この地区が無双した!夏の戦い振り返り(四国編)

2002年

甲子園では各地区ごとに好不調が如実に表れるのが、見ているファンにとって興味を引くところだ。好調な地区では、一度勝ちだすと、地区内で「うちが一番先に負けられない」との意識が出てきて、簡単には負けなくなる相乗効果を生み出すことがある。そんな相乗効果で各地区ごとに無双状態になった大会は何年の大会だったが、振り返っていきたい。第2回は四国地区編。

第84回大会(2002年)

2002年の高校野球は神宮大会を制し、春季大会まで公式戦無敗を続けた兵庫・報徳学園を中心に回っていた。しかし、その報徳学園が選手権初戦で浦和学院にリベンジを許すと、夏の優勝争いは混沌としてきた。そんな中、存在感を示したのが野球どころの四国地区のチーム。選抜でも明徳義塾・尽誠学園・鳴門工とすべて夏春連続出場である3チームがベスト8以上に入り、その強さを全国にアピールしていた。

迎えた夏。この上記3チームが順当に春夏連続で甲子園に勝ち進んでくると、長身サイド右腕・鎌倉(日本ハム)を擁する川之江を加えた4チームは、聖地で快進撃を見せる。優勝した明徳義塾をはじめとしてすべてのチームが8強以上に進出。春夏出場した7校がすべてベスト8に顔をそろえるという驚異的な記録を打ち立てた。

報徳学園vs浦和学院 2002年夏 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

明徳義塾(高知代表)

朝日新聞デジタル:〈32〉2002年「四国の年」 - 香川 - 地域

1回戦   〇5-0  酒田南

2回戦   〇9-3  青森山田

3回戦   〇7-6  常総学院

準々決勝   〇7-2  広陵

準決勝    〇10-1  川之江

決勝     〇7-2  智辯和歌山

1998年選抜から2000年夏まで6季連続出場を果たし、一躍甲子園常連校となっていた明徳義塾。しかし、スタメンの大半が抜けた2000年秋は高知東を相手に7失策と守備が乱れ、まさかの予選敗退を喫していた。馬淵監督はここで思い切って田辺-筧(オリックス)のバッテリーと3番ショートの森岡(ヤクルト)というセンターラインの2年生をチームの中心に据えて再強化を図る。2年夏は習志野の好守の前に惜敗を喫したが、彼らが最上級生になった2002年度は安定した強さを見せるようになった。

選抜では金光大阪・吉見(中日)、福岡工大城東・松本望と好投手を次々に攻略。準々決勝では福井商を相手に初回8失点を喫するも、最終的に2点差まで追い上げて、「負けてなお強し」の印象を与えた。馬淵監督も「監督の言う通り動くのでなく、選手が自分で考えて動けるようになってきた」と手ごたえを感じていた。

そして、選抜以降は練習試合も含めて負け知らずで甲子園へ。練習試合では最終回に7点差を追いつく奇跡を起こせば、夏の高知大会準々決勝の岡豊戦では9回裏無死満塁という絶体絶命のピンチを切り抜けて、勝利をつかんだ。この9回裏の先頭打者の2塁打はフェンス直撃のあたりであり、この年の球場の改修工事がなければ、サヨナラホームランとなっていた。これまで何かとツキがないと言われていた明徳だが、この年は何か目に見えない力に背中を押されて戦っている感があった。

迎えた本大会は、初戦で酒田南の2年生エース小林(オリックス)を犠打を駆使した巧みな攻めで攻略すると、2回戦では青森山田との空中戦を制して、9-3で快勝を収める。ここまでは順調な歩みだったが、主砲・森岡にもう一つあたりが出ていないのが気がかりではあった。

そして、3回戦は常総学院とのV候補対決に。序盤で逆転してリードを奪うも、常総の2番手・飯島をなかなかとらえきれず、じりじりと追い上げられる。終盤に守備ミスも絡んでついに逆転を許し、暗雲が垂れ込めていたが、ここで奇跡の連弾が生まれる。8回裏、2アウトランナーなしから失策でランナーを出すと、直前の守備で悔しい思いをした2番沖田がライトポール際へ起死回生の同点弾を放つ。ベンチが沸き上がる中、続いてここまで不調の3番森岡が飯島の甘く入ったシンカーをとらえ、2者連続のホームランで一気に逆転!苦しい試合を土壇場でものに、かつての勝負弱いと言われたイメージを完全に払しょくした。

