2023年選抜3回戦
大坂桐蔭vs能代松陽
52% 48%
〇3-1 敦賀気比 〇3-0 石橋
選抜連覇を狙う大阪桐蔭に能代松陽が挑む構図になるが、こと守り合いになった場合、両者に大きな差はなくなりそう。投手戦に持ち込めれば能代松陽にも勝機がある。
大坂桐蔭のエース左腕・前田は初戦は8安打を浴びながらも要所を締める投球で1失点完投。ただ、フォームら流れる影響でストレートにスピードが乗らず、変化球も高めに浮きがちだったのは事実だ。次戦までにどこまで修正できるか。とはいえ、勝負どころを心得た投球ができるため、失点しても3点までなのではというイメージがある。大阪桐蔭としては昨夏の下関国際戦のように、前田以外の投手が登板して失点するパターンが怖いか。ただ、球数制限のことも考えると南恒などの登板は十分あり得る。
対する、能代松陽打線は持ち味の機動力を活かして活路を見出したいところだろう。そう多くのチャンスは望めないだけに、仕掛ける場面では躊躇せずに行きたい。1番大高・2番淡路・3番虻川の左打者3人がなんとか前田から出塁してかき回し、右打者の4番齋藤の一打を待つことになりそうだ。上位から下位までほとんどの打者にヒットが飛び出しており、当たっていない打者は不在。凡退してもダメージを残すような粘りを各人が見せたい。
一方、能代松陽のエース森岡は初戦は完ぺきなピッチングで無四球で被安打2の完封勝ち。角度のある速球を丁寧に内外角に配し、石橋打線を圧倒した。次戦でも同じような投球を目指していけばよいだろう。ただ、大阪桐蔭打線は例年ストレートにはめっぽう強いだけに、狙われた際のバッテリーの配球の変化が必要になる。いかに的を絞らせずに1試合を戦いぬくか。先を見据えた長期的な配球をしていきたい。また、初戦で出番のなかった4番齋藤の出番もありそうだ。
対する大阪桐蔭打線は相手のスキをついて得点を奪うスピーディーさはさすがである。1番山田、2番村本、3番徳丸とこちらも上位3人は左打者であり、広角に打ち分ける打撃でチャンスを広げていく。森岡の速球に対し、試合序盤からアジャストしていけるかがカギとなる。また、下位にも秋まで1番の小川、打撃もいい9番前田が控えており、下位打線が出塁して上位が決めるパターンを作れれば、得点力がぐっとあがりそうだ。
点の取り合いになると、さすがに能代松陽の勝機は低くなる。力が上の相手を倒すパターンとしてよくあるのは、先制して相手のリズムを崩して試合の流れをつかむか、もしくは小差で食らいついていって終盤にひっくり返すかの2パターンだろう。能代松陽が目指すものとしては後者になるか。序盤から打てなくても球数を投じさせるなど、後半につながる攻撃をしていけるかがカギになる。
主なOB
大坂桐蔭…中村剛也(西武)、中田翔(巨人)、藤浪晋太郎(アスレチックス)、森友哉(オリックス)、根尾昴(中日)
能代松陽…近藤芳久(ロッテ)、児玉理恵(アナウンサー)
大坂 秋田
春 1勝 1勝
夏 5勝 1勝
計 6勝 2勝
対戦成績は大阪勢がリード。秋田勢の最後の勝利は1965年の1回戦。伝統校・秋田が初戦で大鉄に4-3とサヨナラ勝ちを収め、勢いに乗ってこの大会4強まで勝ち上がった。
一方、1991年夏は大坂桐蔭と秋田が3回戦で対戦。
初回に大阪桐蔭の先発・背尾(近鉄)を急襲して3点を奪った秋田が2点リードのまま9回に突入。サイドハンドのエース菅原が2アウトランナーなしまで追い詰めたが、ここから大阪桐蔭が驚異的な粘りを見せる。選抜で最後の打者になった6番沢村の3塁打を放つと、下位打線に4連打が飛び出す、まさかの同点劇。あと一歩のところで勝利が逃げていく。
延長10回裏、秋田のサヨナラのチャンスでヒットが飛び出すが、大阪桐蔭の外野手の好返球が飛び出して、サヨナラはならず。すると、延長11回表に先ほど土壇場で貴重な一打を放った沢村が勝ち越しホームランを放ち、大阪桐蔭がついに勝ち越す。沢村はサイクルヒット達成のおまけまでついた。苦しい試合をものにした大阪桐蔭はこの大会で初出場初優勝を達成。しかし、王者を最も追い詰めた秋田の戦いも高校野球ファンの脳裏にしっかりと刻まれた。
その他にも、PL学園の前田健太(ツインズ)がホームスチールを決めた2006年の選抜や記憶に新しいところでは、吉田輝(日本ハム)がエースの金足農を大阪桐蔭が下して2度目の春夏連覇を決めた2018年の決勝など、ここ最近は大阪勢の勝利が続いている。今回は秋田勢のリベンジはなるのか注目が集まる。
思い出名勝負
1984年夏準決勝
金足農
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 |
0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | × | 3 |
PL学園
金足農 水沢
PL学園 桑田
前年夏、1年生の清原、桑田(ともに巨人)、いわゆるKKコンビを擁して5年ぶりに2度目の選手権制覇を果たしたPL学園。同年選抜では岩倉・山口(阪神)に完封されて惜しくも準優勝に終わったが、この夏も当然優勝候補の筆頭であった。そのPL学園の前に準決勝で立ちはだかったのが、秋田の「雑草軍団」こと金足農であった。
金足農は名将・嶋崎監督の厳しい指導の下、年々力をつけ、1984年にその努力が花開いた。エース水沢と捕手・長谷川という打撃でも主軸を担うバッテリーを中心に堅い守りでリズムを作り、スクイズなど犠打を多用した野球で得点を重ねる。昭和時代の王道とも言える野球で結果を残し、選抜でも優勝した岩倉に善戦していた。
迎えた夏も連続出場を果たすと、1回戦は名門・広島商に6-3と完勝。同じく犠打を多用する野球をするチームであったが、相手のお株を奪う攻撃で会心の勝利をつかんだ。この勝利で勢いに乗った金足農は、別府商・唐津商と九州勢に連続で競り勝つ。勝つたびに自信をつかんだチームは、準々決勝で新潟南との雪国対決も6-0と圧倒。15安打を放った打線とエース水沢の投球がかみ合い、力強く4強まで勝ち上がってきた。
一方、PL学園は清原・桑田という投打の2年生の柱を擁していたが、チームの要を務めるのはやはり3年生であった。捕手として主将としてチームを牽引した清水孝を中心にセンターラインの守りは強固。特に旗手-松本の二遊間の守りは絶品であり、2年生エースを支える。打線も清水哲、松本、北口など中軸の桑田・清旗の周りを固める3年生打者がとにかくしぶとい。3番鈴木は清原と並んで長打力を誇る強打者であり、今年もPL打線の破壊力は凄まじいものがあった。
夏は初戦で享栄との強豪校対決となったが、この試合を清原の3ホームランなど14得点で大勝。桑田も快速球を武器に、享栄打線にほとんどチャンスを与えず、憎らしいほどの強さを見せた。続く2,3回戦も9-1と大勝。3回戦は都城との選抜再戦であったが、左腕・田口(南海)をノックアウトし、注目の好カードを大差でものにした。
しかし、そんなPLだったが、準々決勝では松山商の左腕・酒井(日本ハム)の巧みな投球の前に苦戦する。初回に先制点を奪われると、3回戦まで見せた強打が鳴りを潜める。2-1と逆転勝ちを収めたが、選抜と同様、大会後半に打線が湿る展開が危惧されていた。
試合は当然、両エースの先発で幕を開ける。1回表、金足農は1アウトから2番大山の投手強襲の当たりを桑田がはじき、チャンスを迎える。フィールディングのいい桑田にしては珍しいプレーだ。当然、嶋崎監督は犠打でチャンスを広げると、ここで4番捕手の長谷川が打席へ。桑田のカーブをとらえた打球はショート旗手の手前で大きくバウンドが変化し、レフトへ抜ける間に大山はホームイン。金足農が大きな先制点を手にする。
このリードを金足農・水沢が素晴らしい投球で守り抜く。スライダーとシュートを駆使し、ストライクゾーンの横幅いっぱいを使った攻めでPL打線を封じ込む。後年、中村順司監督が、「PLの苦手なタイプな岩倉・山口のように内外のスライダーの出し入れで勝負する投手」と発言していたように、水沢もこの例にもれずPL打線を封じ込んでいく。4番清原に対しては徹底したインコース攻めで無安打に抑え、打線全体でも5回までわずか1安打。3回戦までの強打が嘘のような沈黙ぶりである。
一方、桑田もさすがのピッチングを見せ、2回以降は金足農打線に得点を与えない。高校時代最も球速が速かったと言われる2年夏の快速球はアウトローに突き刺さり、右打者をのけぞらせるカーブとのコンビネーションで金足農打線を封じる。
