この地区が無双した!夏の戦い振り返り(関東編)

2001年
  • 甲子園では各地区ごとに好不調が如実に表れるのが、見ているファンにとって興味を引くところだ。好調な地区では、一度勝ちだすと、地区内で「うちが一番先に負けられない」との意識が出てきて、簡単には負けなくなる相乗効果を生み出すことがある。そんな相乗効果で各地区ごとに無双状態になった大会は何年の大会だったが、振り返っていきたい。第7回は関東地区。

第83回大会(2001年)

平成に入ってからの甲子園は1997年まで西日本勢優勢で進んでいた。1989年から1997年までの春夏計18大会のうち14大会を西日本勢が制し、東日本勢の優勝は帝京3回、東邦1回の4回。帝京の孤軍奮闘が光るが、その他の東日本勢は上位には進んでも優勝まではなかなか手が届かない大会が続いた。

しかし、1998年に松坂大輔(西武)擁する横浜が春夏連覇を達成すると、流れが変わり始める。横浜もそれまでは西日本勢に敗れる大会が続いており、特に関西勢とは相性が悪かった。だが、1998年の甲子園では春夏で計6勝を関西勢から挙げ、その苦手意識を完全に払拭。すると、この1998年から関東勢はなんと8大会連続で決勝に進出し、計6度の優勝を果たす。そして、その好調さが特に目立ったのが2001年度の甲子園大会であった。

選抜では茨城勢が3校出場していずれも初戦突破し、関東・東京勢7校のうち6校が初戦を突破。関東王者の常総学院は念願の初優勝を果たす。そして、夏の大会では現在の関東の高校球界でも中心的な存在となっている強豪が続々と姿を現し、それぞれ存在感を発揮することとなった。

日大三(西東京代表)

1回戦    〇11-7  樟南

2回戦   〇11-4  花咲徳栄

3回戦   〇7-1    日本航空

準々決勝   〇9-2    明豊

準決勝    〇7-6   横浜

決勝     〇5-2   近江

関東一を1987年の選抜で準優勝に導いた名将・小倉監督が指揮し、平成中期に入って徐々に復活の気配を見せ始めていた日大三。1999年には2年生エース栗山を強力打線が支え、春夏連続出場を果たしていた。ところが、2000年度は栗山をはじめとして前年のメンバーが複数残っており、前評判は高かったが、春夏ともに予選で敗退。ポテンシャルの高い1つ上の先輩たちが結果を残せなかったことで、下の学年がさらに練習にうちこんで結果を出すという、「高校球界あるある」で2001年度の世代は秋から素晴らしい成果を見せる。

核弾頭・都築(中日)に内田(ヤクルト)・原島・斎藤の強力クリーンナップが続く打線が近藤(オリックス)・千葉(横浜)のタイプの違う右の2枚看板を支え、秋の東京大会は圧倒的に制覇。選抜では初戦で姫路工のエース真田(巨人)を攻略し、8-5と快勝で初戦突破を果たした。この試合はのちに小倉監督が「真田は甲子園で対戦した中でNo.1の投手だった」と言ったように、それまでの試合で投げた投手より、真田のボールは2ランクも3ランクも上のスピードと球質を誇っていた。しかし、そのボールを内田・原島のホームランを含む13安打で粉砕してしまったのだから、日大三打線恐るべしの印象を与えた。

ところが、続く3回戦では神宮王者の東福岡と中盤まで競り合いながら、セカンド・都築の3失策が響いて3-8と敗戦。スコアほどの力の差はなく、相手のポジショニングにはばまれた打球も多かったが、悔しい結果に終わった。しかし、試合後に小倉監督は「おまえら東福岡と五分に渡り合うなんてすごいじゃないか」と選手をほめたたえた。失策の続いた都築に対しては、徹底した守備練習で鍛えなおし、夏の西東京大会ではその都築が大活躍。準決勝まですべてコールド勝ちと圧倒的な勝ち方で優勝を決めた。

投功守すべてに自信をもって臨んだ夏は初戦から、樟南との好カードとなる。一昨年4強、昨年8強とここのところ上位常連の強豪であり、川畑-鶴岡の好バッテリーを擁していた。

