2022年選抜1回戦
大坂桐蔭vs鳴門
53% 47%
V候補筆頭の大阪桐蔭に常連校・鳴門が挑む構図。大阪桐蔭有利とは思うが、アップセットの可能性は決して低くはない。
大坂桐蔭は別所・川原・川井と球威のある2年生投手3人が先発し、1年生左腕・前田が締めるパターンで公式戦を無敗で駆け抜けた。特に前田の投球は圧巻で、右打者のインサイドをえぐる制度は素晴らしい。敦賀気比の東監督をして「あれは打てない」と言わしめた実力者だ。ただ、上級生の3人はやや安定感にかけるところがあり、甲子園で前田を先発させるかリリーフさせるか、まだ定かではない。球数制限も考慮しながら、西谷監督がどういう起用をするか。
対する鳴門は四国大会でこそ打線がやや沈黙したものの、県大会では打率4割超えと破壊力は秘めている。パワーのある4番前田、5番藤中を中心に一度つながりだすと止まらない「渦潮打線」の破壊力は今年も健在。大阪桐蔭投手陣の得意とするストレートをいかに力負けせずにはじき返せるかが、まずは攻略のカギを握るだろう。相手の継投を後手にまわすような先制攻撃を見せたいところ。
一方、鳴門の左腕・冨田は大会注目の好左腕。選抜出場をかけた四国大会準決勝では夏の甲子園を沸かせた明徳義塾の左腕・吉村との投げ合いを制した。177㎝84キロと均整の取れた体格からキレのあるボールを投じ、昨秋の公式戦防御率は0.86を記録。内外野も堅い守りでエースを支え、ディフェンス力の高さでは決して引けを取らないだろう。
対する大阪桐蔭打線は今年もタレントが揃っており、破壊力抜群。昨秋の公式戦では抑え込まれた試合は1試合もなかった。3番捕手と攻守のかなめの松尾を中心に左右バランスよく好打者がそろっており、集中打で一気に流れを引き寄せる。昨年度に試合に出れてなかった選手が多いぶん貪欲さがあり、打席の中で粘り強さを出せるのも強みだ。
強打を誇る大阪桐蔭だが、過去の甲子園でも幾多の好左腕の前に涙を飲んできた。鳴門のエース富田の出来次第では初戦で姿を消しても何ら不思議ではない。
大坂桐蔭を下したサウスポー:田中健太郎(2007選抜・常葉菊川→DeNA)、葛西侑哉(2010選抜・大垣日大)、藤田凌司(2013選抜・県岐阜商)、早川隆久(2016選抜・木更津総合)、長谷川拓帆(2017夏・仙台育英)、西村王雅(2021選抜・智辯学園)
主なOB
大坂桐蔭…中村剛也(西武)、中田翔(日本ハム)、藤浪晋太郎(阪神)、森友哉(西武)
鳴門…秦真司(ヤクルト)、島田茂(ロッテ)、潮崎哲也(西武)、板東湧梧(ソフトバンク)、河野竜生(日本ハム)
大坂 徳島
春 4勝 3勝
夏 1勝 1勝
計 5勝 4勝
対戦成績は通算で5勝4敗と大阪勢がリードも、強豪府県同士だけに競った結果となっている。
2001年の選抜では3回戦最後のカードで浪速と小松島が激突。ともに前の試合で甲子園初勝利を挙げたチーム同士の対戦は、先行した浪速を小松島が追う展開に。最終回にランナー3塁で小松島がスクイズを敢行するも、浪速バッテリーが落ち着いて打球を見てファウルゾーンで取り、結局同点を許さず。初めての8強入りを果たした。
一方、1979年の準決勝では池田と浪商が激突。エース牛島(中日)と史上初の3試合連続ホームランを放った主砲・香川(南海)のバッテリーを擁する浪商が有利かと予想されていた。しかし、池田のエース橋川が持ち味のカーブを武器に好投。強打の浪商打線を6安打で完封し、夏は初めてとなる決勝進出を果たした。この快進撃を見て入学した3年生がのちに池田史上初の全国制覇を果たすこととなる。
思い出名勝負
1983年夏準決勝
池田
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | × | 7 |
PL学園
池田 水野
PL学園 桑田
池田の3季連続優勝がかかった1983年の準決勝第1試合。大半の高校野球ファンは池田の勝利を予想していたが、その結末はあまりに衝撃的なものであった。
池田は前年夏にやまびこ打線で悲願の初優勝を果たすと、同年の選抜ではエース水野(巨人)を中心に圧倒的な強さで夏春連覇を達成。水野はテンポの速い投球から伸びのある速球にキレのあるスライダー、シュートを織り交ぜ、新チーム結成から選抜決勝までなんと自責点0で投げ抜いて優勝を勝ち取った。江上、水野を中心とした打線も前のチームに全く引けを取らず、5試合で32得点を記録。準決勝の明徳戦以外は圧勝の連続だった。
