1992年の夏の甲子園のNo.1投手と言えば満場一致で西日本短大付の森尾和貴だろう。浜崎監督のもとで昭和60年前後から着実に力をつけ始め、石貫(広島)や中島ら好投手を輩出して強豪の地位を確立していた「西短」が、満を持して全国の頂点を狙ったのが森尾の代であった。前年まで4年連続で夏の大会8強以上と好調を維持していた福岡県勢が平成に入って初の福岡県勢の優勝を成し遂げた。
森尾のインサイド、アウトサイドの低めに突き刺さるストレートは球威、制球とも申し分なく、5試合を戦って失点は準々決勝の北陸戦の9回に喫した1点だけ。金属バット全盛の時代に成し遂げた防御率0.20での優勝はべらぼうな数字である。また、森尾のバックの守備陣もレベルが高く、相手の打球位置を予測してのダッシュなど、攻撃的な守備でエースを盛り立てた。
また、この前年に沖縄水産の大野倫(巨人)が肘の疲労骨折をしながら全試合を完投したことで、高校野球界で複数投手性の必要性が叫ばれた年でもあった。そんな中で、決勝で対戦したのは森尾が一人で投げ切る西短と4人の投手の継投で勝ち上がった拓大紅陵。結果、勝ったのは森尾が絶対的エースの西短であり、ある意味皮肉な結果にはなったが、そんな声を完全に封印してしまうほど森尾の投球はすさまじかった。
【好投手列伝】福岡県篇記憶に残る平成の名投手 1/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
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