2023年選抜1回戦予想 北陸vs高知

2023年

2023年選抜1回戦

北陸vs高知

51% 49%

しぶといカラーのチーム同士の対戦。お互いに派手さはなくとも、負けにくいチームと言えるだろう。接戦が予想される。

 

北陸は、長身右腕の友廣が中心。185㎝から投げ下ろす速球は想像以上の打ちにくさがある。彼の球筋になれるまでに時間を使ってしまうと、試合は北陸のペースとなる。また、4番も務める彼を乗せてしまうと攻撃面でも北陸の良さが出るだろう。左腕・鳴海も同じように速球にキレがあるが、友廣とは全くタイプが違うため、2人の継投もまた非常に有効だ。失点の計算できる投手陣と言えるだろう。

対する高知打線は、昨春を経験した4番ショートの門野を中心に高塚、山平、黒岩など打力の高い選手が並ぶ。秋の四国大会を制した昨年のチームと比べても、遜色ないだろう。木村、福井と足のある1,2番がいるのも心強い。しかし、昨年の選抜で国学院久我山投手陣を攻めきれなかったように、細かい攻撃であと一点奪えるかどうかというところに課題は残る。そのあたりをどう克服できているか。

 

一方、高知投手陣は今年も複数投手による継投策が主体。安定感のあるエース右腕・西村真が試合を作り、昨年の選抜を経験したサイド右腕・中嶋や平・辻井といった速球派の2年生右腕につなぐ。ただ、数は豊富だが、ここという場面で登板させられる絶対的な柱は秋の段階では見当たらなかった。軟式野球出身の浜口監督がどのような継投のタクトを見せるか。後手後手に回らないような継投をしていきたい。

対する北陸打線は数字上、際立ったものは残していないが、1番水野・3番平田の2人を中心にコツコツつないで得点を重ねていく、嫌らしい打線だ。北信越大会で福井県内のライバルを次々競り落としたように、終盤の大事な場面で得点をたたき出す。犠打、エンドラン、盗塁など相手守備陣が神経を使う攻撃ができるのも強みだ。4番も務める友廣を打たせるとなおのこと、波に乗ってくるだろう。

 

チームカラーは似ているが、両者の違いはエースで4番の友廣という絶対的な柱のいる北陸と、そういう選手は不在の高知という点か。友廣を乗せれば北陸の、乗せさせなければ高知のペースと言えそうだ。投手力の差でやや北陸が優位か。

 

主なOB

北陸…鍬原拓也(巨人)、五十嵐圭(バスケットボール)、佐古賢一(バスケットボール)

高知…有藤通世(ロッテ)、杉村繁(ヤクルト)、木下拓哉(中日)、和田恋(楽天)、森木大智(阪神)

 

福井  高知

春  2勝  2勝

夏  2勝  1勝

計  4勝    3勝

対戦成績は福井勢の4勝3敗。

2015年夏は選抜王者の敦賀気比と、夏の甲子園初戦で16連勝を続けていた明徳義塾が対戦。明徳が敦賀気比のエース平沼(西武)をうまく攻めて3点を先行するが、敦賀気比も林中の一発などで同点に追いつく。試合は延長戦に進み、10回裏、敦賀気比は主将・篠原のタイムリーでサヨナラ勝ち。来る初戦をものにするとともに、明徳の連勝記録を止めて見せた。

一方、1996年の開幕戦では明徳義塾と福井商が対戦した。福井商の鈴木と明徳のサイド右腕・吉川(ヤクルトの投げ合いとなったが、ホームランなどで着々と加点した明徳が3-0で完封勝ち。馬淵監督就任後は初めてとなる選抜勝利を挙げた。

接戦の多い両県の対戦。今回は果たして…

思い出名勝負

2002年選抜準々決勝

明徳義塾

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 0 0 0 0 1 4 3 0 8
8 0 0 0 1 0 1 0 × 10

福井商

 

明徳義塾   湯浅→竹内→田辺

福井商    中谷

 

2002年の四国勢は春夏の出場校全てがベスト8以上に進出するという快挙を成し遂げた。その中でも最も実力が高いと目されていた明徳義塾と2000年夏から4季連続出場を果たしていた福井商という常連校同士の対戦が実現した。

明徳義塾は1998年から2000年まで3年連続で春夏連続出場を果たし、すっかり甲子園常連校となっていた。ところが、2000年の秋季大会で高知東に10-11とまさかの敗戦を喫してしまう。1試合7失策という明徳らしからぬ守乱に馬淵監督の元で猛練習が開始されたのは言うまでもない。当時新2年生だった田辺-筧(オリックス)のバッテリーとショート森岡(ヤクルト)を中心にチームを強化し、夏は無事に甲子園にたどり着いた。

主力3人が最上級生を迎えたチームは秋の四国大会で準優勝を飾ると、選抜でも優勝候補の一角を占める。初戦は金光大阪の好投手・吉見(中日)との対戦となったが、スライダーが決まらないことを見透かして真っすぐを狙い打ち。5回には2番沖田、3番森岡、4番筧の3連続長打で4点を奪い、一気に試合を決めて見せた。

続く2回戦の福岡工大城東戦も右サイドからの高速スライダーが武器の好投手・松本望が相手だったが、今度は左打者が打席の白線ギリギリに立つことでスライダーを封印させる。死球も与えて意識過剰になった松本から2回までに6点を奪い、早々とノックアウトした。タイプの違う好投手を攻略した打線、エース田辺を中心としたディフェンスとも盤石であり、神宮王者の報徳を倒すとしたら明徳なのではないかと思っていた。