ところが、その樟南に対し、日大三は21安打の猛攻で11得点を挙げ、豪快に打ち勝って見せる。前年夏に智辯和歌山が大会最高打率で優勝していたが、その破壊力に勝るとも劣らない打線であった。智辯和歌山は甘いボールを一発でスタンドに放り込む怖さがあったが、日大三の場合はコースに決まったボールでも着実にヒットにして、連打を積み重ねる恐ろしさがあった。それぞれ5安打を放った都築・内田を中心に上位から下位まで打ちまくっての圧勝である。

この勝利で勢いに乗った日大三は4番原島の3試合連続ホームランなどで順調に勝ち上がっていく。花咲徳栄・宮崎、日本航空・八木(日本ハム)と大会屈指の実力派投手を次々と打ち込む。投げては、花咲徳栄戦で2年生左腕・清代が好投を見せ、3人目の貴重な投手戦力が生まれるという、うれしい誤算もあった。準々決勝は右サイドの千葉が好投を見せて初出場の明豊に快勝。投手陣も打撃陣も全員が好調をキープし、準決勝でいよいよ横浜との関東頂上決戦に臨んだ。

その横浜戦では相手エース畠山が連投の影響もあってか先発せず。先発した2年生左腕・福井を攻め立て、都築のランニング3ランなどで6-1と大きくリードする。しかし、中盤以降に横浜打線の反撃にあい、エース近藤が横浜の1年生トップバッター荒波(横浜)にタイムリーを許すなど4-6と2点差に詰め寄られる。そして、最終回、横浜は不振でスタメンを外れていた主砲・松浦と荒波の連続タイムリーでついに同点に!なお1アウト3塁と一打逆転のピンチを背負ってしまう。

ここで横浜はスクイズを敢行、しかし、これが投手へのフライとなり、日大三はすんでのところで逆転のピンチを免れた。エース畠山に不安を抱えていた横浜はここでひっくり返しておきたかったが、同点のまま試合は最終回に。日大三は連投の影響が残る畠山を攻め立て、最後は8番両角のサヨナラ打で勝負あり!7-6とサヨナラ勝ちで最大の難敵を退けた。

決勝では竹内(西武)、島脇(オリックス)、清水と3人の好投手を擁する近江に対し、すべて単打ながら10本のヒットをコツコツ積み重ねて5得点、投げては大会後半に復調したエース近藤が近江打線を2失点に封じ、5-2で夏の大会初優勝を飾った。よく「4-3」や「5-3」というスコアで勝つ野球を標榜する指導者が多い中、小倉監督の目指す野球は「10-0」で勝つ野球。投打で圧倒する試合を目指す日大三の野球が、大輪の花を咲かせた夏となった。

【好投手列伝】東京都篇記憶に残る平成の名投手 3/5 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

日大三vs横浜 2001年夏 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

横浜(神奈川代表)

大会No.1投手(2001年夏) 畠山太(横浜) | 世界一の甲子園ブログ

2回戦     〇10-1    開星

3回戦     〇5-0     秀岳館

準々決勝   〇4-2     日南学園

準決勝    ●6-7     日大三

1998年にエース松坂大輔(西武)を擁し、圧倒的な強さで春夏連覇を達成した横浜。3季連続出場を果たした1999年選抜こそ初戦敗退に終わったものの、そこから2006年の選抜大会までなんと5大会連続で8強以上に進出するという快挙を成し遂げる。横浜で野球をやりたいと全国から有力選手が集まり、その選手たちを渡辺監督の心の教育と小倉コーチのデータに基づいた指導で鍛え上げて、安定した強さを見せつけていた。中でも2001年は、横浜らしいクレバーさを兼ね備えたチームだったと言える。

前年夏にエース小沢を中心に8強入りを果たしたメンバーからトップバッターの大河原や甲子園で一発を放った主砲・松浦、エース左腕・畠山と多くの主力が残った新チームは選抜の期待も高かった。しかし、3回戦で鎌倉学園に5-7と不覚をとると、選抜には新興勢力の桐光学園が出場。横浜としても神奈川の盟主を譲るわけにはいかないと気合が入っただろう。決勝で両雄が相まみえる形となった。

