西日本短大付vs拓大紅陵 1992年夏

1992年

完投か継投か、スタイルの真価が問われた決勝戦

1992年の高校球界は、今思えばエポックメイキングな年であった。

この年からラッキーゾーンが撤廃され、ホームラン数が激減したが、その中で星稜の4番松井秀喜(ヤンキース)が選抜大会タイ記録となる3ホームランを放って、一躍脚光を浴びた。

そして、もう1点が複数投手制の必要性が叫ばれた点。前年の1991年夏に沖縄水産・大野(ダイエー)が肘を疲労骨折しながら決勝までの6試合を投げぬいたことがさすがに問題視され、それまで何かと美化されがちだった一人の投手が力尽きるまで投げぬく姿勢に疑問符がつくようになった。

そんな流れの中で開催された1992年夏の決勝戦は、継投策で勝ち抜くチームとエースが一人で投げぬくチームという対照的な顔合わせとなったのだ。

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拓大紅陵は名将・小枝監督に率いられ、昭和後期から着々と力をつけてきたチームだった。1984年選抜で初めて8強入りを果たすと、1986年はのちにヤクルトで活躍する飯田を1番捕手に据え、大会でもV候補に挙げられる存在にまでなった。そして、1992年夏はエースで4番の紺野や2年生スラッガー立川(ロッテ)を中心に強打を誇り、千葉大会を勝ち上がる。それまでの甲子園での戦いを見ても強打の拓大紅陵の印象が強く、本戦でも打線爆発かと思われた。

しかし、大会が始まると目立ったのは、特徴の違う複数投手を運用した体制であった。右サイドハンドの紺野、アンダーハンドの富樫、左腕・多田、右腕・杉本といずれも投げ方の違う4投手を代わる代わる起用。一方、打線は大量点とはいかなかったが、初戦の智辯和歌山戦で3点差を逆転して波に乗ると、準々決勝では0-1で迎えた9回表に立川が逆転2ランを放ち、劇的な形でベスト4へ進出。準決勝でも尽誠学園の好右腕・渡辺も逆転で攻略するなど、勝負強い打者が揃っていた。新時代のスタイルで勝ち進む拓大紅陵が、1975年の習志野以来となる千葉県勢の優勝を狙っていた。

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一方、西日本短大付も昭和後期から名将・浜崎監督に率いられて、常連校へなりつつあった。1986年夏・1987年春と好左腕・石貫(広島)を擁して連続出場を果たすと、1989年世代では新庄剛志を輩出。福岡県内の有力選手が進学するようになっていた。その翌年には、右アンダーハンドの好投手・中島を擁して、宇部商・鹿児島実と強豪を下して4強へ進出。準決勝では優勝した天理に惜敗したが、全国制覇が手の届くところまで来ていることを実感させた。

そして、この1992年世代は絶対的エース森尾を擁して2年ぶりの出場を達成。前年夏は好投手・田島を擁する柳川に、前年秋は福岡工大付に敗退したが、ディフェンス野球に磨きをかけて臨んだこの年は福岡大会でその両校にリベンジを果たして優勝を果たした。甲子園では大会前からV候補に挙げられると、森尾が初戦から連続完封を達成。準々決勝の北陸戦の9回まで無失点記録を継続すると、準決勝では再び強打の東邦を相手に完封勝ちを決めて、初の決勝進出を果たした。

度重なる危機を乗り越えた両エース

1992年夏決勝

拓大紅陵

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
0 1 0 0 0 0 0 0 × 1

西日本短大付

 

拓大紅陵     紺野

西日本短大付   森尾

さて、対照的な投手起用で勝ち上がった両チーム。決勝前の焦点はやはり、拓大紅陵の打線vs森尾の対決であった。

その森尾、ここまで4試合で1失点と圧倒的な安定感を誇るが、その理由は正確無比なコントロールと冷静に相手の狙い球を察知する洞察力にあった。ここに、味方の配球と相手打線の傾向を察知して正確にポジショニングを取る堅守も加わり、相手のヒットを未然に防ぐ鉄壁さを誇っていたのだ。

一方、拓大紅陵は4番を務める紺野を先発に指名。ただ、これまで4試合はすべて継投策で勝ち上がっており、スクランブルでの起用は十分考えられた。

1回表、拓大紅陵は1番今井がいきなり二遊間を痛烈に破るセンター前ヒットで出塁。犠打で2塁へ進め、好投手・森尾にプレッシャーをかける。しかし、森尾の正確なコントロールの前に、インコースを厳しく攻められ、3番主将の小笠原、4番紺野と打ち取られて無得点。先制のチャンスを逃す。