奇跡的な逆転勝利と主砲の復活で勢いに乗った明徳は、その後、広陵・西村(巨人)、川之江・鎌倉と後にプロ入りする好投手を次々に攻略。決勝では、ここ数年甲子園の頂点に君臨し続けたいt弁和歌山を相手に終始、主導権を渡さず、7-2と快勝で初優勝を達成した。10年前は松井秀喜(ヤンキース)の5打席連続敬遠、4年前は松坂(西武)の横浜に6点差逆転負けと、甲子園でヒール役を味わい続けた四国の常連校が、苦しい時を乗り越えてついに頂点に上り詰めたのだった。

明徳義塾vs金光大阪 2002年選抜 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

福井商vs明徳義塾 2002年選抜 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

明徳義塾vs常総学院 2002年夏 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

川之江(愛媛代表)

大会No.1投手(2002年夏) 鎌倉健(川之江) | 世界一の甲子園ブログ

1回戦   〇5-1  仙台西

2回戦   〇6-5  浦和学院

3回戦    〇4-3  桐光学園

準々決勝   〇3-2  遊学館

準決勝    ●1-10  明徳義塾

1991年以来、11年ぶりの甲子園出場となった伝統校・川之江。前年夏に4強入りを果たしていた、エース阿部を擁する松山商をはじめとして、今治西・宇和島東など強豪校がひしめく愛媛を勝ち抜くのは並大抵のことではなかった。しかし、この年は重沢監督の指導が実を結び、長身のサイド右腕エース・鎌倉と同じく長身の左腕・武村の2枚看板を勝負強い打線が支える形で、見事代表切符をつかみ取った。

迎えた甲子園初戦。エース鎌倉が全国の舞台でベールを脱いだ。長身から横手で繰り出す140キロ台の速球と高速スライダーを前に、仙台西打線が全くついていけない。2回の1アウト満塁のピンチを併殺で切り抜けると、その後はほとんどピンチらしいピンチもなく、5安打1失点で完投した。愛媛大会を勝ち上がるまでは、四国地区の好投手の一人という位置づけであったが、この試合の投球を見て、「これはなかなか簡単には打てないぞ」と全国の強豪も思ったことだろう。

続く2回戦は関東の強豪・浦和学院が相手。初戦で選抜優勝校の報徳学園を会心のゲームで下し、現段階で最も優勝に近いチームと思われていた。試合は浦和学院の左腕・須永(日本ハム)と鎌倉の投げ合いに。鎌倉自らホームランを放つなど、6回まで1-1と互角の展開で推移した。しかし、7回表に浦和学院の強力打線についに鎌倉が捕まる。左打者陣が鎌倉の横手からの投球にアジャストし、さすがの実力の高さを見せて4点を勝ち越す。このまま浦和学院が押し切るかと誰もが思った。

ところが、ここから川之江が驚異の追い上げを見せる。8回表に左腕・武村が浦和学院の追加点を阻むと、8回裏に浦学の須永の制球が甘くなる。川之江打線は浅いカウントから好球を積極的にとらえ、この回、5番鎌倉からの4連打で1点差に迫ると、なおランナー1,3塁から1塁ランナーが飛び出して挟まれる間に3塁ランナーがホームを陥れるトリックプレーで同点に。球場のムードは完全に川之江に傾いた。9回表の浦和学院の攻撃をしのぐと、その裏、3番藤原が1アウト3塁からセンターへ打ち返して、サヨナラ勝ち。大会中盤にして、川之江が甲子園の風雲児へとなっていった。