対する福井商は2000年夏に敦賀気比・内海(巨人)を打って4年ぶりの夏の甲子園出場を決めると、そこから県内では無双状態となる。1年生で捕手を務めた岡本広や本格派右腕・中谷を中心に2002年選抜まで4季連続で甲子園に顔を出す。しかし、2001年選抜では投手陣が打ち込まれて、浪速に6-7と惜敗。当時2年生だった中谷は不完全燃焼の投球に終わる。

夏は中谷に代わってエース村岡を中心に福井大会を圧倒的に勝ち上がるも、今度は大会直前に1番杉田がボールを指に当てて骨折するというアクシデントが発生する。天谷(広島)、南部ら強打者を複数擁した打線ではあったが、打順の変更を余儀なくされ、ショートも務める杉田の守備にも不安がある中での戦いになってしまった。前橋工を相手に4点を先制するも、中盤以降じりじりと追い上げられて逆転負け。全国でも上位の実力を持ちながら、春夏ともなかなか勝ちきれなかった。

新チームは前年に引けを取らない強力打線を擁し、福井大会・北信越大会を勝ち上がるが、エース中谷にはまだ若干の不安があった。しかし、選抜では初戦で21世紀枠の松江北に5-3と快勝スタートをきると、ここから波に乗る。2回戦では4番赤土が初回の満塁弾を含む7打点を挙げる大暴れで津田学園の多田を攻略。大量リードをもらった中谷は強気の投球で4安打2失点に抑えて完投し、甲子園にきて最高のピッチングで8強進出を決めた。

 

選手個々の能力が高いうえに考える力も高い明徳義塾。一方、4季連続の甲子園で経験豊富なナインがようやく自分たちの力を存分に発揮し始めた福井商。ともに総合力の高いチーム同士の対戦であったが、ここで明徳・馬淵監督が奇策に出る。エース田辺を温存し、2年生の右サイド右腕・湯浅をマウンドにあげる。田辺の疲労を考慮してか、はたまた福井商打線の狙いをかわすためか、真意はわからないが、結果的にこの判断が大いに裏目に出る。

1回裏、福井商は1番渡辺が2塁打で出塁。捕手からのけん制でタッチアウトになるが、2番岡本卓から斎藤、赤土と3連打を放ち、あっという間に2点を先制する。湯浅にしてみれば、まだ立ち上がり打者4人で一人も自力でアウトが取れない。福井商ナインとしては、なめられたという思いもあっただろうし、エースの田辺が出てくる前にできるだけ多くの得点を取りたいとの思いもあっただろう。

5番岡本広を打ち取ってようやく1アウトを取るも、まだ福井商打線は止まらない。今度は6番瀬崎から2番岡本卓までなんと6連打が飛び出す。明徳は2番手に竹内を送るも、とどまるところを知らない福井商打線の波に飲み込まれていく。竹内としてもまさかこんなに早く出番が来るとは思っていなかっただろう。これが高校野球の怖さか、実力伯仲と思われた好カードは1回を終わって8点もの差がつく。

流れを変えたい明徳だが、序盤は中谷の気持ちの乗った投球の前にチャンスを活かせない。明徳は5回からようやくエース田辺がマウンドに立つも、その代わり端で連打とスクイズによる失点を喫する。エースをもってしても流れを変えられず、明徳としては絶望的な展開となる。

ところが、野球の流れが変わりやすい6回の攻撃で代打・銘苅のタイムリーが飛び出すと、ここから明徳の猛反撃が始まる。7回表、1番山田からの4連打で3点を返すと、さらに6番泉元にもセンターオーバーのタイムリーが飛び出し、この回一挙4点。中谷の強気のインサイド攻めにもようやく慣れてきたか、打線がつながる。甘いボールが来たら逃さない明徳打線の技術の高さはさすがの一言だ。

福井商は7回裏に4番赤土のタイムリー2塁打で1点を追加するが、それでも一度傾きだした流れは変わらない。8回表には2アウト1,2塁から4番筧、5番田辺、6番泉元と3者連続タイムリーを放ち、ついに点差は2点。4年前の夏、松坂大輔擁する横浜に6点差をひっくり返された明徳だったが、この日の追い上げ体勢は、その時の横浜の姿がダブって見えた・

しかし、2イニングで9安打を浴びながらも中谷の向かっていく姿勢は崩れなかった。最終回、下位打線から始まる攻撃をきっちり打ち取って2アウトを奪うと、最後は1番山田をショートゴロに打ち取って試合終了。福井商が選抜では初めてとなるベスト4の椅子をつかみ取ったのだった。

 

福井商は続く準決勝で優勝した報徳学園に1-7と敗退するも、この試合も7回までは同点で推移していた。名将・北野監督が率いる「炎のチーム・福井商」。その実態は強くなって勝つのではなく、勝ち上がりながら強くなるというものだった。商業校だけあって、なかなか有力選手が揃わないこともあるが、豊富な経験を活かし、失敗を糧にしながら勝ち残っていくスタイルこそ福井商の目指した野球なのだろう。北野監督が勇退した今も、その伝統は脈々と引き継がれている。

一方、激しい追い上げ及ばずに敗れた明徳だったが、ここから負けなしの快進撃を見せる。連取試合で最終回に7点差を追いつけば、夏の高知大会準々決勝は9回裏無死満塁でのサヨナラ負けのピンチを防ぐという奇跡も起こして見せた。極めつけは、夏の甲子園3回戦の常総学院戦で飛び出した2者連続ホームランによる逆転勝利だろう。5打席連続敬遠など敵役の印象が強かった明徳。その苦労が報われ、全国制覇を果たした2002年のチームは、馬淵監督が目指した「選手が自分で考えて動く野球」を実践できる大人のチームであった。

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