一方、初回を3者凡退で切り抜けた拓大紅陵・紺野だが、2回裏にピンチを招く。4番高原が変化球にうまく食らいついてショートへの内野安打を放つと、梅沢がきっちり送り1アウト2塁。6番西原も変化球を引っ張って三遊間を破り、1アウト1,3塁とチャンスを拡大する。ここで、打席には7番山本。浜崎監督は失敗覚悟で迷わず、スクイズのサインを出す。山本のスクイズは捕手前の打球となってしまうが、3塁走者の高原がスライディングせずに駆け抜けて一瞬速くホームイン!西短が1点を先行する。

しかし、ここから西短は次の1点が遠い。2回の更なるチャンスでは重盗を仕掛けるも失敗。4回裏には4番高原の2塁打からチャンスを作るも、決定打が出ず、5回裏も2番下川の好走塁を絡めて2アウト満塁と迫りながら無得点に終わる。さらに、後半戦に入っても、6回裏、2アウト2,3塁としながら得点ならず。押しに押していながら2点目を上げられず、さすがに嫌な流れとなってしまう。

すると、7回表、それまで拓大紅陵を散発4安打に抑えながていた森尾が捕まる。1アウトから6番木内を打席に迎えると、アウトコースの速球を流し打った打球は左中間を深々と破っていく。森尾を相手に、イニング数も少ない中でチャンスはそう来ない。そう感じた木内は迷わず2塁を蹴り、3塁へ。今大会、圧倒的な投球を見せていた森尾から初めてとなる長打を、しかも、3塁打とし、一気に同点のチャンスを迎える。

ここで、打席には7番布施。準決勝の尽誠学園戦では貴重な逆転打を放った勝負強い選手だ。しかし、森尾を相手に普通に打ちに行っても分が悪いと判断したのだろう。小枝監督はここでスクイズを指示する。しかし、右投手の森尾は3塁ランナーのスタートが見えた瞬間、最もバットに当てるのが難しいインハイへ投球。正確に投げ込んだボールはバットをすり抜けて捕手・西原のミットにおさまる。走り出していた3塁ランナーは挟殺され、タッチアウト。拓大紅陵が千載一遇のチャンスを逃した。

0-1のまま試合は最終盤へ。ただ、この試合が接戦となった立役者は、拓大紅陵の先発・紺野であった。ここまで継投策で勝ち上がってきたチームだったが、この日は代わる代わる他の3人の投手がブルペンへ走りながらも、最後までマウンドは譲らなかった。8安打4四球と実に12人のランナーを出しながら、失点はわずか1。この粘りの投球が、決勝戦を好試合たらしめた所以であった。

そして、試合は9回表へ。2番松本、3番小笠原と打ち取られ、2アウト。しかし、ここから4番紺野が攻撃でも意地を見せる。巧みな右打ちで高めの速球をライトへ打ち返すと、続く5番立川の場面で盗塁を敢行。これが見事に決まり、一打同点あるいは一発出れば逆転のチャンスを迎える。ちょうど準々決勝の池田戦ではこのような場面から試合をひっくり返したのだ。

だが、森尾は最後の最後まで森尾であった。懐の深い長距離砲の立川に対し、捕手・西原は迷わず、インコースへ構える。少しでも甘く入れば、長打になってしまう、怖いコースだ。だが、コントロールに絶対の自信をもつ森尾に迷いはなかった。最後は、インハイに来た速球に立川のバットが詰まらされ、打球はサードへのフライに。涙を浮かべながら投球した森尾は、数秒後にはチームメイトと抱擁をかわし、全国一を証明する戦いを制したのだった。

まとめ

西日本短大付は3度目の夏出場で全国制覇を達成。当時の福岡勢は、これで夏は5年連続で8強以上の成績を残し、圧倒的な強さを誇っていたが、この年の西短はその流れに乗って一気に頂点まで上り詰めた。複数投手制を叫んだ元年に、絶対的なエースが一人で投げ切るチームが優勝したのはやや皮肉な結果ではあったが、森尾の好投はそんな事を打ち消すだけの凄みがあった。やはり投手の根本はコントロールであり、最終的に野球の勝敗を決めるのはディフェンスの力なのだ。5試合で1失点という近代野球では考えられない金字塔を立てての快挙であった。

一方、拓大紅陵は4人の投手を使い分けての見事な準優勝であった。当時も複数投手を起用して勝ち上がるチームは存在しないわけではなかったが、いずれもタイプの違う4投手をつないでの勝ち上がりは、かなり画期的であった。また、打線は日替わりヒーローが飛び出す形で、豪打ではなくとも、大事な場面で誰かが必ず決定的な仕事をしてみせた。まさに投打で全員野球を体現した、この年の拓大紅陵の戦いぶりは、時代が令和に進んだ今も高校野球ファンの記憶に残り続けている。

1992年全国高校野球 西日本短大付 森尾和貴投手

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