誰もが3季連続の優勝は確実と思った最後の夏。初戦で太田工に8-1と大勝するもエラーも出て、蔦監督は不満の様子だった。ところが、2回戦の高鍋戦を前に、相手校の選手が「池田は大したことない」と発言したことを聞きつけ、ナイン全員が奮起。12-0と大差で高鍋を退けると、3回戦では前年夏の決勝を争った広島商にも7-3と大勝。危なげなくベスト8進出を果たした。
ところが、この広島商戦で水野が頭部に死球を食らうアクシデントが発生。投球の出来が不安視され、準々決勝はエース野中(中日)擁するライバル中京との一騎打ちであった。しかし、この試合でも水野は意地の投球で6安打1失点で完投すると、やまびこ打線も野中に14安打を浴びせ、9回に7番高橋の決勝ホームランが飛び出して3-1と快勝。屈指の好ゲームを制した今、池田にいよいよ死角は見当たらなくなっていた。
対するPL学園は、一昨年・昨年と西川(南海)、榎田(阪急)という絶対的エースを中心に選抜連覇を達成していたが、メンバーの入れ替わった今年の代は苦戦を強いられていた。この世代は、秋の近畿王者の泉州、選抜で興南のエース仲田(阪神)を攻略した上宮と他校も強く、そもそも大阪で一番手に挙げられていなかったのだ。
しかし、このチームに1年生で投打の主軸となる逸材が入学する。のちのKKコンビ、桑田・清原(ともに巨人)である。清原はその体格から繰り出す天性の長打力で早々と4番の座を勝ち取ると、桑田は一時投手失格を言い渡されるも、報徳学園を選抜優勝に導いた名将・清水監督の指導のもとで復活。大阪大会の吹田戦で完封勝利を挙げると、上級生たちの信頼も得て大阪大会を投げ抜き、5年ぶりの代表切符をつかんだ。
甲子園では所沢商、中津工と危なげなく下すと、3回戦では東海大一と対戦。選抜4強の難敵だったが、相手エース杉本尚が先発を回避し、立ち上がりを打線がきっちりせめて6-2と快勝。運も味方に付き始めていた。準々決勝では5年前の夏に決勝を戦った高知商と再戦。序盤からエース津野(日本ハム)を打ち込むも、相手打線に桑田もつかまり、激しい乱打戦になった。結局,10-9と薄氷を踏む思いで勝利したPLは4強へ進出。大会前の予想をかわし、優勝が見えるところまで勝ち上がってきた。
4強の顔ぶれは池田、PL学園に加え、選抜準優勝の横浜商と大会屈指の右腕・山田(巨人)がエースの久留米商であった。池田にとっては、4強の中でPLは最もくみしやすい相手に思えた。また、準々決勝では池田がいつも同じ四国で大差勝ちしていた高知商に10-9の辛勝だったこともあり、これは勝てるだろうという気持ちになってもおかしくはなかった。
ただ、池田の不安はやはり水野の出来。頭部に死球を受けてから影響が出るのは3日目と医師から伝えられており、その3日目がPL学園戦であった。試合前の投球練習ではボールが走っておらず、捕手の井上が「大丈夫か!?」と駆け寄るほどの内容であった。
対するPL学園としては1年生が主軸のチームが前評判をかわしてここまで勝ち上がったため、俗に言う「失うものはない」状態。ただ、池田相手に大差負けでは格好がつかないため、上級生から桑田に「取られても9点までにしとけ、2桁失点は大阪の恥や」と伝えられていた。
試合が始めると初回から池田のペースで試合が進む。2アウトから3番江上、4番水野が連打を放っていきなり1,2塁のチャンス。試合前の整列で「牛のようだった」と圧倒された体格差の中軸に捕まる。ところが、5番吉田のセンターへ抜けようかという打球を桑田が持ち前のフィールディングで好捕。抜けていたらここからやまびこ打線がつながりかねなかっただけに大きなプレーだった。
すると、立ち上がりからボールが走らない水野が2回裏にPL打線に捕まる。ランナー2塁から7番小島に右中間を破る2塁打を浴びて、1失点。ボールが走らず、水野は首をかしげる。続く8番は1年生の桑田。「どのみちインサイドしか打てない、スライダーなんてもってのほか」と内角一本に絞っていた桑田は水野が投じたインハイのボールを強振。打球はレフトスタンドへ一直線に飛び込み、今大会2本目のホームランとなってPLが3-0とリードを広げる。
