横浜vs明徳義塾 1998年夏

1998年

春夏連覇へ向けて執念の逆転劇!王者が決勝進出を果たす!

1998年夏の3部作とも言われる横浜高校の準々決勝からの名勝負・3試合。準々決勝のPL学園戦の延長17回の死闘は高校野球史上最高の試合と言われているが、その後の準決勝・明徳義塾戦の死闘もまた、凄まじい内容の試合であった。

戦前から優勝候補の筆頭だったこの年の横浜高校。エース松坂は150キロを超える快速球に消えると評された高速スライダーで高校生離れした投球を披露し、打線も下位まで強打者が並びすきがない。守備・走塁に至っては社会人が使うような高度なサインプレーをこなす。明治神宮大会・選抜を制し、公式戦無敗の無敵の王者である。

 

夏の甲子園では2回戦で杉内(ソフトバンクー巨人)擁する鹿児島実業との投手戦を制すると、危なげなく準々決勝進出。待ち受けていたのは春の雪辱に燃えるPL学園であった。

 

2回に松坂が3点先行される苦しい展開となったが、打線が援護し追いつ追われつの展開で延長戦へ。延長11回,16回に横浜が先行すればPLが追いつく。球史に残る死闘となったが、延長17回に常盤の勝ち越し2ランが飛び出してついに横浜が勝ち越し。裏に松坂が250球の熱投で締めくくり、最大の難敵を退けた。

 

しかし、この戦いを経て松坂には250球を投げぬいた代償が残った。試合後の会見で「明日は投げられません」と報道陣にコメントしたように疲労困憊であった。2年生の袴塚斉藤の2人でしのがなくてはならなくなった。

一方、明徳義塾は馬淵監督就任以来最高の戦力が整った。投手は寺本(ロッテ)・高橋一正(ヤクルト)の2枚看板。寺本は制球難はあるが、ボールの威力は抜群の左の本格派。高橋は対照的に右サイドの技巧派でスライダー・シンカーを武器にする好投手。打線も力のある打者が揃い、頂点を狙える戦力を有していた。

 

しかし、この年はまず高知県が激戦区。土居(横浜)を擁する高知、藤川球児(阪神―カブスー阪神)を擁する高知商業との3つ巴であった。前年夏、明徳は藤川兄弟の投球に抑え込まれ、兄の藤川順一に決勝ホームランを打たれて、1-0で惜敗。寺本たちは春夏連続の甲子園を逃していた。悔しさをばねに秋の大会を勝ち上がり、2年連続の選抜出場を果たした。

 

選抜では準々決勝まで勝ち上がり、PL学園と対戦。9回表に寺本自ら勝ち越しホームランを放つが、その裏制球難で4四死球。同点にされると最後は延長10回相手投手稲田にサヨナラタイムリーを打たれて2-3とサヨナラ負けを喫した。

 

その後、春季高知大会で高知の土居にひねられ敗戦。選抜のショックな負け方も相まってチームは一時期空中分解しかけた。しかし、夏に向けて再びチームを立て直すと夏の高知大会決勝では高知の土居から5番谷口がサヨナラホームラン。ライバルとの死闘を制して甲子園にたどり着いた。

 

甲子園では開幕戦に登場。桐生第一に苦しめられるが、サヨナラ暴投で勝利を手にするとあとは快進撃。3回戦では日南学園と対戦し、のちに明治神宮大会の優勝投手となる春永から寺本がホームラン。大会屈指のヒットメーカー赤田(西武―オリックスー日本ハム)を封じ、高橋との継投で5-2で勝利した。準々決勝では選抜準優勝投手・関大一高の久保(ロッテー阪神―DeNA)を11得点と滅多打ちにして準決勝へ名乗りを上げた。

 

精神的にむらのあるチームだが、乗った時の勢いは横浜・PLをしのぐものがある。エース寺本は足首のけがを抱えているが、逆に力が抜けて好投。後を投げる高橋も22回3分の1で自責点1と絶好調。PLは敗れ、横浜は疲労困憊。松井の5打席連続敬遠以来甲子園では悪役のイメージだったが、主役になる千載一遇のチャンスが巡ってきた。

 

奇跡の大逆転!王者が終盤底力を見せた!

