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1990年

大会No.1投手(1990年夏) 南竜次(天理)

1990年の夏の甲子園で2度目の全国制覇を果たした天理。その原動力となったのが、190センチを超えるエース南竜次(日本ハム)の力投であった。選抜では2回戦で高松商に大敗し、春に監督が交代するなどチームが揺れ動いた時期もあったが、最後...
1991年

大会No.1投手(1991年選抜) 上田佳範(松商学園)

北信越屈指の好投手として1991年の選抜に仁王立ちしたのが、松商学園のエース上田佳範(日本ハム)であった。端正なルックスと140キロ台の速球を中心とした安定感ある投球で、松商学園史上最高とも言える戦力を有したチームの主戦兼4番を務め...
1991年

大会No.1投手(1991年夏) 大野倫(沖縄水産)

現在の球数制限の論争が起こるきっかけとなったことで有名なのが1991年夏の沖縄水産のエース大野倫(巨人)であった。前年夏は5番打者としてチームの準優勝に大きく貢献。新チームでは満を持してエースで4番を務めたが、県大会から右ひじが痛む...
1992年

大会No.1投手(1992年選抜) 吉田道(東海大相模)

帝京vs東海大相模の関東勢同士の決勝戦となった1992年の選抜大会。優勝投手となった「柔」のピッチングの帝京・三沢(近鉄)に対して、「剛」の投球で観衆を魅了したのが、東海大相模のエース吉田道(近鉄)であった。ダイナミックなフォームか...
1992年

大会No.1投手(1992年夏) 森尾和貴(西日本短大付)

1992年の夏の甲子園のNo.1投手と言えば満場一致で西日本短大付の森尾和貴だろう。浜崎監督のもとで昭和60年前後から着実に力をつけ始め、石貫(広島)や中島ら好投手を輩出して強豪の地位を確立していた「西短」が、満を持して全国の頂点を...
1993年

大会No.1投手(1993年選抜) 牧野光将(上宮)

悲運のチームと言われた上宮に初優勝をもたらした立役者が左腕エース牧野光将であった。4年前に主砲・元木を擁して優勝候補だった時と比較し、この年のチームは秋の近畿大会で岡島(レッドソックス)擁する東山にコールド負けするなど、決して前評判...
1993年

大会No.1投手(1993年夏) 土肥義弘(春日部共栄)

花咲徳栄が埼玉県勢初優勝を果たす前、夏の埼玉勢の最高成績は1993年夏の春日部共栄の準優勝であった。その中心にいたのが、2年生左腕の土肥義弘(西武)。小林との2年生バッテリーは巧みな配球の豊富なスタミナを武器に強豪を次々倒し、決勝ま...
1994年

大会No.1投手(1994年選抜) 伊藤龍太(桑名西)

初出場の桑名西を選抜4強に導いた小さな大エース・伊藤龍太。164センチの身長ながら、全身をフルに使ったフォームで強豪を次々と下した。前年秋に三重大会、東海大会をほぼ一人で投げ抜いて準優勝に輝くと、本大会でもストレート主体に強気の攻め...
1994年

大会No.1投手(1994年夏) 福岡真一郎(樟南、鹿児島商工)

樟南のエースとして甲子園に3度出場し、名捕手・田村(広島)とともに黄金バッテリーを形成したのが福岡真一郎であった。小柄な体ながら、ダイナミックなフォームから繰り出す速球を武器に、樟南の守りの野球を体現し、1994年夏には学校として最...
1995年

大会No.1投手(1995年選抜) 藤井秀悟(今治西)

四国屈指の左腕として大会前から評価が高かったのが、今治西の藤井秀悟(ヤクルト)であった。地区大会で51イニング連続無失点を継続し、四国大会決勝では名門・高知を相手に17奪三振を記録。しなやかな腕の振りから繰り出す速球とスライダーを武...
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