2023年選抜2回戦
東海大菅生vs城東
53% 47%
投打で東海大菅生が上回るのは間違いないだろう。城東が「考える野球」でどこまで食らいつけるかが見ものだ。
東海大菅生のエースは本格派右腕の日當。150キロに迫る快速球とフォークボールを武器に狙って三振が奪えるのが強みだ。東京大会で日大三、二松学舎大付といった夏の東西の代表校をともに2点に封じ込めた実力は伊達ではない。スタミナも十分であり、後半のイニングになっても球威が落ちないのも強みだ。控えにも島袋、末吉など実力者が並んでおり、失点の計算できる投手陣と言えるだろう。
対する城東打線は部員13人と少ない人数の中でも工夫して攻撃を行えるのが強みだ。「サインを超えろ」の合言葉通り、監督の指示異常のものを目指す。打席の中でファウルで粘って簡単に凡退せず、走者との連動で相手守備陣をかき回すことが目標だ。そんな中、エースで4番の岡はチームの貴重な得点源として機能しており、5番森本とともに長打力の期待できる打者だ。各打者が自分の役割を自覚し、東海大菅生投手陣攻略を目指す。
一方、城東投手陣の柱は4番も務める岡。178㎝、81kgとがっちり体型から繰り出す速球はスピード以上の威力があり、2年生ながら投手としてのポテンシャルは高い。四死球から崩れることもなく、安定して試合を作れる。もう一人の右腕・清重も完投能力があり、この2人の継投で東海大菅生打線の分厚い攻撃を封じ込めたい。秋は失策の多かった守備陣が、永野マネージャーのノックでどこまで強化できているかも注目だ。
対する東海大菅生打線は伝統の「競り合いでの強さ」があり、東京大会では国士舘や日大三との接戦の中、大事な場面でタイムリーが出た。中でも4番北島、5番新井はスタンドへ放り込む力を持っており、沼澤・大舛の1,2番が機能すれば一気の大量点もあり得る。近年はすっかり甲子園常連校となっており、チームとして甲子園慣れしていることも強み。彼らは1年生の夏に大阪桐蔭との降雨コールド敗退を経験しており、悔しさを晴らしたい気持ちは強いはずだ。
城東としては、ビハインドで日當を打つのは容易でないだけに、是が非でも先制点が欲しい。東海大菅生は投打に持ち味の粘り強さを発揮し、2年ぶりの初戦突破を目指す。
主なOB
東海大菅生…鈴木昴平(オリックス)、南要輔(楽天)、高橋優貴(巨人)、勝俣翔貴(オリックス)、戸田懐生(巨人)
城東…武内久士(広島)、柳川大樹(ラグビー)、瀬戸内寂聴(作家)、竹宮惠子(漫画家)、鎌田敏夫(脚本家)
東京 徳島
春 2勝 1勝
夏 5勝 6勝
計 7勝 7勝
強豪地区同士の対戦だけに多くの激闘が繰り広げられてきた。なかでも池田と帝京は3度甲子園で対戦している。
1991年夏は史上まれにみる激闘となった。池田が5番三ツ川の2ランなどで帝京投手陣を攻略し、5-2とリードするが、8回裏に流れが一変する。疲れの見える池田のエース田原から帝京が満塁のチャンスを作ると、2年生の三沢(近鉄)がとらえた打球はレフトスタンドへ飛び込むグランドスラムに!一気に逆転に成功する。しかし、池田も9回に粘って同点に追いつき、試合は延長戦に突入。迎えた延長10回裏に帝京は稲垣のサヨナラ2ランが飛び出し、劇的な幕切れでベスト8へとコマを進めた。
一方、2013年夏には修徳と鳴門の伝統校対決が実現。鳴門打線が序盤から修徳の継投策をものともせず襲い掛かり、5点を挙げるも、修徳打線もじわじわと鳴門のエース板東(ソフトバンク)から1点ずつ取り返していく。終盤、修徳がついに同点に追いつき、試合は延長戦へ突入。10回裏、先頭の4番伊勢の2塁打を足掛かりに無死満塁のチャンスを作ると、最後は7番松本のサヨナラ打が飛び出して、試合終了。他チームなら4番クラスの松本を7番における鳴門打線の重厚さが光った。
春夏通算では7勝7敗の五分の星。一歩前に出るのはどちらか。
思い出名勝負
1982年夏準々決勝
早稲田実
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 |