その後、3回戦では2試合連続完封の左腕・清原を擁する桐光学園を相手に、序盤相手の先発した控え投手からホームラン攻勢を見せて、試合を優位に進める。7回には清原に大会初失点もつけ、最終回の桐光学園の反撃をしのいで、初の夏8強入りを果たした。準々決勝では遊学館の好左腕・小嶋(阪神)を集中打で攻略し、大会初先発の武村から鎌倉へのリレーで3-2と逃げ切り勝ち。鎌倉はリリーフで一人のランナーも許さない圧巻の投球を見せた。強豪を3試合連続で1点差で振り切り、ついにベスト4まで勝ち上がった。

準決勝では互いをよく知る明徳義塾との対戦となり、相手の主砲・森岡、筧に7打点を許して大敗したが、この大会で見せた川之江の快進撃は、好調・四国勢を象徴するような鮮やかな戦いぶりであった。

大会No.1投手(2002年夏) 鎌倉健(川之江) | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

鳴門工(徳島代表)

ギリギリで選抜に選ばれ、躍進した高校の歴史 | 世界一の甲子園 ...

1回戦   〇9-2  日大東北

2回戦   〇5-3  一関学院

3回戦   〇7-3  玉野光南

準々決勝   ●1-7  智辯和歌山

選抜で準優勝と快進撃を見せた鳴門工。前年夏は丸山-浜永の2年生バッテリーを擁し、徳島大会決勝で選抜出場校の小松島に3-0と完封勝ちして久々の夏切符を手にした。しかし、甲子園では日本航空の強力打線に丸山が捕まり、打線も相手のエース左腕・八木(日本ハム)に抑え込まれて1-11と大敗。甲子園の洗礼浴びていた。雪辱を期した新チームは秋の大会を順調に勝ち上がるが、四国大会準決勝では明徳義塾に3-7と敗退。しかし、1-7で迎えた最終回に3番山北の放った2点タイムリーが効き、選抜出場権を勝ち取った。

迎えた選抜では山北・浜永・梅原の中軸と中心とした「渦潮打線」が爆発。準々決勝では6番佐坂の6安打の活躍などで19得点をたたき出す。投げてはエース丸山がカーブを有効に使った投球で大会が進むにつれて調子を上げ、幼馴染の捕手・浜永との息もぴったりのバッテリーで相手打線を封じていった。準決勝では関西の好左腕・宮本(日本ハム)を2本のスクイズで攻略するなど、得意のバント攻めも功を奏し、気づけば初の決勝まで勝ち上がったのだ、決勝は報徳学園に2-8と力負けしたが、堂々の準優勝ですっかり追われる立場となった。

迎えた夏の徳島大会ではマークが集中する中でも、豊富な練習量によって支えられた体力を武器に勝ち上がる。決勝では鳴門第一に先手を取られるが、重要な局面でことごとくスクイズで追いつき、終わってみれば延長15回4-3とサヨナラ勝ち。豪快さと緻密さを兼ね備えた選抜準V校が堂々と春夏連続出場を決めた。

甲子園本戦では1,2回戦と東北勢との対戦となる。この大会、東北6校は1,2回戦までにすべて四国勢に敗れることとなる。初戦の日大東北戦は鳴門工打線が爆発し、3番山北の先制2ランをはじめとして、9得点の猛攻。エース丸山も堅守に支えられて終盤まで無失点に封じ、9-2と快勝で初戦を突破した。2回戦では初戦で樟南打線を完封した一関学院の軟投派右腕・阿部に苦しみ、終盤に2-3と逆転を許す。しかし、追い込まれてからが鳴門工打線の真骨頂。2アウトランナーなしから四球を挟んでの4連打で再び試合をひっくり返し、5-3と逆転で3回戦進出を決めた。

3回戦では玉野光南との死闘に。鳴門工が勝ち越せば、玉野光南がひっくり返し、一進一退の攻防で試合は3-3の同点のまま9回に突入した。エースを援護したい打線は、9回表、2アウトランナー1,2塁で打席に2年生新原を迎える。ここまでチャンスに凡退していた新原だが、打席では飛び切りの笑顔を見せる。これまでメンタルトレーニングで鍛えてきた効果か、気持ちの切り替えがしっかりできていた。相手エース田中の速球をきっちりとらえた打球は左中間を破り、2点タイムリー2塁打に。この回に一挙4点を勝ち越し、勝負を決めた。