両投手のテンポのいい投球もあって試合は早いペースで進んでいく。戦前の予想に反し、5回を終わって金足農が1-0とリード。球場全体にどこか波乱の予感が漂い始めていた。
しかし、グランド整備を挟んで迎えた6回、試合が動く。PLは3番鈴木にとっておきの代打・清水哲を送る。名将・中村監督もこことばかりにカードを切ると、その清水哲がカーブをとらえて三遊間を破る。1アウト後に桑田の内野ゴロが失策を誘って1,2塁となると、ここで打席には6番北口。再三、内角を攻めていた金足農バッテリーだったが、北口はスライダーが甘く入るのを逃さず、ライト線に運び、PLが同点に追いつく。捕手・長谷川も「さすがPL。嫌な打順に嫌な打者がいる」と舌を巻く。
同点に追いつかれた金足農だが、この日は野球の神様に愛されているような、ツキを感じる。1アウトから四球のランナーをエンドランで進めると、7番原田の投手返しの当たりがまたも桑田のグラブをはじいてレフトへ転々と転がる。スピードが緩い分、2塁ランナーの鈴木は悠々生還し、金足農が勝ち越し。試合のほとんどの時間帯が金足農リードで進んでいく。
ただ、1978年の代逆転優勝をはじめとして数々の逆転劇を演じてきたPLである。水沢-長谷川もプレッシャーは感じていただろう。8回裏、運命のイニングが金足農バッテリーに降りかかる。
この回、PLは1アウトから4番清原が四球で出塁、ここまでは金足農としても想定内である。続く5番桑田に対し、バッテリーは細心の注意を払っていたはずだったが、2球目のカーブが魅入られたように甘く入る。これを桑田のバットが一閃。打球は高々と舞い上がってレフトポールを巻く逆転2ランとなり、PLが土壇場で試合をひっくり返した。金足農としては悔やんでも悔やみきれない一球であった。
自ら逆転弾を放った桑田は9回を快調なピッチングで3者凡退に封じ、試合終了。PLが苦しい試合をものにし、2年連続の決勝進出を果たした。
PLとしては試合開始からずっと苦しい時間帯が続いていたが、チームとしての底力を感じさせる試合でもあった。特に、相手の失投を一球で仕留めた桑田の打撃は見事のひところ。高校時代、「清原より桑田の方が怖い」と言われていたように、2年生までは大事な場面で貴重な一打を放っていたのはむしろ桑田の方であった。
しかし、決勝では指の皮が剥けた影響で取手二打線に捕まり、延長10回を8失点で敗退。強力な2年生の投打の柱を擁するチームを、3年生主体の金足農や取手二が苦しめた戦いは甲子園のファンを感動させた。ただ、一部では桑田-清原のいたこの3年間で最も強かったのは、春夏準優勝ながら、センターラインを中心にディフェンスの安定していた1984年のチームではと言われている。清原、桑田を支えながら、彼らに負けない働きを見せたPLの3年生たちの活躍もまた見事であった。
一方、金足農は敗退したものの、嶋崎監督をはじめナインは清々しい表情で甲子園を後にした。秋田勢として久々の4強入りを果たし、最強チームPLを苦しめた戦いぶりは、彼らの歩んできた道が間違っていないことを示していた。PL・中村監督も「うちの守備のリズムを崩した金足農の攻撃は見事」と賛辞を惜しまなかった。
1995年にも8強入りを果たすなど、その後も雑草魂の強さを見せ続けた金足農。この年から34年後、エース吉田輝(日本ハム)を中心として秋田勢として第1回大会以来となる決勝進出を果たすのだが、この年のチームも犠打に強打を絡めるオールドスタイルの野球で甲子園を沸かせた。昭和からの高校野球ファンにとっては、どこか懐かしさを感じさせるチームだったのではないだろうか。
大会No.1投手(1984年夏) 水沢博文(金足農) | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
第66回(1984年)全国高校野球選手権大会 準決勝 PL学園 対 金足農 1/4 – YouTube
第66回(1984年)全国高校野球選手権大会 準決勝 PL学園 対 金足農 2/4 – YouTube
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