2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 7 | × | 14 |
池田
早稲田実 荒木→石井→荒木
池田 畠山→水野→畠山
1982年の夏の甲子園は大会前、早稲田実、中京、池田の3強と言われており、大会が始まるとこの3校が下馬評通りに8強へ勝ち上がってきた。準々決勝第1試合で中京がエース野中(阪急)の好投で津久見を下し、そして第3試合で早稲田実と池田の2校が直接待決を迎えた。
早稲田実はエース荒木大輔(ヤクルト)を中心に5季連続の甲子園出場。1年夏にナチュラルシュートする速球を武器に、44イニング無失点と快投を演じたエースも最後の夏を迎えていた。ストレートの球質は球速が付くとともに純粋なフォーシームに近づいていたが、その分、カーブの制球とコントロールは増し、全国でも上位クラスの実力者だったのは間違いないだろう。
2年夏は報徳学園・金村(近鉄)、3年春は横浜商・三浦(中日)と好投手相手に敗れていたが、最後の夏は同じく5季連続出場の主将・小沢とともに有終の美を飾るべく臨んでいた。初戦は荒木自身のホームランなどで宇治に12-0と快勝を収めると、続く2回戦も星稜に10-1と大勝。3回戦は当時新鋭校の東海大甲府打線に荒木が捕まり、1番杉村にホームランを浴びるなどして一時3点差を追いつかれたが、2年生主砲・板倉の勝ち越しホームランで再び突き放し、6-3で難敵を下す。
これまでエース荒木を打線が援護しきれずに敗れるパターンが多かったが、主砲・板倉を中心に打線も好調を維持。自分たちで考え、自主練習で力をつける早稲田実の良さを体現したチームであり、最後の夏の優勝へ向け、待ったなしといった感じであった。
一方、池田は1974年選抜に爽やかイレブンで準優勝を果たすと、すっかり強豪校の仲間入りを果たし、1979年には橋川-岡田のバッテリーで選抜8強、夏は準優勝と結果を残していた。そして、彼らと入れ代わりに入学した畠山(横浜)をエースに据えたチームは、5季連続で甲子園を目指せるのではと蔦監督も期待を寄せる力を持っていた。
ところが、ここから池田の出場はぱたりとやむ。大事な場面で小技に頼って敗退を繰り返し、選抜を目指した秋の四国大会の明徳戦でもスクイズを失敗して0-1と敗退。練習では打撃メインで鍛え上げながらも、試合になると勝負弱い顔を見せていた。この状況に蔦監督もついに小技を封印することを決断。やまびこ打線と呼ばれた強打を全面に出し、最後の夏は決勝の徳島商戦に競り勝って、ラストチャンスをものにした。
大会が始まると、得点数こそ5点、4点、5点とさほど目立ったものではなかったが、池田打線のスイングの強さはやはり凄まじいものがあった。エースで4番の畠山を2年生の江上・水野(巨人)のコンビが囲んだ中軸の威力はもちろん、ラストバッターながら2試合連続のホームランを放った9番山口まで全く活きの抜けない打線を形成。3回戦で対戦した都城の変則右腕・中島も「すごい打線」とシャッポを脱いでいた。
さて、アイドル的人気を誇るエースと四国の田舎町から出てきた公立校の対戦。試合前、池田ナインは「帰り支度」をして出てきたと言い、最後の夏に8強まで進んだということで、ある程度ノープレッシャーで臨むことができていただろう。一方、荒木も池田打線のスイングを見て、「とても勝てないと思っていた」と後年語っており、互いに相手の力をリスペクトしながら試合に臨む格好となった。
試合前の予想は、早稲田実有利の声が多い中、優勝候補同士の一戦は幕を開けた。立ち上がり、畠山は1番小沢にヒットを許すも、盗塁失敗の三振ゲッツーなどで早実の攻撃を3人で片付ける。豪快なフォームから繰り出す快速球を武器に力で早稲田打線を抑え込む。
すると、1回裏、池田打線が早くもその威力を発揮する。