神奈川の球史に残る激闘となったこの試合は、1回表に横浜が先制点を奪うも、その裏に桐光学園が2本の3ランで一気に逆転に成功する。スラッガー石井を中心に長打力のある打者がずらりと並んだ打線が「ハマのエース」畠山を吞み込んだ。しかし、このままでは終わらないのが横浜の横浜たるゆえん。2年生左腕・福井が踏ん張りを見せると、大技小技で着々と得点を重ねる。終わってみれば、10-7と逆転ゲームで快勝。選手個々の能力では互角のところを、野球の質で勝って見せた、そんな試合であった。

神奈川を2年連続で制した横浜は甲子園で快進撃を見せる。初戦は島根・開星との対戦となり、畠山は初回に1点を失ったものの、結局2安打1失点の好投。打線も開星のエース赤名を早々と攻略し、10-1と大勝で初戦を突破した。続く3回戦は、初出場ながら選抜優勝の常総学院を下し、勢いに乗る秀岳館と対戦。コーナーワークの光る右腕・山田に対し、横浜打線は配球を読んで打ち、そつなく得点を重ねる。秀岳館の捕手は、2回戦で常総学院の打者のスイングの鋭さに驚いたが、この試合では横浜打線の読み打ちの恐ろしさに面食らう格好となった。

小倉コーチの徹底した分析を理解し、実践できるハイレベルな選手たち。続く準々決勝の獲物は大会最速の154キロを投じた日南学園・寺原であった。この試合は寺原が制球に苦しんだこともあったが、横浜打線もやや攻めあぐねた印象で序盤の2得点のみで推移。畠山は好投を見せたが、2本のヒットがいずれも得点に絡み、2-2の同点で試合は最終回にもつれ込んだ。しかし、ここまでスイスイ投げぬいてきた畠山と違って、寺原は疲労困憊。最後は代打・大塚に満塁から決勝打を許し、試合は決した。3回戦まで50安打を放っていた日南打線をわずか2安打に封じた畠山の好投が光った試合だった。

だが、V候補同士の激闘を勝ち上がった疲労は畠山に忍び寄っていた。準決勝は強打の日大三を相手に先発を回避。福井が打ち込まれて、5点のビハインドを許す。しかし、中盤以降に打線がそつのない攻撃で着実に加点。日大三の半分のヒット数ながら互角の展開に徐々に持っていくと、9回表には不振でスタメンを外れていた主砲・松浦の意地の一撃で1点差に。続く1年生の1番荒波も連続長打で続き、ついに同点に追いついて見せた。それまで力で相手を圧倒し続けた日大三が、大会を通じて初めて青ざめた場面だったと言えた。

続く2番円谷のスクイズが失敗し、9回裏にエース畠山が打たれてサヨナラ負けを喫したが、ワンサイドゲームになりかけたところを、じわじわと自分のペースに引き込んだところに横浜の怖さを感じ、そしてあの松坂大輔の時の明徳戦のサヨナラ劇を思い出させた。最高峰の野球IQを持った強者・横浜が甲子園に君臨し続けた時代であった。

【好投手列伝】神奈川県篇記憶に残る平成の名投手 2/5 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

習志野(千葉代表)

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1回戦   〇3-1    尽誠学園

2回戦   〇2-1    明徳義塾

3回戦   ●5-6    明豊

昭和に2度の全国制覇を成し遂げた千葉の強豪・習志野。しかし、野球どころ千葉にあって、常に勝ち続けることは至難の業で有り、小枝監督の拓大紅陵や小林監督の市立船橋など名監督を擁する強豪が次々に台頭し、平成に入ってからはなかなか甲子園に手が届かない時代が続いた。

だが、この2001年世代は佐々木-白鳥の強力バッテリーを軸に久々の復活を果たす。思えば、過去2度の優勝時も石井-醍醐、小川-神子とチームの根幹を成す名バッテリーがいた。今回も好バッテリーを擁し、ショート梶岡を中心に堅守で千葉大会を次々と勝ち抜いていく。決勝では佐々木が決め球のフォークボールを武器に東海大望洋打線を完封し、城友博(ヤクルト)を擁した昭和62年以来、実に14年ぶりに甲子園への帰還を果たしたのだった。

久々の聖地で応援団も腕を撫していたが、1回戦の相手は選抜8強の尽誠学園。関西の左腕・宮本(日本ハム)からアベックホームランを放った坂口、坂田や主砲・原とタレント揃いの打線で有り、選抜で唯一、関西創価の剛腕・野間口(巨人)を打ち込んだ力のあるチームだ。

しかし、下馬評ではやや不利だった習志野は雨が降るグラウンド状況のなか、冷静に試合を運ぶ。中盤に相手守備陣のミスにも付け込んで3点を先行すると、守っては尽誠学園打線の強烈な打球を堅守でアウトにしていく。エース佐々木は落差十分のフォークで相手打者をきりきり舞いにし、終わってみれば、3-1というスコア以上の差を感じさせる内容で快勝。習志野らしい守りの野球で四国随一の強豪を退けることに成功した。

だが、続く2回戦も同じく四国の強豪・明徳義塾が相手だった。田辺-筧(オリックス)のバッテリーとショート森岡(ヤクルト)が2年生という若いチームだったが、ポテンシャルは非常に高く、主砲・松浦など支える3年生野手陣も好選手がそろっていた。名将・馬淵監督は「フォークは真ん中でも見送れ」と指示し、佐々木攻略へ常連校が牙をむいてきた。

ところが、その明徳をもってしても佐々木のボールを打つことは難しかった。どうしても落ちるボールに手が出てしまい、三振と凡打の山を築く。特にランナーを背負ってからの粘り強さが佐々木の真骨頂であった。このエースの投球に女房役の白鳥が応え、先制2ランを放つ。明徳も負けじと終盤に森岡・松浦の連続2塁打で1点差に追いすがるが、習志野は最終回に外野陣がなんと3連続のダイビングキャッチを見せて佐々木を援護!明徳の猛攻を防ぎ切り、四国のV候補2校を倒す快挙を成し遂げた。

3回戦では明豊の好捕手・黒仁田が佐々木のグラブの癖を見抜き、佐々木のボールに対応。習志野守備陣に3失策が出てしまったこともあり、中盤に6点を奪われて逆転負けを喫した。しかし、平成に入って初めての甲子園で挙げた2勝は「習志野復活」への大きな足掛かりになったのは間違いない。公立校ながら、絶大な存在感を放つ古豪は、その後も2011年夏8強、2019年選抜準優勝と出場した際は、必ず大きなインパクトを残す戦いを見せている。

【好投手列伝】千葉県篇記憶に残る平成の名投手 2/3 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

日本航空(山梨代表)

2000年代 「夏の球児」 写真特集:時事ドットコム

1回戦   〇11-1     鳴門工

2回戦   〇4-1       宜野座

3回戦   ●1-7       日大三

1998年に初鹿監督に率いられて春夏連続出場を果たした日本航空。当時はスクイズをはじめとした犠打を駆使するスタイルであり、選抜では仙台育英にヒット数では大きく劣りながらも逆転勝ちを収め、選手権では関大一の好投手・久保(阪神)を苦しめた。しかし、2001年度は本格派左腕・八木(日本ハム)を中心に投打にスケールアップ。2年生ながら4番三沢、5番三木はパンチ力があり、決勝では東海大甲府との死闘を5-4とサヨナラで制して、3年ぶりの代表切符をつかんだ。

甲子園初戦では、伝統校の鳴門工と対戦。丸山-浜永の2年生バッテリーを中心に堅守が持ち味のチームだ。しかし、この若きバッテリーを日本航空の強力打線が飲み込んでいく。ストレートとカーブ主体の投球をきっちり見極め、8番捕手の木村は裏をかいたはずのインコース直球をしっかりタイムリーにして鳴門工バッテリーに引導を渡した。4回、5回と打者一巡の猛攻を見せ、5回にはなんと8者連続のヒットで11-1と大きく突き放した。エース八木も立ち上がりの1失点のみで投げぬき、まずは順調に初戦を突破した。

続く2回戦の相手は、同年の選抜で21世紀枠ながらベスト4と旋風を巻き起こした宜野座。かつての日本航空のように犠打を駆使した攻撃とエース比嘉裕の好投、そして沖縄特有の指笛応援で波に乗り、春は甲子園スタンドを完全に味方につけて勝ち上がった。夏は沖縄大会を貫禄の戦いで制覇し、本大会でも有力校の一角に数えられていた。

しかし、この注目校を相手に日本航空がその実力を存分に発揮する。立ち上がり、ボールの高い比嘉裕をとらえて、4番三沢が先制のタイムリー2塁打を放つと、1回から4回まで毎回得点を挙げて4-1とリード。得点のほとんどに長打が絡んでおり、4回までに8安打と宜野座投手陣を圧倒した。エース八木は9安打を浴びながらも、スコアリングポジションにランナーを背負ってからの粘り強さが素晴らしい。1ランクも2ランクもギアを上げ、宜野座お得意のスクイズバントも封じられては、相手に打つ手はなかった。4-1と快勝で初の1大会2勝を挙げ、堂々とベスト16に名乗りを上げた。

初の3回戦進出。相手は強打の日大三であった。エース八木にとって自分の実力を試すにはもってこいの相手だったが、4番原島にインコースの直球を弾丸ライナーでホームランにされて自信がゆらぐ。1番都築にも2ランを浴びると、8回にはリリーフした矢野が3番内田にバックスクリーンへ運ばれた。日大三の顔と言える3人に一発を浴びて力尽きたが、それでも日本航空として大きな歴史の一歩をしるす大会になったのは間違いないだろう。

【好投手列伝】山梨県篇記憶に残る平成の名投手 2/2 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

常総学院(茨城代表)

1回戦   〇15-4     上宮太子

2回戦   ●0-3       秀岳館

平成に入って茨城県内の高校球界の中心的存在になっていた常総学院。しかし、1999年の選抜で県内のライバル水戸商が準優勝を果たすと、2000年夏の決勝では直接対決で3-0から逆転負けを喫した。覇権を奪われた常総学院だったが、2001年の世代は木内監督も自信を持つチームで秋の関東大会を制覇する。スライダーの切れるエース右腕村上、右サイドの平澤、野手兼任の左腕・村田の投手陣が安定し、打線も横川(巨人)、小林、上田ら力のある中軸に加えて、出頭、三浦などクレバーで小技も使える選手がいることで硬軟おりまぜた攻撃が可能となった。

この年代は、常総学院に加えて、2年生エース井坂(楽天)を擁する藤代、好左腕・田中が引っ張る水戸商と茨城勢3校が秋の関東大会で4強入り。そして、選抜ではその3校すべてが初戦を突破するという快挙を成し遂げた。その中でも常総学院はさらに頭一つ抜けた戦いを見せ、初戦の南部戦で0-7から驚異的な逆転勝利を挙げると、その後も金沢・中林(阪神)、東福岡・下野、関西創価・野間口(巨人)、仙台育英・芳賀と好投手を次々に攻略して見事、茨城勢初優勝を成し遂げた。

そして、春夏連続出場を目指して臨んだ夏は打線がさらにパワーアップ。打倒・常総学院を狙った強豪を次々と打ち破り、決勝では4番小林のホームランなどで藤代に8-5と打ち勝って、見事に連続出場をつかみ取った。

甲子園ではなんと開幕戦で、選抜に続いて大阪勢の上宮太子と対戦。好勝負が期待されたが、大阪大会決勝からわずか1週間しか休息のない上宮太子にとっては酷な状況であった。常総打線は上宮太子のエース左腕・金山、期待の1年生左腕・多村を次々に攻略。大量リードに守られて、投手陣も上宮太子打線の攻撃を最少失点でしのぎ、15-4と大差で初戦突破を決めた。

しかし、2回戦、初出場の秀岳館戦で落とし穴が待っていた。試合前、どこか緊張感のなさそうに見えた木内監督が、「おまえら、茨城に帰りたいんか?」と発破をかけるも、ナインからの返答はなし。どこかちぐはぐな感じで試合に臨むこととなった。

試合は序盤に秀岳館が常総守備陣のミスにも付け込んで2点を先行すると、常総打線が秀岳館のエース山田のコーナーワークと緩急に翻弄される。初陣とはいえ、熊本大会決勝で熊本工との延長14回の死闘を乗り越えてきただけあって、物おじすることはなかった。終盤に5番上田にあわや同点2ランという当たりが飛び出すも、判定はファウルで追いつけず。その裏に、決定的な3点目を許し、0-3とこの代に入って初めての完封負けで連覇を狙った夏は幕を閉じた。

ただ、この年代の選抜初優勝が常総学院というチームに与えた自信は計り知れないものがあっただろう。常総らしい、うまさと力強さの融合したクレバーな野球が全国を席巻した一年となった。

大会No.1投手(2001年選抜) 芳賀崇(仙台育英) | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

常総学院vs関西創価 2001年選抜 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

【好投手列伝】茨城県篇記憶に残る平成の名投手 2/3 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

佐野日大(栃木代表)

1回戦   〇4-1      波佐見

2回戦   ●3-4      明豊

1989年にエース麦倉(阪神)で初出場を果たして以来、甲子園常連校となった佐野日大。松本監督のもと、好投手を中心とした守りの野球で結果を残し、1997年にはエースで四番の亘の活躍で栃木県勢として久しぶりの夏8強入りを果たしていた。

2001年夏は3年ぶりの甲子園出場。本格派左腕・福富とプロ野球選手の父を持つサイド右腕・会田の投手陣を勝負強い打者の並ぶ打席が支えて、代表切符をつかみ取った。

甲子園初戦の相手は、長崎代表・波佐見。5年前に初出場でベスト8入りを果たした実力校だ。大型右腕・新地に注目が集まっていた。

この2年生エースに対し、佐野日大打線は4番小川のタイムリーとスクイズで着実に得点を重ねる。中盤に1点差に詰めよられるも、早めの継投で相手打線にリズムを与えず、最終回に長打で突き放して4-1と快勝を収めた。

佐野日大が登場した段階では、関東勢のほとんどのチームが勝ち名乗りをあげており、松本監督も「うちが最初に負けるわけにはいかない」とプレッシャーがかかるなかで勝利をあげた。

続く2回戦も九州勢の明豊と対戦。三人の好投手を擁する相手と取っては取られのシーソーゲームになった。1点リードで最終回の守りを迎えたが、エース福富が相手打線に捕まり、同点に。最後は4番草野にタイムリーを許して、サヨナラ負けを喫した。しかし、プロも注目の主砲に真っ向勝負を挑んだ姿に、栃木を代表する強豪のエースとしてのプライドが垣間見えた。

明豊vs佐野日大 2001年夏 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

花咲徳栄(埼玉代表)

1回戦   〇12-0       宇部商

2回戦   ●4-11       日大三

2017年に埼玉県勢初の全国制覇を果たすことになる強豪も、この2001年が初めての甲子園出場であった。若き指揮官・岩井監督のもとで鍛えあげられたチームは、同年秋の関東大会を初めて制すと、浦和学院や春日部共栄など強豪ひしめく夏の埼玉大会を制して、甲子園出場をつかみ取った。

右サイドながら速球派のエース宮崎と伸び盛りの二年生右腕・岩崎の投手陣が安定し、打っては根元(ロッテ)や二年生の四番中矢、一年生の五番田中と左の好打者を並べた打席でリズムのある攻撃を見せた。中でも主将の根元は学業や生活も優秀であり、チームの精神的支柱であった。

初戦の相手は伝統校の宇部商。これまで数々の逆転劇を演じてきた怖いチームだが、花崎徳栄が序盤から圧倒する。初回から根元・中矢のタイムリーで先制すると、1回から3回まで毎回の2得点。投げては、エース宮崎が内野ゴロを打たせる投球でショート根元を中心に確実にアウトを積み重ねていく。

終わってみれば、逆転の宇部商にそのきっかけすら与えずに12-0で圧勝。初出場ながら、鮮烈な勝ちかたで甲子園初勝利をあげた。

続く2回戦は強打の日大三と序盤は互角の打ち合いを展開。日大三のエース近藤に対しても花崎徳栄打線の破壊力が通用するところを見せた。しかし、三高の四番原島にレフトへ流し打ちのホームランを浴びると、宮崎の自信が揺らぐ。打線も二番手清代のカーブをとらえきれず、最終的には4-11と大差で初めての甲子園は幕を閉じた。

ただ、この初出場がその後の躍進に繋がったのは紛れもない事実。花崎徳栄らしい、攻守にリズミカルな野球を見せたこの年のチームが、以降の学年のモデルケースとなり、ここから出場を積み重ねていくこととなる。

前橋工(群馬代表)

夏の甲子園出場 全303選手カタログ【1995年~2002年】 | 野球 ...

1回戦   〇7-6      福井商

2回戦   ●0-3      智辯学園

昭和から出場を続けてきた群馬屈指の伝統校。1995年から1997年にかけては三年連続出場(選抜、選手権、選手権)を果たし、ベスト8、ベスト4、ベスト4と素晴らしい成績を残した。特に、1996年はエース斎藤を中心にディフェンシブなチームで、1997年は核弾頭の大須賀(巨人)を中心にオフェンシブなチームでと、全く異なる特徴のチームで二年連続結果を残した点に価値があった。

ところが、1999年にエース正田を擁して、ライバルの桐生第一が全国制覇を達成する。1993年が初出場という新興勢力が一気に県勢初優勝を成し遂げたのだ。当然、前橋工をはじめとした群馬県内の強豪は先を越された感はあっただろう。2001年は強気のエース江原と好捕手・井野(西武)のバッテリーを中心に3年ぶりに代表の座を桐生第一から奪還した。

迎えた甲子園初戦の相手は、天谷(広島)、杉田、南部と好打者揃いで、北信越No.1の強力打線を擁する福井商が相手だった。杉田が試合前の練習で骨折して9番に下がるというアクシデントがあったものの、試合が始まるとそんな影響は微塵も感じさせない。江原から二回までに4点を奪い、早々と試合の流れを掴む。

しかし、前橋工としてもやっと掴んだ甲子園の舞台で簡単に負けるわけにはいかない。直球主体の福井商のエース森岡に対して、コンパクトなスイングで短打を積み上げ、圧力をかける。中盤以降は徐々に前橋工のペースになり、江原も後半は得点をあたえない。

すると、7回裏に前橋工は一番丸橋のタイムリーなどで同点に追い付くと、福井商業守備陣の乱れにも乗じてついに逆転に成功する。序盤の福井商打線の圧力が凄まじかっただけに、なおさら、その局面を跳ね返した前橋工ナインの粘り強さが光った。江原は強気の投球を最後まで崩さず、前橋工ナインが見事な逆転勝利を飾った試合であった。

続く2回戦は、大会屈指の豪腕・秦(横浜)を擁する優勝候補の智辯学園が相手。初回に1点を先行されるが、中盤以降はむしろ前橋工が押しぎみで、0-1のまま試合は最終回へ進んだ。最後は江原が高いバウンドで内野を抜ける2点タイムリーを許し、力尽きたが、この試合も強豪相手に最後まで食らいつく姿勢を見せ、前橋工健在をアピールした夏となった。

城東(東東京代表)

2回戦   ●2-4     神崎

1999年夏に都立勢として史上2校目の甲子園出場を果たした城東高校。都立の星として一躍注目を集めたが、そこから2年後に再び激戦の東東京を勝ち抜いて出場をつかんでみせた。打たれ強い左腕エース小松崎を中心とした粘り強い戦いには定評があり、都立校としての注目だけでなく、実力もしっかり伴ったチームであった。

甲子園では初戦で佐賀・神崎との公立校対決に。幸先よく先制するも、中盤に神埼の四番斎藤に逆転2ランを浴びると流れは一気に神埼に傾いた。前年秋に寺原を擁する日南学園を相手に快勝した実力校であり、手堅いディフェンスを誇るだけにリードを許すと厳しかった。

スコアは4-2で神埼の勝利。ともに堅守が光った好ゲームであった。敗れはしたものの、城東ナインに大観衆から万雷の拍手が浴びせられた。

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