ショックを隠し切れない水野と池田ナイン。続く9番住田はチームでも最も小柄な選手だったが、これまた水野の外寄りのスライダーをとらえると、再び打球はレフトスタンドへ飛び込んで、この回4点。池田ナインにとっては、まるで悪夢を見ているかのような展開である。
これでいい意味で緊張がほどけた桑田は、ここから快投を見せる。「9点までなら許す」という先輩の言葉が「1イニング1点までならいいんだ」という開き直りに変わり、イニングが進むにつれて力みから解放された。インサイドを臆することなくついた後に、内角から一度ホップするように浮き上がって入るカーブを前に池田打線は併殺の山を築いていく。
一方、水野は3回以降も立ち直りの兆しが見えない。3回裏にライト前タイムリーで1点を失うと、4回裏には先制打を打たれた7番小島に一発を浴びて0-6。世代No.1投手が、下位打線の3人にそれぞれホームランを浴びるという信じられない展開に、池田ナインや池田ファンだけでなく、高校野球ファン全体がショックを隠し切れなかっただろう。
それでも、この試合唯一水野が意地を見せたのが4番清原への投球であった。外へ流れるスライダーの前にバットが空を切り続けた4三振。この展開で1年生4番にまで打たれたら格好がつかないというばかりに、ここは全力で相手の主砲を封じ込めにいった。
6回表に入って池田打線も徐々に桑田のボールに慣れ始め、2番金山・3番江上が連打を放つ。無死1,2塁で4番水野という絶好のチャンスだったが、水野は桑田のカーブをひっかけて投手ゴロ。しかも桑田は3塁へ送球して併殺を奪うという、小憎らしいばかりの落ち着きでこの回もピンチを脱する。選抜で投打に活躍した水野だったが、この日はともに精彩を欠いた。
結局、桑田は猛打の池田打線を相手に一人で投げ抜いて5安打シャットアウト。のちに高校球界の主役が入れ替わったと言われた試合は、どよめきを残しながら終了の時を迎えた。
この後、PL学園は決勝で選抜準優勝の横浜商と対戦。前年の選抜でも大成した相手であり、リベンジに燃える横浜商の方が有利かと思われた。
しかし、この試合で今度は1年生4番の清原がY校のエース三浦のフォークをとらえて先制ホームランを放つ活躍を見せる。桑田も自らの癖を逆手にとってけん制死を奪うなど、1年生らしからぬ投球で7回を無失点。8回から3年生のエース藤本につなぎ、完封リレーで3-0と快勝。5年ぶり2度目の全国制覇を果たし、KKコンビの時代が華々しく幕を開けたのだった。
一方、池田にとっては自慢の猛打を封じられての敗戦だったが、投打の軸である水野が機能しなかったときの脆さを露呈してしまった感はあった。水野が相手打線を封じ、そこから生まれたリズムに乗って打線が中盤以降確実に得点を積み重ねるのが池田の勝ちパターンだったが、この試合ではそれが2回で早くも崩れ去ってしまったのだ。
また、当時は高校卒業後の進路が決まるのも早く、選抜優勝後まもなくほとんどのレギュラー選手が進学先が内定していたとのこと。蔦監督も講演などで練習を抜ける機会が多く、モチベーションを保つのは難しかったのかもしれない。奇しくも甲子園ではそのモチベーションをかろうじてつなぎとめるような対戦が続いたが、準決勝で油断が生まれる結果となってしまったようだ。
名将・蔦監督は「この子たちのためにも負けて良かったんじゃ」と発言。前年夏から破竹の快進撃を見せた史上最強の公立校の戦いは、こうして幕を閉じたのだった。
大会No.1投手(1985年夏) 桑田真澄(PL学園) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
大会No.1投手(1983年選抜) 水野雄仁(池田) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
【池田vs PL学園】桑田完封、清原4三振、水野3被弾、甲子園の主役校が代わった名勝負!【高校野球】 – YouTube
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