右投手 田中将大(駒大苫小牧)
2005年夏に一気にブレイクスルーを果たした田中将大。1年秋までは捕手と兼任しており、同年の選抜でも神戸国際大付打線を無安打に抑える好投を見せていたが、夏の大会前は好投手の一人という位置づけだった。
しかし、初登板となった3回戦の日本航空戦ではスライダーを武器に9安打1失点で好投。スコアリングポジションにランナーが進んだらギアを上げる投球で、福井商の林(ロッテ)、斎藤(広島)の2枚看板を打ち崩した強力打線を寄せ付けなかった。この日の投球を見て、他の強豪校も田中に対する警戒度を増さざるおえなくなった。
そして、準々決勝の鳴門工戦ではKOされたエース松橋の後を受けて登板。7回に集中打で3点を失ったが、その裏に打線が集中打で逆転すると、8,9回を気迫の投球で抑えて奇跡の逆転勝ちを演出。準決勝では平田(中日)、中田(巨人)らスター選手を擁する大阪桐蔭打線を5回まで無安打に抑える投球を見せ、延長戦での勝利を呼び込んだ。
必殺のスライダーで大会でも随一の強打を誇った2校を抑え込んだ自信は果てしなく大きなものだっただろう。決勝の京都外大西戦では優勝決定のマウンドに立ち、最後のストレートは150キロを記録。大会中にもめきめきと実力を増した右腕は、次代の「世代最強投手」として君臨していくこととなる。
左投手 好永貴雄(宇部商)
剛腕・辻内(巨人)やのちのメジャーリーガーの田中将大(ヤンキース)などハイレベルな投手が顔をそろえた2005年の夏。しかし、個人的に大会No.1投手に推したいのは宇部商の好永貴雄である。
複数投手性が叫ばれる現代の高校野球界においては珍しく、県予選からすべての試合を一人で投げ抜いたタフネスさは特筆もの。際立った球威・球速はなくとも、内外角を丁寧について打ち取るクレバーな投球で、2回戦では静清工では三振0という「らしい」投球で完封勝利を成し遂げた。
過去には田上(1985年)、木村真(1988年)、金藤(1991年)、藤田(1998年)など数多くの好左腕を送り出してきた宇部商にあっても、屈指の好投手に上がるのは間違いない。最後は準決勝の京都外大西戦で自らの送球エラーに泣いたが、大会を彩った好左腕であった。
捕手 森大雅(清峰)
初出場で同年選抜優勝の愛工大名電、前年選抜優勝の済美を連破し、一躍注目の的となった清峰。選手の精神状態をうまくサポートした吉田監督と投手指導に長けた清水コーチのコンビで、旧校名の北松南時代から着実に力をつけ、前年夏は初めて長崎大会決勝まで勝ち上がって準優勝。そして、この夏は決勝で海星を相手に8点のビハインドを跳ね返し、初の甲子園出場を果たした。
ところが、初戦の相手はなんと選抜優勝の愛工大名電が相手に。バントと強打を絡め、一世を風靡した攻撃スタイルで選抜を制覇し、当時乗りに乗っていた強豪である。しかし、事前に相手を研究した清峰サイドは、エース古川(オリックス)を極力バント処理に参加させない方針で、名電の攻撃をしのぐ。捕手・森は名電の各打者を徹底して研究し、古川の決め球のスライダーをうまく活用して8安打2失点の完投勝利を演出。初出場で大金星を挙げた。
そして、2回戦では前年の選抜優勝投手の済美・福井(楽天)から左中間スタンドに3ランホームランをマーク。2回に奪った5点のリードを徐々に追い上げられた中での貴重な中押し打で、エースを援護した。3回戦でスター集団の大阪桐蔭に屈したが、この試合でも剛腕・辻内(巨人)から2安打を記録。清峰旋風を攻守で支えた立役者であった。
清峰vs愛工大名電 2005年夏 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
一塁手 藤良裕(鳴門工)
「新渦潮打線」の象徴的存在だった強打の6番打者。いかにも長打力を秘めていそうな体型から繰り出す打球は、破壊力満点であった。開幕戦からの登場となったが、2年連続出場で甲子園経験もある宇都宮南の好左腕・菅間から、藤のタイムリーなどでいきなり5点をたたき出す猛攻を見せる。この試合で4安打をマークした藤は3回戦の高陽東戦では豪快な一発を記録。この試合でも10点をたたき出した鳴門工打線は3試合で30得点の猛打で8強進出を決めた。
そして、準々決勝の対戦相手は前年優勝の駒大苫小牧。藤は1回、3回と2本のタイムリーを放ち、7回表には3番柳田・4番上野の連続タイムリーが飛びだして6-1と大量リードを奪う。