 

明徳義塾

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 0 0 1 3 1 0 1 0 6
0 0 0 0 0 0 0 4 7

横浜

 

明徳義塾  寺本→高橋→寺本

横浜    袴塚→斎藤→松坂

松坂の投げられない横浜。2年生左腕袴塚はバランスのいいフォームから内外角に投げ分けるし、2年生右腕斉藤もスリークオーターからきれのいいストレートを投げ込む。しかし、比べられる対象はあの松坂なのである。のちに捕手の小山(中日)は「松坂が投げないときは投げるときの何倍もプレッシャーがかかった」と述べている。

 

一方、明徳義塾は松坂を打つために練習を重ねてきた。3強(横浜、PL、明徳)と言われながらずっと蚊帳の外だったが、ようやく直接対決の時が来た。早くマウンドに引きずり出して練習の成果を見せたい。馬淵監督はいつも通り「太陽が西から昇らん限りうちが勝つ」の決め台詞で試合に向かった。

 

試合は開始早々から明徳の強力打線が袴塚に襲い掛かる。ストレートも変化球も引き付けられてフルスイング。まるで松坂じゃないと物足りないと言わんばかりの猛打。ただ、4回まで8安打をはなちながら1点どまり。これが後々響くことになるがこのときはそんなことは知る由もない。

 

何とか耐えていた袴塚だったが、1点入って肩の力が抜けたのか明徳の強打が得点につながる。振っていくタイプの1番藤本が高めのストレートを引っ張り、一瞬打球を見失うような豪快なホームラン。さらに四球で歩いた後、5番谷口が再びストレートを引っ張ってレフトへ2ランホームラン。ともにレフトを守る松坂の遥か上を超えていく打球だった。

 

一方、明徳の寺本は制球難などどこ吹く風。力のある真っすぐ主体にどんどん押し、7回までわずか3安打無失点。ランナーを出しても併殺でしのぎ、ピンチらしいピンチもない。打たれる気配がない、というよりどことなく攻撃する横浜に覇気がなかった。前日のPL戦で燃え尽きたのか淡々と打ち取られていった。

 

明徳は代わった斎藤からも6回、8回に追加点。8回にタイムリー3塁打を放った藤本は史上4人目のサイクルヒットのおまけつきだった。

 

馬淵監督は内心ほくそえんでいた。エースの会心の投球、鍛え上げてきた強打、堅実な守備。どれをとっても完璧。横浜攻略という壮大なジグソーパズルを埋めるまであとわずかといったところ。ようやく甲子園の神様が微笑んでくれようとしていた。

 

しかし、不安がないわけではなかった。横浜がこのまま本当に眠っていてくれるのか、すべてがうまく行き過ぎている…。馬淵監督の信条として試合の中で分岐点となる場面は3度やってくるという考えがあったが、今回は3度とも明徳がものにしており、それが逆に気味悪さを増大していた。

 

8回裏の守備に就く前、馬淵監督はそんな気味悪さを口に出してしまう。「おい、お前らあの横浜がこのまま終わるわけないぞ。集中していけよ」

 

一方、横浜の渡辺監督は「2回で6点は無理だ。悔いなく自分たちの野球をしていこう」と呼び掛けた。名門復活を果たし、ここまで連れてきてくれた選手たちへの感謝もあったのだろう。この言葉が眠っていた選手を徐々に目覚めさせる。

 

そうすると先頭加藤の何でもないショートゴロを倉繁がトンネル。続く2番松本もヒットでつなぎ、ノーアウト1,2塁となる。2年生捕手井上はここで監督に寺本の限界を感じてサインを送るも、馬淵監督は続投の指示。エースを信じた。

 

しかし、続く3番後藤、4番松坂は連続センター前タイムリー。横浜が2点を返す。寺本は愕然としていた。ショート倉繁の動きがおかしい。松坂のセンター前タイムリーにしても普段の彼ならなんでもなく捕球している球だ。ガチガチになってしまっていた。これが王者の重圧なのか…