準々決勝では智辯和歌山の長打攻勢に屈し、惜しくも8強での敗退となったが、四国の公立校らしいパワフルで緻密な野球は春夏とも高校野球ファンを大いに魅了した。高橋広監督の作った最高傑作とも言えるチームが、鳴門工の歴史を切り開いた年となった。

【好投手列伝】徳島県篇記憶に残る平成の名投手 1/2 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

尽誠学園(香川代表)

2回戦   〇17-1  秋田商

3回戦   〇12-5  佐久長聖

準々決勝   ●4-5  帝京

平成に入って2度の夏4強入りを果たし、すっかり甲子園常連校となった尽誠学園。関西からの越境が多いことで有名だが、その乗りの良さと攻撃精神が尽誠というチームの強さを形作っていた。松井監督・大江監督と2人の名監督が作り上げた伝統を、椎江監督が引き継ぎ、2001年~2002年は春夏4季連続で甲子園に姿を現した。

前年のチームは中村・和田という左右のエースと、坂口・坂田・原といった長距離砲を擁し、神宮大会で準優勝。選抜でも関西創価のエース野間口(巨人)を追い詰めるなど8強入りを果たし、鮮烈な印象を残した。それと比較すると、2002年度のチームはタレント力という点ではやや劣る面はあったかもしれない。しかし、先ほど述べた「メンタル面の強さ」を最も兼ね備えていたのもまたこの2002年度のチームであった。秋の四国大会決勝では夏に全国制覇を果たす明徳に2-1と競り勝って優勝を達成。特にエースの井上は、馬淵監督に「井上君のような強気な投手が一番やりにくい」と賛辞を浴びた。

そんな尽誠学園のこの年の勝ちパターンは、「先行逃げ切り」。選抜では水戸短大付、新湊といずれも先制してそのまま試合を押し切って勝つと、香川大会ではすべての試合で初回に得点を奪い、逃げ切り勝ちを見せた。唯一昨年からのメンバーである巧打者の1番上森がかき回し、3番磯俣・4番碩野と好球はすべて振っていく、積極性の塊のような打者たちが相手投手を飲み込んでいった。

集大成となる甲子園では初戦で秋田商投手陣を相手に21安打(うち長打が9本)を放って17得点をたたき出し、圧倒。秋田商も県大会のチーム打率が4割を超す強力打線だったが、試合が始まると尽誠が一方的に攻め続ける展開となった。エース井上も140キロ台の速球とスライダーで秋田商打線を抑え込み、7回を1失点。この2年間全国上位で戦ってきた実力を存分に発揮した。

3回戦では野村・日野と長身の左右エースを擁する佐久長聖と対戦。この試合でも尽誠は先手を奪うが、中盤に相手打線の反撃にあい、井上が捕まって同点に追いつかれる。しかし、先手を取り続ける尽誠学園は追いつかれはしても、前には出させない。3番磯俣のホームランなど、終盤3イニングで8点を奪う猛攻で一気に突き放し、終わってみれば12-5で大勝。2試合連続ホームランの碩野を中心に2試合で34安打29得点の猛攻で8強進出を決めた。

そして、準々決勝は東の横綱・帝京と激突。試合前、椎江監督は、平均身長180センチ以上の帝京を称して「相手はいわばマシンやわな、うちは人間味のある野球をするぞ」と鼓舞する。すると、初回から帝京のエース高市を攻め立て、上出・村田・今井と5~7番の3者連続タイムリーで先制に成功する。追いつかれた直後も1番上森のセンターオーバーのタイムリーで勝ち越すなど、帝京相手でも先行逃げ切りの型は崩さず戦った。終盤にエース井上が捕まって逆転負けを喫したが、強豪相手に一歩も引かずに戦い抜いた尽誠学園の強さは、「負けてなお強し」の印象を与えた。

【好投手列伝】香川県篇記憶に残る平成の名投手 2/2 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

帝京vs尽誠学園 2002年夏 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました