佐賀北vs広陵 2007年夏

2007年

決勝で起きた衝撃の逆転劇

斎藤佑樹(日本ハム)と田中将大(ヤンキース)の歴史的な投手戦に沸いた2006年から1年。2007年は強豪校の特待生問題に揺れ、プロ注目の選手たちの活躍の反動なのか、やや世間も冷ややかな目で高校野球を見るようになっていた印象の1年間だった。

そんな中で始まった2007年の選手権大会で勝ち上がってきたのが、佐賀県の公立校で無印の快進撃を見せた佐賀北と広島の伝統校の広陵の2校。まるで今年の世相を表すかのような両校の対決となった。

佐賀北は2000年夏以来2度目の甲子園出場。その時はプロ注目のエース北園(中学時代に清原和博を三振に取ったことで有名)を擁しての出場だったが、今回はそういった名の通った選手は一人もおらず、左腕・馬場と右腕・久保の2枚看板を堅い守りで援護するという、一般的な高校野球のチームといった印象だった。

しかし、神崎を2001年に春夏連続出場に導いた百崎監督の指導の下で佐賀北の選手たちはたくましさを増していた。実戦練習に重きを置く6月に一切打撃練習をせずに走り込みと守備練習を繰り返したことによって、チームは卓越したスタミナと守備力を手にしていた。下半身が強化されたことによって、結果として打撃力も増し、7年ぶりとなる夏の甲子園をつかみ取った。

そして、大会が始まると徐々に佐賀北の存在感が増していく。初戦となった開幕戦で福井商に完封勝ちして初勝利を挙げると、2回戦の宇治山田商戦は引き分け再試合の熱戦を制した。センター馬場崎の背面キャッチなど内外野の好守が光り、引き分け再試合による疲労もものともしない精悍なナインの姿がそこにあった。

その後も順当に勝ち進み、準々決勝では中村晃(ソフトバンク)、杉谷拳(日本ハム)らを擁するV候補筆頭の帝京に延長13回サヨナラ勝ち。リリーフエースの久保が2度にわたって帝京のスクイズを阻止し、劇的な勝利を呼び込んだ。準決勝では夏前の練習試合で敗れていた長崎日大にも3-0と快勝。大会前とは別次元のチームへと変貌を遂げていた。

久保は大会が始まってから無失点。屈指のディフェンス力を擁する公立校がついに頂点に手をかけるところまで駆け上ってきた。

一方の広陵は2004年の選抜以来の甲子園帰還。前年秋の中国大会で優勝するなど、1年間中国地区を無敗で駆け抜けてきた。選抜でも成田の好投手・唐川(ロッテ)との死闘を制するなどして8強入り。野村(広島)-小林(巨人)のバッテリーを中心に堅守を誇り、打線も檪浦上本(広島)、土生(広島)の上位打線を中心に中距離タイプの好打者が上位から下位までずらりと並び、機動力も兼ね備えていた。

しかし、選抜では準々決勝で帝京に1-7と敗戦。前年の神宮大会では勝利していた相手だったが、その時にはとらえられなかった野村のスライダーに的を絞られ、初回に杉谷翔の満塁弾などで6失点を喫した。以来、立ち上がりの投球には特に注意を払うようになり、夏の中国大会は準決勝まで無難に突破。決勝は新興勢力との総合技術に苦戦するも、9番小林のホームラン(この頃から意外性が(笑))で延長10回の末、4-3と勝利を収めた。

迎えた甲子園初戦はなんと3年連続決勝進出中の駒大苫小牧と対戦。1回戦屈指の好カードとなった試合は常に先手を取られて苦しい展開となったが、9回表に相手の守備ミスにも付け込んで一挙3点を奪い、5-4と逆転勝利を飾った。この試合で勢いを得て、東福岡、聖光学院は全く寄せ付けずに大勝し、まずは選抜に並ぶ8強入りを果たした。

しかし、3回戦の試合途中で中井監督が体調不良になるアクシデントがあり、準々決勝の戦いが懸念された。ところが、主将の土生は「監督は寝とってください」と全く動じず、前年秋の練習試合で敗れた今治西を7-1と撃破。四国屈指の好投手・熊代(西武)を檪浦土生ら左打者陣が攻略した。選手主体で動ける、中井監督が理想とするチームに近づきつつあった。

準決勝では選抜優勝の常葉菊川を相手に初回に主将の土生がホームランを放って先制。その後も好機を確実に活かして4点を奪うと、最終回の常葉菊川の猛攻をしのぎ、4-3で勝利した。「4点以上を奪い、3点以内に抑える」というチームの掲げてきて戦いぶりを見事体現。常葉菊川は終盤に押しこんでいたが、「広陵の選手たちは落ち着いていた」と相手の森下監督が感心するほどの広陵ナインの泰然自若ぶりが光った。

投攻守走がすべて高いレベルでそろった中国王者。選抜では3度の優勝があるが、夏は準優勝が最高成績であり、満を持して悲願の夏の全国制覇を狙っていた。

広陵バッテリーを襲った魔の8回

2007年夏決勝

広陵

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 2 0 0 0 0 2 0 0 4
0 0 0 0 0 0 0 5 × 5

佐賀北

 

広陵  野村

佐賀北 馬場→久保

戦前の予想ではやはり、すべてにおいてスキのない広陵が有利と思われたが、今大会で数々の番狂わせを起こしてきた佐賀北が不気味な雰囲気を漂わせていたのもまた事実であった。これまでの戦いと同じように、広陵は野村が、佐賀北は馬場が先発。広陵としてはリリーフの久保を少しでも早くマウンドに挙げて攻略の糸口をつかみたいところだ。

1回裏に野村が2四球を出しながらも課題の立ち上がりをなんとか無失点で切り抜けると、2回表に早くも広陵が佐賀北の馬場を捕まえる。左サイドスローの馬場に対して4番山下から3連打を放って満塁のチャンスを作ると、7番岡田淳の内野ゴロの間に先制。さらに2アウト満塁から1番檪浦がレフトへタイムリーを放ってこの回2点を先制する。

見慣れない左サイドだが、大会に入ってこれで6試合目。広陵ナインはビデオなどでばっちり対策を練り、檪浦も体を開くことなくボールを待って流し打ちのタイムリーに成功した。

この2回の先制点が野村に落ち着きを与える。必殺の武器であるスライダーの威力とコントロールは抜群で、2回以降佐賀北打線からはチャンスの雰囲気すら漂わない。大会で2本のホームランを放っている3番副島も全くタイミングが合わず、2打席目以降は連続三振に。選抜以降ものにしたカーブも有効で、緩急まで混ぜられてはなすすべもなかった。

こうなると、広陵がいつ追加点を奪うかと注目されたが、ここから佐賀北の脅威的な守備力が得点を阻んでいく。広陵は2番手の久保から3~6回で4イニング連続2塁打を浴びせ、チャンスを作るが、サード副島、セカンド井出らが体を張った守りで強烈な打球を好捕する。これだけ素晴らしい守りが続くと、いい当たりをしてもヒットにならないのではないかと恐怖心すら出てくるのではないか。そう思わせるほどの佐賀北のディフェンスであった。

また、この味方の守りに久保も粘り強い投球で応え続ける。アウトコースにストレートとスライダーを集めるオーソドックスな投球スタイルなのだが、失投と呼べるボールが極端に少ない。逆にこの投球スタイルで甲子園決勝まで無失点を継続したことが、抜群のコントロールであることを証明していた。

しかし、そんな久保にもついに失点の時がやってくる。1アウトからこの大会当たっている6番林の内野安打と死球でランナーをためると、打席には投げ合ってきた7番野村。アウトコースのスライダーに完全に山を張られて打たれた打球は左中間を深々と破り、広陵に決定的と思われる2点が追加された。それまで鉄壁の牙城として相手チームに立ちはだかった久保の失点にさすがの佐賀北旋風もここまでかと思われたが…

 

8回裏、その反撃は突然訪れた。1アウトから8番久保に対して投じたスローカーブをとらえられて三遊間を破られる。打撃のいい相手ではないだけにストレートとスライダーの攻めでもよかった気はしたが…。続く代打・新川にはインコースのスライダーをライトにはじき返されてランナー1,2塁。終盤にきてややボールのキレが落ちてきたのは否めなかったが、点差は4点。まだ慌てるような場面ではない。

しかし、このあたりから球場の雰囲気が徐々に佐賀北よりのものになり始める。続く1番から、それまでストライクとされていたボールが徐々に取ってもらえなくなってきて四球。満塁となって2番井出に対してもカウント1-3となると、低めをついた絶妙なストレートがまたもボールの判定になる。これにはさすがに捕手・小林もミットをたたきつけて感情をあらわにしたが、判定は変わらず。押し出しによる1点が刻まれて3番副島に打席が回る。

それまで野村のスライダーに全くと言っていいほどタイミングが合っていなかった副島だが、球場の雰囲気はこの頃には完全に佐賀北ムード一色となっていた。広陵バッテリーも動揺を隠せない中でカウント1-1から投じた3球目のスライダーが高めに甘く入る。これを副島がものの見事にとらえた打球は打った瞬間にそれとわかる逆転のグランドスラムとなり、佐賀北が一気に試合をひっくり返した。まさに甲子園の魔物がほほ笑んだ瞬間であった。

勝ち試合が一転して1点ビハインドのラストイニングとなった広陵は9回表、先頭の6番がレフトへのヒットで出塁。逆転で勝利した1回戦の駒大苫小牧戦の再現をかける。しかし、続く打者の犠打で佐賀北の守備陣にわずかにできたスキを逃さずに林は3塁を狙うが、判定は無情にもタッチアウト。一転して2アウトランナーなしとなり打席には野村が入る。

ここまで打率5割を誇る好調の野村だったが、最後は久保の決め球のスライダーにバットが空を切り、ゲームセット。歴史的な逆転劇となった決勝は、佐賀からやってきた無名の公立校が頂点に輝き、甲子園に新たな伝説を刻み付けた。

まとめ

佐賀北にとってはまさにこの年の戦いを象徴するような試合となった。強敵を相手に鍛え上げた堅守で踏ん張り続け、勝負強い打線が応える。派手さは少ないものの、これぞ勝てる野球だという、お手本を見せられたような思いだった。また、神崎時代に甲子園を経験していた百崎監督の存在も大きく、2001年夏の光星学院戦の逆転負けを教訓にこの大会は継投に一切の躊躇をはさまなかった。

特待生問題に大きく揺れた2007年。そんな中にあって、地元の高校生だけで守り主体の野球で頂点に輝いた佐賀北の野球は、高校野球界に新たな可能性を投げかけたのだった。

 

一方、敗れた広陵にとってはなんとも惜しまれる8回の1イニングとなった。審判の微妙な判定と球場の圧倒的な佐賀北よりの声援は正直不憫だったが、それ以上に中盤にあれだけのチャンスがありながらリードを広げきれなかったことが大きな敗因だった。3度目の決勝で初優勝を狙っていたが、その夢は寸前でかなうことはなかった。

しかし、今大会での広陵ナインの躍進は目覚ましく、指導者に頼らずとも自分たちで考えてプレーする自主性の野球は、これもまたお手本にするべきものであった。惜しくも準優勝には終わったが、「敗者」という表現は適切ではなく、広陵ナインはこの劇的な決勝におけるもう一つの「勝者」であり、賛辞を贈るべき存在であった。

懐かしの高校野球 佐賀北vs広陵 2007年 – YouTube

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