1アウトから2番多田がサードゴロエラーで出塁。続く3番江上は荒木大輔のカーブを狙い、打席内でスイングを繰り返す。相手の決め球を攻略しなくては先が見えないと踏んだのだろうか。すると、そのスイングに合うようにおあつらえ向きの高めのカーブがやってくる。これを大根切りのように江上がたたいた打球は、甲子園ファンの歓声と女性ファンの悲鳴が交錯する中、ライトスタンドへ着弾し、池田が2点を先制。「荒木大輔、鼻つまむ!」の実況の中、江上がホームを踏みしめる。
2回に入っても池田打線の勢いは止まらない。普段から畠山、水野と超高校級のエースのボールを練習で打ち込んできた実力をいかんなく発揮する。荒木のスピードボールは並の打線なら苦戦するが、池田打線は丁度よいと言わんばかりに打ち返していく。
2回裏、8番木下の痛烈なヒットなどで1アウト1,3塁とすると、ここで蔦監督は当たっている9番山口にスクイズを指示。これがまんまとはまって1点を追加すると、さらに満塁となって打席には2番多田。早実バッテリーはアウトコースのボール球を懸命に振らせようとするが、多田はこれに手を出さない。たまらず速球が甘く入るとこれをものの見事にとらえた打球は、レフトの頭上を破り、2者が生還。2回で早くも5点の差がつく。
反撃したい早稲田打線だが、畠山の威力のある速球の前になかなか快音が響かない。ここまで大会でホームランを放っていた板倉(大洋)や上福元(巨人)といった2年生スラッガーも球威に押され、畠山が先輩エースの貫禄を見せる。6回表に失策がらみで2点を返すも、走塁ミスでランナーがタッチアウトになるなど、早稲田実らしいそつのなさも影をひそめる。
すると、6回裏、池田打線が3回以降踏ん張っていた荒木を再び捕まえる。1アウトから3番江上が高めのストレートにちょこんと合わせてテキサス性のヒットを放つと、2アウト後に5番水野が驚愕の一打を放つ。荒木のアウトコース寄りの速球を力強く振り抜くと、打球はセンターバックスクリーンに悠々と飛び込む打球となる。140メートル級とも思われる打球を、しかも大会最注目のエースから放ったのだから、球場は騒然とした雰囲気になった。
早稲田実は荒木をあきらめ、2番手で石井丈(西武)を送る。のちに沢村賞を獲得する速球派右腕だが、これも池田打線は攻略する。8回裏、打者一巡の猛攻を見せ、とどめは水野のこの日2本目となる満塁弾で完全に勝負あった。優勝候補同士の対戦がこうも一方的な展開になるとは思いもしなかっただろう。球場は何か悲劇的な雰囲気にもなってしまっていた。
畠山は大量リードを背に悠々と投げ抜き、途中で一時的に水野にマウンドを譲ったものの、早稲田実打線を4安打2点に封じ込めた。注目の好カードを制した池田が初優勝へ向けて大きな弾みをつけた一戦となった。
池田はその後、準決勝では8番木下に決勝2ランが飛び出して東洋大姫路に勝利すると、決勝は機動力の広島商を強打で一蹴。初回6得点の猛攻で早々と勝負を決め、12-2と大差で悲願の初優勝を飾った。攻めだるまの異名を取った蔦監督の作り上げた最高傑作のチームが、64度目の夏の甲子園を力強く勝ち抜いたのだった。
一方、早稲田実は思わぬ大敗を喫したが、早実ナイン自身はどこかサバサバとしていた。池田のパワーを目の当たりにし、クレバーだけでは勝てないということを感じていたのかもしれない。
ここから早稲田実は斎藤佑樹の活躍で初優勝を果たす2006年までの24年間で春夏1回ずつしか甲子園へ出場できなかった。東東京時代は帝京の全盛期とかぶり、西東京に移ると今度は日大三の黄金期に鉢合わせるという不運もあった。
しかし、やはり昭和後半から平成初期にかけて夏の甲子園の熱さが増す中で、スパルタ式に体力強化を図る学校が強くなっていたのは否めないだろう。そんな中、早稲田実や履正社のような通いの選手主体の学校が強くなってきたのは、携帯電話の普及などで情報が出回るようになり、各人でも食事面などでしっかり自己管理をしやすい社会になったことが影響していたように感じる。2006年以降、再び全国常連となった早稲田実は今、再びその輝きを取り戻している。
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