 

ここでようやく馬淵監督高橋にスイッチ。勝ちパターンの継投に入る。しかし、その投球練習を見て渡辺監督は「これはいけるかもしれない」と感じた。ストライクがほとんど入っていないのだ。戦前から高橋は精神面に不安があると伝えられていた。つけ込むすきはまだある。

 

横浜は2アウトを取られるが、高橋の暴投で1点を返すと、7番もレフト前にはじき返して点差は瞬く間に2点に縮まった。そして、この時松坂がテーピングをびりびり外し投球練習に向かった。球場は異様な盛り上がりを見せる。

 

馬淵監督は嫌な予感に包まれていた。追うものの強さ、追われるものの弱さ、球場の横浜を押す雰囲気。抗いようのない波にのまれていくようなそんな予感の中で松坂がマウンドに上がった。

 

松坂は3番強打の町中をカーブで大根切りのようなスイングの三振に切って取る。貫禄の違いを見せつけるような投球。続くは4番寺本、しかしこの男だけは呑まれていなかった。念願の松坂との対決。「ふうう、面しれえ」と思いながら打席に立ち、結果は四球。しかし、続く5番のホームランを打っている谷口は真っすぐで詰まらせてセカンドゴロ併殺に打ち取られる。結局強打明徳のクリーンアップを3人15球で切って取った。

 

9回裏先頭の9番佐藤は初球をライト前にはじき返す。投手高橋は動揺を隠せない。この状況でいきなり初球を打ってくるなんて。のちに「横浜の打者は軸がしっかりしていて投げるのが怖かった」と述べている。続く1番加藤は初球をセーフティーバント。2点ビハインドでのまさかのバントに明徳内野陣は全く対応できずノーアウト1,2塁となる。

 

2番松本はさらに送りバント。捕手正面へ転がりバントとしては失敗。しかし、2年生捕手の井上は三塁へ悪送球。フィルダースチョイスでノーアウト満塁となる。彼もまた球場の雰囲気にのまれていた。この悪送球はのちに彼を成長させることとなる。

 

打席には3番後藤が向かう。前日のPL戦で7打数ノーヒットといいところがなく、この日は名誉挽回に燃えていた。この日3本目のヒットはセンター前の同点の2点タイムリー。追い込まれて状況でも横浜の打者の打球はみなセンターから逆方向。誰も独りよがりのバッティングはしない。ここに横浜の強さのゆえんが見える。

 

4番松坂が送り、5番小山は敬遠の四球。ここで明徳ベンチは再び寺本をマウンドへ戻す。寺本は燃えていた。「横浜を抑えるのは俺しかいない」前日決勝ツーランの常盤を気合の投球で空振り三振に切って取る。2アウト。続く打者のの当たりは完全にどんづまり。しかし、セカンド後方へふらふらっと上がった打球はぽとりとライト前に落ち、劇的な逆転サヨナラ勝ちで横浜が決勝進出を果たしたのだった。

 

まとめ

横浜の渡辺監督は試合後、「野球人生で考えられないような出来事が2日連続起こるなんて…」と絶句。それくらい奇跡的な逆転劇だった。しかし、松坂が投げれない状況で逆転したのは紛れもなくチームの底力であり、チーム力の勝利だったといえるだろう。松坂は「今日は2年生が頑張ってくれた。明日は自分が投げます」と宣言。春夏連覇へ最後の試合に進んだ。

 

一方、明徳の馬淵監督。振り返ると後悔の種はいくつも落ちていた。序盤の拙攻、継投のタイミング、守備陣の判断ミス、浅すぎた守備位置…挙げればきりがないが、しかし、そんなものは枝葉にすぎない気もした。何か自分たちの力ではどうしようもないものに振り回された、そんな試合だった。勝負所で甲子園の魔物は横浜に味方したのだろうと呻くしかなかった。彼が甲子園の頂点に立ったのはこの4年後のことであった。

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