチームを作り上げた1998年の横浜高校。150キロ台の速球と高速スライダーを操る松坂の投球は当時の高校球界では頭二つ、三つ抜けたレベルであり、これを名捕手・小山(中日)や佐藤松本の鉄壁の二遊間をはじめとした堅守の野手陣が支えるため、付け入るスキは微塵もない。取れて2、3点というのが、横浜を相手にしたチームの想定であった。

ここにスラッガー後藤(西武)や核弾頭・小池(DeNA)をはじめとして、松坂小山の打撃もよいバッテリーなど、スラッガーがずらりと並ぶ打線が支えるのだから、相手にしたらたまったものではない。さらに脇役でチャンスメークをする加藤松本佐藤らは、巧みな逆方向への打撃など、ベンチのどんなサインにも応えるユーティリティーを兼ね備える。柔と剛を兼ね備えた攻撃陣もまた横浜の強みであった。

選抜の時点でチームが仕上がった感もあったが、ここから小倉コーチのもとで社会人野球で教えるようなサインプレーも仕込み出し、もはや高校野球のレベルは超越していた。夏の神奈川大会を圧倒的に勝ち抜くと、甲子園でも柳ヶ浦(4年前の夏4強)、鹿児島実(2年前の選抜優勝)、星稜(3年前の夏準優勝)と当時油の乗り切っていた強豪校を危なげなく撃破。特に、鹿児島実戦ではノーヒッター杉内(ソフトバンク)から三盗を決めて、無安打で先制するそつのなさを見せ、名将・久保監督をして「レベルが違う」と言わしめる戦いで勝利を収めた。

ただ、そんな横浜に試練が立ちはだかったのが、準々決勝のPL学園戦。立ち上がりの不安定さを突かれて、2回裏にいきなり3点を先行されると、「打倒・松坂」に執念を燃やすPL学園に常に先手を取られる。延長に入ってからは、松坂が調子が出てきたこともあり、横浜が押し気味になるが、11回、16回と勝ち越すたびに追いつかれ、PLの執念に苦しむ。17回表に常盤の劇的な勝ち越し2ランでなんとか勝利をおさめたが、この試合で250球を投げぬいた松坂には、「疲労」という名の十字架が課されることとなった。

そんな、絶対王者を準決勝で迎え撃ったのが、名将・馬淵監督が率いる明徳義塾である。大会前からPLと並んで打倒・横浜の有力候補に挙げられた強豪は、本格派左腕・寺本(ロッテ)、右のアンダーハンド・高橋(ヤクルト)という経験豊富な2枚看板を擁し、4番寺本を中心とした打線の破壊力は横浜・PLに引けを取らないものがあった。唯一の不安は寺本の制球難であったが、大会中に足首の故障が「けがの功名」となったのか、いい意味で力の抜けた投球を展開。強打の日南学園や選抜準優勝の関大一を危なげなく下し、上り調子で王者との戦いを迎えていた。

展開

明徳の先発はエース寺本、一方、横浜は前日に250球を投げた松坂をさすがに起用するわけにはいかず、2年生左腕・袴塚をマウンドに送った。序盤から明徳打線は袴塚を相手にヒットを重ねるが、1回から3回まで5安打を浴びながらも無失点。明徳としては拙攻でなかなか得点を挙げることができない。のちのちこれが響いてくるのだが、前日に17回の死闘を演じ、疲労困憊のナインは明徳・寺本を前になかなかチャンスすら作ることができない。

すると、4回表、9番倉繁のタイムリーでついに明徳が先制点を手にする。この失点で踏ん張っていた袴塚の防波堤が決壊することに。5回表には1番藤本、5番谷口の2本のホームランで3点を追加すると、横浜は右腕・斎藤へと継投するが、明徳の勢いは止まらない。8回までに藤本のサイクルヒットの活躍などで6-0と大量リード。強打者の揃う横浜の打線も、この日は寺本の快投の前に3安打無得点。いつもの制球難が出る雰囲気もなく、ランナーを出しても併殺に取られるなど、淡々と試合は進んでいった。