ところが、ここからが落とし穴であった。守備に難のあった藤は試合終盤は交代することが多かったが、この試合ではタイムリーを打っていることもあって高橋監督は交代のカードを切らず。すると、7回裏に記録ではライト前ヒットとなっているが、6番岡山のファーストゴロを藤は後ろにそらしてしまう。この一打で一気に岡山が3塁を奪うと、駒苫打線がつながって一挙6点を記録。鳴門工はまさかの逆転負けを喫した。
この敗戦後はなかなか甲子園に出場できていない鳴門工。あの年の強力打線は高校野球ファンの記憶に残る鮮烈な印象を残したが、と同時に野球の怖さをまざまざと見せつけられる結果となった。
【2005甲子園・夏】マー君を打ち崩した徳島のチームがあった 駒大苫小牧VS鳴門工業 – YouTube
二塁手 林裕也(駒大苫小牧)
夏の甲子園で57年ぶりの大会連覇を達成した駒大苫小牧。前年夏にサイクルヒットを記録して優勝メンバーとなったが、林が主将となった2005年度のチームは松橋・吉岡・田中将大(楽天)と右腕3人がそろった投手力には定評があったとはいえ、打力にはやや不安を抱えていた。選抜の2回戦では神戸国際大付・大西(ソフトバンク)にあわやノーノーを食らいかけて1安打完封負け。春季北海道大会では白樺学園に屈して、道内の連勝記録もストップした。
しかし、「最高の夏にする」と意気込む林は1番主将としてチームを牽引。南北海道大会決勝では好投手・加登脇(オリックス)を擁する北照に5-4と競り勝ち、2年連続の甲子園出場を決めた。甲子園では初戦の聖心ウルスラ戦で初回にヒットを放って勢いをつけると、準々決勝では鳴門工の左腕・田中暁から先頭打者弾を記録。7回にはタイムリー2塁打を放って奇跡の逆転勝利をつかみ取った。
前年と比較して決して個々の打力は高くなかったが、そのぶん勝負所での集中力と徹底した走塁の意識は追及していた。準決勝の大阪桐蔭戦では立ち上がりに不安を抱えた大阪桐蔭・辻内から2回に5得点。終盤に同点に追いつかれたが、延長10回に先頭打者で林が2塁打を放ち、勝ち越しのホームを踏み、優勝候補筆頭を下した。
決勝では終盤にタイムリー失策を犯してしまうも、その直後に勝ち越しにつながる一打を放ち、見事日本一を達成。内野の要としても2年生の田中を鼓舞し、チームの主将として日本一に輝いた林は、最後のインタビューで「これで誰が見ても僕たちが最高の夏を過ごした」と一言。苦しい時期を乗り越え、万感の思いで口にした言葉だった。
三塁手 寺本一貴(京都外大西)
前年夏にエース大谷を中心に経験豊富なメンバーをそろえて出場を果たしていた京都外大西。涌井(楽天)を擁する横浜と延長に及ぶ大接戦を演じ、観衆を沸かせた。
しかし、3年生主体のメンバーであったため、新チームに残ったのは4番西下のみ。投手陣も2年生北岡、1年生本田と非常に若いチームであった。京都大会では準々決勝からの3試合をすべて3-2と接戦で勝ち上がり、代表切符をつかんだが、チーム打率は2割5分台で出場校の中で下から2番目。前評判は決して高いチームではなかった。
ところが、そのチームが甲子園では猛打爆発するから野球はわからないものだ。特に2回戦の関西戦では終盤8回に6点のビハインドを一気に追いつく猛攻を見せ、格上とされていた関西を逆転で下した。その後も、桐光学園・樟南・宇部商と強豪校を相手に次々と打ち勝ち、あれよあれよという間に決勝進出を決めた。
そんな中で、京都大会では全く当たっていなかった寺本は打率4割を超す活躍ぶりでチームの快進撃に貢献。構えた際の動きが大きい打撃フォームであったが、こういう構えの選手は一度当たりだすと止まらないのも野球の面白いところだ。準決勝ではついに3番に昇格し、決勝では駒苫のエース松橋から先制タイムリーもマークした。この夏最も成長した選手の一人といっても過言ではなかっただろう。
遊撃手 前田大和(樟南)
2年ぶりの代表切符を狙っていた鹿児島・樟南。2年連続出場を狙うライバル鹿児島実や選抜準優勝の神村学園など強豪ひしめく鹿児島大会をしぶとく勝ち上がり、鹿児島県大会決勝で神村学園と激突した。
相手の4番天王寺谷にタイムリーを許すなど、1-4とビハインドを食らっていたが、土壇場の9回表に相手エース野上(巨人)を攻略。満塁から前田大和(DeNA)の走者一掃打が飛び出し、一挙4点を挙げて逆転勝利を飾った。
甲子園本番では、樟南らしい手堅い野球で花巻東、銚子商を撃破。犠打で得点圏に送って着実にタイムリーで返し、堅守で守り切る野球は、県内のライバル鹿児島実のパワーに対抗すべく培ってきたものであった。前田は1番ショートで出場し、堅守と巧打でチームに貢献。15打数5安打とトップバッターとしての仕事を果たした。
左翼手 井田和秀(宇部商)
チーム打率3割7分1厘を記録した宇部商打線を引っ張った主将。選抜では9番を務めていたが、夏は不動のトップバッターとしてチームを牽引。2番上村との強攻コンビでチャンスメークし、中軸に常にランナーがたまった状態で回している印象だった。決して大きな当たりを打つわけではないが、鋭い当たりで野手の間を抜く打球が目立ち、22打数10安打と結果を残した。
エース好永が一人で投げ抜くため、とにかく1点でも多く欲しい宇部商打線は初戦の新潟明訓戦から20安打と活発。3回戦の酒田南戦では終盤7回に好投手・金本(中日)から7安打を集中して一挙8点を奪い、試合を決めて見せた。そして、準々決勝の日大三戦では1点ビハインドの9回に9番星山から1番井田、2番上村とつながる強攻策で逆転勝ち。宇部商らしさ全開の野球で観衆を魅了した。
中堅手 平田良介(大阪桐蔭)
1998年以来、夏の全国8強から遠ざかっていた大阪勢。2001年のPL学園の不祥事以来、勢いがなくなっていたが、新たな大阪の盟主として2004年あたりから台頭してきたのが大阪桐蔭であった。前年夏は大阪大会決勝でPL学園との引き分け再試合に屈したが、この夏は同じPL学園の2年生エース前田(ツインズ)から4番平田が逆転2ランを放ち、ライバルに競り勝って代表切符をつかみ取った。
その甲子園では初戦で春日部共栄との乱戦を1年生中田(巨人)の活躍で制すると、2,3回戦はエース辻内が立ち直って盤石の内容で制する。平田も2回戦で藤代の好投手・湯本から3ランを放ち、好調を維持して大会終盤に臨んだ。
そして、迎えた準々決勝第3試合。相手は前年の選抜で敗れていた東北高校であった。平田は第1、2打席と東北の2年生エース高山から連続ホームランを放つと、逆転を許した直後にもセンターのフェンスを直撃するタイムリー2塁打を放って1点差に迫る。さらに1点ビハインドで迎えた7回裏には右中間スタンドへ飛び込む逆転2ランを放ち、4打数4安打5打点の大活躍でチームを4強に押し上げた。
準決勝では駒大苫小牧投手陣の前に無安打に終わて4強で幕を閉じたが、この年の大阪桐蔭の躍進が大阪勢に勢いを与えたのは確か。平田(中日)、辻内(巨人)の投打の2枚看板を擁したスケールの大きな野球を見せつけた。翌年以降の大阪勢は毎年必ず優勝戦線に顔を出すようになり、履正社との2強で全国の高校野球ファンをうならせる活躍を見せている。
高校野球 駒大苫小牧vs大阪桐蔭 2005年 第87回全国高校野球選手権大会 準決勝 – YouTube
右翼手 多田隼仁(日大三)
強力打線・日大三の顔としてチームを牽引したスラッガー。西東京大会では翌年の甲子園優勝投手である早稲田実・斎藤(日本ハム)もKOしてコールド勝ちを収めた打線は全国トップクラスであり、エース大越も安定感抜群とあって現実的に優勝を狙えるチームであった。
その甲子園初戦は明徳義塾との対戦が決まっていたが、明徳がまさかの出場辞退となり、高知高校が代替出場に。明徳・高知の両校にとってはまさに青天の霹靂だっただろうが、対戦相手の日大三にとってもやりにくい展開だっただろう。迎えた高知との初戦は、予想通り高知を応援する雰囲気となっていた。
受けて立つ格好となった日大三は1番江原の3ランなどで4点を先制するも、中盤に追い上げを食らって徐々に高知のムードになる。そのムードを吹き飛ばしたのが8回に飛び出した多田の一発であった。高知の好投手・二神(阪神)のボールをとらえた打球はセンターバックスクリーンに飛び込む特大のホームランとなり、この回2点を追加。大越が14奪三振の力投を見せ、初戦突破を果たした。
その後も好調な打撃でチームを鼓舞。大会序盤にやや当たりの止まっていた3番千田の不調をカバーし、8強入りに貢献した。準々決勝で宇部商に土壇場で逆転負けを喫したが、3試合で11打数5安打を記録。強打のチームの4番としてしっかり結果を残した。
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