横浜は終盤に来てエース松坂をブルペンを送り、投球練習を開始。レフトからの送球を見ても、素晴らしいボールを投げており、渡辺監督としても「最高のメンバーで甲子園を去りたい」という思いはあっただろう。残り2イニングで6点差。不可能に近い状況の中、8回裏の攻防へと試合は移っていった。

そして、代打へ

しかし、ここまで圧倒的な強さを見せていた明徳の馬淵監督も、うまくいきすぎていることに些かの不安は感じていた。「あの横浜がこのまま終わるわけないぞ」という声を選手にかけるが、これがかえってナインの硬さを呼ぶ。先頭の1番加藤のなんでもないショートゴロを倉繁がはじいてしまうと、ここから2番松本、3番後藤、4番松坂の3連打であっという間に2点を返す。球場のボルテージがにわかに上昇する中、馬淵監督はここで2番手で高橋をマウンドに送る。選抜ではエース寺本を続投させてPLにサヨナラ負けを喫しており、判断としては決して間違ってはいなかっただろう。

その高橋は5番小山、6番常盤と打ち取り、2アウトを取るが、渡辺監督は内心チャンスはあるとにらんでいた。試合前から高橋のメンタル面での不安定さを情報として持っていたからだ。

すると、ここで横浜は7番斎藤清の打席で左の強打者・を送る。鉄板のスタメンが並ぶ横浜打線にあって、この並び/ポジションがほぼ唯一といっていいほど選手の入れ替えがあるところなのだが、その打順を奪い合う選手たちもまた相応にハイレベルだ。他校なら堂々4番を打てるほどの実力者の。その打席で高橋の暴投が飛び出し、3点目が入ると、続く2アウト2塁でレフト方向へ軽快な流し打ちを見せ、2塁ランナーがホームイン。の打席だけで2点が入り、試合の行方は一気にわからなくなった。

こうなると、判官びいきの甲子園ファンは横浜の背中を後押しする。9回表、明徳の中軸を松坂が3人で料理すると、ためこんでいたものを爆発させるかのように、横浜打線がつながる。9番佐藤のライト前ヒット、1番加藤のセーフティバント、2番松本の野選とわずか3球の間に無死満塁のチャンスを形成。ここで腰の疲労骨折に苦しんでいた3番後藤が、センターへ同点タイムリー放ち、ついに横浜が試合を振り出しに戻す。6点差を終盤2イニングで追いつく奇跡!主導権は完全に横浜のものになっていた。

なおもチャンスは続き、4番松坂の犠打と5番小山の四球で1アウト満塁に。ここで、馬淵監督はファーストに退いていた寺本をマウンドに戻し、エースに命運を託す。選抜では制球難でサヨナラ負けを招いてしまった寺本にとっては雪辱を晴らす機会でもあった。昨日決勝ホームランを放った6番常盤に対しては、カーブで見逃し三振を奪い、2アウト。

延長まであと1アウトと迫ったが、ここで打席に入ったのは、先ほど代打でタイムリーを放ったであった。寺本の内角速球を振り切った打球は、セカンド後方への飛球に。通常ならセカンドフライの打球にも見えたが、やや前進守備から切り替えられていなかったセカンド松元は、追いつくことができない。打球は内外野の間に弾むタイムリーとなり、横浜が劇的な逆転サヨナラ勝ち!選抜に続いての決勝進出を果たしたのだった。

交代要員出てきたが2打席連続でタイムリーを放つところに、この年の横浜の総合力の高さが現れていたと言える。これほどドラマチックな戦いを制し、春夏連覇を達成したのは、後にも先にもこの1998年の横浜だけだろう。高校野球フィーバーを起こした年になった。

第80回夏の甲子園準決勝【横浜vs明徳義塾】1998年8月21日

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